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- 2012.12.01 Saturday
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本日4月28日から「神事」のために高知土佐にゆく。
何年ぶりのことだろう。運命とは実に数奇である。
タナスカ、五台山、吸江橋、浦戸竜王宮、神山手箱山、仙境大瀧が呼んでいるのだ。
この度ゆく聖地・霊地は、日本における一大仙境である。
太平洋に広がるワダツミ神界から四国の尾根に至る、重要な神界直結の霊地なのである。その範囲は、広くて深くて高い。
ここまで来るのに2年間の「禊ぎ」が必要だった。
今回は特に念入りに伝授を行なう。今後の先駆けである。
いずれの日にか、高知で伝授会(合宿)が行なわれることを願う。恩頼(みたまのふゆ)がゆくように。
その為には、至誠が必要だ。それなくして実現は困難だと思う。当たり前ではないのだ。
皆さん、人として、生まれてきた意味や、霊魂の真相をよくよく考えてみてください。
何かを掴まずに、死ぬることができますか?本当の生命霊魂の実相を掴まずして死ねますか?
どうせなら生死一如、自由自在の境地を掴みましょう。
修行するのも、楽しむのも、今しかないのです。生きている今しか。
では、高知に行ってまいります。
合掌
川島金山
易聖『高島嘉右衛門(たかしまかえもん)』
ごく最近、『フトマニ』のことが頭から離れない。
フトマニとは、一種の占いである。『太占』と書く。
単なる占いではない。発祥は、神様たちが正神界(高天原)で行なった、一種の神事である。「古事記」に明らかである。
「古事記」は霊学・霊術を行なう上で、最も尊崇すべきテキストなのである。一種の辞書のような側面もあれば、修道法が記されている「秘伝書」的な面もある。
フトマニの解釈は様々だ。わたしはフトマニの真義が知りたくて、古神道の修行に入ったようなものであるし、今でもその探求は続いている。
密教では「即身成仏」、神道では「フトマニ」が究極の境地だと思う。
「鎮魂帰神」とは「フトマニ」ということである。整体の「天心」だって同じラインだと思う。
そして、易の修行に心が向かった。以前にもお話したが、わたしの祖父は「易の達人」だった。家には、古くから伝わる「象牙の筮竹」があったという。しかし今は無い。母が子供の頃に、兄弟と遊んでいる時に、おもしろがって川に流してしまったそうである。
わたしが易に興味を持つ、これが血というものなのであろうか?忽然と「易占」を究める修行に心が趣く。伝えによれば、易は神界より洩れし「フトマニ」の名残だという。易には神秘不可思議な力があるのである。
わたしの実家は、易聖と称せられた「高島嘉右衛門(たかしまかえもん)」が創設したという「高島学校」の地から指呼の位置にある。
高島翁は、若い頃に囹圄(れいご・投獄)身になられたが、遂に易によって「大実業家」になり、ガス会社創建、横浜迎賓館創設、日本初の鉄道事業(桜木町〜東京の有名な丘蒸気)を着手など等、成功実績に枚挙がない。
そうような影響もあり、易はいずれかの時期に本格的に修行すると決めていた。それはどうも今のようである。
そう、高島翁は若い時に土佐高知に来訪しているのだ。実はわたしの学んだ神道の教えと同門なのである。彼は、そのようにして「神通」を磨いたのである。
昨日、亡き祖父から突然、意志が伝えられた。易の修行・上達について具体的なアドバイスがあった。わたしはあまり「霊聴(れいちょう)」の類いは無いので、まったく不思議だった。しかし、誇張ではなく本当に、明瞭な言葉で意志が、聴覚を通じて脳ミソに流れ込んできた。
高島翁も、祖父も易占で金銭の授受はやらなかった。わたしもこの流儀でゆこうと思う。
つい最近長い間の謎が解けた。
原発に関することだ。
そして、わたしはそのことについて自感法によって「審神(サニハ)」した。答えは即答に近いものだった。「成(正解)」である。
古伝に伊勢神宮・内宮の「荒祭宮」に関するものがある。この頃、あるヨーガの先生にして、審神者(サニハ)だと言っている方が、伊勢神宮では「荒祭宮」が一番パワーがある、などという言うから、受け売りで、そう主張する人々が多くいる。
確かに、力が強いことは間違いないのだ。祈願などもそこでやると叶ったりする。しかし、古伝の教えを忘れてはいけない。
『古伝では江戸中期まで、「荒祭宮」は「マガツヒノ神」が祀られていた』と言うのだ。
いまでは、「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」の「荒御魂(あらみたま)」がお奉りされているというのだが、実は違うのである。
「天照大御神」の属性の一面に「マガツヒニ神」が吸収されている、そういう古伝である。
この「マガツヒノ神」が、原子力の背後には居るのである。
原子炉の五重構造は、霊止(ヒト)の「霊魂(一霊四魂)」の構造によく似ている。いや、必然的にそうなるのである。
その意味からして、やはり「太陽光」による安全な発電という方向が、人類のいま取るべき方向のように思われる。
今の時代に生きている十字架を背負い、わたしは「マガツヒノ神」の動きを安定ならしめる努力をしようと思っている。
平成23年4月24日(日)、午前中に第5回鎮魂冥福法要を執行した。
ご参加の皆さんで読経し、あるいは祝詞を上げ、大震災帰幽者の御霊(おみたま)の功徳回向・追善供養、鎮魂安鎮修法を行なった。声が揃い、とてもよい法要であった。
4月末の五十日(いそかび)には、高知の神山に登拝する。
皆さんが菩提心から記した「人型」を持参して、神界直結の聖地にて、祈祷させていただく所存である。これは何らかの霊応があるものと考えている。いや、すでにその現証が具体的に顕れてきている。
法要後の「茶話会」では、徳永先生が宮城県亘理町にボランティア活動で被災地入りされたので、詳しいお話しを聞くことが出来た。やはり、お話し中から生々しさが滲み出ていた。今後も大震災について考え、何かの形で関わってゆこうと思っている。
午後から、第17回霊学講座・第8回手技療法講座を行なった。
今回の「霊学講座」は、本当の意味で「霊学」「霊術」の講座になったと思う。ご参加の皆さんも、沢山の方法と、修道への確信など、多くのものを得られたことと思う。わたしも本当の部分を出すことができ満足している。とうとうここまで来たか、という感じである。
法術の、根源・根本のお話しができたと思う。参加した方は、越法(おっぽう)・泄宝(せっぽう)の咎を受けないようにしていただきたい。
「手技療法」も神氣にて、放射・輸氣を施す訓練を行なった。皆さん楽しくやっておられた。
心から心へ送る輸氣法、更に「霊魂(たましい)」の感応をも行なった。
霊光を送ることも実践したが、それぞれ出来る場合もあれば、掴みにくいということもあったと思う。土台の修行が必要だということを、皆さん感じられたと思う。今後に期待する。
「洗毒法」は、整体から出たものだが、その前提として、野中操法・霊光療法を行なうという「仕方」を修練した。いずれにしても「洗毒」「廃毒」は、時代的な希求があるものと思う。
言葉で熱気を伝えられないのが残念である。
わたしは、いつでも「来る者は拒まず、去る者は追わず」である。
来る者には、至誠・礼儀・素直、これを求める。
真言秘密の奥義【ふつ〇〇〇の御霊法】。
この法の施行法など一切を知り、是れを如実に実践する修行者は、わたし以外には現在1人も居らない。まさに一子相伝の秘法なのである。
この法は、一切の邪霊・悪霊を封じて、行者自身の身体に進入してくるのを、避ける秘法である。
同時に自分の霊力が増進してゆくという尊い法なのである。真言秘密の法において、これ以上の秘法はないのである。
この秘法を知らずんば、どこかで邪霊に感けられてしまう可能性がある。
特に「霊法」「霊術」を使う場合は、是くの如しなのである。
「輸氣法」「霊光療法」「霊熱透射法」「霊掌療法」など等、そのすべてに言えることなのである。相手に加持祈祷したり、療術を施す、占断をするなどの場合、霊的な障りを受ける場合がある。いや、相手が憑霊者であれば、霊障・霊祟を受けることは、覚悟しなければならない。
培った「霊力」や「法力」が邪霊に奪われてゆく。これは実際にあるのである。幾多の霊能者が、これによって倒れていったのである。
いま、わたしのもとでは「霊術家・霊能者」が育ちつつある。「鎮魂冥福法要」でも、黒衣の法衣を着くして、わたしの指導のもと、読経・祝詞をあげている。まだまだではあるが、確実に法術・儀式を身に付けてきているのである。
この法を体得するためには、理屈抜きに「専門家」にならなければいけない。すくなくともそれだけの知識を有さねばならない。詳しく言えば、密教の加行(けぎょう)を修行せねば、法を体得することはできないのである。わたしの場合、約260日修行した。或る先達などは、300日を3回行なった。法とは、そういうものなのである。法に近道は無いのである。
しかし乍ら、時代の要請などを鑑み、伝授の禁をゆるめて、滝行御世話役以上の実績と「一尊法(不動法)」体得者である修行者、わたしが特に認めた修行者には、完全な伝授をするものとする。
斯道においては、「霊光線」「人体ラジウム」が奪われるという、表現をする。護身の法の中でも、奥伝中の奥伝、それが【ふつ〇〇〇の御霊法】なのである。
日本国政府は、遂に「国際評価尺度・レベル7」に訂正した。
【霊夢にて感得せる一首】
『大地震の 神業前徴あり 怖奇魔の 大禍津毘の 禍津火を消す』
読み方(わざわいの そのきざしあり ふくしまの おほまがつびの まがつひをけす)
すなわち、福島原子力発電所の行く末を表わした、一首である。
東日本大震災・大地震は、すでに起こった事実だが、それだけでは終わらないということである。
引き続く地震・人災によって、福島の原発は壊滅する。
邪しまな火が完全に消されるのである。霊止(ヒト)は、原子力の火によって生きることで、禍津霊に侵される。凶事(まがこと・悪しきこと)を招くのである。原発の火は使えなくなる。それはすでに成った。
本来は、「福の島」が、「たくみに怖れをもたらす魔」になってしまっている。産土の大神をご支配されている、その上の大神によって大改革が断行された。
この神業の仕上げには、前徴(きざし)がある。それは再びの大きな地震と人災である。もうすでにそれは起きはじめている。
本日、知らぬ土地に居る霊夢を見た。土の上に立ち、清い水の流れのある、家屋にいたのである。
まだ、神業・大震災は終わっていない。これから新しい局面に展開してゆく。
昨日、第3回目となる、鎮魂・冥福法要が厳修された。
回を重ねる度に、皆さん勤行・祈念が洗練されてきている。
導師として背中で読経・祝詞・祈念を感じていて、よい供養・修行になっていると思う。
やはり修行というものは、真剣な実践のなかでしかできない。
単に滝に入滝すればよいというものではない。入滝する緊張感や読経・集中・気合などを、法要に導入して、自分以外の他人の為に行なうことが大切なのだ。
人から依頼されるようになってこそ、法徳が身に付いてきたと言えるのである。
法要時、仏仙の軌則・神法式にて、祭儀を行なうわけだが、その両方の共通した「力の根源」は、「産土別持司神(うぶすなわけもちむすたまのかみ)」なのである。参加し祈念する方は、このことをよくよく頭に入れて、実践していただきたい。
ここに気付いたのなら、真の霊学実践者ということになる。もっもと傑出した、宗教実践者だと言えるのである。
安鎮神法により、帰幽者の三魂分離を祈念したが、非常によく感通した。
午後からは、柳澤先生の整体講座だ。
「洗毒法」。今回お願いした講座だ。放射能の毒性から身を守る方法だ。毒素を排出するように、促す方法である。
非常におもしろい操法であり、1人で行なうことのできる「簡易法」も伝授していただいた。多くの方々に学んでいただきたいものである。
いくつかの方法を講義していただき、実践した。
やはり、わたし自身も多少の放射線の影響を受けていたと思われるのである。そういう反応が確かにあったと思う。
よく整体をやっている支持者(?)は、やけに感じるだの何だの言うのであるが、わたしはあまりそういうのは信じない。どなたが言っているのかが、ポイントであり、要するに信用できる人かどうかということである。
わたくしの会では、柳澤先生直伝の「洗毒法」をもって、放射能による毒性を排出する法としている。法は人によるのである。
皆さん楽しく真剣に学んでいた。確実に身に付けられたと思う。
さて、来月より毎月第2日曜日に、柳澤先生指導の『整体講座』を行なう。
野口晴哉先生の『体運動の構造』をテキストにして、読み解きながら、操法を学んでゆく。この講座を通じて、整体法を身に付けていただきたい。
この講座は、1年間通じての講座でありますから、講座参加登録をしてください。審査有り。
定員は15名前後。
本当に楽しみです!