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  • 2012.12.01 Saturday
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幽祭の秘伝【産土社のお参りについて】

産土の杉山神社

(産土社 最古の杉山神社 祭神:大己貴神)

産土社 小熊 熊野神社

(産土社 小熊 熊野神社 祭神:熊野速玉之男大神)

『前の世も 現世(このよ)も後の 世の事も 産土神ぞ 主宰(つかさど)ります』(第九十六) 
この和歌は、霊学中興の祖:本田親徳大人(ほんだちかあつうし)が「産土百首」に於いて詠まれたものである。意味をよくよく考察していただきたい。

産土社に参詣することについて、一つ言い忘れていたことがあった。そのことについて記そうと思う。

自分の生まれた所の産土社、現在自分がお世話になっている所の産土社、実際に自分が育った所の産土社、これらを参詣して、司命神に梱祷する。あるいは先祖祖霊の御霊を感格する。このことは今まで申し述べてきた通りである。

さらに付け加えるならば、先祖の墓所・菩提所・奥津城(おくつき)などの産土社にも参詣するべきである。祖霊の霊格の向上・冥罪過消滅を図る必要がある。霊魂の霊格向上・下落は、すべて「幽政の秘機」によって決まるからである。すなわち各所の産土神によって司掌されているのである。

そのところに墓所なりがあるのは、何かの産霊紋理(むすびかため)であって、それなりに霊的な由縁があるのだ。祖霊の御霊とそこの産土には幽契(ゆうけい)があるのである。だから、墓所の産土にもゆき「幽政期間」に霊供を行うのが最善なのである。

本来は桧木で「霊璽」を作成し、霊符を記し、斎き祭らねばならない。だが現在、わたしのところでそれをするだけの施設や設備を有してはいないので、いまのところは無理である。そういうことができる日を心待ちにしている。

(特別伝授について)
さて、よくこの「幽政の期間」に産土神に詣でて、祖霊の霊格向上を果たした修道者には、秘伝一法を受講する資格を与えようと思う。
受講可能なお方は、わたしのほうから指名します。ですから自分から資格云々を聞かないで頂きたい。詳細は伝授をする人だけに連絡します。
即ち風神に感通する秘詞・霊符があり、それによって願望を神祇・神界に伝達する秘伝である。

(ご注意)
時に、自分で分からないほど自分に執着している者がおります。何も執着していない、この世に求めるものなどないというのである。しかし、実際にはそうではなく、知りたいと思ったら、資格がないのに平気で伝授を乞うたりする。押しが強く、いつも同じ調子なのだ。自分の行動も見えていないし、自分の煩悩欲望も自覚していない。それは業が深いからそのようになるのであり、「憑霊」していることが、その原因である。こういうのは整体・治療では治ることがない。自力の修行でも無理。霊的な法術を施行するより他ないこと申し述べておく。素直になって、祓壌法をやっていただくしか手はないのです。わたしに依頼する場合でも、素直さをみる。強情な「我」がある場合や自己を正当化するような者には、一切の施法は致しません。どうぞ別の指導者のところにいってみてください。
 

火の人類進化論【霊性の目覚め】

火の人類進化論

火の人類進化論。
林俊郎教授が、新説:人類進化論ー脳の急進化の謎に迫るー、と題してユニーク な論文を書いておられる。

人類の進化、それは脳の進化であるが、火を使用する事との相関関係を論じている。
このことは、わたしが密教・滝行法を修行していて感じてきたことに共通している部分があると思う。

「火の精神分析」という著作であったか、記憶に定かではないが、そのようなタイトルの本を書いた、ガストン・バシュラール氏は、火の詩人であり、火と人間の精神の関係を説いていたと思う。冬の時期に霊水(冷水)に身を浸していたわたしは、当時とても共感して読んでいたものだ。

わたしは火と共に手指を自在に動かすということが、大脳を進化させたのでないかと考えている。なぜそのようなことになったのかという、根本原因がわからなかった。つまり欲求の具体的な原因がわからなかったのである。

霊学的に言えば、すべては神界の厳律、産霊紋理(むすびかため)、カルマということになろうが、現実の進化論では、それでは説明にならない。

林先生はこのことについて、次のように説明する。
脳進化の原点は焼き芋
ー偶然がサル的なヒトを賢いヒトに変えたー
あらゆる動物がブドウ糖に飢えていた。そのようななかで人類の祖先がある時偶然ブドウ糖を獲得する方法を発見した。それをもたらしたのは、「火の発見」である。
人類の祖先が、偶然火を扱うことを覚えた。人類が最初に行った化学的操作がものを燃やすことであった。火は冷えた身体を暖め、創造力をかきたてる。おそらく乾期の終わり頃には決まって自然発生する野山の火災、その焼け跡にいくと普段は堅くて苦い球根や木の実が軟らかく美味しくなっていることに気がついたのであろう。やがて火を扱うことを覚え、土から掘りおこした球根を火のなかに投げ込んでから食べる習慣が生まれたと考えられる。
これが、人類進化の一大転機となった。それまで自力で消化できなかった生デンプンが、火で加熱することによって強固な結晶構造がくずれ、デンプンが糊化してヒトの消化酵素(アミラーゼ)で100%ブドウ糖に変換することができたのである。しかも、それらを腸内細菌に横取りされることもなくそっくり体内に取り込むことを可能にしたのである。・・・』

ブドウ糖を獲得するために火を発見したというのが、具体的な欲求・原因だったのである。肉を焼くためではなかったのである。要するに芋を焼くためだったということだ。確かに肉は焼くよりも生に近いほうが吸収が良い筈だ。

先週の滝行後に「宝箱の農園」にゆき、そこのおじさんに、炭火で里芋を焼いてももらった。その美味しいこと美味しいこと。この記憶が、今回の記事を書く原動力かもしれない。

新説進化論は、ブドウ糖の話だけなく、まだまだ続く。やがて人類はスリムな身体を手に入れ、盲腸が退化するというところまでくる。もはや火なくして生きてゆくことが出来ない動物になってしまったというわけだ。森林樹木を伐採するという方向に進むのである。

考えてみれば、燃焼するということが根底にあるように思われる。原子力利用に至ってその極致に立ったと言えるのではないか。火の燃焼力によって進化してきた人類の業を垣間見るような思いだ。

たしかあのアニメ「風の谷のナウシカ」でも風や土との産び・共生、滅びの火・人類の愚かさが根底のテーマとしてあったように思う。

人類が氷河時代も含めて、生き抜くことが出来たのは、火の活用があったからだ。今だって火なくして人類の社会は成り立たない。

わたしは考えるのだ。火と共に人類には「霊性の目覚め」があったのだと。人類は手を使い、言葉を持つようになった。その記憶は、火と共にある。やがて神を考え、霊魂を考えるようになる。霊を認め、認識するところから「霊性の開発」がある。無意識に火を眺めるとき、その記憶が蘇る。

わたしの奉ずる「滝行気合法」は、大脳の奥深くに潜む、人類の記憶に、印契・真言・秘言、そして「火の瞑想(火界定)」も以ってアプローチするものである。

九頭竜滝行法に参加する諸兄は、これらのことを頭の片隅にでもおいてご参加願えれば幸甚である。本当の開発は、所詮自然物と接点を持つことでしか得ることはできないのである。

幽政の秘密【神在月の神秘】

幽政の秘密。
国会でもめた、あの「郵政問題」の郵政ではない。

こんなことばかり次から次へと書いていると、一体この人は、指圧師なのか整体屋 なのか坊さんなのか、拝み屋さんなのかと呆れられるかもしれない。しかし、呆れられてもいいから、書かずにはおれない。わたしの中の何かが突き動かすのである。

10月は通常、神無月(かんなづき)という。出雲に、いわゆる八百万の神々が神集い(かむつどい)するので、各地の神社には、神がいなくなるから、神無月というわけだ。だが、逆に言えば、出雲はいつにも増して、神々が参集し、神在月(かみありづき)になるわけである。

実は、幽政上の秘密というのが、このことなのである。このことは人間(じんかん)に知ること能わずの深い秘密である。霊学を奉じている者ならば常識だが、このことは通常の人間には、玄霧(げんむ)に閉ざされた極秘事項なのである。

およそこの期間に、次の1年のその者の運勢・その他が決まる。これを簿録の改定という。これは実に神秘的なことである。凡夫には、為す術がない。

この消息が伝えられているのは、日本だけである。それもごく一部の人間だけが知っている。この期間に、特別な幽祭があるのだ。特殊神事だ。

わたしから祖霊の祭祀について伝授をうけた人は、この期間特に専念するが良い。とても重要な理由があるのだ。修行上、とても大切なことなのである。この意義を知ることは修行の成否に関わる。

詳しくは、直近の講座のときに聴いて欲しい。そのときわたしは、このことに応答するであろう。

野口晴哉師は尸解仙である

今日はご存知、野口晴哉師の話題だ。

突然、こんなことを云うと驚かれるかもしれないが、野口晴哉師は『尸解仙(しかせん)』だった!
尸解仙(しかせん)とは、道教で云う、神仙と化したものを指す。

道教の法は、我が国の古代神道ともつながっており、「昭和の修験」と云われた、霊学・霊術は究極において、到達点は同じなのである。日本の仏教ですら道教の影響を受けている。漢文のお経を用いている段階で既に道教的要素が入っているわけである。

「霊学講座」の松本道別師の法も究極的には、化神仙を目指すものである。仙を得ることは、仏教においては成仏陀することである。仏陀(ホトケ)に成ることをいう。神道では、神人合一という。

松本道別師の法は、相当に筋の正しいものだ。訛伝(けでん)の邪なものではない。縁があり、徳と能力を兼ね備えたものが、修行したら仙を得ること疑い無しである。

以前から野口晴哉師の死に方には、疑問があった。今年、野口師の奥津城へゆき、その疑問はどんどん大きくなった。お参りしていて何かが違うのだ。野口師の令夫人によって書かれた、師の最期。野口晴哉ファンならば誰でも知っている記述だ。

今年に入り、いくつかの出来事があり、それらは別々の点であった。ごく最近、その点が結ばれ、線となり、面となってきた。同時に、わたしのなかで筆を執る勇気が湧いてきたのだ。正直、本を書くことに情熱が出てこなかった。いろいろな理由がある。しかし、いまは違う。

野口晴哉師は、本当に仙位を得て、尸解(しかい)を実現したのである。
キリストや日本武尊(ヤマトタケル命)が成し遂げたことをやってのけたのだ!

目の前にある現実しか見えない者には、このことは永遠に分からない。
我が法門は、野口師の「仙去」(仙人となって去る)を事実として受け止めて、顕幽一貫の精進をしてゆくことを宗とするものである。

 


【庚申秘説(1)】

皆さんは庚申の日待ちというものをご存知だろうか。

庚申は、『こうしん』と読む。

7月9日(金)の今日は庚申の日だ。幽玄なる教えでは、この日の夜に入眠すると、体内の三尸という幽的な存在が、体外に出て、天帝に禍福を告げ、寿算を削るという。三尸の神とも云う。

寿算とは、寿命と運命である。

庚申の日は六十日毎に巡ってくる。よく道端に、三つの猿と共に祀られている石碑や石像がある。密教のほうでは、青面金剛と云い、神道系では猿田彦大神と同一視する。

昔は日本全国の町村部落で、庚申の夜には集まり、通夜したのである。最近は、都会ではあまりやらない。地方ではやっているところもある。

翌日の朝日を拝むのは、更に良いという。三尸が消滅するという。

菊丘匡弼(きくおかまさすけ)という、仙人でもある斯道の先達は、庚申の秘説を詳細に述べている。勉強されると良い、裨益するところ大である。

わたしのところの修験霊学研究会(旧称:滝行気合の会)でも、かねてから庚申の秘儀を施行したいと考えていたし、日待ちなども行いたいと思っていた。

身に付ける護符の謹製や秘呪などの実践も今後は行いたいと企図している。
 


   三尸の秘図


天源術秘鍵 【三禁の事】 運命学夜話(1)

 チベット九星盤
 (チベット伝 九星八卦十二支占盤)

天源術という占術をご存知であろうか?
「天から享けた命徳の源をを遡及する術」という意味である。
この天源を江戸時代末期に伝えていたのが、奥野清次郎氏という人物であり、その弟子が天源淘宮術を創始した横山丸三翁である。

元々、この天源術は形を変えて各藩に伝えられていた。それは主に兵法家の家柄の人たちである。人事百般だけでなく戦場における秘策の為に斯術を用い、戦さの必勝を期したのである。

その全貌は明らかになっていない。しかし胎命術という特殊な占法が存在することは分っている。子供が母体に宿ったときに看命してみると、およその運命がわかるというのである。

しかし、僕は日本の運命学は人にお勧めしない。例えば紫微斗数という占術があるが、日本で中国の原典を翻訳したときの暦そのものが間違えていて、正確な命盤が作成できないということがある。これは1例であり、度々そのようなことがある。

だからインドやチベットの占星術をお勧めする。これは日本にはない優れた智慧の宝庫である。ご縁あらばご紹介してもよい。詳しくは述べないが、生まれ日時により強化しなければならない星があり、そのために独特の作り方で宝石を身に着ける法やお守りを作成する法がある。

さて、話を元に戻す。天源術である。
この方術には、昔から1つの教えがある。それは「三禁の理」である。
三禁(さんきん)とは、3つの戒めである。運命学、占術を志す者の戒めである。

『盗・姦・寿を云わず』というのが、それである。
盗は、誰が盗んだとかいうことの占断結果を云わない。
姦は、誰と誰が姦通しているなどのことは云わない。
寿は、人の寿命に関する占断結果を云わない。
これら3つのうちいずれかを犯すと、災厄が訪れると云われる。碌なことがないのである。特に寿命に関することは、非常に多く、トラブルが多い。

三禁は、占断に限らず、この渡世をゆくうえでも適用されよう。
分を知ることは天命を知ることに通じ。天命を知り、修めるは三禁に通じる。三禁を戒めることは、平凡に通じる。凡そ平らかに人生を締めくくれる人は少ない。三禁と共に平凡ということについて考えることしばしである。

秘書 【解説 天眼氷釈】 表があれば裏がある

 物事には表と裏があるものです。
修行というものを積んできますと、そういうものがよく見えてきます。以前の記事で【秘書 天眼氷釈】というものを紹介しました。江戸末期に霞谷仙人という人物が記したものです。

和神導気、調息の法を先ず行う。息を荒くならないように修行する。つまり息の出入りを細かくし、出入りが感じられないところまで修練する。こうして数息の観に入る。更に随息観に入る。この後に天眼通(霊眼)の修行に入るのだ。

眼に関する能力、耳に関する能力、心に関する能力、すなわち身・口・意(しん・く・い)の領域において神通が生ずる。心の本性が一元化することで不可思議な能力が現出する。整体操法の創始者:野口晴哉先生は、霊眼をお持ちであった方だ。まことに稀有な方だったのである。禅の師家である山本玄峰老師なども天眼・霊眼をお持ちの方であった。

おもしろいもので物好きであるが、このような修行をしていると物事の本質と言うか、表と裏がよーく見えることがある。例えば、争いごとの背景には、それなりのことがあるのだが、注目すべきは悪意の扇動者がいることである。僕などはどちらかというと、そちらのほうに眼がゆく。

実例を示すと、日本国内の比較的、北の地域の人物がいる。表に出ずに、煽って争いごとをけしかける。意図が判らないものだから、まんまと乗ってしまうわけだが、僕には、そのようなことは通用しない。表に出て批判している人間よりも裏で煽っている人間を観る。そういう人物で操法家になろうとしている者を知っているが、眼相に裏切りの相が出ている。そのようなことは、とっくの昔に見抜いている。予測通りというところです。今頃、北の大地で大喜びしているかもしれませんが、ロクなことはありませんね(笑)

まあ、どんなことがあろうが、僕は整体操法と野中操法を中心とした各療術の統合を目指します。整体操法の創始者:野口晴哉先生は、戦後の講習会において唯一人、恥骨操法における恥骨の硬結を指摘できました。すでに野中操法は整体操法の体系の中に取り込まれ、活用されているのです。整体操法を勉強している皆さんはご承知のことですね。とっくの昔に解決済みなのです。第一健康線(下腹部)の整圧も腹部操法としての仕方がある。これは操法の締めくくりとして先人から伝承されているものです。野中豪策先生の野中操法の伝承者には、整体操法を習得していたK先生の系譜もあることを付言しておきます。ここで吉田先生だけではないことを明言しておきます。人間、自分の知らないことも沢山あると言うことです。お互い、恥をかかないようにしましょう。操法について見当違いのことをいう者は、少しは整体操法の修練でもしたらよいと思います。まあ無理でしょうがね・・・。可々大笑

天源淘宮術 【自性内観】 淘宮静座法

 以前に、淘宮静座法について書くとお約束したので、書いておこうと思う。天源淘宮術というのは、一種の修養法である。十二支というものがあるが、これらには独特の性質がある。人間は生まれる前から、ある気質というものを享けて母体に宿る。性質は、良くも悪くも出てしまう。例えば、滋宮というものがある。これは所謂、ネズミ(子)の気である。特徴は、吝嗇である。この性質が、良く出ると節約になり、悪く出るとケチん坊になるのだ。

だからこの十二支が良いとか悪いとかはないのである。
どのような心と結びつくかが、大切なことなのである。世のため人の為に善用すれば、どのような十二宮(十二支)でも、その特性にそった真価を発揮するのである。

研究会の同志の方から、あるお方が僕のことを何やら云っているかに聞いた。
僕はそのようなことには興味がない。まあ、いい宣伝をしてくれたぐらいに考えています。自分のことばかり掲示板でPRし、まるで自分だけが大家のようにいう人間はつまらない者だからだ。そういうのは相手にしなくてよいのです。以前にも云いましたが、僕は天を相手とし、同志の志を相手にする。それだけのことです。何を勘違いしているのか知りませんが、聞きたいことがあるのなら、直接電話でも何でもしてくればよい。(いまだに電話連絡のようなものは何一つありません・・・)

僕はつまらない術中に嵌まるほど愚かではないし、本を執筆中なので、そのような暇はない。馬鹿げた不毛の論議にお付き合いするのはご免だ。野中操法・健康腺療法に関する本は、今後五冊は書く予定であり、まちがいなく一冊は今年中に出る。

要は人間、腹が大切なのである。まさしく野中操法は腹部操法である。
整体操法においても腹の操法が締めくくりとなる。段位試験でも腹部の見方が出るそうだ。野中豪策先生というけれども、野中操法だけが腹部操法ではない。整体操法そのものの中にもあるわけです。

さて、淘宮術にも腹をつくる呼吸法「淘宮静座法」が伝えられている。
以下の通りだ。
(1)姿勢を正して端座し、股間をやや開き左右の親指を交互に重ね、両手を軽く膝の上に置き、左の掌の上に右の掌を重ね、左右の親指を立て其の尖端を軽く接触せしむ。静かに腹式呼吸を為し、臍下をやや前方へ張るべき状を作し、鼻の先と臍とを一直線に保つべし。
(2)姿勢を整うと同時に第一眉間を開き晴れやかなる気分にて静かに眼を開く、第二に胸を開きて呼吸の出入を好くし、第三に腹部を開大して寛容の観を作し臍下に気息を充実して一心不動を感じ腹力を絶やさざること、之を三開一充と言ふ。
(3)臍下に呼吸を調ふには、先づ口を閉じ舌を上顎に軽く着け、鼻より静かに出して呼吸の平生を保ち天気の出入を観ぶ(よろこぶ)事。

生きておれば、いろいろなことがある。生きているだけでありがたく、生きていることは奇蹟とでも言うより他ないことだと思う。人間みんな自分を認めて欲しいものだ。野口晴哉先生は「生まれた時のオギャーという声は、我アリということだ」と言われた。声を発し、子供がイタズラするのも、大人が批判するのも、細君が文句を言うも、みんな「我ここにあり」だ。できることなら、小さい我にならず、大きな我(大我)になろう。それは深い息をなしている者、腹をつくった者だけに体現できるものなのだと思う。


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