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  • 2012.12.01 Saturday
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解説 八宗綱要(9)【法相の教え 五性各別とは?】

五性各別とは?

「うむ、やはりのう、そこを理解し、通過せんと成仏はおぼつかんのう・・・」
「良円よ、五性なんとかというのを述べてみよ」
老師はわざと砕けた感じで言った。砕けた感じで余裕を持たせリラックスさせるためであろう。それほど唯識法相の教理は難解だということである。

「はい・・・。
・・・法相では『五性各別』を説きます。すなわち成仏に五性の別ありということです。詳しく言えば、菩薩定性、縁覚定性、声聞定性、不定性、無性の五種類です。要するに、成仏・解脱の階梯を進むに五種あり、衆生には、五種の能力の別があるとするものです」

「良泰の見解を延長すると、仏陀になることは随分と安直なものになってしまう。ところが仏滅後千年を経たといわれる今日、どこの誰が仏陀になったというのですか。あの八宗の祖(大乗仏教の祖)といわれる、龍樹菩薩さま(ナーガルジュナ)でさへ、『菩薩の十地』のうちの『第一歓喜地』にしか到達していないという。わたくしは事実を踏まえて、こう申し上げているのです」

「そもそも、我々凡夫が生きながらにして、仏に成るなどと考えるのが不遜であり、どこまでも教理としての成仏の階梯を研究し、それを学理的に究めて、その道理を国家万民の為に活用することこそ、我が国における仏道の本道だと考えます。つまり王法一致、鎮護国家こそが仏法の王道であります。その前にあって、現世で成仏できる可能性を説くなど、これは邪説に堕っしかねないものであり、三世において外道妄説の謗りを免れないやと存じます」

堂内はあまりの見解の違いに水をうったような静けさであった・・・。

老師はにっこり笑って
「これでは両者は、正面衝突じゃね」と言った。

「他には・・」と言いながら、老師は「良範どうじゃ」と言った。

それではというように良範は堂々と立って口を開く。

「・・・老師よりのありがたいご指名なので、一席」

「・・・手前が十日ほど前に聞いたことだが・・」と言って良範は語調を変えた。この語調を変えたときに良範という男は何か変わったことを言うのだった。

「奈良のはずれの或る街角にすごい剣幕で怒っているおやじさんを見たよ。どうしたんだ、ということで近寄ると、どうも小売商の商人(あきんど)ともめている。そのおやじは、子供にせがまれて亀だかを一昨日その商人から買ったという。亀は万年だから縁起が良いと言われて・・・」

「おやじさんも子供のためと思って買ったはいいが、次の日に亀が仰向けになって死んでいたという。子供は大泣きで収拾がつかない。そこで商人にどういうわけだとおやじさんが文句を言いにきた・・・」
老師をはじめ衆僧たちは、この男は一体何を言い出すのかと思っている。が、老師も指名した都合上、黙って良範の話を聞かないわけにはゆかない。

「そこに手前が出くわしたわけだが、そのおやじさんの言い訳がふるっていたよ。
ああ、かわいそうに、鶴は千年、亀は万年と言うけれども、昨日がその一万年目であったか。そういって恭々しく合掌したもんだから、そのおやじさんもあきれ果てて、口をあんぐり、閉口していたよ・・・」
衆僧一同は、どっと笑った。

「・・・だから、良泰の言うことも良円の言う『五性各別(ごしょうかくべつ)』。つまり、あれだ『三劫成仏(さんごうじょうぶつ)』だな。元々は同じことなんだ。同じものに対する理解の角度の違いだけだよ・・・。あとは二人の人生観の問題だな・・」
「はい、拙僧(良範)の見解は、以上であります。いや、まあ、これは偉い大徳からの受け売りなのですがね・・・」

老師も笑いながら、「よう言うた、良範!」と言った。

「では、一端休憩とする」僧綱がそう言って、一同の緊張がとけた。



※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 

解説 八宗綱要(8)【瑜伽師地論 我愛こそが生存の根源か?】

唯識講義・瑜伽師地論の冒頭

主人公の三人は、あれから2ケ月後、老師直々の『唯識講義』に特別聴講生として参加した。

この2ケ月の間、顔を合せては問答をした。そういう意味ですでにごく身近な間柄になっていた。例の試問の洗礼をうけた良泰も案外気軽に良範と話をする。

「良範さん待ってくださいよ。ほんとに早足ですね」

「良泰おぬしがのんびりし過ぎなんだよ、はははは」

「そうだぞ良泰、おまえは何事も遅すぎるぞ。もっと欲を出さないと出遅れるぞ」と良円は兄貴面をして言う。

こうして慌てて僧たちは講堂に集った。はじめは喧騒をきわめていたが、すぐに堂内は静まり、いよいよ老師が登場された。拍子木の高い音が堂に響く。

「・・・さて、一同の者、いまから勤行をし『法相唯識教学』の奥義について講義を開始する」
そう老師が勤行に先立たれ宣説する。

佛讃をお唱えし、更に陀羅尼(マントラ)を誦す。
「・・タニャタ サンダラニ ウンタラニ ソサンハラチシッチタ ソナマ ソハラチヒッチタ ビセイヤバラ サツテイヤ バラチシンジャ ソアロカ シンジャナマチ ウンハタンニ アハナマニ アビシタンニ アビビヤカラ ユババチ ソニシッタリ バコ グンジャ アビバダ ソワカ・・」
これが無染着供養陀羅尼であり、真面目な僧侶は鎮護国家のために毎朝の勤行で必ず修唱していたのである。

『カイタク』が打ち鳴らされ、僧綱からの声が堂内に透る。
「ご師僧さまに拝師三禮・・おんさらばたたぎゃはんなまんなのうきゃろみ」一同は、茶禮作法で拝師をする。自分の師こそ、み仏の具現だと観じて、拝を尽くすのである。このことによって、連綿と受け継がれてきた仏法が瀉瓶されて、師から弟子へと伝承されてゆくのだという。師こそが道だというのは学ぶ姿勢を問うているのである。瀉瓶(しゃびょう)とは、瓶から瓶へそっくりそのまま水を移すようにして仏法を伝えてゆくことをいう。

「善いかな、法相唯識の最高峰『成唯識論講義』に先んじて、本日は『瑜伽師地論』の冒頭を講義する。よいか、唯識は単なる学問ではないのじゃ。この学を基礎にしなければ、み仏のお教えは完成できん。南都六宗ことごとく全てが、唯識の説を支持しておる。この教学を究めるは、六波羅蜜行の実践じゃ。これすなわち、万民化楽・鎮護国家に必ずつながる。帝の思し召しも、そのことの理解に立脚している。励めよや、励めよや、精励精励」

「瑜伽師地論は、瑜伽行者が認識する対象(境)修行、果を明らかにしたものじゃ。阿頼耶識説、三性三無性説、唯識説、その他のさまざまな問題が詳しく説かれている辞林というべき法宝である。
成仏の階梯を17段階に分けて説くのじゃ。
  1. 五識身相応地
  2. 意地
  3. 有尋無伺地
  4. 無尋唯伺地
  5. 無尋無伺地
  6. 三摩哂多地
  7. 非三摩哂多地
  8. 有心地
  9. 無心地
  10. 聞所成地
  11. 思所成地
  12. 修所成地
  13. 声聞地
  14. 独覚地
  15. 菩薩地
  16. 有余依地
  17. 無余依地

と、こうなる。これを17地というのじゃ。仏への階梯じゃから憶えておくようにせんとな」

「では、今日は本論の冒頭を示すことにする」
そう言うと、いつの間に作ったのか、大きな白布に書かれた17地(上図)が示された。
更に当時は紙は貴重であるが、今回は特別に参加者全員に、瑜伽師地論の冒頭の経文が配布された。篤信の貴族の寄進によるらしい。

「爾のとき父母の貪愛倶に極まって、最後に決定して、各々一滴の濃厚の精血を出す、二滴和合して母胎の中に住し、合して一段と為る。猶おし熟乳凝結の時の如し。当に此の処に於て一切の種子を持ち、異熟性に摂められ、執受の所依たる阿頼耶識和合し依託するなり。云何んが和合して依託するや。謂わく此の出だす所の濃厚の精血合して一段と成り、顛倒の縁と中有倶に滅す。滅と同時に即ち、一切種子識の功能力に由るが故に、余の微細の根および大種ありて、和合して生ず。及び余の有根の同分は精血和合して博生す。此の時の中に於て、識すでに住して結生相続すと説く。即ち此れを名けて羯羅藍の位と為す」

「どうじゃな、何か思うところはないかな?」
「良泰は、どうじゃ」

「はい老師、貪愛すなわち我愛は確かに強い執着ですが、それだけで人間の生存が生起されるというのはどうでしょうか。もっと強い執着もあるように思うのですが・・・。それはアーラヤ識に結びついたところのもっと深い念のようなものなのではないかと。単なる念ではなく、もっと根源的な無明のような生存に掻き立てる心、そいうものがあるように思います。ですからアーラヤ識に何かの方法で我愛とは違う性質を投影させることが可能なのではないかとも思うのです。・・・」

「うむ、たしかにいい線をついているのう」
老師は若い良泰がよい答えをしたので、眼を細めて微笑んだ。

「では、他に意見のある者は居るか」

「はい」
良円がサッと手を上げた。

「うむ、良円じゃな。うぬの見解を存分に述べてみよ」
まるで論議が白熱するのを促している景色の老師である。

「先程の良泰の説には感心しましたが、わたくしは少し違う見解を持っております。たしかに我愛くらいで人間の輪廻転生・出生は説明できません。それ以上の何かがあるのに相違ない。アーラヤに何かの方法で違う性質のものを投影させることができたらと考える良泰の見解は、さらに延長するとアーラヤ識に『明』を投影したら輪廻が止むということになるというものです。ですが、そううまくゆくのでしょうか。そもそも、その『明』とは何なのでしょうか。良泰の見解を延長すると先のそのような考えに辿り着きます。個人の見解で何を思おうが勝手ですが、我々は仏飯(ぶっぱん)を食む(はむ)身です。教法は正確に学ばないといけません。法相の教えには、『五性各別』の理がございます。わたくしはこれが正しいと思います。」

さて、良円の言う『五性各別』とは何か?
良円は良泰に対して真っ向勝負である。


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 


解説 八宗綱要(7)【良範問答 唯識論の出現と由来(2)】

・・・「そうら、温かいお湯をもらってきたぞ」
そう言って、良範は湯筒と粗末な茶碗を持ってきた。その顔は良泰のところに来たばかりの先程と違い、どう見ても人の良い中年の寺男にしか見えなかった。笑顔になると彼の目尻の皺がいっそう際立ち、内面の優しさが伺われた。

良泰は慌てて、良範の持つ茶碗をもぎ取るようにして、古いボロボロの経机の上にのせた。
「・・・おう、おぬしは気が利くな。だが、あんまり気を利かせ過ぎるなよ。自分のことが疎かになるからな」と言って一瞬、良泰を見た。次の瞬間、良範はいつもの顔に戻っていた。

茶碗に葛を入れて熱い湯を注ぎそれをいただいた。(※奈良吉野の葛は有名だが、後世に仙人だかになったという人が葛を常用の食としていたことはあまりにも有名だ。)
「・・・なんだ、おぬしもあれか、受験組の人間か?」
良範は良泰の顔も見ずに言った。要するに良範は仏教の修学を出世の道具に使う輩(やから)なのかと訊いたわけである。
「いえいえ、わたしなんかとんでもないですよ。年分度者になんか成れるわけないですよ」
良泰は本心からそう言った。
「そうかな、そうとは限らんぞ」良範は意味ありげに言う。
「まあ、自分でも分からない気持ちとか願望というものは、心のどこかにあるものだ。まだ、おぬしはそれに気づいていないだけかもしれん。それこそ『縁に依って』すべては生起するのだからな。はははは」

「では、さっきの続きをやろう。今度は唯識論の内容を簡単に述べてみよ」

「はい、では・・・。唯識の説はいくつかありますが、その中の一つの説では『万有は識によって顕現したものにほかならない』と考える。これは世親さまが申されたことです。世親さまの説く唯識の教えは、人間の現実存在は、種々多数のダルマ(法)と呼ばれる型とか、あり方によって構成されるのですが、保守的最大の仏教一派である『説一切有部』などでは、ダルマは実有と考えていた。しかし、世親さまの唯識では、ダルマは永久に実在するものではなく、その実相は『空』であるとした。この点は龍樹菩薩さま(ナーガールジュナ)の『中論』と同じです。では、どうして現象界の複雑多様な姿が成立するのか、そのわけを説明する必要が生じました。無差別一様な空という一つの原理にしたがって一定の秩序ある現実の差別相が現われてくるというのはありえない」

「・・・そこで種々のダルマ(法)が現にあるが如く成立するためには、それぞれに空に裏付けられた原因がなければならない。その原因はすでに、可能性の状態において存在すると考えた。これを種子(しゅうじ;bija)と呼んだ。種子とは、『法を生ずる可能力』のことです。しかし乍ら、それとても『空』なのです。実体が実在しているのなら、変化はしない筈だが、変化して展開するということは、裏に空が潜んでいるわけです」

「・・・このような可能力は、それ自体が有でも無でもなく『空』なので客体的なものではない。純粋な精神作用だというわけです。すなわち、これが『識』です。識とは、対象を分別して知るはたらきであり、万有は識によって『顕現』したものに他ならない。これが唯識の説です。あたかも夢の中で経験することと同様に、外界の対象は実在しないものでありますが、識の分別のはたらきによって、仮に現し出されたものであるというわけです。その現し出すはたらきを『顕現』とか『似現』とか言うのです」

良範は黙って聞いてられない様だったが、それを押し殺して「で、どういう識の種別があるんだ」とだけ言った。

「・・・こういう動きを『識体の転変』といい、識体が転変して三種の識が成立します。
第一がアーラヤ識。根本識ともいい、一切のダルマの種子と言われている。
第二がマナスといい、末那識(まなしき)であり、自我意識です。
第三が外界の対象に認識を起こす識で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識です。」

「で、結論は・・・」

「結論はですね、識には8種があることになり、そして先の三種の識が展開することによって現象世界のいろいろのものが何でも成立するということになります。」

「さらに世親さまは、唯識の実践的な意義も示しておられます。
あらゆるものが究極は空であることを悟ることによって、慈悲が成立するというのです。つまり、人が自己の対象を空なりと悟って、実在するものを認めない場合には、心は唯識性に住します。このような究極の境地においては無心無得です。この境地に到達したら生死も涅槃も異なった別のものとみないので、そのいずれにもとどまることがありません。真如の智慧を有するので、生死にも涅槃にも住しません。これを無住処涅槃といい、大慈悲により他人の苦しみを苦しむ人になります。これ即ち大菩薩です。具体的な実践徳目は六波羅蜜(六度の行)ということになっています・・・」

「ようし、今日のところは、まあそのくらいでいいだろう」良範は微笑んだ。


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 

解説 八宗綱要(6)【良範問答 唯識論の出現と由来(1)】

・・・
「さっき副教頭からおぬしの面倒をみるように言われた、歳はいくつだ」
良泰が同じ沙弥仲間から聴いた話では、良範は元は凄い秀才であったが、街を歩いている時に偶然上から物が落ちてきて大怪我をした、以来ぶっきらぼうで大雑把な性格になってしまったと・・・。みんなは、それで頭が少しおかしくなったんで、奇異な行動をとるのだと噂した。だが、とても面倒見の良いところがあり、街角でもどこでも「良範さん、良範さん」と声をかけられる。ある時、副教頭にお供して老師のお遣いで他寺に赴いた時があった。夕刻の勤行の時刻の丁度その時に勝安寺に帰着した。本堂の堂内から音吐朗々すばらしい読経の声がする。どこかの寺から声明の師が来ているのかと思ったら、その音声(おんじょう)の主が良範だということがあった。それこそ仏教の何たるかを知らない童でさへ、菩提心が出てくるような、堂内によく響き渡る声であった。

しかし、今日自分のところに来た良範は、何かが違うと思った。確かに言い方は相変わらずだが、何と言うか眼光と雰囲気が違うのであった。副教頭の命令で来たと良範は言ったのであるが、実はこれは老師直々の指示によるものであった。その理由は後々の話に出てくる。

良泰は正眼に構えて挨拶した。
「良泰です。今年で17才になります。副教頭から良範さんの指示に従うよう、ご指導頂きました。伏してご一緒に研鑽させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。」

「うむ、おぬしの老師への質疑を聞いたよ。みんなあれ以来おぬしに一目置くようになっている。だがそういうときほど『魔が生ずる』ぞ。よくよく気をつけて励め」これが良範のはじめの言葉であった。

老師質疑の一件からこうして良範、良円、良泰の三人の付き合いがはじまった。そう、良泰の居る例の小屋に屯しては仏教の問答や仏教界・世情の話をしたのであった。

「では良泰よ、おぬしに問う。唯識論の由来・歴史について述べてみよ。まずは小手試しでおざる」

「はい、よろしくおねがいします」

唯識論の由来や歴史等々については、良泰の故郷、丹波の田舎の大雄寺住職;泰乗和尚からよくよく学んでいた。良泰の法名の「泰」の文字はこの泰乗和尚に由来がある。利発であった良泰は泰乗の居住する此の大雄寺の近くに生を享けた。良泰は生来信仰心が厚く、10歳の時には金光明経、さらには大般若経を完全に暗記していた。一度聞いたらその場で記憶するのが良泰の頭脳であった。彼は祖先所縁の明王像の前で生まれたという。彼の背中には痣があり、小さいものだが梵字のカーンが見事に素肌に浮んでいた。生まれたときから、み仏の子だと言われ育ったのである。良泰は人付き合いの良い、我の少ない利発な子で、和尚からは吾が子のように可愛がられた。「まこと此の子は、み仏の子供じゃ。大切の育てんとのう。随喜随喜」と常々言われていた。

良泰が随分大きくなった時に、大会(だいえ)に参賀する為に泰乗和尚は奈良へ行ったことがあった。東大寺の大仏殿や毘盧遮那仏のことを良泰に土産話として話しをすると、良泰は大層喜んで、少年良泰の興味の心をかき立てた。「身の丈は六丈、み仏のお顔は遥か上で雲が掛かる。背後にはそれはそれは燦然と輝く後輪があるのじゃ。低いお声でみ仏は慈悲に満ちたご説法をされるのじゃ」そう言って和尚は合掌するのであった。子供の良泰はこの和尚の話を真に受け止めて想像をたくましくした。奈良の都は良泰の憧れだった。いよいよ8歳になり、和尚に出家して沙弥になることを願い出た。しかし泰乗和尚は「・・・ならぬ」 と言ってお許しにならなかった。「おまえにはもっとふさわしい師が必ずおる」そういって決して得度の手続きをしなかった。ようやく15歳を過ぎて正式に得度の手続きをしたが、それも自らの手ではなく、法友の法相の大家;良義老師に付いてとした。だから両師の法名から一文字ずつとって「良泰」となったのであった。

良泰は、良範の顔をじろりと見て、真剣な眼差しで持てる知識を披瀝した。問答は僧侶の大切な修行、真剣勝負である。

「まず、中観の論理は理論的に難点を内包している、仮に空理を認めても、すべてが空なのに我々は存在している。その存在しているということを説明するために唯識論が出現したのです。唯識は、外界にあるいろいろの事物、これは絶対にあるのではない、因縁によってつくり出されたものであるから、『空』なのである、色々の事象というのは、我々が見、思うことによって成立している、現れている、つまり主観的な、精神的なものがこちらにあり、それはもちろん『空』であり、実体はない。だが、現実存在はそのようなものに基づいて成立しているとして、その原理を明らかにし、現象および現象界の成立を体系的に説明するのが唯識説です。・・・」

「・・・うむ、それから・・・」と良範は相槌を入れた。

「・・・だから、根本に『識』というものがあり、それももちろん『空』であり、しかしまた空であるが故に、あらゆるものを映し出すことが可能であるとする。唯識と唯物は対立関係にあるのではなく、『ただ識のみ』ということで、識という根本原理があるとしたわけです。この派をば、唯識学派といい、別名ヨーガ行派とも言います。開祖は弥勒さま(マイトレーヤ;西暦270〜350年頃)です。殊に『弥勒の五書(五法)』が有名であり、仏教を志すものが必ず修学するものとされています。(※『弥勒の五法』は、チベット語で『ジャムチュデガ』と称される。『弥勒の五法(ジャムチュデガ)』はチベットでのみ言う論説であり『大乗荘厳経論頌』『中辺分別論』『法法性分別論』『現観荘厳論』『宝性論』の五論書の頌の部分を弥勒の作とするものである。これらの論書を研究する際には、『弥勒菩薩の灌頂(ワン)』を受けて、師より論書の口頭伝授(ルン)を受けることが必須とされている。)」

「そのお弟子が無着さま(アサンガ;西暦310〜390年頃)で『摂大乗論』などを著わされた。その弟が世親さま(ヴァスバンドゥ;西暦320〜400年頃)で印度附近の波希須丹国の出身だと伝記にはあります。(※実際にはパキスタン北部のペシャワール出身である)」

「世親さまは、『阿毘達磨倶舎論』を著されましたが、もともとは小乗教の第一人者で、後に大乗教に帰依し、『唯識論』の大家になられました。そして世に名高い『唯識二十論』『唯識三十頌』を著述しました。・・・」

「まあ、そのへんでちょっと待て良泰。聞いている俺も喉が渇いたが、口を開いているおぬしはもっと渇いたろう。いま宗務に行ってお湯をもってこよう。さっきもらった甘葛があるからこれをいただくことにしよう。」そう言って良範は気さくに立ち上がった。・・・


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。

解説 八宗綱要(5)【旧貴族の義憤と良範登場】

・・・以来、良泰のところに良円は顔を出すようになった。

勝安寺は左程大きな寺ではなかったがさりとて小さくもない。良泰が弟子入りした時分は僧寮の部屋が空いておらず、宗務の役僧から「一時的であるが、おまえは此処に寝起きするがよい」と言われて物置小屋の片隅が与えられたのである。良泰もそのほうが気楽であった。その後、良泰は食材や塩、布などの寄進者からの受け取りの役僧の雑務を手伝っていた都合上、街の人間とも接点があり、自分の住む小屋の修繕について大人に聞いたりしていた。彼の人柄もあって小屋の中を立派に修繕してくれる人もあり、見た目よりは案外居心地のよい空間になっていた。

例の副教頭にこの小屋に住居することを申請して「そのような粗末なところで良いというのなら構わない」という許可を取り付けていた。そんな事情のため、元が物置小屋なので、人が来ることはあまり無かった。後世の禅宗の一宗、曹洞宗では住職のことを方丈さん(ほうじょうさん)と呼ぶ。方丈とは畳ニ畳分の大きさを言う。偉い僧侶は二畳分のスペースを使用できたのであるが、その他の僧侶は一畳しか与えられなかった。その意味で良泰の居る空間は贅沢であったと言えよう。

気難しい良円としては人気(ひとけ)が無いので、出入りするのに好都合だったわけだ。良泰が知っている良円はこの寺の他の者たちが知っている良円とは違う。良円にとって良泰は年下ではあったが、唯一心の許せる友であった。その理由の一つは良泰が良円を心底尊敬していることだった。良泰は彼の学識や識見を高く評価していた。時に彼の説は行き過ぎのきらいはあったが、それでも後から反芻し思索して行くと端倪すべからざるものがあった。田舎者の(と自分では思っている良泰)自分は、彼の才能が正当に評価され、是非とも出世してもらいたいと思っていた。その気持ちが屈折している良円にも伝わっていたのである。

これは良円の出自に関わることなのだが、良泰はそのことを深く気の毒に思っていた。良円の出身は元々旧貴族であり数代前までは従五位まできわめていたという。五位といえば大夫(たゆう)であり、その上の従三位ともなれば参議の位で、これを卿(きょう)と言った。いま良円の一族は辺境の地におり年老いた両親もそこに居るという。彼もはじめは太政官の試験を志したが、出世には程遠い事実を知った。実際には長官などに任官するのは、皆名門の家柄の公達(きんだち)であった。良円としては旧貴族として面目をかけて僧侶になり是非とも殿上人(でんじょうびと)にまで昇進したかったのである。

従五位までは宮中の清涼殿に登ることができる。これを殿上人というのである。その為には国家の定めた僧侶登用の試験に合格し「年分度者(ねんぶんどしゃ)」にならなくてはいけなかった。当時は南都六宗それぞれに年にニ名とか三名という形で人数の制限があった。現代のように寺のせがれだったら坊さんになれるようなものではなかったのである。お寺の住職に息子が三人いて、一番上と二番目は出来が良いから東京大学・早稲田大学に入学させ、三番目はまったく出来が悪いので宗門の大学の仏教学科にいれてお寺の後を継がせる。こんな話は今の世の中のことで、昔とは事情がまるっきり違っていたのである。

流浪落魄した旧貴族の面目なのであろうか、そういうわけで良円はガリ勉であった。しかし、いつもは適当に合せている良泰であったが、やりきれない思いをすることが度々あった。仏教に活路を人材を求めていたこの時代、次々に僧侶登用の試験に変化があった。今は法相唯識が全盛の時代である。先ごろまでは三論・中観の教学が盛んだった。だが一夜にして試験の内容が変化するということや、受験年齢の改定が矢継ぎ早に発表された。一つの科目を安心して修学しているどころではなかった。そのような実情や政治のあり方に良円は義憤するのである。「国家の官僚のやり方などいつの世でも同じことだ。賂いや内通は当たり前、上の者の贈賄を部下のせいにして左遷させる。証拠の隠滅、トカゲの尻尾切りだ。ほんとうに許せん」どこかで聞いたようなセリフだが、しかし凄い激憤だ。

そういう時に良泰がいつものように質問しそれが良円にとって愚問だった場合、彼は歯軋りせんばかりに怒るのである。「なんでおまえは、ものの道理がわからんのだ」とか「おまえのようなボンクラが僧侶になろうとするから国がおかしくなるんだ」など、どう考えても理屈にあわない言葉を吐いた。だから良泰はやりきれない思いをするのだった。

そんな一面を持つ良円だが教学の修得については間違いのないものを持っていた。そして良泰にこう訊ねた。「良泰、おまえはどう思う、今度の老師の唯識論講義について。あたらしい試みをされるらしいのだがな・・・」「どうも仏教界に大きな変化が起きているらしいな。それが要因の一つらしいともっぱらの評判だ。おれは今度、或る大徳のところにゆくので、その時にこのことをお伺いできればと思っているんだがな・・・」

良泰にとっては何のことを言っているのか分からなかった。少年から青年になろうとしている良泰にとっては奈良の都そのものが驚異であり、すべてが夢心地の話であった。だが良泰も兄弟子の良範・良円との問答修学、付き合いの中で、当時の仏教界の大変化の真ん中に迫り且つ巻き込まれてゆくのであった。

「おお、いいところに巣をつくっているな。うむ、おぬしが良泰だな・・・」
良範の登場である。・・・


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 

解説 八宗綱要(4)【解深密経・心意識相品第三】


節分の祈願を行う川島金山(松浦門弟による撮影)


・・・さて、『解深密経・心意識相品第三』である。

この経題は、隠された意図・密意を解き明かすという経典というほどの意味である。これは、『般若経』に説かれる無自性空に三種の無自性の意図が隠されており、解深密経がその密意を説き明かすという意味である。同経に収められている「分別瑜伽品」にて、初めて「唯識」という語が用いられるなど、瑜伽行派初期の重要な経典ということができる。

解深密経・心意識相品第三(現代語訳)
 弐 『現象の章』  現象の自体
  晄瀝生起の原因】
廣慧菩薩、釈尊に問う。
廣慧 「世尊よ、私は人の心の有様について詳しく知りたいと思います。そしてその心をどうしたならば、最もよく仏の道に適うようになるか、どうかこのことについてお説きください」
世尊 「しからば、その心について説こう。未だ正覚に入らぬすべての生類は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六の生死の道に、あるいは卵生し、あるいは胎生し、あるいは濕出し、あるいは化生して身を現して行く。しかしその生の根本はアーラヤ識で、そのアーラヤ識の性能が、展転として万象を作っていくのである。
アーラヤ識は、一には眼、耳、鼻、舌、身の五感に即し、一には現象を相(すがた)や、名や、分別について認識する習性に即している。
 『アーラヤ識』 とは、 ^貔擇鯀叛する勢力を蔵める点に名付けられるが、また ◆〜叛される五感や、一切の現象に即していく点について、『アーダナ識』 とも名付けられ、また  五感の、対境について現される性能を、集め育んでいく点について 『心』 と言われる。
廣慧よ、この第二の特質によって、六の感覚に認識作用をなさしめる。即ち視覚に作用して外界を識別し、聴覚に作用して音響を識別し、嗅覚に作用して香を識別し、味覚に作用して味を識別し、触覚に作用して対境を識別し、意識に作用してそれらを分別し思惟するのである。
 アーラヤ識は激流の水が流れやまぬように、永恒に絶ゆることはないが、その上に分別の意識を起して、眼識とその対境との浪を起すところに、歴然たる現象世界を認識する。他の耳、鼻、舌、身の四感に於いてもまた同様である。それはまた、鏡の面に影が映って、鏡面が影そのものの如くになるようなものである。
廣慧よ、しかしこのように識(こころ)の作用についてわきまえるだけでは何の用もなさぬ。それによって、前に述べたアーラヤ識の三つの特性と、作用と、六感と六識と六の対境との、相対的な認識作用の全部を超絶して、アーラヤの自体を観得すべきである」
世尊は更にこの意味を頌によって示された。

「アーラヤ識は甚深微細なり
その開展する性能は激流の如し。
我れ、凡夫愚夫にはこれを説かず
彼らは恐らく、これを以て我(が)なりと分別せん」 

この経典は廣慧菩薩と世尊(仏様・釈迦)との問答でアーラヤ識を解き明かしている。先の良泰の質疑はこの経典の講義の冒頭においてなされたものである。良義老師は、それこそ字義の解釈や読み方など、まあその程度の質問だと思っていた。唯識経典には古来、独特の読み癖があるからである。学ぶ者は冒頭からそういう点が苦労の種な訳である。老師は学生たちに軽く質疑を促したわけであるが、そこにあの良泰の質疑であった。

いつもは大変良い質疑をする者が居らず、かといって老師が質疑を促された時に誰も質疑をしないと老師は不機嫌になり副教頭にお小言をいわれるのが常だった。副教頭としては皆が黙っているので「誰か質疑はないか。良泰はどうだ」とあまり期待もしないで名前を呼んだだけであった。

法相宗では『解深密経・心意識相品第三』を『本経』と呼んで珍重する。唯識思想では『万法唯識心外無別法』を説く。

仏教では古来から二大思想の対立があった。その対立を以てして進展してきたと言ってよい。インドに於ける仏教の歴史は第一期・小乗教の発達期(大衆部と上座部)、第二期・大乗仏教の勃興の時代、第三期・大乗教の空教と中道教(これをもってインドの仏教史は幕を閉じた)。

次いで中国に仏教が伝播すると
(1)真如縁起説(中観派・空教)
(2)頼耶縁起説(瑜伽行派・中道説)
の対立となった。これが更に、
(1)一乗教
(2)三乗教
の対立となり、それがそのまま日本の仏教界に持ち込まれ奈良時代から平安時代、そして鎌倉時代まで続くのである。

仏教の教理の根幹は「縁起論」であり、すなわち真如縁起説(中観派・空教)と頼耶縁起説(瑜伽行派・中道説)である。この二つは真っ向から対立するものであるが、実は本来一つなのである。そして後にこれらが融合した仏教が出現するのであるが、この二つの説を学ぶことは修行者の必修の科目と言ってよい。必ず修得していなければならないのだ。

唯識思想は頼耶縁起説(瑜伽行派・中道説)である。「らやえんぎせつ」と読む。万物の存在がアーラヤ識を土台に生起するということ「縁起する」ということである。縁起するとは、存在するという事である。

良泰は例の講義のあとで教頭に呼び出され、まもなく近い時期に始まる『成唯識論』の良義老師直々の講義に出席することを許されたのである。「良泰、おぬしの質疑に老師は大変感心された、先輩である良範、良円と共に老師直々の『成唯識論』の講義に参加許可と相成った」そう告げられたのである。同時に「おまえは三名の中で一番年下の沙弥である、年長の良範の指示に従って怠りなく参加せよ」とも言われた。

こういう経緯で三名の主人公は邂逅し、やがて仏教史に燦然と輝く偉業の場面へと誘われてゆくのである。人は一つの業績を見てそれを運命だというのであるが、いまの彼らにはそれを知る由もない。

「おい、おまえが良泰か。おまえなかなかやるじゃないか。だが、おまえの質疑を同室の奴から聞いたが、あれは既に答えになっている。おまえもそれを承知で質疑したんだろう。・・・」そう言って、いきなり良泰の居室に入ってきたのは良円であった。

良泰は「これがあの噂の良円さんか」と思った。確かに噂通りの秀才だった。青白い白面の容貌にいつ突っかかってくるか分らないような眼差し、まるで逆鱗をぶら下げているような感じだった。これが良円との真の意味での出会いであった。・・・


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。  


解説 八宗綱要(3)【憧憬の殿上人とアーラヤ識】

南都六宗からそれぞれの代表の論師を出している。皆論客として優れた者ばかりであり、この時代の最高の知識人の論議の舞台であったといってよい。

良泰たちが属するのは法相宗であるが、この時代の僧侶は大抵は他の宗旨の経典論書も併修して研鑽するのであって、後代の様な信仰としての民衆を救済する為の仏教ではなかったのである。あくまでも鎮護国家、貴族仏教だったのである。

確かに当時、時代は少し遡るけれども僧行基の様に菩薩号を賜った名僧もいたが、私度僧となることは国家政策で禁止されつつあった。奈良時代は民衆に仏教は無縁であった。

良泰、良範、良円の三人の出会いは奈良の名刹 勝安寺の師僧:良義老師の講義の後のことであった。もっとも同じ僧堂で学んでいるのだから皆家族のような間柄だ。だがお互いがライバルであるという側面があった。貴族以外の者が国家の枢要の地位まで出世し栄達を得る道は、僧侶になるより他に道が無かったのである。貴族の一門が落魄しお家を再興するには、子女を権力者のもとに輿入れさせるか賄いしかなかった。あとは僧侶になるか太政官の登用試験を受けるしかなかった。もし仮に僧侶になって出世できれば殿上人になることも夢ではなかった。これは多くの僧侶たちの憧憬の的であった。このことはまた後に主人公たちに語ってもらうことにしょう。

仏教研鑽に励む僧の卵たちは、多かれ少なかれ、同じような境遇背景を持つ者がほとんどであった。だから家族の様でライバルであり、同じ傷を持つ者であり、他人なのであった。余計な詮索は一種のタブーであって、お互いに出自に関してのことは口にしなかった。表面上の体裁の良い付き合い方というところであろう。

主人公の三人もそんな訳で必要以上のことは話さなかった。そもそも学問仏教とはいえ戒律は厳格を究めている。僧侶は260戒の具足戒を遵守している。仏教教団ではインドの釈迦以来「聖黙法談」ということが言われているから話をするには仏法(ダルマ)のこと以外口にしない。あとは沈黙を守る。是れを聖なる沈黙(聖黙)というのであった。

先の良義老師の講義において、一番歳の若い良泰が質問をしたことが、三人を強力に結びつけるものとなった。老師は法相きっての俊才であり、法相教学の学理を究めている一人とされていた。このときは法相宗の依経、解深密経・心意識相品第三の講義の冒頭であった。

「老師、輪廻の根本の動力が、人間の心の根底にあるアーラヤ識であり、その動力たるアーラヤ識が無始からはじまって、未来のわたしたちの生存に尽きることなく続いてゆくのであれば、その力の流れをどうやって脱出することができるのでありましょう。激流になっている水自身が、どうやって水の流れを押し止めることができるのでしょうか?人の輪廻からの解脱は不可能なのではないでしょうか?」

こう質問して老師を驚嘆させたのは、いまから5年も前のことであった。

「そちは、その質疑を誰に聞いたのかな?」
老師は良泰の質疑に一瞬驚き、講堂のあたりを見渡した。しかしさすがに老師である。すぐに正気を取り戻し何事も無かったかのように、「利発な良い質問をしやるなぁ」と言った。

この若者の顔を見ると、そう才気走ってはいない。だが、よく見ると瓜実顔に長い睫、切れ長の眼元、瞳は炯々として光りを放っている。その眼を見た老師は、この質疑はこの若者自身が発したものであることを理解した。

「それは可能なのじゃ」と老師は言った。

「では老師、アーラヤは一切蔵識といい、すべての表象はアーラヤに蔵されているから認識できるとされております。これが唯識の名の所以であり、赤い物が赤と見えるのもアーラヤの働きだというご説明を副教頭から御教示いただきましたが、もしアーラヤのみが実在するのであれば輪廻にあるものがここから脱出するのは不可能であると思われます。認識や存在の土台であるからです。またアーラヤが実在でないならば実在していないものからどうして解脱できるのでありましょう?」

老師が更に驚いたのも無理はない。この若者は難解極まる唯識法相の教学をほとんど理解しているのである。・・・

傍らで一部始終を目撃していた副教頭も驚きを禁じえなかった。自分も仏教の世界に入って数十年。それなりの修行をし、学問を積んできている。ごく最近になって漸く理解できてきたことを、自分の半分の年齢にも満たない若者がいとも簡単に質疑し答えまで述べている。アーラヤを激流に譬えているのも理に適っている。一体どういう若者なのであろう。そして老師がどう答えるのか。この質疑に答えてしまったら、「唯識法相」の教学の学究はそれでお終いである。

「はてさて、どうしたものかのう。良泰とやら、そして此処に居る皆のもの、その答えを出すのが修行というものじゃ。さあ、精励精励。はははは・・・。」そう言って講堂を出て行かれてしまった。

『八宗綱要の論議』に於いて、この唯識の教理はどうしても理解しなければならないものなので、法相宗の依経、解深密経・心意識相品第三を詳しく読んでみようではないか。・・・


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 


解説 八宗綱要(2)【お斎の麦索・昆飩とうどん】

・・・最勝王経とは金光明最勝王経であり、鎮護国家の為に無染著陀羅尼を唱えることが習いになっている。今頃は各宗の老僧たちが『八宗綱要の論議』に先駆けて読経しているわけである。

師僧の伴僧として指名受けた者や成績優秀で特別な許可を得た者は大内裏の門をくぐる為に予め焼印の察札を持参し提示するのである。良泰と兄弟子の良範、良円はやっとの思いで控えの講堂に到着した。良範はさすがに顔が広く、そこかしこから「良範さんどうぞ此方へ」と声を掛けられた。

この物語の枢要である『八宗綱要の論議』はいよいよ始まるのだが、良泰ら控えの僧たちには、お斎(おとき)が給されている。昆飩に熱い汁をかけたものと油で揚げた麦縄(麦索) が振舞われ、ふうふう言い乍らこれをいただく。どこからか「あぁ極楽極楽」という声がする。満足げな舌鼓が堂内にこだまし、お茶を啜る音が静かに響き渡る・・・。

おもしろいもので良泰ら日本僧とは全く無関係だが、西蔵と言われるティベットでは正月のことをロサルといい、その行事の時には僧たちにカプセという麦縄とほぼ同じものが給される。うどんやひやむぎの様なものを捻って油で揚げるのである。寒い地方ではこれは何よりのご馳走である。文化というものはどこかで知らず知らずのうちに繋がっているのであろう。

ちなみに昆飩は「こんとん」、麦縄(麦索)は「むぎなわ」と読む。麦縄は先にご説明した通りだが、
こんとんは元は団子のようなもので中に餡が入っており、そこに熱い汁をかけて食す。これが後に饂飩(うどん)になったという説がある。こんとん→こんどん→うんどん→うどん、という訳である。

・・・さて講堂での出来事に話を戻そう。いつの時代でも、どこにでも情報通という者はいるもので、どこから漏れたのか「論議が始まったらしいぞ」という声がする。この論議の場は非常に特別であり帝の出席の元に行われる。この時代、帝(天皇)ですら三宝の奴と称して仏教を信仰した例もあるのであり仏教の権威というものは今では想像できないものがあった。

話に出てくる『八宗綱要』の八宗とは、法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗・天台宗・真言宗である。天台宗と真言宗以外の六宗を『南都六宗』という。いわゆる奈良仏教である。天台・真言は共に密教を取り入れている。二宗は京の都に於いて台頭してきた新しい風の仏教である。

さあいよいよ論議が始まる。・・・


※この物語はフィクションであり史実により忠実に描いたものではありません。また『八宗綱要の論議』というものは奈良時代の宮中に於いてはございません。但し、清涼殿に於ける仏教論議が帝の御前であったのは史実にある通りです。

解説 八宗綱要(1)【第一幕 大師颯々】

第一幕 大師颯々

・・・あれは何年前のことだったか。彼のお方が久米寺に来たのは・・・。夢に感じて『秘経』を感得したという。師僧も戸惑い乍らもそれこそ堕地獄の覚悟で梵篋を開いた。内には『時至らば是れ開かれん』と先師の見事な筆跡で書かれてあったという。

久米寺は奈良の平城京の都、神武帝のお鎮まりになる畝傍の近辺にある。有名な久米仙人が自身の歯毛を木像に植えたという像がある。

彼のお方は抜群不抜の頭脳でもって其の経典を三日三晩で読破した。

彼が言うには、此の経典には明法の師の口訣解説が必要だという。経典の各章に理解に必要な口傳が少なくとも二十箇所以上あると看破した。また既に唐に法を伝える人師がいる筈だと。彼の頭脳と心眼には其の新しき風を起こす法宝(仏法)がまざまざと映じているのだった。

ここ近年の世の激動と変遷。国家は仏教に活路を求めている。新しい若い人材を求めているのである。年分度者という正式な僧侶の登用試験も一夜にして変わってしまうという悲劇も起きた。

この時代、正式な僧侶はいわば国家公務員だったのである。いままさに歴史が変わる。帝は都を奈良から京都に遷つし、仏教界には新風が巻き起ころとしている。

この物語の主人公 良泰は輩と共に、京の朱雀大路を歩いている。弘仁二年正月十四日のことである。これから歴史に言う『八宗綱要論議の儀』が執り行われるのである。真言陀羅尼宗、大師空海の鮮烈なるデビュー。この一コマを見ずして絢爛華やかなる密教の胎動を知ることはできない。

そろそろ論議の会場では最勝王経の風誦看経がおこなわれる時刻である。・・・


※この物語はフィクションであり史実により忠実に描いたものではありません。また『八宗綱要の論議』というものは奈良時代の宮中に於いてはございません。但し、清涼殿に於ける仏教論議が帝の御前であったのは史実にある通りです。


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