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  • 2012.12.01 Saturday
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6月30日夏越まつりの福寿【大はらい;茅の輪くぐりの巻】

茅の輪のくぐり方 
茅の輪

6月30日は、大はらいの日である。

人型を謹製し、罪ケガレを付着させて、川や海に流す。これわが国の霊的伝統行事である。実際に業が清められるのである。

夏越のまつりともいう。

「水無月(みなづき)の 夏越の祓い する人は 千歳(ちとせ)の命(よわい) 延ぶといふなり」などよく知られる歌もある。延命の効果があるというわけだ。千歳とは、千年だから、昔の人は欲が深かったのかなと思ってしまう。しかし、実際には、「仙寿」を得ようという意図なのである。

小林一茶などは、「母の分 もひとつくぐる 茅の輪(ちのわ)かな」と詠んでいる。

「茅の輪」にも、くぐり方がある。これを機会にお近くの神社にて研修されたらよい。

よくわかっている神主がいるところでは、前々日・前日の28・29日に祭りを執行する。宵々・宵の功徳・福寿というわけだ。恵比寿講でも、祇園祭でも、何でもそうだが、宵々・宵の功徳・福というものはあるが、次の日の「残り福」はない。これは人間が勝手に作ったものである。だから28・29日にお参りしてもよいのだ。

わたしは30日の早朝に「大祓祝詞・天津祝詞太秘辞」を修唱をする。そしてお滝をいただく。これ禊ぎ祓いの真髄である。

みなさんも是非、大はらい行事に何らかの形で参加してほしいと思う。来年は、我が会として行いたいと思っています。

霊学講座(第19回)【大聖歓喜天尊の縁起】

第19回霊学講座

6月26日(日)霊学講座が開催された。第19回を迎えた。開催していない月もあるので、満2年を迎えるところである。

当初は、滝行気合法の「座学」として出発したが、そのうちにマニアたちも来たので、霊学講座になっていった。しかし、こういう霊学・霊術や密教などは、危ういものなのだ。

本当の信仰心や「信」というものは、そう簡単に得られるものではない。それだけの師匠に付かなければ、体得は難しい。ある時期から、わたしは「縁」を重んじるようになった。要するに縁があるかないか、ということを見だしたのである。

前世からの結縁(けちえん)がなければ、修行は至難だ。

かなり知能が低く、知識が無くても、縁があれば、相当遅いだろうが成就は可能だ。ただし、今生ではなく来世・来々世に成就するのかもしれないが・・・。

しかし、どんなに頭が良くても、縁がなければ悟りは成就しない。我々が目指す「成仙」など、夢のまた夢である。人間として頭が良いくらいでは、覚者になること「成仙」することはできません。

そういう意味では、現在参加のみなさんは、縁のある方に絞られてきているといってよい。だが、である。謹慎をくらっていた若者が一人いて、今回解いたのだが、どうも自分の立場がわかっていないのだ。これは物覚えが悪いなどという次元ではない、なにかの障害があるのであろう。その障害を自分で探し出して、一つ一つの無礼を自覚してゆくことが、修行の第一課題だと思う。

彼は、淘宮術でいう「緩(=申・かん)」 の因縁気質が強く、全てが猿真似で、まさしく教えでいう「緩の胴忘れ」なのである。こういう段階では、なかなか修行が進まない。師匠や先達に指導を仰がないといけない。

易占、霊祟秘伝、霊光療法、密教伝授(序)、自修鎮魂法(序)、真言読誦秘伝などを網羅した講座であったと思う。

今秋におそらくは「聖天法」を得ることになるが、その縁起を少し述べたい。

聖天は、歓喜天であり、この尊が我が会の設立に関与している。また、この尊の法は、密教中の密法であり、この尊をコントロールできるのは、十一面観音もしくはグンダリ明王しかないのである。この2尊は、我が会の法と深い関連がある。

十一面観音および聖天は、菅原道真公が尊崇せるものであり、吾が会で尊重せる「延命十句観音経」とも深い関係がある。白隠禅師がそのように述べている。以前に講義した。

昨年、そのような縁起により、菅原道真公が始めて現れた、吉野大峯に「奥駆け修行」に入ることになった。(自然に吉野修験の先達住職と縁ができたのであった。)

高知の霊場・霊場もまた、菅原道真公・天満宮に深い関係がある。由緒正しいものである。

菅原道真公のことを「天満大自在天神」というが、その名は観音・聖天信仰を公自身および実母がやっていたことに由来する。天満とは実は「手間」であり、手間とは、少名彦大神の異名であり、造化三神の神皇産霊神(かみむびのかみ)の手の間から生まれたといわれている。我が会で最高神と仰ぐのは少名彦大神であるから、そのご加護を受けていた、菅原道真公は自然と関係が出てくる。

その因縁により、導師として聖天法を修することになるのである。

この法の体得により、さらに高度の力を修行者一同が得ることになるのは、すでに予知していることである。

この秋に合宿を開催するが、密教の法と霊法の伝授である。

相模原の小学校の実例【子供を持つインテリは吼えろ!】

いまからお話しする実例は、わたしの身近な出来事だ。

わたしの義姉は、医師であり、わたし自身の肉体的な科学的健康数値を指導していただいている。お陰で、病院嫌いだったわたしも、自分の感覚と血液検査・MRI・ヘリカルCT・エコー検査・心電図・その他によって、遺伝的な病因と、運命学的な見地から見た病因などを、自分を材料にして確認することができた。

自分の身体を霊視・透視して、医学的検査による結果と、霊的な知見が相応するという画期的な発見をすることができた。同時に、宿命封じ・宿命転換の具体的な方策を編み出しつつある。これは大いなる福音だと考えている。

以上のような環境と体験により、発見があったわけだが、科学的法則を重んじるという、本田霊学の道統の伝統にも合致したものだと思っている。わたしの知見・見解も一皮剥けたわけである。

そんなわけで、科学至上主義者ではないが、現象世界・物質世界のなかにあっては、科学的な見地というものも、きちんと認識しておかなければいけないと考えるのである。

そんな折、件(くだん)の義姉は病院のある立場にあるのだが、自分の子供の小学校の運動場の土を採取して、独自に東京大学の知り合いの先生に検査をしてもらったそうである。実はわたしの従兄弟も東大の地質学の先生をしていて調べてもらうことも可能だった。わたしの息子も東大出なので可能だったかもしれない。

もちろん放射性物質の有無の検査だ。聞きかじりなので詳しいことは知らないが、セシウム134、137が、はっきりと検出されたそうである。相模原の小学校においてだ。

東京や千葉、埼玉すべて同じようなものだろう。みなさんは、そう思わないか。

世のインテリは、おとなしくしていないで吼えろ、と言いたい。特に子供がいるインテリは、そうあるべきだと思う。獅子吼しないといけない。

現在、義姉は其の小学校の校長に、この事実を突きつけて、行政を動かすべく、意見書を出したそうである。正々堂々、ちょろまかしの部分がなく、さすがというより他に言葉がない。

福島原発の現実【なんでTVじゃ報道しないんだろう!?】

福島原発(6月26日の模様)

みなさん、上の写真が何だか分かりますか。

6月26日(日)午後8時12分の、福島原発3、4号機の模様です。

この映像はネットで見れますが、煙が凄い勢いでモクモク上がっていました。

この写真でも分かりますね。

報告では、プラズマの光が見えていたそうです。確かに時折、ピカッと何かが光るのです。

これすごい放射性物質の放散だと思うのですが、一切のマスコミ、TV・ラジオ・新聞と、報道しません。これって、異常だと思いませんか?

今日、武蔵小山の商店街にゆきましたが、人々は平気で歩いていますし、放射能のことなど他人事のように安心しています。

外国の知見ある人々からしたら、日本人はクレージーに見えることでしょう。

今後も福島原発の様子はお伝えしてゆきます。 

師匠の在り方【映画;イップ・マン(葉問2)】

映画『葉問』イップ・マン

伝説の達人・イップマン。

中国武術のなかでも詠春拳という、超接近戦を得意とする武術の達人だ。葉問と書いて「イップマン」と読む。

李小龍(ブルース・リー)の唯一の師匠と言う方が分かりやすいかもしれない。

彼の伝説的な人生の一端を描いた映画『イップ・マン2』は、香港で第一位になったという。

わたしの師匠の一人にも中国人がいる。その師は、有名な拳法家の弟子でもあった。この師から、わたしは「十六尊羅漢功法」などの気功の基礎を教わった。中国人はなかなか弟子にはしないものである。拝師するというが、日本人には理解できない部分があると思う。

わたしも詠春拳を学びたいと思ったこともあったが、どこまでも日本人なので中国の武術は学べないと思っていた。差別的にそう思ったのではなく、日本人と中国人では、体格や身体の使い方が違うのではと考えたからだ。

上記の写真は、映画の1シーンだ。

師としてのあり方に共感を覚えた。生きてゆくには金銭や物質も大切だが、希望や誇りはもっと大事だ。師・イップマンの生き方に憧憬の念が出てくる。

こういう立派な師だからこそ、ブルース・リーのような弟子が出てきたのであろう。

イップマンを演じている、ドニー・イェンは、実際に子供の時から実母に武術を仕込まれたという。彼の母は武術の達人だというのだ。映画ではあるが、動きのなかに本物の匂い感じる。

弟子の為に、誇りの為に、自分の命をかける。これこそ本当の師匠である。

霊学講座【霊光療法による霊光浴の実践】

明日、霊学講座が開催される。

すでに第19回を迎える。今後は真剣な『門人願い 』提出者を中心に講義・伝授をすすめてゆきたいと思っている。その意味で、いよいよ真髄に入ってゆくわけである。

今回も実践法としての『霊光療法』を実践する。同時に口訣を与える。

前回は、一人の受講者に対して、全員で霊光を送ることを実践した。

今回は、それだけに止まらず、数人係りで「霊光浴」をするということをしたい。心身が不調な方は、受けることをしたほうがよい。

霊光療法の「霊崇秘伝」についても言及したい。

真言読誦の秘伝も伝授して、その方法で霊光輸気をする。成否はともかく行うことにする。

また、易占の事始めとして、筮竹により立掛するということを憶えていただこうと思う。

『至誠神通』という言葉があるが、易の実践が一番良い訓練になる。実用性もある。

霊感を養うようにしたいと思っている。

また、わたしが霊夢で見た秘詞の伝授をする予定だ。

大山カフェ

大山を望む

現在のわたしの活動の本拠地は、金山庵(きんざんあん)のある、洗足であるが、第二の活動地として、相模原に寓居を構えた。

なぜそこを第二の活動地としたのか?

地の利として由緒ある大滝に通うに便利であること。

大龍神の龍骨のある社がわたしと個人的に縁があること。

大山が指呼にあることなどがあげられる。

塩川の大滝には、密教の守護龍神である、清龍大権現(せいりゅうだいごんげん)と珍しい緋龍大権現が奉祀されている。神仏両界の修行・修法をする我が会としては真にふさわしい霊的に意味のある、地なのである。

大山を望むことのできるベランダにて、丹沢の山々に魂を遊ばせる。

こういう法を使魂法とか神遊観というのである。

ベランダで一杯のコーヒーを飲む。心安らぐ瞬間だ。

雲が流れ、風がゆく。相模の野原はわたしに優しい。

名づけて『大山カフェ』。

違いの分かる一杯を!


6月23日【沖縄戦終戦記念日】

今日は『沖縄戦終戦記念日』だった。6月23日は、太平洋戦争(日米大戦)における、沖縄の終戦の日なのである。

このブログの読者の年齢は幅広く、比較的若い世代も多い。かつて沖縄がアメリカに占領され、日本の行政外にあったことを知らない人もいるであろう。

沖縄返還前夜、自動車は左側通行になる、とTVではさかんに放送していたのを記憶している。アメリカ管轄だったので車は右側通行であった。

わたしはその後、僧職・宗教者になり、激戦の地である、沖縄に何度も趣いた。衷心から沖縄に散った御魂をご供養した。

旧戦地には、ガマといって、一種の自然の洞穴があり、そこを避難の拠点にした。なるべく本土から米軍を遠ざけようと、軍も住民も南側に逃げたのである。そして終焉の地が、摩文仁の丘である。

沖縄戦終戦記念日は毎年摩文仁(まぶに)で行なわれるのである。

戦争の悲劇。島民60万人のうち20万人が戦没した。本土の犠牲になったのである。島民の三分の一が戦争で死んだのである。

有名な悲劇に「ひめゆり部隊」の話がある。もちろん何度もそこには行った。しかし、わたしの知る限りで最も悲劇的だったのは、「鉄血勤皇隊」の自爆だ。鉄血勤皇隊とは12歳くらいの児童に手榴弾を持たせて敵に自爆攻撃する部隊のことだ。実際に行なわれた作戦なのである。

実際に、ひめゆり部隊・鉄血勤皇隊の生き残りの方たちとお話しもした。

本土に生き、ぬくぬくと平和ボケしている我々も、時には沖縄に思いを馳せてもいいのではないか。

沖縄人は、本土の人間を「やまとんちゅう」という。沖縄地上戦において、多くの犠牲者を出したことを沖縄の方々は忘れてはいないのである。

摩文仁の丘の中腹に、沖縄戦を指揮した牛嶋中将自刃の地がある。さらにその下のほうの海岸付近には、水場があり、そこでは多くの兵隊や民間人が、アメリカ兵に狙い撃ちされた。

その場所に行くと、霊能力のない人間でも、死者の怨念が残っているのがわかる。

知り合った沖縄の子供のなかに、沖縄戦でなくなった方の魂を感じることがあった。強烈な意識が死の刹那にあった場合、その怨念により、再生(生まれ変わり)が、早くなるのであろうか?生まれ変わりというものは、そう滅多にあるものではない。

霊的な障害がある土地の浄化をせずに、その土地の繁栄はない。必ず結果には、相応した原因があるのである。それは必ずしも、物質的なものばかりではない。多くの土地の上に、霊的な障害を見るこの頃である。

統計学(2)【MMPIとソンディテストによる無意識の分析】

運命心理学入門

MMPIとは、ミネソタ多面人格目録(Minnesota Multiphasic Personality Inventory)のことである。

MMPIは、アメリカミネソタ大学の精神神経科(心理学者)ハサウェイ(Hathaway, S. R.)と、精神科医マッキンリー(Mckinley, J. C.)によって開発された人格目録で、550の質問項目で構成されている。MMPIの開発は、精神医学的診断の客観的尺度を作成することであった。それまでの尺度は役に立たなかったので開発したわけである。

彼らは検査を作成するに当たって、1000以上の質問項目を集めることからはじめた。集めた質問項目の中から重複するものや、検査の目的と一致しないものを除いた結果、504項目が残った。そこで、彼らはその504項目を正常者に実施した。(後に550項目になった)

前述のように日本版は1963年に発刊された(Hathaway & McKinley, 1943; 阿部・住田・黒田,1963)。しかし、発刊した日本版には翻訳段階の誤りや、作業における疑問などの問題点が指摘されていたという。そこで、 1990年からそれらの問題点を踏まえて翻案、標準化が始められ、1993年に発刊されたのが新日本版(MMPI新日本版研究会編,1993)である。この新日本版の発刊によって、これまで指摘されていた日本版の問題点は、ほぼ解決されたと言われている。

潜在している人格・性格の傾向を、ある程度把握することの出来る優れた方法である。

さらに、以前にふれたことのある、ソンディテスト。

運命分析学ともいう。施行法は次の通り。

様々な表情を見せる多数(8枚)の顔写真の好き嫌いの反応を調査することで、無意識領域の衝動・欲求・傾向を分析できるとする人格検査(パーソナリティ検査)である。

ソンディ・テストは、ハンガリーの精神科医ソンディによって、1947年に開発された無意識を含む性格傾向(人格特性)を診断する心理検査である。

ソンディ・テストでは、悲哀・怒り・困惑・絶望などの解釈が成り立つ8枚の顔写真を被験者に呈示して、その中から好きな顔写真2枚と嫌いな顔写真2枚を選択して、それと同じ作業過程を6回繰り返して無意識的欲求の傾向などを分析することが出来る。6回繰り返すことで、合計48枚の顔写真を閲覧し、その中から好きな写真12枚・嫌いな写真12枚を選ぶことになる。但し、このテストに用いる写真が日本人には少し馴染まないものであることは、多くの人が感じていることでもある。

深層心理学的なパーソナリティ検査(人格検査)であるソンディ・テストで診断される衝動の類型は以下のようなものであり、エスの性衝動の社会適応や自我構造の機能を前提する辺りはフロイトの精神分析学の影響を感じさせるものである。

1.性衝動と文化適応度・・・性衝動
2.感情・情緒の機能と道徳観・倫理性・・・感情衝動
3.自我構造の欲求・・・自我衝動
4.外界との接触方法・人間関係のパターンの特徴・・・接触衝動

ソンディが「衝動分析学」の理論を前提として開発したソンディテストは、ヘルマン・ロールシャッハが「知覚心理学」を前提として考案したロールシャッハテストと同じく無意識領域の心理状態や欲求・情動を測定評価できる「投影法」に分類される心理テストである。 

ソンディが研究した運命分析とは、人間の人生過程に決定的な影響を与える運命を研究対象としたものである。一般的に『運命』というと、人為的な働きかけや意図的な計画では変更することの出来ない超自然的・超越的な人生の定めのことを言うが、ソンディは運命を不可避な必然的巡り合せとは考えなかった。

それ以外の結末は考えることが出来ないという宿命的な影響力としての運命の以外にも、人為的な努力や工夫で切り開き変更していくことの出来る運命があるとソンディは考えた。

人の潜在する人格・性格は、潜在的に運命を形成する一つの要素だとわたしは考える。また遺伝子に潜む祖先の衝動的な無意識には、ある種の強制的な運命形成の力があると考える。ここにご紹介した2つの方法は、統計的な積み重ねにより立証されてきた、科学的運命分析法というべきものである。少なくとも取り組む角度によって、そのように成り得るものだと思う。

あたらしい運命学、未来の運命学は、このような分析方法を取り入れたものでなければ、その任を全うすることができないであろう。改革をできないとすれば、運命学を標榜する者は、占い屋に堕するか、社会の底辺に呻吟するしかない存在となる。

分析法としての統計心理分析法。運命開発としての、場の振動学(新家相学)。この2つが未来社会における運命学の主流になることは明白である。 


統計学(1)【多変量解析と運命分析術】

多変量統計分析

ごく最近「多変量解析」という統計学の書籍を購入した。高校生が読むくらいの本である。昔はわたしも数学や化学が好きであったが、いつのまにか嫌いだった古典のほうに気がいってしまった。だから、理系というものは得意ではない。

しかし、ものを書いたり思考・思索を繰り返してゆくときに、幾何学的な概念や微分積分などの素養が必要なことは分かっていた。一つの構成を考える時に、どうしても必要なのである。

「天源淘宮術」「禄命術」「子平」などに取り組むうちに、これは当初は一種の霊感で元は創出されたのであろうが、暫時時代を経て、統計的な作業をしながら発展したのでないか?そう思うようになった。

仏教や密教でも、歴史的必然のように時代々々に天才が現れ、教学と実践に息吹を与えてきた。統計学的な運命学の秘伝もそのように作られてきたのではないか?

それは10代の頃であったか、「多変量解析」という手法を知った。普通、数値では表すことの出来ない概念などを、数値化できるというものだった。「因子分析」という手法もある。当然のことながら、企業ではこういうものを取り入れ業績の分析をしているのであろう。

これはもしかすると、その家族の運命的な傾向とか、整体でいう「体癖」などを対象にして分析して、ある数値で表現できることを意味しているのではないか?わたしはいつしかそんなことを考えるようになった。

分からないながら、やさしそうな本を購入して読んでいる。数学的な手法や科学には、宗教や霊学にあるような曖昧さがない。とてもおもしろい。しかしそこには、とんでない「空想」はないように思う。

やがて人類は、人間の運命や霊魂、気などの正体の謎を解くであろう。そのような進化した人類社会に生きてみたかったものである。 


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