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  • 2012.12.01 Saturday
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高知巡礼叢談(7)【是れ 巡礼の果てに受けし秘訣】

高知巡礼叢談(7)【是れ 巡礼の果てに受けし秘訣】


名人謹製の法螺と大峯山尊形図

本年の4月末から5月はじめの高地巡礼において、神山の登拝礼拝法が完成し、その事実から出生したる修道秘訣、ここに公開す。

熟読玩味せられたい。教える人には教えるし、今生にその縁(えにし)の無い者もおるかもしれない。それでも秘文を読めただけでも幸いである。

普通に暮らしていれば、一生ご縁が無いシロモノである。

稀に自得する者はあるだろうけれども、これは萬に一つの僥倖なり。

わが弟子門人たちに幸いあれと思うばかり也。

茲に秘中・秘訣の秘書の一文を教示す。

『夫れ人の生るるや皆各々好む所あり。是れ天賦の質也。其の好む所に随ひて其の道を修すれば則ち竟に其妙に入る。天賦に逆ひ己が質に有らざるを修むれば則ち中道にして倦む。故に人たる者は天賦の質に随ふべし。夫れ天賦の質たるや各々異れり。或は石工に生れて又其質ある者、勤めて其道を修得すれば則ち大石を切砕するに鉄槌を揚げ労せずして其妙を得る也。或は樵夫に生れて又其質ある者、勤めて其道を修得すれば 則ち大木に登り其枝を歩むに恰も鳥の如し。是れ其妙を得たる也。又其の好む所に随ふ者は必ず又其師有り。又真に玄道を好む者、又其質有りて倦まず屈せずして道を求むれば明師に遇ひて又必ず得る也。其道を信ぜざる人は亦大抵其事を修せざる也。好む所の善否は稟くる所を判じ、又好む所有らば之を霊魂大小の数篠に稟く。其中尤も修し難きは天神玄一之道也。此道は萬殊の太祖にして、信を有せざる者は近づくこと能はず。又石工樵夫等に至りては信を有せずと雖も又妙を得る者有るは是則ち修錬に有り。玄一の道は信と修とにあるのみ。』

難しいところは敢えてそのままにしてある。

本来、本文は旧字にして、全文が漢文である。

このくらいの漢文をすらすら読めるようでなければ、道骨とは言えない。

石工の秘訣は、『石の目を見る』ことにある。それができ得る質こそが肝心だ。お分かりか?

これらの教示は、すべて真の神真とも言うべき方々の、師仙啓導の事実によって為されているということである。

偽者ばかりの、この世にあって本物に邂逅した喜びを知れ。

ネコマルカフェ(その2)【豆ご飯を作りました!】


豆ご飯を作ってみました!

川島金山 手製
 

高知巡礼叢談(6)【大山祇神社奉賛会の発足へ】

高知巡礼叢談(6)【大山祇神社奉賛会の発足へ】

わたくしは高知土佐の文化研究会の発足を弟子の松浦・松本両君に指示している。

発足の当初は、わたくしが主幹で彼らは主幹補佐という立場である。理事・幹事には先達方にお願いしたいと思っている。

修道ということで言えば、神山へ登拝や霊境への巡拝。あるいは四国八十八箇所(お遍路)の同行、石鎚山登拝やその他の霊域への巡拝、また『虚空蔵菩薩・求聞持聡明法』 の実践等々も行いたい。このような修道・巡礼に供するのが、文化研究会の担う内容の一つである。

わたしとしては、高知土佐のすばらしい文化は、高知の人間が理解し広告すべきだと考えている。自然・文化・土地・資源・宗教的文化など、知られていないものが、まだまだあるのだと思う。

この文化研究会の活動の端緒として、大山祇神社を奉賛する会を設立したいと思う。わたくしと行動を共にし、神山に登拝したい希望者や、賛助したいという方は、奉賛会に講員として参加していただきたい。

山の調査や資料づくり、設備の修繕などに講費を投じたいと思う。

山の神祇の最高神は、大山祇神である。いつも言うが、山はサンと読み、転じて『産』ともいう。産物というであろう。すべての聖なる者たちは、山や砂漠・洞窟に籠もる。このことは由縁あってのことなのである。


高知巡礼叢談(5)【秘儀 神道灌頂を創生する】

高知巡礼叢談(5)【秘儀 神道灌頂を創生する】

先般、血脈相承の結縁灌頂を行った。わたくしの行った灌頂は、単なる密教の相承灌頂ではない。ここのところを間違えてもらっては困る。

現在の日本密教では、結縁・受明・伝法・学修という灌頂儀式がある。

だが本当は伝法灌頂の上に、秘密三昧耶がある。これを『以心灌頂』といい、心から心へ法身の悟りを伝達するものなのである。

こういう力を具えた、密教の師匠が居たらお目にかかりたいものだ。結局のところ、法力があるだの霊能力があるだの言っても、肝心要(かんじんかなめ)の法の根源は無くなってしまっている。これが現代の環境というものなのである。

師匠のほうが三昧に入り、『心の本性』でもって受法者と対峙する。それは一瞬の出来事である。あまりにも儀式化したもののなかには、もはや本質は存在しないのであろう。

この『以心灌頂』の復活、さらに『神道灌頂』の創生をわたしは企図する。しかし、それらはすでに完成しつつある。頭の中では、構想が出来ているし、情報・環境も整ってきた。


密教を深く信仰した後醍醐天皇図像(金剛杵を持す)

わたくしのいう『神道灌頂』について一言言及すると、これは中世に行われた天皇の即位灌頂ではない。

中世に我が国の天皇は、即位灌頂というものを行ってきた。それは孝明天皇の御世まで継承されてきた。二条家が宗家となり天皇に印真を伝授したのである。

慈雲尊者飲光も密教僧でありながら、神道灌頂・即位灌頂について深く研究し、自らを葛城山人と称していた。密教の奥旨が神道だと彼は主張した。

だが、わたくしのいう『神道灌頂』は、これらのものとは違うのである。それはどういうものかというと、神界に直結した霊地において、『神真降臨の秘法』を修し、神界に感応した上で、秘詞を修唱し、直接的に神祇・神真と結縁を得て、お力を頂くというものである。

人間の作った寺や神社で行うものとは、全然次元が違うのである。おわかりであろうか?

これで『ピン』と『キリ』が揃った。ピンとキリが分かれば、ピンとキリができれば、どんな芸事でも技術でも、あとは簡単なものなのである。(※ピンが血脈三昧耶相承の結縁灌頂、キリが神道灌頂ということである。訶々)

今回の高知巡礼は、こういう内容の完成を含む旅であったということである。
 

時代の大転換!金環日食【灌頂儀式の成就とプレアデスへの祈り】

時代の大転換!金環日食【灌頂儀式の成就とプレアデスへの祈り】 

戒法を授ける(初見三昧耶の祈り)

灌頂を了えての法話(修道の真髄をはじめて宣説す)

さる5月20日(日)灌頂儀式を執行した。

この灌頂は、密蔵の法門につらなる為の、いわば結縁を得るためのものであるが、同時に密教だけでなく、真の正法・神法の真髄に直結しているものである。

したがって他の教師ではできない方法(灌頂式)である。

そのことの本当の意味・秘密を灌頂式の後の法話にて解説した。短い法話をしたのであるが、その中では法のエッセンスが語られ、修道の真髄をも解説したのである。

この法式の流儀を形成している一団は、日本広しと言えども、わたくしたちだけである。

今から50年100年経ったときに本当の価値が解かる時が来る。わたしは、それで良いのだ。

この門流の法を修道する者は、ひたすら自分の修行に熱心になるがよい。

世の為、人の為ということも実践の過程ではとても大切なことだが、一番大切なのは、自分が修行を積んでゆくことである。

もっと徹底して言えば、自分の身体の内側に、真に一なるもの、悟りと気の充実、三昧耶戒体を創ることである。

心が落ち着くとか、安心するなんていうものは根拠が乏しく、虚ろいゆくものだ。自分の中に根拠を創造してゆくこと。これが修道というものである。

灌頂儀式をやっていて、とてもおもしろいことがあった。わたし自身の記憶というか、かなり古い記憶が甦ってくるのだった。

助法を2名の弟子に頼んだのであるが、その彼らの動きを見て、やはり相当古い記憶にゆき当たった。

この日、合計16名の方々が、正法結縁の灌頂を受けた。本当に良かった。

真言・本性のお加持、金剛杵・御霊水・御鏡の灌頂授与を行った。

之法は、古今東西にある通過儀礼のようなところもあり、これによって生まれ変わりの儀礼を施したとも言えるのである。だが本当に生まれ変わったのではない。そんな簡単に生まれ変われる筈がない。本当の再生は実に『懺悔・懺愧』によって為されるのである。

儀式終了後、直会(なおらい)を行い、皆さんがお供物として奉献した物々品々をおさがりとして頂いた。とても楽しく歓談し、親睦して散会した。

そして今日は、金環日食である。天体ショーということで全国この話題で持ちきりだった。

わたしも早起きして天体観測だった。曇り空であり、ダメかと思っていたら、按配よく雲が薄くなり、日食をみることができた。その前後、鳥たちが異様に騒ぐという事があり、野鳥は敏感なので、天体の異変を察知したのだと思ったし、鳥同志で何かの会話をしているように聞こえた。これは本当に分かりやすかった。

日食の間、わたしはマントラや秘呪を唱えた。一唱すると功徳が何万倍にもなるからである。今日の功徳倍数は例えば1億倍とか1兆倍とか、そういう単位だと思う。

そして、地球・月・太陽と並ぶ線上に、プレアデスがあるといわれていたので、わたしは全霊の祈りを捧げた。新たなる時代の幕開けの吉祥を祈ったのである。

宇宙太霊、太陽神界、月神界、神真・神祇・大神仙・宇宙の彼方に住む賢聖に地球人類が霊的に進化してゆくように祈った。

わたしの眉間の部位には、はっきりとこの祈りの応答が刻まれている。一種の気のようなエネルギーの応答があったのである。ほんとうに昨日といい今日といい、不思議な体験だった。

わたしは次のように繰り返し回向した。

『すべての生きとし生けるものたちに、この功徳を回向します』
『すべての生きとし生けるものたちが、真の解脱の道とご縁ができるように回向します』

金環日食が終わり、とてもさわやかな風が流れた。何かが変わったのである。わたしは次の時代が遂に開かれたことを今ひしひしと感じている。


金環日食の瞬間(5月21日撮影)    プレアデス星団

密蔵開陳(その2)【五種三昧耶・五種の灌頂】

今回、三昧耶戒を授与する。狭い道場で行うものなので、設備も充分でないが、これは将来への第一歩ということである。

修行者はこの先、『受明三昧耶灌頂』を受けて、本格的な修行に入り、加行を修行する。これには100日間はかかる。しかしわたしのところでは、250日間やってもらうのが規則である。

しかし、在家用の便法も考えている。250日間行うのは、あくまでも専門の密教僧になる者の場合である。 

今回の灌頂でお分けする霊薬は『大瀧霊境の霊水』に溶かして与えるものであり、神仏冥合せる『加持霊水』である。この霊薬の威力は、生き物を16回以内の転生で成仏させるものである。

本当に修行を望むものは、次の『受明三昧耶』までゆくことが肝要だ。しかし、これはなかなかハードルが高い。だが、一念発起すれば、可能であるかもしれない。奮起を期待するものである。

三昧耶・灌頂には、古来五種類ある。

究極は、導師の心から心に伝達するものなのだが、その他に霊境・神域において神霊から直接来る、神道灌頂がある。これは、灌頂のなかでも最上究極のものである。

さはいえ、今回の三昧耶灌頂は、事の始まりである。正しい道筋がここから出てくるのである。

準備も案外大変なので、次回は未定である。時機が来たら、また行うかもしれない。

密蔵開陳【三昧耶戒を授ける(五種三昧耶)】



『縁なき衆生は度し難し』とは昔からよく言う台詞だ。

縁を結ぶこと得ることを『結縁』という。仏・法・僧にご縁を得る。

縁はどこからくるのか?

それは業からくるのである。業は何によって作られるのか?

『思と思の所作』からくるのだと、仏の教えでは説くのである。

要するに、自分の行為がそのまま自分に返ってくるということだ。

密蔵とは、秘密仏教(密教)のことである。

密教をして金剛乗という。金剛とはダイヤモンドみたいに堅いもののこと。金剛乗とは徒歩や自転車ではなくジェット機やロケットみたいな高速の乗り物である。何が高速なのかというと、悟りを得るのに速疾なのである。

密教の諸尊(ホトケ)は、すべて『密号(みつごう)』がついている。大日如来は『遍照金剛』、如意輪観音は『持宝金剛』、多羅観音菩薩は『悲生金剛』という具合だ。

そして修行者にも或る時期に金剛名がつくのである。『〇〇金剛』というように。

三昧耶を得るということは、金剛を得ることである。

受法者は、金剛を授けられて、戒を受ける。是れ『三昧耶戒』である。

5月20日(日)この儀を執行する。
 

改定版 高知巡礼叢談(4)【土佐 ものの怪 語り草】

高知巡礼叢談(4)【土佐 ものの怪 語り草】 


(高知土佐の夜明け・名勝 桂浜・浦戸龍王宮から撮影)

今回の高知の旅では、お世話になった(いつもさんざん御世話になっております)、松浦家のファミリーと会食交流ができました。

毎度毎度、大変お世話になり、いつも何のお礼もできず、同行者は皆、心苦しく感じていると思う。今回に限らず、高知の宿舎は松浦家の別宅であり、自家用車も融通無碍にお借りしてしまっている。松本君の自家用車とあわせて2台での移動だが、山道を走る都合上、仮にレンタカーを使用したのなら、全行程でどれくらいの費用がかかり、且つ車も傷だらけで、そのことを考えると計画は成立しないという算段がつく。

また安全性の確保や、天候における的確なアドバイス、これが一番の難関なのである。はっきり言って天気予報はあてにならない。松浦君のお父上は、この地域に子供頃に住んでいただけでなく、お仕事の都合上、高知の天気天候に精通している。

我々一行にとっては、最も力強いアドバイザーであり、よき相談者なのである。いい歳をした者達が、巡礼とか言って、山登りをする。普通ならば変人扱いだが、御子息との信頼関係があるので、わたくしたちを見守ってくださっている。いつも黙ってみている。けれども行動のおおよそを見当をつけておられて、それがまた決まって的確なのだ。これは常に驚くことだ。

今度、土佐高知にゆくときには、もう少し気のきいたおもてなしをしようと思う。先達のみんなと相談して、本当の意味でのお礼をしたいと思う。

現代であっても、善い状態でゆくことは困難なことをやっている。山の下の地域で晴れていても、山の上は曇りであり、頂上付近のみ雨、ということは少なくない。装備、決断、慎重さ、信仰心が要求されるのである。助けてくれるのは自分しかないのである。仲間のありがたさがよく分かるのが巡礼の功徳というものだ。

さて、先の松浦ファミリーとの親睦会だが、少々のお酒も入り、いろいろなお話を聞くことができた。

その中で、注目したのが、『山での奇怪な話』『(各種)妖怪・物の怪の話』『神社の火の玉』『うみ坊主』等々、もののけ話に花が咲いた。

殊に『しちにんみさき』の話は有名である。

長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の忠臣・吉良親実(きらちかざね)は君主の怒りをかい、小高坂(こだかさ)にて切腹を命じられた。天正16年10月4日のことである。親実は、つかいの者から君主の命を受けると、それまでさしていた囲碁を一局終わらせ、そして風呂に入り身を清めて、判膳を食し、切腹した。時に27歳であったという。腹真一文字にかき切り腸をつかみ出すところを、検使(けんし)の宿毛甚左衛門(すくもじんざえもん)が大刀を振りおろし介錯した。その後、親実の慕う者たち7人が次々と切腹させられた。この怨霊の一団が『しちにんみさき』であるという。本来は7人ではなく8人なのであるが・・・。

ここまでは、土佐でも普通に言い伝えられるお話だが、ここからが違う。

松浦君の母方のおじいさんの話で、海で何か火(火の粉?)のようなものがチラチラと見えるのだという。暗闇の向こうに見える。こちらに近づいてくる。これが『しちにんみさき』だというのである。

そこで一息咳払いをする、あるいはタバコを吸うのだという。そういうように一息入れることが大切で、怨霊は去ってゆくのだという。これは実際的な話で面白い。多くの有用なマジナイにこういう類のものがあるのである。

『うみ坊主(海坊主)』の話もあった。

『海坊主』はタコのようなものではなく、海の中でものすごく広い面積を持つを魔物であり、平らな状態でスゥーっと水面に浮きあがってきて、船を転覆させるそうである。

このことは東北などでも伝承されていて、近代の天台宗千日回峰行の先師・箱崎文応師も海坊主の遭難事故で多くの漁師仲間を失い、仏門に入ったことを生前話されている。
 

現実的な解釈もできるものであるが、それだけでは説明のつかないこともある。

朝4時半に深山に分け入り、真っ暗な中、少しばかり車中で待機したのだが、それは恐ろしかった。もしあの山道の向こうから何かが来たらどうしよう。そんな思いにかられるのだ。

わたくしも20代真っ暗な山に一人で入って修行したことしばしばであり、その時の恐怖はいまでも昨日のように憶えているが、土佐の山の深さは半端ではない。山の標高も高くて、底知れない凄味があるのだ。

それに今だから言えるが、気と言うのか、誰かが山の中から見ているという、目線・眼光をはっきり感じていた。それは野生の動物でもあるのだろうし、それだけではない気も感じていた。

わたし自身、霊境に行く途中の真っ暗な山道で、樵(きこり)の男たちのような、複数名の声を聞いた。

他には、庄田先生や松本君が、山頂にゆく途中で、誰もいないところから男性の読経する声を聞いている。

今回、わたくしは金剛鈴(行者鈴の代用)を腰にぶら下げた。やはり、山の修行では、行者鈴と法螺貝が必要である。法具というのは、昔から伝承されているものだが、やはり必要があって持参するもので、実際上の効果があるわけである。このほかには、金剛宝剣、鏡など持参するべき法具がある。

また女子についてだが、『変成男子』の秘法・『千手法』を受法する必要がある。少なくともこれを21日間(21座)行うことが重要なことである。

高知には、まだまだ手つかずの自然や美しい水がある。『ものの怪』たちも躍動している。この自然や山の信仰を日本の財産として遺してゆかねばならないと考えている。

最後になりますが、松浦家の御一同様、いつもほんとうにありがとうございます。心から御礼を申し上げます。

謹んで川島金山しるす

滝行気合3年目からの鍛錬【金剛の気合を練磨する】

5月13日(日)、塩川の大瀧にて、『金剛の気合』の鍛錬を行った。

この気合法は、真言密教の核である音響の秘密をつかむ為のものである。

大体に於いて、真言僧は五萬と居るけれども、真言・音響の秘密を鍛錬している者がどれだけいるのだろう。

大本山でも、資格だの就職だの、飯を食ってゆかねばならない、等などおよそ其の程度の坊さんばかりなのである。

法の力なんぞ有している本物などほとんどいない。形式ばったことしかやらないし、肉体を追い込んだり、眠気を抑えて頑張るのを修行だと勘違いしているのである。

最近、大本山の修行僧の中核の連中と談判したが、話していて耳が腐るわと思い、あきれてものが言えなかった。

わたしのところでは、真言秘密の修行だけでなく、本物の霊法も修行する。本物の修行者を養成してゆく。誰もやらないのであれば、自分がやる。わたくしはそのように腹を括った。

気を与える、気を通すというのは、つまりは気合なのだが、気合の本質は、音響にある。もっと言えば、呼吸にあるのだ。呼吸は音であり、真言(マントラ)であり、気であるのだ。

このようなエネルギーに属する分野に取り組む者を、広義の意味で『密教者(タントリスト)』というのである。

気合の体得の一番の早道は、『金剛の気合』をつかむことである。

滝行気合法の指導3年目からは、この真髄を鍛錬してゆく。それは密教霊術の王道をゆくものである。

※なお、邪教・インチキ宗教についても詳細なお話をしました。
 

高知巡礼叢談(3)【大山祇大神との結縁成就す】

高知巡礼叢談(3)【大山祇大神との結縁成就す】大山祇神奉賛会の立会



 



この度の巡礼では、神秘の霊境との結縁が一番の眼目であったが、大山祇大神との直接的な結縁もあり、道福は多大なるものがあった。

山の神は、産神といい、ものを生み出すところの神である。同時に産神は「三神」に通じる。佛仙のほうでも、必ず本山は、閑寂な山系にあり、寺院の号には山号がついている。

「△△宗〇〇山××寺」という具合である。

山の最高神が大山祇大神であり、海の最高神が大綿積大神(おほわだづみのおほかみ)であるが、共に龍蛇体の大神である。祖神は、迦具土大神ということになる。

大綿積大神は、豊玉彦大神であり、三柱の神の総体をいうのである。

また、谷などの大神こそ霊境におわす大龍蛇体の神祇である。

山・海・谷川それぞれに龍蛇体の大神がいるということなのだ。

その中でも大山祇大神は特筆される。この神との結縁によって正神界とのむすびつきが得られるからである。

今回、この神との結縁により、物理現象を伴う、摩訶不思議な出来事があった。神霊現象と言ってよいであろう。詳細は、このようなブログ記事上では、披瀝することはできない。わたくしが直接お話しする機会に接するよりほかないであろう。

「神真感応」の秘伝をもって、山上の各御社を丁寧に拝礼した。この山上巡礼は修道になっており、実に不可思議な効能がある。山の神や関係ある、神々・大神仙と感応があることはもちもんのこと、『成仙』必須の威力を備えている。このことはわたくしから口伝で教授されるよりほか掴むことはできないであろう。

今回の同行者全員、風速15メートル前後にもかかわらず、よくぞ断崖の鎖場をよじ登った。

我々は、すごい風の中、山々に気合法でもって祈り、見事に活路を開いた。山の神は、命がけの本気の気合を受け取ってくださったのである。

『自然智の会・大山祇神奉賛会』の立ち上げである。
山の修行を志すものや、立会の趣旨に賛同した方は、是非ともこの講組織に入講していただきたいと思う。
 


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