スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2012.12.01 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

改定 伊勢神宮鎮座に由来する大龍神【御尊影 飛瀧大権現八大竜王】


伊勢の大龍神;飛瀧大権現八大竜王の御尊影(巨大な御尊顔・龍眼(りゅうがん)が神々しい)

吾が会およびわたくし自身は、何尊かの『龍王大神』とご縁がある。

吾が会では、滝行法を修行の土台に据えているから当然といえば当然なのであるが。

その御尊神を列挙してみる。

1、高知手箱神境に御鎮座する「水霊総官海龍王之代命」(吾が会の滝行御本尊・御祭神)
2、寒川大社の御祭神;寒川大明神
3、塩川大滝の緋龍青龍大権現
4、奥多摩の九頭竜神社の御祭神;九頭竜大権現
5、潮江天満宮の八大竜王
6、土佐桂浜の海神界主宰;浦戸大竜王
7、土佐若宮八幡宮;大綿津見神
8、伊勢の飛瀧大権現八大竜王
9、高知の竜王之瀧の御祭神(ここは空海和尚が修行した滝である)
10、密教の行法としての龍王。倶利伽羅龍大王(不動明王の変化身)

地仙、国津神の神術や密教を体得しようと思うのならば、龍神の力を借りないと成就は難しい。なにせ、水と火という事物を使っての修行が主になるから、龍神の感応なくしては実践しがたいのである。

なぜ地仙・国津神の修道・修行が必要なのか?それは本物の『玄胎化作』を成し遂げる為には、錬行によってそのような「胎」をつくる必要性があるからだ。神上がりするためには、それよりほかには道がないということである。

龍王大神から御力を頂くには、龍神印言・龍神祝詞・諸龍真言、できれば海神界秘呪の修唱が望ましいのは、諸人の知るところである。


第2回 霊学秘伝合宿の模様

 

大司命節の行事【出雲大社分祠社への参詣(秦野市)】

本日、出雲大社分祠社である秦野市;出雲大社を参詣した。

その前に、参加者12名と共に、塩川の大滝で『祖霊冥福祈念・滝行禊ぎ法』を行った。

わたくしは、昨日の早朝に出雲から帰途に着いたのであった。準備などして、そのまま皆さんとお滝参拝に出かけたわけである。しかし、疲労感は感じなかった。

霊法を追求して30年。ご縁のある皆さんの祖霊の霊格向上・その方自身の境界に進捗を思うとき、そのことに役立っているということだけで、勇気が元気が出てくる。修行者としての幸せはこういうところにある。ご縁ある方のために、差別なく祈る。ここに行者の面目がある。

塩川の大滝社の尊前で、例によって護摩法を一座行じる。この護摩は、神仏や土地神・ご眷属へのご供養である。同時に、修行者の「内部の火」に霊力を点ずるものでもある。霊符の密用により、体内の悪気・邪念を祓い、外部環境の邪気を祓うのである。

いつものように礼拝し、『天の鳥船行事』を行う。祓戸之大神を念じて、禊ぎをする。

今回は、祖霊の冥罰・冥罪・冥咎などを、滅罪し生善する目的で修行した。こういう滝行法もあるのである。ここには『幽理』が存在する。

自分の『霊魂』を清める。このことを皆さん理解し、よく修行していた。

しかし、中には「憑依体質」の人もいて、よくよく気をつけてほしいと思う。わたくしの指導が入った時には、みなさん素直に聞いて、指導の通りに修行していただきたい。

その後、八菅神社にゆき、礼拝。昼食を楽しく摂る。

出雲大社の分社である、秦野;出雲大社にゆき『大司命祭文』を読み、幽魂の安鎮を祈念した。

前日に島根の出雲大社にゆき、翌日には分社に参詣。このことで、はっきりと「気線」が繋がっているのが分かり、貴重な体験をした。

まだ、大司命節は続く。皆さんも祖霊の冥福・霊格向上、自身の境地進捗を願ってお過ごし下さい。

出雲大社参詣【代参のお役を果たす】

島根県の出雲大社(いずもおほやしろ) に到着。

皇神(すめがみ)たちの大司命節「幽政・幽事」をお祝いするため、また多くの祖霊や有縁無縁の万霊たちの霊格向上・冥福を祈念するために参詣した。

わたくし個人はもとより、幽政の期間にどうしてもゆけない方々の為の代参のためである。これは完全に恙無く修法することができた。

この大司命節の期間に出雲大社に来て、自分と祖霊の霊格向上を願うことは、人間にしか許されていないのである。大社に自由に出入りできるのは、人間だけなのである。

死後、或る霊界に入ってしまえば、幽宮としての大社にゆくことなど自分の意志では許されない。現界で、これが許されているのは、天皇という存在が、神界承認のもとにあるからなのである。

ここに日本国および天皇陛下の真の尊さがあるのである。

みなさんは、この「幽理」を理解できるであろうか。このことを知ることが、そのまま古神道を理解したということに他ならない。

ともあれ、わたくしは皆さんの祖霊の霊符を携え、代参希望者の祖霊冥福祈願をしたのである。特別な感通法・感通秘詞を密用して、大神に祈念したのである。

霊供・霊祭の恩頼(みたまのふゆ)・功徳は、陰の徳を育てる最たるものである。

兎にも角にも、「産土大神」にゆき、あるいは「遥拝(ようはい)」して、神府(かみのみかど)に通じてゆくことが大切である。祖霊冥福祈念も、この道理を踏まえて修することである。

今回もいくつもの奇瑞があった。機会あらばお話しすることもあろう。その瞬間を捉えた写真も何枚かある。それではこの辺で筆を置く。諸氏のご多幸とご健勝を祈って。
 
(追伸)道中にて『ねこ丸体操』と温泉で助かったことをご報告しておく(笑

伊勢にて【天照皇太神の神威】

伊勢に来訪す。

外宮・内宮、猿田彦神社、倭姫命神社、二見興玉神社など参拝した。高知で我々の道を開いてくださったのは「猿田彦大神」だった。

伊勢には世義寺という名刹があり「浴油供養」をやっている。ご住職が「易占」をしてくれるおもしろい寺院である。

今回も例に倣い、いつものようにお伊勢参りをした。殊に天照皇太神(内宮)の神威が強力だったのが印象的だった。

一つ残念なことは、この伊勢の地に、皇大神宮が鎮座まします時に、度会一帯(わたらい・伊勢)を浄化した大龍神がおり、その龍神がお祀りされている滝に行けなかったことである。

この逸話やその大龍神が祀られている場所は、余程の方でないと分からない。

凄みのある龍神様である。その名は「飛瀧大権現八大竜王」と申し上げる龍尊である。この尊の御真言を知っているのは、わたしを含めて、この世に2名しかいない。


(バスの旅)

奈良にて【密教の秘法を受法す】


(バスの旅)

わたくしは奈良にて、かねてからの念願であった、『○○○秘法』を受法した。

ご本尊の本身は十一面観音菩薩であり、この尊格は、そもそも神祇を密教の法にてご供養申し上げる際、代表的な仏尊なのである。

菅公や平田篤胤大人も、尊崇していたという経緯を持つ。

わたくしも希望は持っていたが、なかなか機会に恵まれることはなかった。機が熟し、法の伝授を受けることになった。

この尊の供養法で、一番有名で且つ霊験があらたかなのが、『○○供養』である。今回は、奥伝の観想法も受けることになった。

この法を受けることで、必ずや皆さんのお役に立つ機縁が生まれると思う。

すでに「次第書」は、読みこなしを了えて、復習を完了している。 

門に入る【太真東王父・太真西王母の授仙証を伝授】

11月8日をもって、先達衆に対して『太真東王父・太真西王母の授仙証』をお渡しする。

斯道の中興興隆を願い、太真西王金母大仙・須世理姫命(三体目)の開眼式の日に是れを行うことにした。

一日も早い、修道士の成長を願うものである。

11月8日は、大司命節の最終日である。まさしくお祝いの日なのである。神代の世界でも、この日には、祭典のおさがりを神々で召しあがった。

当月をば「神在(じんざい)」というのだが、要するに「神々が在る」から是くいうのである。この「じんざい」 が訛って、「ぜんざい」になったというわけである。

「幽事」の無事を祝い、神々は飲食をされ、神位の昇進もこのときに行われるという。是に倣い、斯道でも、位階授与などは、この時に行うのである。

「授仙証」を得るには、わたくしと高知神界の登拝をせねばならない。今後の登拝は、公表はしないので、申し込みなどの制度はない。わたくしが「仙」を感じたときに意志を聴くというようになる。

登るだけならば誰でもできようが、天と社に橋を架け、適切に各々の社を巡拝し、各所で相応の行をすることは、余程のことでないとできない。やり方がわからないのである。また、必要な祝詞や秘咒を入手し、正確に理解することは、ほとんど不可能である。

だから、ひたすら「霊魂」を磨くしかないのである。わたくしは秘伝を隠すものではない。中興を志しているのだから。だが神界の厳律は曲げることはできないのである。

秘法・秘伝は、秘咒・秘符と共にあり。秘密の教えは、我が会にあり。

太真東王父とは、畏くも「大国主大神」のことである。「幽事」において、中心的な役割を果たす、産土神の総大将ともいうべき大神である。

大国主命・須世理姫命の『授仙証』なくんば、本当の意味で「道に入った」とは言えない。

先達衆は、この秋の登拝をするにあたり、『絶対に先生をお山に登っていただく。何がなんでも登っていただく』という覚悟を決めて臨み、誓願を果たしてくれました。わたくしは、「霊聴」の世界において、このことは知っていました。お山に行く前から、知っていたのです。

彼らは、その誓願を果たしたうえで、わたくしに『門人願い』を提出しました。その夜、わたくしは『門人願い』を神前に置き、感涙にむせびました。

そのような経緯の上に、授与・伝授はあります。師と弟子・門人そろって道を整えてゆくことは、並大抵の覚悟ではできないことを、志ある方々はご理解願いたいと思ふ。

川島金山しるす

幽魂の安鎮【三つの関門を説く】

仏教などでは、三解脱門等というが、いまから述べることは、それとは違うものである。

仏教の解脱などというものは、神祇のほうの「得仙」「成仙」に比べたら、足元にも及ばないものである。

一昨日、「大司命節祭典」を執り行ったことは、すでに書いたが、その祭典の後にわたくしは講話を行った。講話のテーマは「幽魂安鎮の三関門」であった。

幽魂の安鎮には、三つの関門がある。

このことは知っているようで多くの人が知らない。宗教を本業としている人間も知らない場合が多い。というよりも大半が無知である。

死者のお弔いをして法外な冥加金を貪っている坊さんなど、霊魂の行方などには、まるで無知であり、「霊視・見立て」もできないのに、戒名料やお布施をいただいている。こういうことをしている連中は、死後に間違いなく「〇〇の一丁目」にゆくことになるでしょう。

幽魂安鎮の第一関門は、産土神のお計らいにより、厳正なる祓いを受け『ヒキュウ』と呼ばれる幽宮に赴く。ただし不徳の幽魂や神祇不敬、邪教崇拝の輩は、産土の神の導きは受けられない。不徳の者は、即、冥罰界や邪霊界・悪魔界に行ってしまう。

第二の関門にて、幽宮(「ヒキュウ」)に辿り着く。ここは大国主大神の幽宮であり、厳正なる取調べを受ける。

第三の関門。大国主大神の裁定により、各霊界に振り分けられる以後は、その界の厳律に遵う。霊格の向上などは出来ない。これができるのは人間のみである。
また、すぐれた霊魂は、少名彦那大神のご啓導受けて、大霊壽真などの神位をいただき、皇神(すめがみ)として司命(ウブスナ)の働きをするようになる。これはごく稀である。

出雲大社に参詣して、祖霊の霊格向上を祈念することは、第三関門の段階に至っている祖霊を助けることになる。すなわち、境界の遷移である。殊に大司命節の期間は重要である。

「完全無欠の幽魂安鎮秘詞」の威力の一つは、この期間中に於ける祀りにおいて発揮される。

また、第一関門は50日間であり、このときに密用するのが『霊魂安鎮霊唱』という大神仙直授の秘伝である。わたくしは仏教の49日間の密教の法も行うが、神法と仏仙系法それぞれの法式は、狙いと祭祀修法の対象が違うのである。この点、詳しい解説が必要である。

諸人よ、よくよく「三関門の理」を理解して、この期間の祖霊祭祀を怠らざるよう望むものである。

幽魂安鎮の神事【大司命節祭 恙なく御祭りを行う】

昨日、大司命節祭典を恙なく事執り了えた。

大司命の神々が、簿録の改定を行う「幽事(かくりごと)」 、いまはその期間である。

誰がどんな屁理屈を言おうが、11月8日から「万魂の運命改定」「幽魂の境界遷移」は起こるのであり、所詮人間の知恵知識など及ぶところではない。

治療の世界にいると、整体大好き人間などが寄ってくる。大体が、マニア仕様の人物であり、正直さや実直さに欠けている。自然な長い付き合いができないのである。

計算高く、目先ばかりを見ている。この頃は、こういう類の人間が来なくなったので、非常に助かっているし、気分が良い。

大司命節の御祭りを斎行するまでになっているから、清々しい方々しか今後は集うことはないであろう。

産土神のお働きをつかんで、実地に自分の中に正真の信を打ち立てる。こいうことを目指し、更につかんだ者だけが、「幽魂安鎮の法」を修することができるのである。

祖霊や無縁の霊魂を問わず、幽魂安鎮を導くことができるのは、正真の信を得たものだけである。

昨日、祭儀の直前に、特別な伝法を先達衆に行った。それは、「完全なる霊魂安鎮秘詞」の伝授である。彼らが、わたしの代わりに「霊祭」をできるようにという思いからである。

霊魂の供養をしてゆくと、陰徳が出てくる。微妙な幸運がつきまとう。特に修行の方面では明らかに現証を伴う。

彼らは、2年3年と、わたくしと共に「寒行」を続けている。このことについて、理屈はない。やったか、やらなかったのか、ということだけである。

秘伝は、個々人に伝授してゆく。これは当然のことだと思うし、諸人のご理解を願う。

遠当ての術【足柄で天狗をサニハをする】

先般の霊学秘伝合宿において、おもしろいことがあったので記すことにしました。

今回、わたくしたちがお世話になった滝場は、「夕日の滝」です。ここは、有名な金太郎さんが産湯につかった際に用いられたという水の源泉。1月15日には、夕日が滝壺の水面に映るから、是く言うのだそうだ。このことは以前にも述べたことがある。

この夕日の滝で、今回は2度にわたり滝行法を修行した。

第一回目は、合宿の開会にあたり、禊ぎ清めの行だ。

二回目は、最終日の締めくくりの感謝の行。

いずれも、仏仙系と神事を併用して入滝する、吾が会、独自の秘法である。同じことを行っているところがあったらお聞かせ願いたい。

昨年は、太真西王母の眷属たる、蜂の襲撃を受けた。今年は、先達衆第一の声明先達のA君が、「奉納 邪気祓い・神武演武」に於いて、凄まじい蹴りのよけのなかで、手を痛めた。寸分の間合いの攻防での一瞬の出来事であった。この事の起きた真の理由は、よく人知の為すところではないが、敢えて言えば、わたくしの身代わりということと、今回の伝法に当たっての人・物の、「邪気祓い」のためということだ。

夕日の滝の周辺には山がある。それも大天狗のお山(大雄山等)がある。足利の天狗の棲息地なのである。したがって、あの滝場にも多くの眷属天狗が往来するのである。

我々の行中、小天狗の数がどんどん増えていった。

滝行の前には、わたくしは一段護摩の法を修するのであるが、その時には決して「天狗真言」をやることはしなかった。というのは、修行者が20名からいる中で、わたくしの目がゆき届かない可能性を感じているからだ。それに天狗に懸られている方もいるからだった。

我が会では、天狗に憑依されやすい方が2名ほどいる。また、憑依体質の方も若干名おる。

昨年、このことは痛切に感じたことだからである。

天狗の世界には、奇法があり、その一つに遠当ての術がある。

その天狗界の遠当て法の秘文に『アンタリヲン ソクメツソク ビラリヤビラリ ソクメツメイ ザンザンキメイ ザンキセイ・・・(中略)・・・ザンザンダリ ザンダリハン』 とあり、唱えて後に一拍するのである。

禊ぎの大家であった、尾形学而先生も「遠当て」のできる行者だった。この種のことが出来る人は、武術を鍛錬している人に多い。

わたくしたちの宿舎から、「洒水の滝」に通い、修行されたのが、有名な青木宏之先生である。「遠当て」ができる武道家として知らない者はいないであろう。

洒水の滝も、夕日の滝も、独特の「霊物(れいもつ)」がいて、共通するのが、不動明王を拝していることである。不動明王の右手には宝剣、左手には索(縄)を持す。この剣と索で、縛り上げるのが「不動金縛りの法」であり、これも一種の遠当ての法と言える。

この場合の「霊物」は主に、天狗たちであり、山の精と言ってもよいと思う。

武道者が遠当ての法を行う。そういう場合、大抵が天狗が背後に憑いている。このことは今まで見てきたことなので、断言できる。

今回も、サニワして、天狗の存在が明らかになったということである。

ちなみに頭領である大天狗は、それなりの霊格を備えており、老人のような形相の場合が多い。


calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< October 2011 >>

selected entries

categories

archives

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM