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- 2012.12.01 Saturday
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9月19日〜20日、自然智の会主催: 霊学講座【霊法秘伝合宿】が開催され、無事終えることが出来た。参加者は総勢21名。けっして少ない人数ではない。
19日の昼に集合し、はじめの伝授講義をし、すぐに「洒水の滝」で修行を行った。しかし、驚いたのは、滝場の様相が大きく変わっていたことだ。それどころか、滝場へゆく道が難所になってしまっていた。そういう場所に20数名が行くわけで、或る意味で危険であった。不思議だったのは、出発前にやけに脚立が存在をアピールしてくるのだった。だから持参したのだが、脚立がなかったら行くことは出来なかった。
先般、台風がきて、山北町は記録的な豪雨となった。崖崩れなどもあった。洒水の滝も見晴台が半分崩れていた。だが、わたしたち一行は、すぐに柴灯護摩供を修法し、満山諸天善神にご供養した。修行ができるように祈願したのである。初心者もいる、ベテランもいるという、初顔合わせもアリの荒行だった。護摩行のときに、導師であるわたしに向かって火炎が踊った、火の粉も飛んできて、覚悟を決めさせられた格好だった。わたしは迷わず覚悟を決めた。
結果、滝行は上々の出来だった。当初一番恐れたのは、滝場・見晴台の崩落、落石だった。20人からの修行者が真言を唱え読経し、気合法を行ずるのだ。いつ崩れるのかわからない。気合の振動は凄まじいものがある。全員、2度3度と入滝し無事終えることが出来た。
風呂に入り、食事をし、その後「霊法伝授」だ。今回のテキストは、満足していないが、渾身のものだ。なるべく最小限の解説で、次々と講義伝授する形式を採った。というのは、参加者の皆さんと、この人生で長い時間共に居ることはできないからだ。九州・四国・東海などの方面から来ている方も居り、ましてこうして多くのことを伝授し、共に修行することは時間的に無理なのだ。それがわたしたちのおかれている環境なのだ。その環境を無視して、昔ながらの「丁稚奉公」みたいなことをやっていたら、霊法・霊術を現代に具現し、力を発揮することなど出来ない。昔と違い、現代人は理解力があるし、生活面で余裕がある。それに高度情報社会でもある。この特質を土台に修行をすすめてゆくべきである。この考えは間違いであろうか。
伝授は、簡単な禁厭法(きんえんほう)から、権胎化作、鎮魂帰神法、密教秘伝、憑霊発現法まで網羅した高度なものだった。ブログで予告した内容以上のものを、走り抜けるように講義した。講義は3度行い、一部の高度な呼吸法解説以外はすべて行うことができた。
法が生きている証というか、そんなこともあった。参加者の一人が、憑霊発現法の仕方を質問したので実際の方法をやってみせた。その後、憑霊についての講義をし、口伝を述べたのだが、そのときにわたしの後ろにあるカラオケの画面が勝手に電気がついてしまった。講義中のことだから、みんな見ていて何だったのかと言った。おもしろいのは、憑霊から話が、神拝の話にいった瞬間にカラオケ画面の電気が消えた。あとでこの一件を審神法(サニワ)してみたが、3つの所見を得ることが出来た。
まさしく憑霊発現であった。
次回の構想もできている、わたしはすでに駆け出している。参加者の方々は、多くのことを聞きたいであろうが、わたしもまた修行半ばの者であり、完成した訳ではない。少し皆さんよりも進んでいるだけだ。したがってわたしにも時間と資材が必要なのだ。まだまだ修行をしなければならないのだ。皆さんに充分な対応ができないかもしれない、しかし諒とせられたい。
夜には、名古屋の相宮先生に自然活元会をやっていただいた。初めて方もいたので大変だったと思うが、よく工夫してくださった。そのお陰で、自然活元運動に興味を持った方が何人かおられた。また、相宮先生の気合法には風格が出てきた、他の人たちもそう云っていた。
気韻法、正伝:野中操法、腹から背骨を読む具体的な方法(整体操法だけに伝承)など実習を行ったが、手技療法の方は、充分に時間を取れなかった憾みがある。次回はもう少し時間に余裕を持ちたいと思う。
二日目。「夕日の滝」での修行だ。早朝から講義伝授と、滝行の前に役立つ方法の実習。食事を摂り、滝場へ。ここで事件が起きた。わたしがスズメバチに脳天を刺されたのだ。着替えの場所を確保したのだが、そこが蜂の巣のすぐそばだった。しかし、他の人でなくて良かった。そのまま直ぐに入滝して修行したのだが、とても良い経験だった。言葉にならないような、いくつものことを教えてくれたし、この文章を書いている今も教えてくれている。記憶では、この3週間以内に、或る森の中でスズメバチに遭遇し、はっきりと目が合うという夢を見た。これは一種の予知夢であったのだが、ここがわたしの隙で、夢の読み方を間違えた。この教訓は今後に活かしてゆきたいと思う。
また、通称ウッシーさんも盾となった。滝場で脛を打ち付けた。後ろの方の盾になった。もし彼女がいなかったら、もっとすごい怪我人が出ていたかもしれない。このことも沙庭(サニワ)してみると或る種の因縁・産霊紋理(むすびかため)だった。だが、現実の対処の中で、滝から抱きかかえて運ぶ人、介抱する人、気遣う人、手当てする人(輸気)、みんなの連携で彼女の具合は随分良くなった。
「夕日の滝」の修行は、すばらしかった。不動真言、気合法など、まずまずの出来でした。同時に課題も見えました。今後はさらに質が上がることでしょう。滝行が終わってから、柴灯護摩供を行い、感謝を捧げました。
今回の合宿でそれぞれがいろんなことを得ているのが良く分かりました。人生一度きり、この生を溌剌と生き切る。みんなの大切な人生の中の時間にご縁ができたことをわたしは心から感謝しています。率直に、またお会いできたなと思っています。或る人は前世で家族であり、友人であり、伴侶であった。そんなことを秘かに感じました。これは正直な感想です。
山北健康センターで、最終講義、参加所感を述べていただき、風呂・食事をいたしました。みんな元気で帰途に着きました。何より無事が第一ですね。
この度、赤塚先生、松浦先生に「野中操法師範代」、近谷先生に「滝行先達位」を認定し証書を授与しました。これらのことも審神(サニワ)した結果です。諸先生には、今後のご精進を期待しています。
最後に・・・。この合宿での皆さんとの自然な一体感は、すばらしかった。小魚たちが瞬時に一糸乱れず移動するような見事さ。あれこそが自然智の発露でもあります。いま、わたしは無事帰宅しまして、暢気に今度はいつ合宿があるのだろうと、ボーっと妄想しています。変な主催者ですね(笑)。
さて、明日から一泊二日で霊学講座【秘伝合宿】 である。
主催は、「自然智の会だ」。今後わたしが主宰する会の正式名称は、「自然智の会」となる。
この名称は、すでに20年前に心に決めていた。
『自然智を自覚する為の会』だから、是く名づけたのである。
語源は、分かる人には分かるのだろうが、一応述べておく。
今から千年以上前、奈良時代から平安時代になる頃のことだ。
当時日本は律令国家を樹立していた。異国の宗教である仏教も鎮護国家などと言って、最新の文化として取り入れられていた。壮健な建物も権力の誇示と信仰の賜物だった。
仏教は、まだまだ民衆のものではない。確かに行基菩薩のような方もおられたが、極稀であった。
南都六宗の1つ、法相宗の僧を中心として、山林に行場を求める修行者がいた。彼らの中で最も大成したのが空海である。
空海は当時、私度僧だった。私度僧(しどそう)とは、国家の許可なしに僧侶になった者をいう。
年分度者といって、国家から任命される僧侶は、ごく限定されていた。誰でも僧侶に成れたわけではないのだ。今で言えば、医者・弁護士になるようなものである。
彼ら山林修行者は、何をやっていたのか?
自然智を獲得しようとしていたのだった。自然智とは、仏智(ホトケの智慧)のことだ。
学問的には発達した仏教だったが、心ある修行者が最後に目指したのは、頭で理屈を理解するのではなく、悟りを体得することだった。
彼らのような集団を、「自然智宗(じねんちしゅう)」と総称した。
主に「虚空蔵求聞持法」を修行していた。空海の「三教指帰」に明らかである。
古神道では、「考える」というのは、「神迎え」からきていると説く。
そう、帰神である。「帰神法(きしんほう)」によって、霊的な感応を受けて、アイディアが出てくる。これがわたしの志向する、これからの時代の思考法である。本ブログのサブタイトル『霊的アイディアを獲得する時代へ』とは、ある種の方法を使って、自然智・神智を得る時代だということである。
実に方法は、2つの系統があるのだ。密教的な方法と、古神道の方法だ。
よく世間には、訛伝した人間が作った方法を、秘法と称しているところもある。また、やけに宗教臭くなっているところもある。しかし、わたしのところはそういうあり方ではない。一人一流派が、その土台だ。だからといって、読経真言や祝詞を奏上しないわけではない。さらに知識だけ得たいという人はいらない。信頼関係がなければ伝授伝法はできないからだ。
この度、「自然智の会」と名乗り出したら、弘法大師空海由来のお寺で、或る秘法を伝授していただく機会を得た。まったく不思議である。
今回の合宿では、いくつかの秘伝を伝授する。更には、次回にやる予定の内容も予告する。これは霊法・療術家を目指すもの必須の内容となるであろう。諸人、伝授のときまで、いくばくかの時間を待たれよや。
今日はご存知、野口晴哉師の話題だ。
突然、こんなことを云うと驚かれるかもしれないが、野口晴哉師は『尸解仙(しかせん)』だった!
尸解仙(しかせん)とは、道教で云う、神仙と化したものを指す。
道教の法は、我が国の古代神道ともつながっており、「昭和の修験」と云われた、霊学・霊術は究極において、到達点は同じなのである。日本の仏教ですら道教の影響を受けている。漢文のお経を用いている段階で既に道教的要素が入っているわけである。
「霊学講座」の松本道別師の法も究極的には、化神仙を目指すものである。仙を得ることは、仏教においては成仏陀することである。仏陀(ホトケ)に成ることをいう。神道では、神人合一という。
松本道別師の法は、相当に筋の正しいものだ。訛伝(けでん)の邪なものではない。縁があり、徳と能力を兼ね備えたものが、修行したら仙を得ること疑い無しである。
以前から野口晴哉師の死に方には、疑問があった。今年、野口師の奥津城へゆき、その疑問はどんどん大きくなった。お参りしていて何かが違うのだ。野口師の令夫人によって書かれた、師の最期。野口晴哉ファンならば誰でも知っている記述だ。
今年に入り、いくつかの出来事があり、それらは別々の点であった。ごく最近、その点が結ばれ、線となり、面となってきた。同時に、わたしのなかで筆を執る勇気が湧いてきたのだ。正直、本を書くことに情熱が出てこなかった。いろいろな理由がある。しかし、いまは違う。
野口晴哉師は、本当に仙位を得て、尸解(しかい)を実現したのである。
キリストや日本武尊(ヤマトタケル命)が成し遂げたことをやってのけたのだ!
目の前にある現実しか見えない者には、このことは永遠に分からない。
我が法門は、野口師の「仙去」(仙人となって去る)を事実として受け止めて、顕幽一貫の精進をしてゆくことを宗とするものである。