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- 2012.12.01 Saturday
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2年前に御岳山綾広の滝禊ぎ場にて祈念する
御岳での修行も今日で3年目に入った。
2年前の1月末に、気合法講習の為に下見を行なった。これがわたしの伝法伝授の事始めであった。
もちろん御岳にはそれ以前から度々登拝していたし、禊ぎなどにも参加していた。それは13年以上前からのことだ。但し、この一年の行場開発のようなことはしていなかった。
いまでも思い出すのは、御岳の各所で深く祈念したことだ。より多くの行者が衆参することを願った。日本の文化遺産たる「霊学修験」 の復古を誓願としたのであった。現在、少しずつだがそれは順調に進んでいると思う。
1月30日には、参加者で気合法の訓練を行なった。2年前祈念した「綾広の滝」禊ぎ場にて、修行した。整腹気合法、打ち込み気合法、咏応気合法、打ち込み払い九字、鳥船神事などを行なった。滝行にても、「神傳禊流神事」の入滝法をもって修行した。
「好事魔多し」というが、吉事があれば魔事もある。表裏一体、不即不離である。日向があれば日陰もある。陰陽一如の原理だ。
山の様相は、この一年で随分と変わった。御岳神社の関係者の宣伝的な活動も関係していると思うが、それも含めて何かが動いていて、山に来る人々の様相や多様さ、人数が変化した。或る意味でその先鞭を切ったのがわたしたちであったのだろう。
それ故に、善きもの悪しきものの行き来を見ることになる。それは筑波の白瀧でもそうだった。自分たちとは相反する境界の者を見させられるわけだ。今年の寒行では、まざまざな外部的「魔事」を見せつけられたし、内部的にも「妄念」「執着」「気質的行為」「自尊心」などからくる「魔事(禍津毘)」を多々見ることになった。それは、正統な行者が負うべきものだから、仕方のないものなのだろうと思う。
是くして、今年の寒行は、わたしと幾人かは順調な進捗をみせている。「霊魂(たましひ)」を清め顕現・開発・統一するところの「禊祓の法(みそぎはらい)」は、速度をあげて開陳してきているのである。日本に於ける「古道(ふるきみち)」は、自然智乃会・川島道場にて復古の道を辿っている。
そのようなわけで自然に「禊ぎスタイル」になった。望む者はわたしと一緒に褌・鉢巻で禊ぎしましょう。無論、男子だけですが・・・。またギャラリーの多い場所時期にはできませんね(笑)
(追書)※大寒滝行の終了時、アニメの蛙男に酷似した「禍津憑霊」の者を見ました。
修行を進めてゆくと、必ず相応した正反対の存在が顕現するものです。惑わされてはいけません。
今日は星のお話しをしよう。
星と言っても、天空に輝く星座のことではない。それは運命の星のことだ。
人生とは星の運行に似ている。廻ってくるという点。星と星が重なるという神秘。突然、彗星が横を通ってゆく。
霊学では、人間の人体や精神を含めて、小宇宙だという秘説がある。その詳細も時機をみてお話したいと考えている。
あまり知られていない「秘星」について述べたい。
それは2つの星だ。1つは「密多計地星」。2つ目は「須都羅摩破星」。いずれも専門家でも聞いた事のない「運命の秘星」だ。これらの深遠な教えが消滅することを憂い、敢えて公開した。
よろしいか。
先ず「密多計地星」。この星は、主に女性に出現する。あるいは子供に出現する。いわゆる「水子」の存在を示す秘星である。水子がいるから必ずあるとは限らない。しかし「青白い光り」を放って存在を示す。その色は、青く悲しく光る独特のものである。
「須都羅摩破星」。この星は「由縁の精霊(ゆかりのしょうりょう)」の存在を示す。主に祖霊で未成仏の霊的存在を教えてくれる。出現した部位により、それが父方のホトケなのか、母方のホトケなのかを示す。また附属している他星により、そのホトケの死に方(例えば変死なのか、病死なのか、癌なのか等々)が判定できる。
口伝を言うと、「須都羅摩破星」が出ていて、その上で「密多計地星」が出現するのである。腰部のあたりに出てくるのである。
わたしの場合、整体法施術のときなど「霊光療法」による「輸気」を行なうわけである。そういう時に、この星を見つける事がある。本来は星座を組んで、鑑定判断するわけだが、実際の体の上に見ることがあるのだ。青く悲しそうに光っている、そうぶら下がっているのだ。
昨年の暮れに、渋谷にカレンダーを購入しに行ったのだが、若い女性が5つも6つもぶら下げているのを見て驚愕した。まさしく「因果は眩ますことが出来ない」のである。
わたしのところでは、密多計地星・須都羅摩破星を供養するための「幽魂安鎮」「水子霊符」をお教えしている。今後は御真言その他も教授する。このような秘星をそのままにしておいてよいという事は、当然のことながらないと言わざるを得ない。読者はどう思うか?
1月15日偶然、NHKの大河ドラマを見た。再放送だ。
話題の作品、「江-戦国の姫たち-」だ。織田信長の実妹の、お市の方。絶世の美女だったと伝えられている。政略により浅井長政のもとに嫁いだ。三人の姫を生み、その三女が主人公の江(ごう)である。
京都の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の前に養源院(ようげんいん)という寺院がある。血天井で有名なお寺だ。わたしはよくこのお寺の前を通った。この辺りから身代わり不動、熊野神社など経て稲荷山に入ってゆく。山の中の早朝・夜間は真っ暗だ。そこで滝行を随分やったものだ。ほとんど一人で修行した。
忘れもしない平成2年1月15日の午後10:00過ぎ。この日は半端ではない寒さだった。この養源院前を通ったときに、ふと感じることがあった。成人の日であり、有名な「三十三間堂の通し矢」があったのである。垂れ幕などが寺院の壁に残っていたのを今でもはっきり思い出すことができる。
この日の滝行法は特別であった。滝場全面が分厚い氷で覆われ、滝の樋には大きな氷柱があった。落ちてきたら一巻の終わりだ。水の元素(エレメント)が凝結し、清らかな精霊の存在を感じた。わたしが「大火生三昧」を掴むきっかけになった出来事だった。
この日の修行は忘れることができない。その帰り道、暗闇を歩いていると腹部が発光しているのだ。眼を閉じてもわかる。やや水色に輝いているのがわかる。この光りを更に2〜3センチくらいの大きさに圧縮して腹部に納める。これでもって火炎をコントロールする。これ「火生三昧法」の基礎の技法である。
そんなわけで1月15日は忘れることができないのだ。
先に述べた養源院も少なからぬ因縁がある。この寺は、元三大師良源(がんさんだいしりょうげん)の開基なのである。彼は慈恵大師といい、比叡山天台宗中興の祖と言われている。天台密教の寺院では、豆大師・角大師(つのだいし)といって尊崇し、紙のお札も分けている。法力抜群だったという。この良源の弟子に、徳川家康公、秀忠公、家光公三代の幕閣として仕えた天海僧正がいる。彼は、天源術や八門遁甲の達人であったという。別名、慈眼大師ともいう。
慈恵大師良源は、元三大師というのだが、正月の三日に誕生したとか、あるいは帰幽したということから是く名づけられたのである。よく寺院でお御籤(おみくじ)がある。百番まであるのを知っておられると思う。あの、お御籤を作ったのが、良源なのである。
あれを「元三みくじ(がんさん)」という。別名「観音みくじ」ともいう。わたしが行っていた滝場には、この御籤の見方を、ある偉い天台の僧侶に習ったという、女行者がいた。そこで見方を伝授してもらった。たぶんそれをその人から教えてもらったのは、わたしだけであると思う。
その見方では、1番〜100番とは言わない。1則〜100則というのである。吉とか凶にも捉われない。文字解釈に秘訣があるのである。昨日、長原の台湾料理店に(※ここは知る人ぞ知る店だ)行ったのだが、台湾人の亭主なので店にいろんな台湾の物がある。台湾寺院の観世音みくじが目に付いた。あの御籤文が元三みくじと同一ならば、良源が創生したのではないことになる。
実は、良源は浅井郡の出身なのである。つまり浅井家所領の地から出た家柄なのである。良源が浅井長政を供養するから、寺院の名を「養源院」にしたのであろう。この寺院は、NHKドラマの主人公、江が浅井長政や徳川家、豊臣家などをご供養したところなのである。いまでも徳川家と豊臣家の家紋が入った御位牌などがある。
良源は浅井備前守長政(あさいびぜんのかみながまさ)と同一出身地の高僧であった。その正式な戒名は、養源院殿正二位亜相天英宗清大居士である。戒名の院殿号が、そのまま寺院名になっている。琵琶湖の北、湖北町にはよく行った。浅井長政の居城、小谷城址にも随分と行った。ドラマの戦闘シーンはよくできていた。地形をよく知っていて製作したのがよくわかる。
わたしは、無念、浅井長政の自刃の地にて法要をしたことも再三。お市の方、三人の姫姉妹が逃げた経路も実地に考察した。なぜ自分がそこまでこだわるのか、理由はわからないが・・・。
21年を経て、今再び、わたしは滝行法に思いを馳せている。1月15日は、わたしにとって不思議な日である。過去へとわたしの心を運び、そして新たなる境地を与えてくれる。
偶然というものは、ないのであろう。
これも定められた縁なのだと思う。大切なことは、自分がどうするのかということだ。等閑に過ごすのか、産土神より任せられた使命を自覚し果たすのかどうか、ということなのだと思う。このことがいついかなるときでも、忘れてはならない一大事なのだと思ふ。
【神傳 八門遁甲占傳】である。
しんでん はちもんとんこうせんでん、と読む。
この占術は、八門遁甲という占法から来ている。
この他に三十六遁甲占法、七十二遁甲占法があり、これら三つの占法は、各々が別々の占術であると同時に全く別の独特の深理があると口伝されている。この法は霊祟(れいすう)看破の法である。
霊的な問題の根源を看破する法術・秘法だということである。
易などでもそうであるが、占いの最終奥義は、霊的な問題の看破である。各占いの秘伝の最後の部分は、霊崇・憑霊の見分け、見立てなのである。
見分け・見立ては、瞑想集中の 法でもあり、透視の方法でもある。「古事記」など神典では、見立てという言葉が明記されている。現代では、瞑想・メディテーションなどという言葉を使うが、実は日本では「見立て」という言葉で表現されていたのである。洋夷な唐言葉、西洋かぶれで自らの生国の優れたものを見失うのは、日本人の良くないところだと思ふ。外国文化や流行、権威に弱いのだ。
この秘占術は、きわめて簡単で、霊術者:桑田欣児先生の『神鑑法(しんかんほう)』よりもさらに簡易であり、霊崇の看破については、白眉のものである。ただし、御占木を謹製しなくてはならないから、皆さんにお伝えするには、この作成に力を貸して頂かねばならない。それが条件となる。
霊術=療術を為すためには、例えばここに病気の人がいる。この人の病気が、器質による通常の病なのか、霊崇からきているのか見極める必要がある。霊崇ならばどこに原因があるのか、更に見極める。土地や家屋に障りがあるのか、個人や他人に由来する霊崇・憑霊なのか診るのである。
治療術を施すだけが、霊術ではない。根本原因にまで遡って処理するのが、道士のなすべきことなのである。
「神鑑法」「〇〇秘伝」等、いくつかの方術をわたしは熟知しており、それらを指導者用の「秘本」としてまとめて伝授しようと考えている。その中には、当然「邪霊邪気進入を防ぐ秘法」も含まれている。
実はこのことは最近気付いたのであるが、この大秘法がわたし自身の「産土神」から御出傳されていることが分かった。また死者供養にどうしてこんなに関心があるのかも判明した。灯台下暗し、である。
歴史的には、諸葛孔明や天海僧正(慈眼大師)が用いたといわれる。即ち、兵法軍陣の秘法なのである。軍(いくさ)において、どう活路を開くのか、どう勝のか、どう退くのか、ということが生き残る秘計となる。人間の頭脳だけでは、真実の判断は出来ないのである。
「運」という文字は、軍(いくさ)から来ている。下には「しんにゅう」がある。要するに「走る」ということだ。軍でも激しいのに、さらに走るが付いている。「運」とは、それくらい苛烈なものなのである。「運命」というが、そんな簡単には「運命」など転換はできない。
その「運命」の危機に際して、八門遁甲法は活用されるのである。個人の霊的問題に対して答えを出すことが出来る。みなさんは、このような秘伝を学びたいだろうか。それだけの要望があり、さらに怠り無い修行、間違いの無い理解があるのならば、わたしはこれらの秘法を少人数になるだろうが伝授する意志がある。どうだろうか?
はっきりいってこれらの秘法をすべて自力で集成し、体得しようと思ったら、数十年の歳月がかかる。第一、伝承者の先生たちがすでに物故しているし、理解の素養をつくるのにどれだけかかるのであろうか。
伝授するしないは、金銭の問題ではない。受けようと思う側の、器と理解・信仰・意志・信頼の問題だ。
法の純粋性、真実の境地の進捗の為に、わたしは大きな教団を作るような、バカな真似はしません。自分と一対一。なんでもかんでも金銭・経済活動にしてゆくようなことはしません。もし仮に商売のネタ探しにくるような者は、はじめから仲間には入れません。(※秘法により素性を観る)
いまいる人の何人かに期待しています。創生期にご縁のあった人々を指導できずに、なにがあるのか。確かに活動当初の1年間は、マニア系・オタク系の人々が随分と来られた。そういう方々は、いろんな事情により来なくなったし、来れなくもなった。所詮、それだけの関係性なのです。そのことによって、わたしも多くを学びました。やはり大切なのは信頼ですね。先生と生徒の信頼です。これがすべての土台です。
わたしは必ずしも自分のことを先生だとは思っていませんが、教えているときには確かに自分が先生だと思う。自分の先師がそうであったように、命がけで臨む。この姿勢に一点の曇りもないからです。
この秘伝の施行の際には、次のご真言をお唱えする。
オン アコレイ コシレイマイダリ マイダリ テイバヤ キシヤハンダ ハンダカカカ
シヤウキヤラヤ イネヤ ・・・・・・・ ソワカ
この呪、神験著しく奇しびなる境地に入るを感じる。これ神人合一の感格境地である。
諸人よ、時を待たれよや。必ず伝法教受することを請負う也。
明日は小正月。明後日は、やぶいり。
本年の正月祭事もとどこおりなく終える事ができました。
元旦には、禊ぎ行を修し、本年の弥栄を祈念しました。
国の無事繁栄、地域の安穏、ご縁或る方々や親族の健康と浄心信仰を祈ったのであります。
「元旦禊ぎ」が終わりまして、身体に不思議な感格がございました。
鎮魂というだけではない特殊感覚がありました。それは龍体に関係のある教えだと思います。
龍体とは、文字通り「龍神の御体」 のことであります。
2日には、初夢占を行ないました。初夢を確認して、占うのです。またしても畏友三上氏が登場するものでした。どうも今年も係わりがあるようです。
また、初夢の中で文字が顕れました。その文字は「天」です。しかしこの文字がおもしろい。普通の天とは違うのです。夢の中で、わたし自身が解説しているのです。「ひらく」と読むのだと。そして「これは鳥居なのだ」と。ですから、スカイプ第一回講座では華表(鳥居=とりい)について取上げました。
お書き初めは、いくつかの詞と「天」をお題としました。
元三(3日)は、忌火神事の齋事を行ないました。浄火による禊ぎです。火は「か」であり、水は「み」である。二つが揃って「かみ」となります。
火を清めないと、生活に穢れが生じます。当然、水も清めなければなりません。まともな宗教ならばこの方面の詳しい教え解説がある筈です。
5日にはスカイプテストを実施。
9日には、御岳山にて鎮魂帰神 滝行修練会を氷張り詰める滝場で行じました。また奥の院までの登拝も行ないました。今年の修行の無事を願い、2箇所で護摩供方式で御法楽を捧げました。
12日はスカイプによる第一回講座。「産土神冥徳講義」がその内容です。
いま流行りのパワースポット参りのような無作法に批判を加えました。雑誌TVで取上げられていますが、このようなあり方が一番よろしくない。神域を汚す行為です。妖魔に心を奪われているのです。こういうことが流行するのは「魔の仕業」であることを認識していただきたい。
また、奇をてらうことを求めるは、これまた妖魔に魅入られるものです。奇を求めるというのは、例えば「気が出る」などと言って喜んでいる相です。
「霊学は心を浄めるを以て本と為す」
霊魂(たましい)を浄め、直霊(なおひ)を開顕し、神祇に感格することが、その道です。
四魂一霊を浄化する。わたしの表現では「魂を清める」ということです。
16日には、また某所で滝行修練会です。毎回、熱心な修道者が来られています。今回は「特段伝授」として「大龍神拝禮法」をお伝えします。無論、他に伝えること厳禁です。
さて、諸氏は「天」に通じ、天らく(ひらく)ように精進していただきたひと思ふ。
『大神の 真(まこと)の道は天地(あめつち)に 先立ち成れる ものにこそ有れ』
辛卯歳(かのとうさぎ)元旦の禊ぎ、初滝行である。(平成23年元旦撮影)
御岳山七代の滝での初滝行(平成23年1月9日撮影)
元三斎火神事の模様(平成23年1月3日撮影)
元旦当日、初日の出前に出発する。相模川のところで初日の出を拝す。順調に塩川大瀧に到着。
塩川大瀧は塩川大神とも言い、詳しくは「緋龍権現」「青龍権現」がお祀りされている。八菅神社七所権現の第五番札所だ。熊野修験系統の法流の一つに、八菅修験(はすがしゅげん)がある。大瀧はご神体であり、千手観音ないし大日留女貴なのだという。八菅神社の縁起としては、日本武尊様が八菅の山を見て「蛇体」だと感じたことに始まる。
元旦の禊ぎを朝7時過ぎに行う。お社に太鼓があり、その太鼓を打って修法の開始とした。法螺を立て、勤行を行う。さらに神事も併せて修す。
塩・酒・お香を献ずる。お社には燈明を点す。
この滝場は、音響がよく響く。昨年来たときには、青い光りが強く出ていた。それは青龍権現の力が強かったからである。しかし今回は違った。赤い色が強いのだ。今度は塩川大権現の一柱の神、緋龍権現の力が強かったのである。「緋」 は赤色のことである。
寒波のせいか、もの凄く水が冷たい。気合をかけても、身体が温かくならない。いつも通りすばやく作法を行なう。一人の行はいいものだ。思う存分修行が出来る。元旦の早朝、いくつかの啓示を受けた。早速、修行に取り入れる。
塩川の大瀧は、入滝すると滝の流れ落ち来る音がすばらしい。これぞ「耳削ぎ(みそそぎ)」=音霊法(おんれいほう)だ。この法については、昨年の秘伝合宿で教授した。素早い鎮魂が実現されるのを感じる。音霊の法をやるには一番優れている滝である。
ありがたいことに、霊魂(たましい)が顕わになった。魂が揺さ振られ、振動して、己の「たま」が出てくるのだ。霊水の威力で、「直霊(なおひ)」が光る。
行を終えて、帰ると後行を行なう。先の滝行を心中で観想し、再生するのである。さらにゾクチェンのトゥンを一座行なう。青いエレメントの光りが強い。心臓の真ん中に「青いフーム」のチベット文字を観想するのだが、身体の中で自然に光りを放つ。
今回の元旦禊ぎで、わたしはより集う皆さんの、年の除災・開運を祈願した。『魂の清め』『産土尊崇』がよく行なわれるよう祈念したのである。