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- 2012.12.01 Saturday
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幻の書『神鑑法』『真鑑法』を合冊製本した私用本
秘伝;『真観法』を研鑽してゆくにあたり、先ずは私用の本として製本してみました。どうですか、皆さん良い出来でしょう。
「こういう企業努力が大切なんだよな」とわたくしが言いましたら、側近Rが「利益を追求していないのだから、企業とは言えない」と突っ込みを入れてきました。
わたくしは一瞬なるほど!と思ってしまいましたが、すぐに「物質的ではない利益を追求しているのだから、企業努力と世間の用語で言っているだけだよ」と詭弁を弄してしまいました。
国が将来の年金給付の為に、消費税云々言っている、このご時世に「日本的な力の根源を遺してゆく」なんていうのは、まったくもって時代錯誤・頑迷不霊です。わたくしは「化石」「石あたま」なのでしょう(笑)
だが『真観法』は、間違いなく人類を利益します。これは、日本独特の観察の知恵でもあります。
整体のほうに『遠隔輸気』というものがあります。方法としては、具体的には「遠隔気合法」になるわけです。しかし、整体では『心の距離』ということを言います。その距離が無くならないと遠隔はできないというのです。
本当にそうでしょうか?
整体の開祖がそういう様に言う。すると後の中途半端者が、同じことを言い出す。あるいは気を感じるのです、みたいなことを言い出す。本当にそうなのか?
人間、洗脳されておりませんと、便利なもので、ここは違うなと判別ができてしまう。その意味で、野口整体などは、すでに見切っています。どこが貴重で、どこが怪しいのかということを。
一言で言えば『神鑑法』の遠隔感応法で、鑑定すれば、人が死んでいるのか、どこかにいるのかも自在に分るものです。野口先生などは、『心の距離』などと言いますが、それは組織防衛、詭弁です。
ズバリ『神鑑法』で分るのですよ。『あらたなる真観表の作成』ここからわたくしの【整体療術(霊術)の革命】は始まる!
昨年11月末に、神拝中『瑜伽の修行をせよ』という強烈な意思が認識された。確かに自分の発想していることなのであるが、強烈な意思なのである。
つまるところ『霊法』の核は、瑜伽(ユガ)ということに尽きるのであろう。ヨガ・ユガは通常『ヨーガ』という。『結びつける』と意味である。
何と何を結びつけるのかというと、『ブラフマー(梵天)』と『アートマン(真我)』である。ブラフマーは『宇宙の太霊』、アートマンは『宇宙の分魂』というように理解すると分かりやすい。
大宇宙の太霊から分かれ、我々は生命に与れる。わが国の『古事記』の教えに似ているが、ほぼ同根のものである。
インドなどにゆき、本格的にヨーガ(瑜伽)の修行に入ろうとした方はご存知だと思うが、奥にゆくと、ここから先は女性は入れないということが出てくる。事実あるのである。日本の修験道などでもそうである。
さまざまな修道をしている欧米や最近の日本女性も、こういう点に噛みつくことが多い。
確かに昔、差別を受けていたということはあると思うが、身体の構造が違うので、修道の仕方の違いが出てくるのは当然という点もある。
共通に行うべき修行もあるが、男女で種類の違う修行もあるのである。太真西王母は、そのことを太古の教えで示されておられる。
すなわち『神僊房中瑜伽法』である。本来の名称は『房中法』『房中術』なのだが、修道法としての内容を示す為に、わたくしが敢えて名付けた名称である。
作家・井上靖さんの作品に『崑崙の玉』がある。
西域小説ということだけれども、ほかに『聖者』『古代ペンジケント』『古い文字』などが収められている。
次のような文章がある。
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黄河の河原を積石附近の高山とするか、あるいはそれを遠く異域に求めて、于眞南方の葱嶺(そうれい)とするかは、誰にも判定できぬことであった。
五代、宋、元、清各時代を通じて、常に両説が行われていた。黄河の河源がどこにあろうと、河源だけのことならさして問題はなかったが、それが玉と関係を持ち、崑崙山と関係を持っていた。殊に崑崙山は漢代には西王母伝説と結びついて、そこに西王母の住む楽土があるとされていたが、時代が降るに随って、道教、仏教の思想が混入して、永遠の不死の神仙郷が想定されたり、極楽浄土が想定されたりするようになった。
もはや単に玉を産する山としてだけでは崑崙は考えられなかった。道教信者も仏教信者も、できるなら崑崙山の所在を確め、そこを訪ねて行きたかった。そこが遠い異域の地なら、その土を踏むことは思いもよらなかったが、若し漢土にあるなら、そこを訪ねて永遠の生命を持ちたかったのである。
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西王母、崑崙に魅力をいだく人は多い。
西王母は、陰の極。女性の代表、大元締めのような存在である。神界での地位も相当に高いとされている。
文中の葱嶺(そうれい)とは、中国の南、パミール高原のことである。
西王母といえば、玉(ぎょく・たま)であるが、我が会では、それにちなんだ和歌を「禊ぎ行」の際に修唱している。最近の行法次第には載せているので、知っている人は知っていよう。
男性修行者のみならず、女性の修行者に御力を加えていただく為に、崑崙の玉の秘歌(和歌)を唱えるのである。これによって女性の修道に供しようということなのである。