密勝顕劣・円密一致とは
空海の真言宗開宗、それは久米寺での『大日経』講演であるとされている。最澄に会う前のことである。弟子たちの奮起により空海は上洛の許可を朝廷より賜った。
朝廷に『御請来目録』をまず上奏し、次に唐の仏具や書籍など、未だ日本にはないものを献上した。これが相当に皇族や貴族に効いたのである。だが、誰がその道筋を付けたのかといえば、それは日本天台宗の開祖・最澄法師である。
その意味で最澄は日本仏教、祖師仏教の根本教師と言ってもよいのではないかと思う。空海ですらその仏道一途の気概によって道が開かれたわけであるから。
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淳徳は例によって、師匠の命により急いで叡山の麓、坂本に降りてきた。すでに安全ではあるが、万が一ということもある。根っから真面目な淳徳は空海を前にして口上を述べた。外であるのに関わらず、地に伏して平伏し、頭を上げ得ず、まさにくどくどと口上を述べるのであった・・・・。
「秘密宗、天竺唐土大和、三国伝燈阿闍梨、第八祖空海和尚さま。比叡山にご来臨遊ばされ、日本天台宗、唐土天台直々嫡々の法蓮華経の唯一法師、最澄上人白蓮座下。それがしは最澄法師の仏祖嫡々の愚禿弟子・僧淳徳にございます。ただいま師僧よりのお言いつけにより参上しました由は・・・」
こうして口上が続く中、空海は笑って答えた。
「あなたの御師僧さまに、早く会いたいもの。さっそくではあるが、ご案内していただこうか。お出迎え感謝します、淳徳殿」
淳徳は口上読みが途中で制されて、口を開いていたが、それをみて空海は明るく微笑んだ。
「うむ、ゆこう。比叡のお山頂上に。我が国の仏道を興隆せしむるのだ。はっははは」
淳徳は思う。わが師とは聊か違う。生一本は同じだが、何かが違うのだ、空海様は・・・。
しかし・・・、と淳徳は思う。この偉大なお二人の出会いによって、この国の歴史は変わってゆくのだと。
「御師僧さま・・・。この二人が良円と良泰であります」
二人は言いつけ通りに替え玉役を演じた。そして事が済んだら比叡山に来るように言われていたのだった。淳徳の記した添え書を二人は持っていた。
「うむ、貴殿らのことは、良範から聞いている。良義さまからもだ。法器に成り得るものが、貴殿らには備わっている。よく修学し磨くように。時至れば、我が法門に直入(じきにゅう)の機会があるであろう」
空海は凛として宣べた。
「はっ、是非とも密蔵を学びたく存じます」
二人は挨拶をあらかじめ用意し、同時に言えるようにしていた。
「密蔵の伝授に規則あり。10歳以後『法相・三論』の道に入らしめ、しかして後、数年を経て十八道を授く。その歳、40歳にしてはじめて金剛・胎蔵の大法を授ける。よいか、これが恵果大阿闍梨さまのお教えである。よく肝に銘じて精進せよ」
空海はそう言って、二人を見た。黒曜石のような瞳であった。
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「おお、これはこれは、比叡の山に御来駕いただき忝く申し上げる。先だっての密宗経論、未見のものゆえに判別できぬところもあり申すが、ここより法宝の仮借、感謝致す・・・」
「いえ、最澄殿には、我が道を理解いただき、開いてくだされた、心より感謝するのは、拙僧のほうでございます。経論は仮借ではなく贈答です。お納めください」
横で聞いていた良範は、すかさず口をだす。
「大法師・最澄さまにおかれましても、師僧空海さまにおかれましても、お疲れと存じます。今日のところは、これまでにして明日にまたご両氏の論説など交換されれば幸いかと・・・」
最澄も良範の機転に圧されて同意した。
「良範、最澄殿との
『密勝顕劣・円密一致』の論戦はどうやら避けられぬな」
「いえ、大丈夫です」
「明日の叡山での論議は、こちらに利がございます」
良範は確信をもって師僧空海に報告した。
※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。