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  • 2012.12.01 Saturday
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旧七夕行事を行う【8月6日(土)午後7時より】再び西王母像の開眼

川島金山 沖縄法要
(沖縄で鎮魂の祈りをする若き日の川島金山)
 

来る、8月6日(土)午後7時より、旧七夕行事を行い、西王母像の開眼修法を執り行います。

祈願会と講話も行う予定です。挙ってご参加下さい。

本気で叱る【三つ子の魂 百までも】(改訂版)

江ノ島から見た花火

今日のお話は「子供のことは、結局、親に問題がある」というものである。

昨夜、江ノ島海岸に散歩に出かけた。

理由は、急に散歩に行きたくなったのと、海に行きたくなったというものだ。そして、江ノ島は自宅から案外近いのだ。

16〜17歳の高校生の頃は、毎日のように海に行った。湘南の海は、わたしにとってはお馴染みだ。父方のご先祖代々は九十九里浜にずっといた。常に海と関わりのある人間だった。だから、子孫のわたしも、海を見ると何となく血が騒ぐのである。

到着すると、近くの海岸で花火大会をやっていた。何発も何発も打ち上げている。海の波の音と美しい花火、海辺は真っ暗だ。真夏の真っ只中なのに、すでに秋を感じ始めているから不思議だ。

帰途につくとき、多くの若者の姿を見た。挙動を見ていて、親の顔が見たかった。そして妙な匂いがするのだ。こんなことで日本は大丈夫なのかと思った。

そして今日。電車で出勤するときに、わたしの横に孫を連れたご婦人が座った。70歳前後だろうか?

わたしは本を読んでいたのであるが、そのうち孫が暴れだした。子供だから仕方がない。誰も注意などはしない。見て見ぬフリだ。それが今の時代のあり方なのだろう。

そのうちに、そのご婦人(おばあちゃん)のお顔を、3歳くらいの孫が叩きはじめた。一回二回ではない。執拗に叩くのである。10回20回と。

おばあちゃんがお止めなさいと言っても聞かないのだ。

わたしは一瞬考えた。この子の将来というものを。大人が子供を叱るのは簡単だ。だが叱ればよいというものではない。子供なりの理由がある。子供とはそういうものだ。

アカの他人の幼い子供を叱る。特にご縁があるわけでもないし、そんなことはしなくてもよい。だがである、この子は将来の日本を背負ってゆく人間の一人なのである。先に生きているものとして、何ができるのか。相手が子供だからではない。

腹いせに怒るのは良くない。だが「三つ子の魂、百までも」というではないか。昨日の若者たちのことが頭をよぎる。

その瞬間、わたしは幼子に対して『ダメっ』と叫んでいた。周りの人たちは黙っている、その場は静まり返っている。尚、執拗に叩こうとする子供に『ダメっ。ダメだよ。絶対にダメっ』と一喝して、全身全霊の気を眼から出して子供に意図を伝達した。『おばあちゃんを叩いてはいけないよ』。

この子が、執拗に叩く行為を能力に変える日を希望にしながら・・・。

おばあちゃんは、わたしに云った。
「この子はお母さんの言うことだけ聞くんです」と。つまり、親が言うことを聞かせるために叩いているのです。子供は何でやられているのか分からない。だから優しい無抵抗のおばあちゃんを叩いて愛情を確かめているのだと思う。

おばあちゃんには、『この子は活発な良い子ですね。大切にどうぞ・・・』と言って、わたしは下車した。わたしの行為が正しいのか間違っているのかは誰にもわからないと思う。

ただ、云える事は、わたしは日頃の修行のときと全く同じ心境で、その子供に相対し、全身全霊の気合を送ったということである。大人も子供関係がない。本当に祈るような思いだった。

叩くことは、薬になり、教育にもなる。しかし、間違ったやり方をすれば、子供の心を傷つけ、毒になるということを大人は知らなければいけない。 

第20回霊学講座【霊光遠隔療法へと続く】(画像追加)

講義中の川島金山

子猿の後姿

昨日、第20回霊学講座を無事終えることができた。その後手技療法講座(第11回)も行い、参加者一同たのしく学んでいた。

手技療法講座のほうは、野中操法講習会から数えると、この秋には満三年となる。計35回の講座を開催したことになる。

このところ弘法大師空海上人に意識が傾いているので、密教的な部分の説明をした。今回の講座では、『霊光療法』のなかでも、「憑霊法」の解説を行った。

霊光線療法の模様

また、実習も少しばかりの時間行ったが、「霊光線・光明真言法」というべき輸氣療法を行った。後からビデオで観て見たが、ビデオからでも気が出ている事実があった。これは凄いと感じた。

わたしの体調のせいもあり、講座が冗長気味だったが、受講者のみなさんは優しいので、ご容赦願った。

霊術には、「念力養成法」というものがある。呼吸法や気合法もすべて含まれるが、やはり「観念法」「霊感法」とも言われる、『瞑想法』を修行しなければ、その真髄はつかめない。

禅法の「三事を調える」ことの真の意義などからはじまり、単なる念力養成ではなく、悟りの境地を得る原理にまで踏み込んだ講義をした。

密教・霊術・整体・ゾクチェン・神法など等の修道法の共通項を提示する、ひとつの方法を示すということに於いて、古今無双の講座伝授であると、わたしは自負している。同じことができる方がいたら、会わせてもらいたいと思う。

わたしの流儀では、土台の根本を得るのに、水を使う。特に由緒のある滝を使う。滝の修行法には、根本を得ること、神霊とひとつになること、水の原理に通入すること、気合法の修行であることなど、いくつもの土台的な要素がある。自然界から自分の中の智慧を得る鍵をいただくのである。

次回は、『霊光遠隔療法』を講義し、実習する。今回の講座で欠けている部分を補講することにしたい。いよいよ「神鑑法講義」にも入ってゆくことになる。

10月9日(日)〜10日(祝・月)には、第二回秘伝合宿を開催することになる。申し込み希望者は、ご連絡下さい。 

真摯な心【2つの贈り物に思ふ】

この世というのは、まるで夢である。諸行無常、生死流転、輪廻転生。

夢幻の如くである。

あっという間の人生だ。あなたも、わたしも、時間の枠を超えることはできないのである。有限な時間の中で、あなたは何を為すのだ。

ただ時間を過ごすのか。誰かの支配を受けて生きるのか。何かの思想に取り憑かれて生きるのか。

本来、我らは自由なのだ。しかし、カルマの痕跡によって、「惑・業・苦」の因縁を受ける。その実相は、まるで「操り人形」だ。

秘書に『夢記』というものあり。しかし、この玄旨を悟るに10年を要すのである。だがである、彼の往昔に知っておれば、一読みで悉く知ることができるのである。

昨日、2つの贈り物があった。1つは、「かりんとう饅頭」。もう1つは、「甕入りの焼酎」だ。

かりんとう饅頭 甕入り焼酎

ご本人の事情により、名前は出さないが、「かりんとう饅頭」を持ってきてくれたのはAさんだ。この方は、最近「得度」して法名を授かった。仏門に正式に入門したのである。実は、彼はわたくしの講座に1度出ておられる。名古屋の相宮さんが初来場したときに同じく来た方だ。彼はいま、立派な先生につき、礼拝の修行からはじめている。彼は、わたくしのことを非常に評価してくれており、先生の応援団です、と云われていた。この度、無事「得度」をしたので、そのご報告に来たのである。その折に、お土産をもってきてくれた。わたしは、彼の持参した「お饅頭」の味を一生忘れない。彼曰く、『先生のお弟子さんは、とても恵まれています。他のところで教える10年分を、先生のところでは1年ぐらいで教われると思いますから・・』。これは事実なのである。他では教われないことも相当あるのである。彼とは法友である。

もう一つの贈り物。これは大阪の宮島君だ。君と云ったが、彼は整骨院を経営する、立派な先生である。霊学講座や整体講座に参加されているので、同門の皆さんにはおなじみだ。わたしは彼にも期待している。わたしの法を引き継ぐ法器の一人であると思う。この「甕入りの焼酎」は10月の合宿にて皆さんで戴こうと思う。

わたくしのところに来ている生徒さんは、みな共通して真面目だ。そして偏っていない。これは本当に嬉しいことだ。この2年3年が、急成長の時期だと思う。だから、みなさん精進してほしいと思う。

密教の教えに、「稀に人身を受けて」とある。人間の身体を得ることは難しいことなのである。仏になることも、比古神・比女神になることもできる。さらに地獄の堕ちることもあるのである。かつては時代の壁があった。おそらく今が修行するには、一番良い時代なのだと思う。広くを知ることができ、偏りを廃することができる時代だと思う。これすべて、先人のお陰である。

もうこんなチャンスは来ないであろう。あなたは、どう思うか。わたしは聞いてみたい。

2つの贈り物に乗ってきた「真摯な心」、すなわち「真心(まこと)」こそ、すべての行を締めくくるのである。

訶々 

碧厳録・第19則「倶胝堅指(ぐていじゅし)」

碧厳録・第19則「倶胝堅指(ぐていじゅし)」

ある和尚は何か質問を受けるといつもただ一本指を立てるだけであった。その寺にいる小僧は外の人に、和尚はどんな法を説くのか、と聞かれると同じように指を立てていた。和尚はこれを聞いて小僧の指を切り落とした。小僧は泣きながら退出しようとすると和尚が呼んだ。小僧が振りかえると和尚は指を一本立てた。小僧ははっと悟った。
 
この垂示は如何に!

チベット族堅指

ブルース・リー堅指

金山堅指

この和尚は臨終に際し、この一本指の禅は祖師に習ったが一生使って使い切れなかった、と言った。

無門和尚の解説:この和尚も、小僧も、悟りは立てた指にあるのではない。この処がはっきりとわかったなら、この和尚も小僧も、お前自身も、一串に突き通ってしまうだろう
 

空海展にゆく(3)【特に感銘を受けた宝物】

飛行三鈷杵

今回の空海展で、特に感銘を受けた宝物・法宝がいくつかある。

嗣法の証の、袈裟が先ず第一。真言七祖で、空海の師匠である恵果アジャリの持していた、袈裟。これは法の跡継ぎである証明となるものである。

順宗皇帝から贈られし「純金製の念珠」。これは7月20日から30日までの限定展示だ。

空海の法脈の師匠が伝承したという「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」。空海自身の枕自佛だったという。

大師流の文字。これは後世に護符として使われたもので、実際のものから原型を窺うことができた。

五大力菩薩の大曼荼羅。これは「仁王経法」などの鎮護国家の祭事を行う時につかうマンダラである。圧巻だ。

期待しているのが、7月31日から8月11日までの限定公開の「飛行三鈷杵」だ。ご存知と思うので説明はしない。

わたくしは、もう一度8月前半期に行く予定である。 

常識非常識【先生は御供養マシン!?】

空海展にゆく(3)の予定でありましたが、変更しました。

先般、「東京浅草ほおずき市」にゆきましが、その同行者の人が、お礼の言葉と共に、お伯が亡くなったと報告してきた。

予てから、わたしは皆さんに、近親者が逝去したら、ご供養をするから希望があるのならば、申し出るように言ってきました。これは間違いのないことです。

しかしながら、ただお伯さんが亡くなりました、だけではどうすることもできない。御供養をしてほしというのなら、そのように明記するべきである。また、ご供養というのは「三力具足(さんりきぐそく)」と言って、信者の功徳力・如来の加持力・行者の法界力の三つが揃わなければ、成就できないわけである。

人に頼んだだけで、自分は何もしないという精神。死者を助けたいのなら、それだけの功徳を積めと言いたい。

「先生がそう言ったから、そう言いました」と何の臆面もなくの給う。こういうのが増えたら、日本は雅の国でも何でもなくなってしまう。そういえば、「雅・・」ねぇー。

『先生は御供養マシン!』

どこかのTVドラマみたいだな。

わたしは生身の人間ですよ。マシンじゃぁない。こころがある。真心のみに反応する心があるんです。

心当たりのある人は、常識非常識について考えてもらいたい。 

空海展にゆく(2)【年長者のアドバイスを回顧す】

弘法大師空海

昨日、空海展に行ったことは述べた。

午前中に東京国立博物館に行ったので、治療院への帰還は午後だった。仕事はそれから開始した訳である。

わたしが操法をしている方の中には定期的に施術している方もいる。ある種のリハビリを行なっている方もいる。その中にFさんがいる。この方の家族とはもう10年以上のお付き合いになる。先年100歳になるおばあちゃんが亡くなった。そのおばあちゃんが亡くなった直後にわたしは伺った。まるで眠っているようなお顔をしてことを昨日のように思い出す。

このFさんのお宅の往復はオートバイをつかう。その帰り道2件のお宅の前を通った。

空海展で仏像を見たということもあり、強烈に記憶が蘇った。

先ずはAさんのお宅の前を通り過ぎる。この方とは相当な年数、交渉がない。引退後に、趣味で仏像を作っておられた。素人にしては立派に作っておられた。

この方は、わたしに次のようなアドバイスをしてくれた。

『・・・やはりね、10年計画でいろいろやらなければいけない。お金を貯めるのも、仕事も、すべて10年計画じゃないとダメだ。わたしなどは、そのおかげで、こうして老後を見事に安心して暮らしている。ひとつ貴方もそうしなさい。・・・』

この時、部屋の横にあったAさん作の千手観音像を鮮明に憶えている。



次に、Tさんのお宅の前を通る。細い路地だ。しかし、いまはTさん一家は居ない。Tさん宅は小さなお宅であった。奥さんと子供の3人暮らし。奥さんはジョージ秋山氏の作品に出てくるような女性だ。体型や顔立ちが似ている。子供はビーバーみたいな感じの子。Tさんはマンガの「どろろん閻魔君」みたいな眉毛をしている。

わたしがゆくと「こんにちはー」と2回挨拶するものだから、「あんた中国人?」などと言った。おもしろいオヤジさんだった。

ある時Tさんは、次のようなことを言った。

『・・・あなたはいつか独立してゆくんだろうが、その時には、そうなるような必然性、状況になってゆくもんだ。必ずわかる。だからそうなったときが、独立する時だ。・・・』

わたしは治療院に帰還し、弘法大師のご真言を唱えて、三世十方の佛仙界の諸聖に祈りを捧げた。霊視の禅定に入る為である。こういう場合の、霊視の法は、主に佛仙の方法なのである。そこで霊視してみる。

Aさん。この方は10年計画にて成功したと言っておられたが、その後の10年では状況が大きく変化した。ご自身の病、奥さんの病、株運用や土地の問題で、仏像作成の趣味どころではなくなった。10年計画で最後まで安楽にゆくことはできなかった。・・・

Tさん。土地の売買の話あり。うまくのって言い値で売り、その後自分の郷里に帰り、河童似の細君、ビーバー似のご子息と共に安心の暮らしを送っている。・・・

わたしには、人生の師匠というお方は居ない。伝授の師、宗教上の師、治療法の師などは居ても、人生そのものを渡ってゆく法を教えてくださった師匠は居ない。周囲の方々のお言葉やあり方を、自分の心の顕われ、鏡として、教訓としてきた。そして「失敗の連続」を一番の師として生きてきた。

治療稼業をしていると、多くの人々と出会う。社会的な身分や職業・立場は様々だ。ほんとうによくこれだけの人々と出会えたものだと思う。治療というものをして、お付き合いしていると、年配年長の彼ら彼女らは、必ずキラリと光る言葉を吐く。その言葉の一つ一つが、わたしのなかで師として活きている。

運の良し悪し、盛運・衰運、様々である。我が身を修めようとする者、我が門に来たれ。人生のアドバイス、それを方法と共に教えようではないか。


空海展にゆく(1)【21日は弘法大師空海の御縁日なり】

五大力菩薩

本日、 東京国立博物館 平成館において開催されている【空海と密教美術展】に行った。

突然に思いついて、朝イチで趣いた。これには理由がある。空海上人、すなわち弘法大師の御縁日というのが、毎月21日なのである。

わたしの父方の祖父は、毎月21日には川崎大師(平間寺)に欠かさず参拝に行っていたそうである。その影響もあってか、わたしの実姉が、某年某月の21日に誕生したので、大騒ぎになったそうである。

幼少のときから、こういう話を聞かされていたので、大師様は身近だった。わたしが密教に思慕の念あるのも、このような環境があったからかもしれない。

東京国立博物館に入場するのも久しぶりだった。

入館してみると、素人ばかりで、密教に造詣のある人など居る様子はなかった。そして天候の影響なのか?入場者も案外少なかった。そういう意味では、充分に見学し味わうことができた。

わたしは本来、こういう場所に展示されている仏像や仏画などを観ても、あまり心に響くことはない。物として観るだけで、あまり信仰心に感応することはない。

しかし、今回は違った。見るべきものが幾つかあった。黙然として、佇んでいると心から湧き出てくるものがあるのだ。

その1つが、密教の隆盛時代ということだ。殊に「五大力菩薩」の大きな仏画は圧巻だ。この前に立つと密教の隆盛だった時代に「たましい」が飛ぶのだ。今はない躍動した密教のパワーを感じるのだ。

自分がこれらの仏器(仏像・仏画)に前に、かつて立ったことがあるという明確な感覚があるのである。こんなことははじめてだ。

見る者、触れる者、信仰する者の器によって、結果は大きく異なる。
本物の「信」「真」「心」(しん)とは、この一生・一世だけでつくられるものではない。人は生まれ変わり死に変わりしながら、本物の「信」を得て、神に通じること(神通)を得るのであろう。

豊稀写真館【大成就者とゾクチェンの財神】

稀有な写真館です。説明はわたくしにおたずねください。気分がよければお話します。

大成就者チャタリンポチェ

ロンチェンニンティクの財神 


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