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  • 2012.12.01 Saturday
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引導文の事【11月15日の霊魂安鎮法式のご報告】

11月15日(月) 予定通り、霊魂安鎮法を施行した。その他にガナ・チャクラ・プジャー、シトーの死者浄化の修行、マルメモンラムなどを行った。滞りなく終わりホトケ様に追善回向することができた。

今回の法儀では特別なことを行った。それは引導文を奏上したことだ。この引導文の大要は、ある大神仙がお遺しになられたものであり、結語に当たる部分は神界に出入りしたる者でなければ奏上することができないので補準した形のものとなった。しかし、結語の部分は、わたしの手により「自動書記」という形で書かれたものであり、霊魂を引導する秘言と印契が導入されている。

神道系統には回向がなく、その点、典礼としては点睛を欠く風もあると思うが、今回の引導文は、祈りのまにまに法式が終わるという優れたものになった。

今回主に祭祀申し上げた御霊魂は、篤信者であるSさんの御父君の長兄にあたる方だった。実はこの方が帰幽したのが、11月8日であり、幽政秘期の最終日なのである。この日は特別な日であり、すべての霊魂(生者死者問わず)の階級の決定執行がなされる日なのである。

またこの方の生まれた日がすごい。10月9日なのである。この日は幽政の秘期開始日である。誕生日と帰幽日がそれぞれ幽政秘期の開始日、終了日なのである。この事実を知り、わたしは即、引導文の執行を思い立ったのである。

死者を引導するためには、三魂の教えや産土神の機能を熟知していなければならず、またヒマラヤ神界系統の仏仙の法である、チベットの法の執行には、バルド・トェ・ドルなどの教えを理解していなければ修することができない。わたしのところの法すべて、死者引導の法も含めて、神法とヒマラヤ神界系が統合されているのである。これは頭でゴチャ混ぜにしたのではなく、まさにそのような神界があることをご承知願いたい。このことをこの地上で明らかにするのは、わたしをもって嚆矢となることは疑いようもない事実だと思う。綴れば一冊の本になることであろう。

・・・そして今朝、霊夢を見た。
そこはある仏仙界であった。特殊な帽子を被る所だった。Sさんの叔父さんにあたるその方が、間違いなく神界付近まで逝ったことを感じた。おそらくは真正の「仙」の一歩手前の「補準仙」の格式にまで到達したものと思う。修道していない人間としては、仏教でいう最高の成仏の相だと思う。

Sさんその他の方には、亡くなった時に行う秘文を伝授している。この執行により、霊魂は確実に引導されるのである。今後、指導員候補の方や、我が会の3つのグループにて主体となる方々には、引導法を伝授いたします。

最後になりますが、今回ご供養の御霊魂の戒名には「徳」の一文字が付けられたそうです。生前に徳が高かったということで、そのようになったそうです。家業として農業をずっと行っていた方だそうです。また、そのご母堂様は、齢103歳の御長命だったそうです。


秘法を得る法【神僊窺幽秘言のこと】

平田篤胤大人謹製の五岳真形図
(平田篤胤大人謹製の筋のよい霊宝混沌五岳真形図)

斯道に「神僊窺幽秘言」というものがある。こういうものがあるんだくらいのことは知っていないといけない。道を修める上で必要なことなのだ。

単なる仏教信心ならば、坊さんのお説教を聴いて「ああ心が洗われた」とか「感謝感謝です」などと言っているくらいでよい。しかし、わたしのいう修行はそういうものではない。はっきりと自分の身体の内側に「純陽の霊体・霊胎」を作り出すものである。そのことを霊胎の化作というのである。すべての宗教・霊術の極致は霊胎の化作結成である。

11月8日には、幽政の一大秘期が終わり、多くのことがわたしのもとに齎されている。その一つに神界との接近ということがある。もうすでに伝書や人を通じての口伝、稀書などでは得られない領域のことを直接的に神真より教えていただいているのである。これらの詳しい内容はいずれ書籍として出すであろうが、未だ時期尚早なのである。弟子が育ってこないと公開することは出来ないのである。

まずは10名前後の筋金入りの弟子を育てたい。その人たちの成長にわたしは心血を注ごうと思う。もちろん自分の修行も今以上にやってゆく。わたしがいう秘伝は、すでに人間界の法ではない。だから伝法された者は、その分大変な役目を背負うわけだ。

このような流れもすべて神界・霊界の動きの一つの照応だと思う。ある必然性の上に成り立っているわけである。

そこに至るまで、わたしが境地を進める上で決定的な役割を果たした秘伝が「神僊窺幽秘言」だ。この秘伝は「百二十三文字」からなるものだ。いま一つ神界より齎された「四十九文字」からなる秘言がある。これら二つの秘法によって、特殊な神界と繋がることができたのである。 

霊術の秘伝【秘符・護符を身に帯びる】

謹製した護符袋
 (金襴で謹製した護符袋)

毎月の「霊学講座」では、よくお話していたが 、秘符・護符を身に帯びるという秘伝がある。山に入り修行するにしても、やれば良いというものではない。密教では、修行のはじめに護身法を切るのだが、神術では護身法とは違う強力な方法を密用する。

九字真伝、入山護符、秘詞など沢山の方法がある。しかし、ある程度の修行を重ねてきたら、護符を活用する秘伝を実践しなければならない。そのためには護符袋を所持する必要がある。錦・金襴で謹製したものが上等である。自分で作らないといけない。こういうものは販売していないのである。

写真の護符袋は、愛称みどりさんが謹製してくださったものである。寸法をお伝えして作成していただいた。中身の護符は神術を修行する者が必ず携帯するべきもの数十種類である。寝るときにも枕元に置いておく。

将来的に修行に必要な秘符・護符を謹製して授与しようかと考えている。その中には修行者が目の色を変えて探し回る深秘伝の護符も存在する。神真の御霊璽を拝受したところの、わたしの直弟子でなければ授けることはできない。

現在、道場には神氣が日々籠もってきている。神氣を蒙り、更にその氣を護符に注入する。そうすると護符は効能書き通りの威力を発揮するわけだ。というわけで、今後は護符法の実践も行ってゆこうと思う。神氣が発動してきたから、こういうこともできるわけだ。

風の神に感通するところの秘符実践を事始めにしようかと考えている。これはお願い事全般に効く法である。

霊術の復活【道場に「神真霊璽」設置される】

霊術の修行をするには、強力な神璽は奉祀されていなければならない。密教でいえば御本尊が必要なのである。チベットの密教などでは、ラマ(先生)のことを根本ラマ(ツァワィラマ )といい、法の根源であるとされる。ラマの加護と啓導なくして法を成就することはできないというのである。

かつはの日本の秘教・密教もすべてそうだった。そういう伝統は、明治頃にほぼ消滅した。その代わりに講習会という形で、非公式の場で伝法したのである。当然、選りすぐりの者に奥儀を伝授した。そういう教え方に変化したのである。劣化したともいえる。

そして現代はどうか。すでに奥儀すら存在しないし、苦行もない。あっても見当はずれの修行だ。今年の夏に大峯にゆき愕然とした。20代の頃、毎年1度は必ず大峯に修行に行った。そのときの山とは全然違うのである。もはやかつての霊場ではないと思った。それが率直な感想だ。(奥駆けはいまでもすばらしいと思う)。

わたしたちが通う御岳はどうだろう。冬の御岳は修行場足りえる。特に雪に閉ざされたときには修行場となる。しかし、それだけでは霊的修行を全うすることは出来ないと思う。それを補うのが日々の修行・禮拝・鍛錬だ。その根源の力が、御神璽からくるのである。

わたし個人が自室に奉安しているものと同じものを道場に先ず奉祀しようと思う。次に修行者に下付するということにしたい。細かい規定があるので、希望者のなかで「神許」のあった者に秘伝と共に授与したいと考えている。

新たなる霊界の一つの橋を川島金山と一緒に作ってゆく覚悟をきめ、理解したものでなければ、この質の濃いグループには入ることができません。例えそれが親子兄弟子供であってもです。血が繋がっているとか家族だとか、そんなことは関係がありません。
幽玄祭事
幽玄祭事

庚申講話中の川島金山
講話中の川島金山

スカイプ導入決定!【自然智の会と須勢理姫大神】

秘符
(川島金山の謹製せる秘符)

本日をもって「幽政秘期」明けの第一日とする 。
昨日も述べた事だが、祝いの祝詞をあげさせていただいた。

昨日は、大秘伝の御霊璽(自分の神棚)について触れたのだが、できれば毎朝お唱えする、道士祝詞があり、これを修唱する。この祝詞の原型は平田篤胤大人からきたものであるが、時代を経て付加され今日に至っている。わたしが伝えるところの秘祝詞は、誰も唱えたことのない御神名が入っている。これは誰一人やっていないものである。深い理由があり、まさしく法が生きているということである。

我が会と結縁されつつある大神がおられる。大国主大神の妻姫神である須勢理姫大神である。この大神とのご縁は必然であり、わたしの法脈からいっても至極当然なのである。須勢理姫大神は神術無比の神であり、女神の筆頭といっても良い神祇である

スカイプ導入構想を思いついたので、本日より早速、実現する為に動き出した。どういうことかというと、遠隔地の方々もリアルタイムで「霊学講座」などの講義を受けられるシステムを導入するということだ。ネット環境があれば、世界中どこにいても、わたしの講義を受けられるのである。詳細は、準備が整い次第、受講希望の方には後日ご連絡致します。

この度、産土神のことを皆さん随分と実践したので「産土百首」の講義など行いたいと考えている。時間は約1時間程度で、夜の適当な時間に行いたいと思う。

また、小冊子のかたちで、わたしの講義の一部をまとめたものを年内中に出したいと考えている。

道場の畳スペースに、「霊動法」を実施するために、神棚を奉祀することを決めた。これによってわたしのところは単なる整体院ではなく、霊術道場となった。看板は取り替えないので表面上はわからないが、内容が大きく変化した。いずれ看板なども変わることであろう。

会に出入りする、霊能者の先生からも「神霊治療」の実施のご連絡があった。まったく何かの意志により動いている感がある。

本日、都内では強風が吹き、あらたなる簿録執行がなされた。風は大きく変わったのである。風をインドでは「ヴァータ」といい、あるいは運命をも表わす。不思議な妙合である。

改定版:自然智の会・独特の法【大元の神氣、太乙精を得る法】

太乙精とは、宇宙根本の真元の氣であると伝えられている。およそ宇宙根本の氣は天御中主大神(あめのみなかのぬし)に根源があるとされる。その根源神の神氣が、その陰陽神たる神皇産霊大神・ 高皇産霊大神に分かれ、更にイザナギ大神・イザナミ大神になってゆく。

太乙精は、この根源・根本の精氣であり、それを吸収することで「仙」を得ることができるとされている。神と化す、仙を得るということは、根源の精気を得るということに等しいのである。この太乙精の氣を吸収することを明確に法として伝えたのが、霊学道場の道主:松本道別翁である。

今日、御岳山七代の滝で恒例の滝行気合法の修練会を行ったが、2度ほど『太乙精の降下・下賜』があった金色の紫青の入り混じりたる蓮華様の氣である。本法は、これをガブガブと食べるのである。

天狗岩の瞑想では、何人かを見ていたが、立派に帰神法になっていた。これを機に「開運・災いを消滅する法式」伝授しようと思う。これは自分他人に関係なく施行できる優れた法である。秘詞があり、これを繰り返し修唱する。

来年の1月もしくは2月に再び「冬季 秘伝合宿」を行いたいと思う。今回も定員に達しない場合は、中止とします。希望者は連絡されたし。資格審査あり。言うことを聞かない人、気の合わない人、我の強い人はお断り。

(予定内容)
・開運、除災の秘法(自他共に施すことができる)
・神伝:十種神宝の真伝秘詞
・風神の秘伝
・神伝〇〇秘法
・玄法九字
・滝行気合法(2度入滝する)
・憑霊秘法の秘伝
・療術
・その他、講義など


幽玄なる祭事【祖霊安鎮法式】挙行される

幽玄祭事の祭壇

三天奇一天真霊詞、壌魔秘文、玄府奇祝詞などの秘文を以って、祖霊安鎮法を執り行った。
祭壇を組み、垂れ幣などをかけ、ご神水・塩・伊勢から取り寄せたラクガンなど等を禮代(いやじろ)とした。

特筆すべきは、祓いの護符、鎮め物護符を密用したことだ。このことはある理由で行ったのである。そのように言えば、理解の早い人は、大体察しがつくであろう。鎮め物とは、妖怪・邪霊、生霊の類いを鎮めるということである。祓いの護符は、その場を浄化するために用いた。

八つ垂れ幣は、祖霊の祭祀のためのものだ。始まる前から、そこに座って神氣・霊氣を集めた。こういうときに大切なのは、中心を狂わさないことである。神棚は、わたし個人の特別なものを持参した。

岩笛も奏上した。持参したのは「天の岩笛」で、人工的なものではない。神界から賜ったものである。
「幽界」に感通するように吹き鳴らした。来年はもしくは再来年は、笙も取り入れたいと思う。

祖霊鎮祭なりで大切なことは、名前を読み上げることである。言霊というが、このことは感通するかどうかの一大事なのである。

終わって皆さんに禮拝していただくと、祭主の席に、ある種のエネルギーが集中しているのがわかる。感じ方は様々で、上に引き上げられる感じ、澄んでいる気を感じる、四方に開く感じなど。祭事中には、色々な御霊が脳裏をかすめたり、はっきりと顔が出てきたり、幽真界からの御加護があったように思う。

とにもかくにも、今は「幽政の期間」なので、祖霊に手を合わせ感謝することが大切である。短い言葉でも、祖霊のご供養ができる、秘伝の詞を密用することが秘訣だと思う。





 


霊格向上【三天奇一天真霊詞】幽魂浄化



亡くなった方の魂を幽魂という。帰幽するなどと言うのをご存知であろう。
帰幽した魂、即ち幽魂を浄化する法の中心に「三天奇一天真霊詞」があるわけである。

仏教のほうでは、追善供養という。善根(功徳)を回向する供養ということである。
三天奇一天真霊詞というのは、別名「三天奇一破地獄天真之真呪」ともいう。

詳らかに言えば、仏教の冥界である「佛仙界」の更に上位にある幽世から人間界に相伝された尊詞なのである。幽世とは、かくりょと読む。

真伝の法説に拠れば、七代前までの祖霊に堕地獄の者あらば、修行者が「権胎」を化作するのは難しいとされている。簡単に言えば、成仏していない先祖の霊魂があったら、自分の修行は成就できないということである。

権胎というのは、修行者がその修道によって、肉体の中に更に微細な身体を作る(化作という)特殊な幽体のことを言う。その方法を「権胎結成法」というのである。

先般の記事で書いた、仙法の基礎法である、九穴を研磨する「研究法」は、権胎結成にとっても必要な法である。

坊さんが、霊供養などといって、お布施をもらっている。本当にご供養が届いているのであろうか。この夏は、仏教界のあり方や、お布施のあり方、お寺のあり方が、TVなどで論議されていた。お寺の側もそうだが、残された遺族もご供養の重要性がわかっていない。いつの間に、この国の国民は、こんな即物的な国民になってしまったのであろうか。

大切なことは、帰幽者の問題は、そのまま現世で生きている子孫の問題に反映するという事実である。こういうことを利用して、洗脳する新興宗教もあるから、注意しなければならないが、顕界と幽界は、合せ鏡のように相関関係がある。

日本の密教にも、チベットの密教にも、霊魂の供養法式がある。高徳な阿闍梨方はご存知のことと思う。しかし、真面目に御霊のご供養に取り組んで、研鑽している坊さんは、本当に少ないと思われる。いま日本は人口が減少し、伝統や慣習が崩壊の一途を辿っている。このまま更に無縁さんを増やしていったら、この国の未来は目に見えている。

わたしがお寺を建てるなりして、僧職に復帰することを考えたのは、このような日本の現状も一因している。家族葬とか何とかいって、その実は葬儀を安上がりに済まそうとするような安易さが、あるのではないか。坊さんのほうも、葬儀屋や墓石屋とつるんで、法外な商売をしているのではないか。

霊魂の状態は、生きている者の根っこだ。根っこは見えないが、一番の基礎だ。このことは、もはや整体法の世界ではどうすることもできない。生きている人間の身体だけ見ても、すべてわかるわけではないのだ。だから、わたしは単なる整体師にはならない、坊さんで整体する者になると宣言しているわけだ。整体なり操法していて感じるのは、あまりに霊的な問題が多いことだ。

わたしが三天奇一天真霊詞やその他の霊的秘伝を相伝するような時が来るのであろうか。天はそれを許さないのであろうか。再来年からの4年間が、いまの人類にとって大きな転換期になるであろうことを、今まさに予感している。

伝統の矛盾と重要性【霊夢:大日輪をめぐって】



 今年、2月24日付の、わたしの霊夢の記録がある。
太陽(大日輪)に関する秘法が述べられている。

その夢の中で、わたしは修験に存在する太陽(大日輪)の秘法を得た。
その場所は、修験道の山々であり、朝日が登る時であった。仲間がおり、自分の修験の同志であるという思いがあった。見たことがない人々なのに、何故か知っているのだ。

それから数ヶ月して、修験の大先達とご縁をいただき、遂には吉野大峯に入峯修行することになった。以来、あの2月の霊夢が脳裏のどこかにあった。先般、この謎が解けた。それは修験の口伝に連なるものだった。

わたしは、それを得て、自分の持つある法が、ほぼ完成したと思っている。
だから伝統の口伝のなかには、すばらしいものがあるのだ。しかし、おもしろいことに伝統にどっぷりつかっていると、逆にそのことがわからない。

修行において、最も大切なのは、師匠の力である。次に大切なのは、聖地を得ることである。むしろ霊地・聖地の方が、師匠よりも大切なこともある。場所と時代が人師(にんじ)を生み出すのである。

大変、矛盾したことだが、霊地や聖地は伝統を重んじる人々が護持している。或る意味、頑なで、余所者を受け入れない。資格だの、なんだの、色分けだの、日本人お得意の区別をする。そうしないと安心できないし、縄張り意識が強いのであろう。時代が変わっているのに、全然伝統芸能のままゆこうとする。昔は通用したであろうが、いまの人間には全く通用しない。信仰自体が、まるで妄信だ。しかし、一方では役の行者様やその他の先達行者の修行体を護持しているというのも事実なのである。だから伝統は否定できないのである。

だが、伝統に胡坐をかいていたとしたら、そんなことで、求道になるのであろうか。霊地を護持する反面、霊地を活かすことができない側面を持つ。このことは大いなる矛盾ではないか。

ひとつの例えであるが、九字の印法に、大日輪印がある。この法は、次の宝瓶印と一対で効験を顕す。いろいろな効果がある。しかし、伝統の中にのみ存在する使用法があるのである。それは事実なのだ。法とは、つくづく受けた者の力量がものを言うのだなと思う。伝統を否定するのではなく、伝統をより強靭にする。こういう心構え・心得が必要なのだと思う。

さて、滝場にて組む印に、あなたは何を見るか、感じるか!




第三の眼を開く 【虚空蔵菩薩 求聞持法】

 求聞持法本尊 虚空蔵菩薩
(虚空蔵菩薩 求聞持法の本尊)

このところ易などの勉強をしている。易理を使って療術をやる名人もかつては居られた。特殊な神術にも通じる技法であり、僕はそんなものも復刻したいと考えている。

易をやっていると急速に直感が働くようになる。来院する方に問診をし、あるいは受診表を基にして状況を聞く前から、問題がどういうことなのか分ってしてしまうことがある。

その昔「寝釈迦さん」と呼ばれる易者がいた。野口靖充氏である。この方の筮法は非常に面白いものであったが、頷くところがある。また観音御籤というものをよろしく使う人もいた。くわしくは野中操法研究会第三部でお話しようとかと思う。

この9月から、つまり今日からだが、滝行気合の練磨もはじめてゆく。現在チベット密教の特別な行をしており、或る祈願真言を11万回唱えることをやっている。実は今日の話題は、先に記した易に関係することであり、所謂易神に通じる法に関連したものである。

あの有名な高島嘉右衛門(たかしまかえもん)は、鬼神の感通ということを説いている。心の働きを「鬼神」と言っているのである。鬼神感通ということが、易の百発百通の秘訣だと、易名人の高島翁は述べているのである。

そのようなわけで、僕はこのところ密教の法である「虚空蔵菩薩 求聞持法」という法に着目し、自分なりの工夫をしている。正式には「仏説 虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。あるいは「求聞持聡明法」(ぐもんじそうめいほう)。この法は、弘法大師空海が若い頃に修行して、成就したというものである。彼はそれ以来、聞くこと見るものを悉く諳んじたと、その著書「三教指帰」に述懐している。有名な「谷響き惜しまず、明星来影す」というのが、その一節である。

この法は密教の法なので特別に伝授を受けなければならない。正式な修行をするには、在家ではできないので得度して密教の僧侶にならなければいけない。そこまでやった人には、この法を伝授してくれる所を紹介してもよい。

さて僕の工夫した方法は、本格的な密教の法ではないが、非常に実利的なものであり、在家でも出来るものだ。とても神秘的な法である。この法の起源はインドであると思われる。日本の神術系統にも、中国にも、チベットにもないものでユニークだ。

虚空蔵菩薩を念じて真言を唱える。金星(明星)を使って行う修行、一種の瞑想法である。この簡易的な法でも、行うと「第三の眼」が刺激されるのを感じる。そして感が鋭くなる。易の卦を得るのに精神統一が行いやすくなる。このことは体験すれば分ることだと思う。

あす9月2日に今後の予定を発表します。


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