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  • 2012.12.01 Saturday
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大寒の滝行 【寒行帰神法の行満す】 御岳山七代の滝

不動真言を誦する行者を加持する川島金山
(不動真言を誦する行者を加持する川島金山)

昨日は平成22年1月大寒。全国的に暖かい気候だったようです。しかし御岳山の滝場の流水は、それなりの冷たさでした。

さすがに平日ということもあり、且つ一番早い時刻のケーブルカーで到着したので、一般の登山者はほとんどいなかった。七代の滝を訪れる人はいなかった。

写真をご覧いただくとわかるように滝場には氷があった。0℃ではないけれども、それにちかい冷たさだということがわかる。昨年の春から、滝行の指導を公開した。大寒のこのシーズンを目指してやってきたのである。ある人からは、滝行は冬にやるものでしょう、みたいなことを言われた。僕の中では自分一人だけでもやり抜く事は決めていたので、7名での大寒の修行ができたことは本当に嬉しいことでした。

初心の方もベテランもよく作法を会得していて、整然とした行でした。真言読経も入滝行者を後押しして素晴しいものでした。大寒の氷が張る滝場で無心に行に挑む者たちの美しさがそこにはありました。まこと冥利に尽きます。

気合、滝の受け方など皆さん見事になってきました。神仏を念じ、お滝をいただく、このような我が国の心身練磨の法を、広く残してゆきたいものです。

火界定・火生三昧に入るのは少し難しかったかもしれません。日頃の内観法の修行を工夫してみたらよいと思います。内観法による護摩を行うのです。その観念の土台は昨日お伝えしました。どうすればよいのかアドバイスを求める方は問い合わせてください。会ったときにお話します。

水の三昧、火界定(かかいじょう)、鎮魂帰神法、禊、これらを1つにしたところの滝行法が、我が会の修行法であります。さらに一点の集中の力、気合を指先に応用して、野中操法や整体をおこなう。これが目指すところです。忍術に「念」というものがありますが、インドのヨーガでは「サンヤマ」と言います。精神を集中する全ての段階をひとまとめにしてそのように呼ぶのです。

24日にも塩川の大瀧での寒行があります。予報からすると厳寒になると思います。自然の威力が厳しければ厳しいほど、行者は鍛え上げられます。参加者は心して参加されよ。

大寒の氷滝


不動明王の火界定修行 【御岳大寒の行と塩川大瀧の行】

 火界定の火炎
(参考 火界定の火炎)

塩川の大瀧
    (塩川の大瀧)

昨日、塩川の大瀧に下見に出かけた。24日にここで寒行の滝行気合を行うためである。車での移動になるのでコースを確認したのだ。

瀧場は氷柱が所々にある。約30メートルの二段の大瀧から落ち来る瀧水は見事というより他ない。自然はまったく妥協がない。真っ直ぐに自分と相対する。厳しいときには厳しく、優しいときには優しい。

整体の指導者とはこういうものなのではないか。
何か意図して整体ぶってみたりするものではない。自然と感じられない不自然があったら、それはもう整体ではないのだと思う。飯を食うとか、これしか職業にできないなどの理由で整体はできまいと思う。そういうのは所詮、商いである。生業なのである。

20日には、御岳で大寒の修行をする。参加者は7〜8人である。24日は野口整体の創始者である野口晴哉師が修行したという「塩川の大瀧」での修行だ。厳しいものになると思う。

そこで・・・。
参加者には、今回「火界定(かかいじょう)」に入る方法をお教えしようと思う。この技法はチベット密教の「トゥンモ」に匹敵する修行である。トゥンモとは、ツモなどとも表記するが、ナロー・チュードックなどは、まさしくこの法のことだ。「ナローパの6法」という意味である。

クンダリーニの潜勢力を意識する分だけ、クンダリーニ滝行法のほうが直接的だと思う。龍趣(りゅうしゅ)龍界の力がどうしても必要で今回は僕と僕の先生によって感得した御真言をお教えします。要らないという方は、それはそれで結構です。

まず燃え上がる火炎を強く思い出してください。それは身体の中、特に骨盤内と腹部で躍動しています。この観想を必ず毎日行うこと。「我、不動明王なり」と強く念ずること。これはもう理屈抜きです。寒行の参加者は、よくよくこの「火界定」に入っておくこと。別名、火生三昧、火の瞑想、火光三昧などともいう。


松本道別著 【霊学講座を読む(1)】 クンダリニー開発法

 護摩法(ホーマ)自然界を操る
(護摩法(ホーマ)でクンダリニーを
 覚醒し自然界を自在に操るヨーガ行者)

松本道別師(まつもとちわき)の著した「霊学講座」は、今現在でも白眉の名著だ。霊学・霊術を修行するものは必ず読まなければならない霊著である。前にも述べた通り、この霊学講座全四巻のなかで、松本師はクンダリニー・ヨーガにおけるクンダリニーという潜勢力の開発法を公開している。

クンダリニーはクンダリーニとも表記し、どちらでもよい。どちらも間違いではないのである。霊学講座では、蛇(クンダリー)・蛇力(クンダリーシャクチー)・軍茶利尼などと表記している。昭和2年(1927年)に霊学講座の第一巻と第二巻は刊行されている。このことは驚異に値する。ほとんどクンダリーニ・ヨーガについて情報がない時代に、このことを実践書に記述し、具体的な方法まで書いていたというのは驚くよりほかないことだ。

霊学講座の中で、中心管呼吸法としてこれを説いている。他にいくつかの優れた呼吸法が公開されている。野口整体の創始者である野口晴哉先生は、ご存知の通り松本師の直弟子であり、整体法の体系の中に、霊学講座で教示された技法を取り入れている。このことは動かし難い事実であろう。

霊学講座では、深息法・気合法も記されている。しかし現在の整体協会では4段階ある気合法のうちの「整腹気合法」しか伝わっていない。「打ち込み気合法」や「槍突き気合」はやり方違う。正確には伝承されていない。であるから、呼吸法も同じことである。霊法として教示されていた原初のものとは違うのである。

野口先生は、背骨の呼吸法を紹介している。ご自分も日頃からこれを実践していると語っていた。専門的には、脊髄行気法(せきずいぎょうきほう)というのである。野口先生の説明を拝見すると面白いことに気づく。整体法だけやっている方には、このことは分からないことだと思う。

脊髄行気法というのは文字通り、脊髄に行気する法だ。行気とは精神集中によって気を行きわたらせる法である。自分自身に気を行きわたらせる時には行気と言い、他人に送る時には「輸気」という。

松本師の方法では、脊髄行気法と中心管行気法は別々のものだ。脊髄行気法の中には「中心管」という考え方はない。しかし野口先生は、背骨の呼吸法として脊髄と中心管に気を通すことを説いている。このことを指摘した人を僕は知らない。

中心管というのは、クンダリーニ・ヨーガにおけるスシュムナー管という微細な管だ。尾骶骨にある潜勢力クンダリニーが、ここを動線として頭頂まで抜けてゆくのである。中心管の概念が有る以上、当然クンダリニーということも野口先生はご存知であったろう。僕は野口晴哉師の輸気の力の根源は、天心・気合と共にクンダリニーだったのではないかと考えている。

すなわち、あの御岳山・七代の滝での修練でそれらすべてを体得したのではないか、そんな風に考えている。妻の野口昭子夫人が、その著「回想の野口晴哉」において、野口先生が少年時代修行した秘密の滝場を「御岳 綾広の滝」としているが、それは七代の滝の間違いではなかったかと思う。このことは、両方の滝場で修行すれば分かることだ。

クンダリーニ・ヨーガの技法、野外で焚く護摩法(柴燈不動護摩法)、霊学講座における各種呼吸法、各秘事秘法、滝行気合法。これだけのものを本気で研鑽する個人および団体がどれだけあるのだろう。

整体を踏み越えて、興味のあることをどんどんやりましょう。クンダリニーの潜在力を「輸気」に導入したらどんなことになってゆくのか、本当に楽しみです。それはもう整体法ではないかもしれないけれども、人々のお役に立って生きてゆければ、それで良いのではないでしょうか



1/10日寒行報告 【クンダリーニ・チャクラ開発滝行法】

 厳寒の七代之滝
滝場への参道
(厳寒積雪の七代之滝 積雪の参道)

本日1月10日(日)御岳山において滝行気合法を行った。一行は4名で皆さん、よく頑張りました。作法はスムーズで、厳寒の中よく声を出して真言を唱え気合法を行じておりました。

御岳山では二日前に降雪があり、滝場にも雪があり、流水の左右が凍っているという具合でした。水温は12月末よりも更に低く、御岳での極限の寒行に近づきつつあると感じました。

ここで1つの画期的な滝行論を述べたいと思う。ご承知のように僕は滝行とクンダリーニについての体験を昨年末に述べた。この論を更に進めると我が会での滝行法は【クンダリーニ・チャクラ開発滝行法】ということになる。では詳しく述べよう。

ヨーガとはインドのものである。いくつもの種類があり、その中にクンダリーニ・ヨーガというものがある。人間の尾骶骨基底部にあるクンダリーニという潜在的なエネルギーの処を開発覚醒して活用するのである。クンダリーニは、背骨の中にあるというスシュムナー管という中央管を突き抜け頭頂にある「梵の座」という処にゆき、聖霊と交流するまでに至る。中央管の各場所にはチャクラという部位があり、クンダリーニがそこを通過すると各チャクラは覚醒する。チャクラというのは梵語で「回転する輪」という意味だ。すなわちチャクラはエネルギーを「回転する輪」のように輪状に放射するから是く言うのである。

このチャクラは主に7箇所あり、それぞれが人体における「内分泌腺」に対応している。内分泌腺と言うのは、ホルモンを分泌する部位のことである。

クンダリーニ・ヨーガでは各チャクラを独特の方法で開発する。さまざま体位、呼吸法、クリヤ、瞑想によって開発するのだ。それらは確かに優れたものである。しかし、日本に古来からある「滝行」も同様の効果のある方法なのである。

峻険な山道を歩くことで下部のチャクラが刺激され、気合法で腹部のチャクラが開発され、肛門を閉める・菩提心を発することで胸のチャクラの覚醒を促す。更に滝中で真言読経することにより喉のチャクラに影響を与える。そして帰神法と「滝行霊灌ぎ(みそそぎ)の法」により頭部のチャクラが開く。自然の装置に従って歩き、祠で法楽を捧げるなどして、滝行気合、霊灌ぎをすると、曰く言いがたい身体の状態になるのだ。

身体を極限状態に置くことにより、生命は危機を感じ、自然とホルモンなどの分泌を促し、体を生かそうとする。人間の生命というものは、命がある限り生きようとする。その力を極限にまで引き出すのだ。それが本当の滝行なのである。

山中での寒行のときには、火を焚かないと、どうにかなってしまう。体中が凍るような中で火に当たる時、これが古い修験などの護摩行の原点ではないかと思ってしまう。火を焚いて不動明王にでもならなければ自分を保てないのだ。これらは体験しないとわからない。やってみればわかることだ。我が会の滝行は、心身の改造、クンダリーニ・チャクラ開発の滝行法として、まさに今、無作為に自ずから完成されつつある。

我が一門は、この法を日本古来からの修道法として未来世に残すことをもって大誓願としている。

野中操法と共に此の滝行開発法が、我が修練会の二大柱であることは紛れもない事実である。
本気の参加者を乞う!

護摩法を行うヨーギー
(護摩(ホーマ)を行うヨーガ行者)

正月の歳時記(2) 【元三の齋火神事】

 元三の齋火之神事
    (元三の齋火神事)

元三(がんざん)とは正月三日のことである。日本天台のほうに元三大師というお方がいる。この方は別名、慈恵大師といい、法名は良源(りょうげん)である。元三御籤(みくじ)はこの方の発明であり、本当の見方を知っている人はあまりいない。僕はこの見方を或る女性行者から教えてもらった。

本日の齋火(いみび)は正月の三日に行ったので元三としたのである。清浄な火を焚いて身を清め弥やさかを祈念したのである。火は生活になくてはならないものだが、清めていない火を使うと、魔神(まががみ)に感けてしまうのである。煮炊きするのでも何でもそうういうことになる。だから火清めの秘呪・秘言を唱えないといけない。

水の行・水の法と、火の行・火の法を行う必要がある。太陽の陽気を頂く呼吸法なども火の法の1種である。

古道では、人というのは「霊止(ひと)」だというのである。霊とは火であり熱なのだ。死ぬというのは「霊去ぬる(ひいぬる)」からきているのであり、「しいぬる」が転じて「しぬる」「しぬ」となったわけだ。ゆえに事物としての「火(ひ)」を尊ぶ。水で清めて、火で高める。これは遥か古代の神代の神人たちもやっていたことであり、修験密教に連なる多くの先達も間違いなく行じていた御法なのである。

今年1月の「霊学講座」から柴燈不動護摩法(初傳)を教授する。滝行と共に修行を志す者、必修の法である。


大晦日 【滝行気合 往く年来る年】 大祓の霊法

 山中でのサンチュ
 (山中の行で啓示を得る)

本日大晦日、歳神を迎えるべく「大祓の霊法」による滝行を行います。滝行において【往く年来る年】を念ずるのです。

今年は、個人も社会も変革を迫られる様相を呈した1年でした。来る年も更にシビアになるものと予感しています。日本は島国であり、独特の文化を育んできました。勤勉さ謙虚さ・・・これらは日本人の持つ特性でありました。しかし近年こういった特性が喪失してきているように思えてなりません。

治療者・療術師である僕は多くの方々を施療してきて、日本人の変質をみてきました。身体が変化してきているのです。それはOA機器などの進歩によって、職務の遂行の仕方が変わったということに由来しています。しかしそれだけではないのです。腰と腹の力が脆弱になってきている。このことは20年の治療師生活にかけて断言できます。

未来に希望を持てず、漠たる不安がある。何だかフワフワしている人が多い。心身がフワフワしていることは、観察していてわかるものです。腹に深く息を入れ呼吸すること。足腰を鍛錬して、腹を鍛えること。これが漠たる不安を解消し、希望を持つ一条の光だと信じます。

日本にはかつて美しい自然があり、そこに遊び信仰を培い修行をしました。山に行き海に行き身を清め、神仏・祖先の御霊を敬ったのです。そのような遊びと信仰が失われている。

野中操法を筆頭に整体療術の復刻と共に、日本人の腹の力・信仰を復興したい、僕はそう念じています。今日の【滝行往く年来る年】において、そのことを祈念し、そのことに誠を尽くすことを天に誓いたいと思う。

先日、山中での『火の行』のときに「大祓の霊法」を行えとの啓示がありましたので、今回はそのことを心中に刻んで修法します。

野中操法研究会、滝行気合の会の皆さんこの一年ありがとうございました。心から御礼申し上げます。皆さんのお陰で良い修行になりました。少しでも人様のお役に立つという「積徳の行」が少しはできたように思います。また読者の皆様おつきあいいただき感謝申し上げます。

では、良い年を迎えられますように!

【クンダリーニ体験】12/27納めの滝行ご報告(1)

 ツタンカーメン黄金マスクに装飾されたコブラ
    (黄金のコブラ)

今日は、来年のスケジュール発表と、納めの滝行報告を書く予定であったが、クンダリーニ体験を書くことにしました。本年納めの滝行報告(1)と題して記します。

昨日、御岳山七代の滝での滝行気合修練会を無事行満しました。行中に感じたことは多々ありましたが、今朝に見た霊夢を述べてみたいと思います。

大きなプールに入りコブラが現れる夢を見ました。そのコブラは僕の身体の一部になり、はっきりと体内でコブラの形をとりました。(詳しい話は講座の時にお話しします。)

僕の治療院は29日が今年の最終営業日なのですが、明日すでに予約の入っている以外の方の顔が突然はっきりと頭に浮かびました。そしてその直後にその方から予約の電話が入りました。これまでもそういうことは幾度もありましたが、今回の感覚は今までものとは明らかに違うものでした。

滝行によって霊能的感覚が出てきたものだと感じています。また、本日輸気をしましたが、全然違う感覚が起きていました。また、心の底から愛のような感情が出てくるのです。これらはクンダリーニの働きによるものだと考えています。

ご存知ない方もおられるかもしれないので、クンダリーニについて少し述べておきます。クンダリーニとは、ラヤヨーガとかクンダリーニヨーガと呼ばれるヨーガ体系で覚醒開発する対象となるものなのです。それは人体の中で尾骶骨あるというもので、そこを覚醒させることで潜在的なパワーを開発するのだという。

このヨーガの体系はほとんど明らかになってきているが、明確なクンダリーニ体験というものは、あまり聞かない。松本道別翁の残した体系には、クンダリーニのことも書かれてるが、当時は正確なクンダリーニヨ−ガ技法は、まだ伝わっていなかった。だからクンダリーニ体験というものも記録には残っていない。

クンダリーニの覚醒というものは、いきなり完全に覚醒するのではなく、徐々になされるものだということを今回感得した。頭頂には百会(ひゃくえ)という経穴(ツボ)があり、ここはクンダリーニヨーガでいうサハスラーラチャクラという部位である。体の中にはチャクラという部位が7ヶ所あり、クンダリーニは各チャクラを通過して、様々な能力を開花させるという。そしてそれらの部位は内分泌腺とも一致している。ホルモン分泌の要所なのである。サハスラーラチャクラとはその最後の部位だ。

サハスラーラチャクラはツボでいうと百会にあたり、道教では泥丸(ニーワン)という。意味は「涅槃(ニルバーナ)」だ。つまり解脱が起きる場所だということを命名した古代人たちは承知していたのであろう。事実、ヨーガスートラなどでは「大脱身」が起こる処だといい、ここを開発したものを「救済者(ターラカ)」というのだと記されている。

実は百会は「痔ろう」などの特効のツボであり、ここにお灸などすえる。整体などでは、肛門の引き締めは心臓の強化になるというが、百会を指で触ると動くのがわかる。(心臓はアナハタチャクラといい、深い慈愛などの発現を司るといわれている)

滝行ではここに霊水を当てる。お経真言を唱え神仏を念じ、しかるのちに気合をし、帰神法をする。その時に天の気を念じ霊水を頂く。頭に直接来るのである。当然、その刺激は肛門周辺および尾骶骨付近にくる。

今回のクンダリーニ体験は、様々な要素・環境によって起こったことだと思う。その一つに観音経を読誦し、准胝尊のご真言を唱えたことが大きく関与していると思う。

クンダリーニヨーガの方法や密教の行法の不足部分を埋めるものが、滝行気合法や護摩法にはある。来月は、霊学講座において「柴燈不動護摩」を伝授する。武州御岳山の修験を復興するのが僕の夢でもある。

滝行の深秘伝 【金色の光の体験について】

 先日(12/13)の御岳山での滝行についてもう少し詳しく述べておこうと思う。その前に滝行の秘鍵を述べよう。

僕のところでは、滝行気合法を修行する前に、必ずその行場の神霊にご挨拶する。行場は、霊場であり、太古の時代から特別な場所である場合がほとんどである。だからこそ修行して効果があるのだ。単に水浴びしたりするものではないのである。だから、まずご挨拶する方法をやらなければいけない。

修行は遊び半分ではいけない。少し興味があるからとか、単に超能力が欲しいとか、そんなものではダメだ。誓願というものがなければならない。それこそ魔事が生ずる。魔事・魔境についてはいずれお話しする。

できれば、サンか柴燈護摩を行うのがよい。火の元素に触れ、さらに土地神や諸精霊・眷属を供養するのがよいのである。この方法についても現在講習をすすめている。

行の前に必ず護身法・九字法などを行じ、心身を清めて魔を払う。さらに結界などを張ると尚よい。これはすでに教授している。

入滝は密教式・神道式などあろうが、それなりの方から教わるようにするのがよい。ヘッポコな作法をやるような人からは教わらないほうがよい。

作法に従い入滝。真言お経祝詞など任意で唱える。大切なのは、念じること。そして唱えること、印である。次に、水と一つになることのみを行うこと。さらに鎮魂帰神法を少しでも行うこと。

密教のほうに「普賢行願法」というものがある。チベットのほうにも同様のものがあり、功徳を積む方法といわれている。この方法の考え方や一部を僕の滝行法では取り入れる。短い言葉でよいのだ。大切なことは長い言葉を唱えることでない。本質を理解し、できるだけシンプルにすることだ。この方法についてはいずれ述べる。

今からの時期の滝だと水温はかなり低い。体を夏から慣らしておくこと。細胞に憶えさせておくのがよい。今回の滝行では、参加者のみなさんは、13日というものを日常から意識していたという。風邪など引かないようにとか晩酌を減らすとか、体調を考えて行動していたのだ。これは潜在意識もあの滝場に向かっていることを意味している。前行・後行の大切さは、日頃から述べているのでご存知であろう。

入滝作法など一連の動作なので常の如し。水温の低さは、心身を極限状態まで追い込む。体の中では、緊急事態発生になっているのであろう。今回の滝では入滝中、一度も寒いという感覚はなかった。皆さん同様だったと思う。

はじめに皮膚の感覚がなくなる。激しく滝に打たれていると、そのうちに重力の感覚が無くなってきて、無重力のような感覚になる。いままであった体の感覚が消失する。

そうしたらすべての力を抜く。体勢を支えている部分だけ力が入るように。御岳の七代の滝だと岩に体を預けれる位置があるから、そこに腰をかけるようにする。しかし腰掛けるのは危険なところもあるやり方である。

全身の力を抜くと、体から意識というか魂が抜けたようになる。滝の上のほうにゆき自分を見下ろしているような感覚だ。僕の場合、行中に3度そのようなことがあり、手印の冷感と修行者たちの真言で我に返った。つまり脱魂的体験をしたわけだ。

変性意識において現れる金色の光輪の図
(上の図は、変性意識においてヒバロ族のシャーマンの頭のまわりに現れる金色の光輪である)

さらに金色の光の体験をした。普通は水の元素なので、白とか銀色のなかで修行する感覚になる。しかし、今回は滝行の前にサンチュ(柴燈護摩)を行った為か、金色の光が頭の中に生じた。

この金色の光は、以前に滝場で見た光と同種のものであり、松本道別翁が極秘のうちに伝えた「太乙精(たいおつせい)」といわれる玄気であると思う。これこそが「人体放射能」の正体なのであろう。

いま一つ述べると、意識の寸断が自動的に行われ、グルの境地が日常にまで存続するということだ。この経験で一番のものは、ナムカイ・ノルブ師のリトリートに行ったときに起こった。10日間のロンセルの伝授のためにベネズエラに行ったときに起こったものと同様、いやそれ以上であった。だからこそ野口晴哉先生が滝行気合を少年時に行い「天心」というものを確立できたのであろう。意識を寸断するのに、丁度よい塩梅の滝なのだ。意識を寸断されると、次にまた意識が立ち上がってくる。この瞬間に天心というもの、チベット密教でいう「リクパ」が顕れる。自然に顕れるのだ。自然にこれと一つになり、日常でも内と外と一つにする。これがゾクチェンの境地であり、野口晴哉師が体得した境地だと言えよう。

内のイン、外のインという考え方があり、これは少し難しい。講習会ではこのことも簡単にお話しよう。滝行はその意味で根本的な修行である。これを基本に、座り、飲食し、眠り、活動を行えれば、生きた悟りの境地が近くなる。

ゾクチェンでいう「テクチュー」というのを、よく「突破」と訳すが、これは間違いだと思う。木の束などを「シンテク」といい、チューは断つであるから、すべての緊張を断つことが「テクチュー」なのである。今風に言えば、心身、霊ともに完全にリラックスすることが、悟りの境地につながるということだ。その一撃を滝行気合は与えてくれるのだ。

大寒にも修行する予定です。菩提心あり敬神崇祖の明らかなる方は、お申し込みください。損にも得にもならないこと、「無功徳の功徳」を積みましょう。

年輪 【桃栗三年柿八年人生一生】 長寿の修行

 チベット式柴燈護摩 サンの香炉
     (サンの香炉)
今年は瀧行を久々に再開したので、更にもう一歩突っ込んで火の元素の修行である柴燈護摩法(さいとうごまほう)もやりたいと考えている。道場内のいわゆる護摩壇でお焚き上げする法とは違い、護摩法の作法もシンプルでやりやすいものだ。

チベットにも同様の法がある。サンと呼ばれるものだ。意義はほとんど日本の柴燈護摩と同じであり、香木や香草などを焚くのである。煙に乗せて供養の物を仏天にささげるのだ。

僕の教授するのは柴燈不動護摩であり、不動明王と蔵王権現が本尊になっている。この法を教授してゆくにあたり、屋上にて出来る限り、毎日サンをやりたいと考えているのだ。或る在日チベット高僧にもご相談し、チベットのサンと柴燈護摩を合わせておこなう行法次第も完成させている。

先般の講習会では柴燈護摩法の火天壇まで伝授した。これに霊符、秘伝印法、その他さまざま教えて、実際に修行をしてゆけば、瀧行と護摩行のできる密教霊術家が続々と出てくる。たのしみである。

世間では、桃栗三年柿八年梨の馬鹿芽は十八年などという。しゃれた禅僧などは人生一生などと句をつける。護摩法の薪をつくるため、このところ木材を切っている。ヒノキの大きな切り株が手に入ったので年輪を数えると三年八年十八年どころではない、130年だ。20年や30年の太さを見てみると大したものではない。45年〜50年たつと漸く立派な太さだ。70年〜80年の太さだと大したものだ。しかし、どっしりとした感じは120年の年輪を過ぎたものでないと感じられない。

これは人間も同じなのだと思う。20歳には20歳の、30歳には30歳のあり方があろう。どんなに背伸びしても20年30年ぐらい生きただけでは底が浅いのである。まして整体や宗教などの人間の心に接する仕事では、その任に耐えうることができないであろう。通用していると勘違いしているのは本人だけだったりする。まことにお笑いである。

僕の師匠のさらに師匠は120歳の長寿を保って修行したと言われている。なぜ長生きが必要なのか?というと、なるべく境地を深める修行のためにより安定した状態でいたほうがよいからである。人間でいるということは無限の可能性があると言われている。そのために長寿の修行は密かに行われる。何かをやっているということすら口外してはいけないのだ。

だが例外的に口外するしないということの制約のない法もある。「マンダラーヴァ長寿の修行」がそれである。この修行により、人間を生存させている一種の気である「ラ」「レ」などの命息・魂・霊を守り強化することができる。ちなみに呪詛というのは、このような根源的な気を損ねるものなのである。

人生一生、これ修行である。堂々と年輪を重ねてゆきましょう!

樹齢130年 檜の切り株
  (樹齢130年の檜の切り株)

中西悟堂師 【自然運動(霊動)】 

 中西悟堂氏

読者から中西悟堂師について詳しく書けというリクエストをいただいたので少し書くことにする。

中西師が「日本野鳥の会」の創立者であることは前回述べた。生い立ちや自然運動(霊動)を得たエピソードを記すことにしよう。中西師は幼少のころは虚弱体質であり、12〜13歳までもつかどうかと案じられるほどだったという。

彼を育てたは養父は、政治的仏教者であったので、弱い子は死んでもいいからということで、山寺に彼を預け、荒行をさせた。時に9〜10歳だったという。荒行というのは、108日間の座行、21日間の滝行、21日間の断食だった。

しかし、これが功を奏して健康を回復した。人間の生命力とはすごいものである。まあ、誰でもこういくとは言えないだろうが・・・。そうして中西少年は、14歳のときに自らの意志で滝行を行った。そのときに体得したのが「自然運動」だという。

その体験を記すことにしよう。
『それは1種の無意識体操で、太い滝に強く肩を打たれていると、水勢のはずみで、腕が軽くひょいと上がる。片腕だけが上がることもあれば、両腕がはね上がることもある。それがからだに微妙な波動を与える。そこでその波動をとらえて少し意識的にその波に乗ると、それが無意識的な運動の波紋をひろげて、不随意筋までぴくぴくと動く。後年私はこれに工夫を加え、滝などの力を借りずとも、座禅による精神統一からおのずから手足や胴の運動を導き出すようにし、これを「自然運動」と名づけて人にも教えた。』

自然運動の自得・工夫についてあますところなく記述されている。中西悟堂師も野口晴哉師も、14歳で自らの意志で滝の行をやっている。不思議な共通項である。僕的に言えば、日本とはそういう人材を生み出す国なんだということである。


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