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  • 2012.12.01 Saturday
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洒水の滝【2010年7月 ミュート秘伝合宿にて】

 
滝行研修にて


法螺を満山護法善神に供養する


柴燈護摩供を修する


河野智聖先生と川島金山


不動剣印にて真言を誦する


滝と一体になる

洒水の滝【ミュート秘伝合宿:腹部操法&滝行法】

7月17日〜18日、ミュートの秘伝合宿に参加した。 
わたしが今回担当したのは、野中操法講座と秘伝対談、滝行法の研修と実際の修行である。

河野智聖先生とのご縁により、今回の秘伝合宿の運びとなった。
今年の1月〜6月の野中操法講座の本当の意味での、総決算と言ってよい。腹をつくることを実現する野中操法と、滝行気合の法を具現する、このことはわたしにとって一つの目標であり、活動の証しでもある。

今回の合宿の催行は、『念ずれば必ず現ず』ということを自分なりに実現したといってよい。そのように考えている。自然発生的にミュート秘伝合宿が実現したのである。

【7月17日(土)】
河野先生のご自宅から車で洒水の滝へ向かう。車中、河野先生とHさんわたしの3人で鼎談となる。ここでの話は実に示唆に富んだものであり、まちがいなく時代の方向性を明らかにしたものだった。
夜の対談(鼎談)は、これをテーマにお話をした。

「アクエリアスの時代」という言葉をご存知か。
宝瓶宮(みずがめ座)のことである。占星術のほうでは、今の時代はピッセスの時代なんだそうである。双魚宮(魚座)のことである。過去2000年がピッセス時代であり、これからアクエリアスが開始されるというのだ。天文学的には、2016年からだという。

アクエリアスは、非常に霊的・叡知的な時代になる。仏教の悟り、慈愛、神道の神人共食などの境地が地球的規模で実現されてゆく。そのような時代である。

密教のほうでは、五大を説く。地・水・火・風・空だ。
狩猟、農業、工業、情報、が地水火風に配当される。現在の時代は、風であり、それは情報通信の異常なまでの進歩だ。平成7年の阪神淡路大震災の時には、携帯電話がこんなに広まっていなかった。あれから15年でこれだけ広まり進化した。いまやipadなるものまで出てきた。

わたしは、風の時代が、極限まで発展進化してきたと考えている。これは、もはや後退することはない。同時に、空の時代の到来を予感するのだ。空とは、色で言えば「青」であり、空間であり、それは『般若』だ。

般若とは、空であり、智恵である。仏の二徳には、智恵と慈悲があるのだ。
智恵とはなにか、般若=空とはなにか、というと、それは主体と客体の総合ということだ。自分の心のエネルギーの顕現が、外界なのだということだ。だから、自分も外界もないのである。

だから、そのような認識の上に立つ時代だということである。

さらに言えば、智恵を得る時代なのである。
その智恵は、自分の内からくるものなのだが、同時に外からも来る。それこそが、帰神法なのである。昭和の修験と言われ、霊学の大家であった松本道別翁が残した『鎮魂帰神法』の方式こそ、神界の叡智を得る方法なのである。

野中操法講座。河野先生による腹部操法講座、気韻法、整体体操などを行った。とても有意義な講座であった。

深夜の親睦会では、霊的な法術の具体的な実例をお話しした。

【7月18日(日)】
早朝に勤行。延命十句観音経も読誦す。もう一度、滝行研修をする。朝食。
この日の滝行は、先に述べたような不二の境地になることを念頭に修行した。
腹の中にこそ、真の高天原があると。天照大神がおわす高天原は、人体においては高天腹なのである。木食上人の祠、文覚上人の不動明王を参拝して懇ろに勤行した。滝前では、柴燈護摩供を行い、満山護法善神をご供養した。

素晴らしい滝であった。魂振りの力がすごい。帰神状態になる。開く気合の鍛錬になる。心の本性=リクパ=天心がはっきりと顕れ、数日間消えることがない。後に特別な霊夢を見て、夢の中で修行が出来る。様々な効用があり、御岳山での修行とは、また一味違う妙味がある。

そのようなわけで、秘伝合宿は、まさしく本質的な部分の「秘」を得る合宿となった。
これもご縁。アクエリアスの時代に向けて、わたしは進んでゆくことにする。


滝行研修【ミュートネットワークにて】

昨日、河野智聖先生主宰のミュートネットワーク自由人にて、滝行研修を行いました。
外部での密教・霊学の講座は、はじめてでありますので、テキストなども新版を作成しました。より見やすくなった思います。

心構えから、密教のサマヤ。修行の目的、実際のやり方など講習しました。
時間が十分でない憾みがありましたが、よりシンプルにまとめて要旨を説くことが課題だと感じております。側近のスタッフからも、そのような進言がありました。

昨日の講座で、特筆すべきことは、習うが側からしたら、護身法・護身九字真法を伝授されたことだと思います。教える側、つまりわたしの側からだと、特別な灌頂、神伝の名前を闡明にしたところにあります。

次回、7月25日の「霊学講座」は、これらの解説・伝授と共に、禅定法の秘伝を伝授します。

しかし、河野智聖先生はじめ、ミュートネットワークの皆さんが真剣で素直だったことは、ありがたく驚きでした。

【庚申秘説(1)】

皆さんは庚申の日待ちというものをご存知だろうか。

庚申は、『こうしん』と読む。

7月9日(金)の今日は庚申の日だ。幽玄なる教えでは、この日の夜に入眠すると、体内の三尸という幽的な存在が、体外に出て、天帝に禍福を告げ、寿算を削るという。三尸の神とも云う。

寿算とは、寿命と運命である。

庚申の日は六十日毎に巡ってくる。よく道端に、三つの猿と共に祀られている石碑や石像がある。密教のほうでは、青面金剛と云い、神道系では猿田彦大神と同一視する。

昔は日本全国の町村部落で、庚申の夜には集まり、通夜したのである。最近は、都会ではあまりやらない。地方ではやっているところもある。

翌日の朝日を拝むのは、更に良いという。三尸が消滅するという。

菊丘匡弼(きくおかまさすけ)という、仙人でもある斯道の先達は、庚申の秘説を詳細に述べている。勉強されると良い、裨益するところ大である。

わたしのところの修験霊学研究会(旧称:滝行気合の会)でも、かねてから庚申の秘儀を施行したいと考えていたし、日待ちなども行いたいと思っていた。

身に付ける護符の謹製や秘呪などの実践も今後は行いたいと企図している。
 


   三尸の秘図


浅草の観音様に参詣する

今日(7月9日)、明日(7月10日)浅草の観音様に参詣します。

ご一緒にゆきたいという方は、ご連絡ください。

集合場所と時間は、折り返しご連絡します。

まあ、今年も半分終わりましたし、七夕祭もやって心機一転したので、霊験あらたかな観音様でもお参りして、菩提心の種子を頂き、縁起を良くしましょう!

浅草・雷門


浅草の観音様【四万六千日に参拝】

普通、観音様のご縁日は18日だ。
しかし、浅草の観音様の4万6千日は、なぜか7月10日なのだ。現在は、その前日の9日も4万6千日の功徳があるという。そして9日は「ほおずき市」である。

恵比寿さんでも、京都の祇園祭などでも、宵の功徳というものがある。宵とは前日、前夜だ。浅草の観音様も同じことである。

「ほおずき」は、法好きであって、転じて「法付き」だ。仏法(ぶっぽう)が付くわけである。どこに付くのかというと、自分の心根(こころね)に仏法が付くわけである。何が付くのかというと、菩提心が心に付くのである。観音様は、大慈悲心の功徳を持っている。菩提心とは、菩提(さとり)に向かう心であると同時に、慈悲心のことだ。観音様は、慈悲を衆生に垂れると同時に、衆生の心に、悟りへ向かう種を種えて下さるのである。仏の悟りへ向かう、ご縁を与えてくださるのだ。それを一番与えてくださる功徳日が、毎年7月9日〜10日なのである。

この日、別の寺社にも、お参りすると、なお良い。わたしは、ここ数年そのように参拝している。読者の皆さんの中で、ご参拝を考えている方は、先に述べたような心持で行かれたら良いと思う。

観音4万6千日功徳日のお参りは、お釈迦様の「縁起の法」に通じるものなのである。この意味がお分かりになるであろうか?学者の解説を読んでも、本当の意味で「縁起の法」を分かったとはいえない。お釈迦様の実践された、戒・定・慧の三学の骨子となるものは、この「縁起の法」である。あえて云うならば、仏法における智恵の修行とは「縁起の法」観行(瞑想法)なのである。



修行の土台(1)【因縁心論を読むべし】

修行の土台ないし根本は、理解ということである。
霊験話や奇譚ばかり追っかけていたのでは、境涯が進まない。
持って生まれた業や縁が変わっていないのだ。

仏教も神道も宗教であるが、当然のことながら組織が介在する。人間が3人以上居れば既に社会だ。自分を練り上げる、自分を見つめるという修行のみが本道なのに、宗派宗旨の争いが出てくる。
結局、伝統芸能のお免状の世界なのだ。なんだか気味の悪い住み分けをして、宗教家を演じている。わたしは実にくだらないことだと考えている。

日本の宗教・信仰の土台は、神道と仏教である。
まちがいなく、わたしたちの骨・血・体には、この2つの宗教のエッセンスが流れ込んでいる。

神々の教えは、近くはご先祖、遠くは神にまで及ぶ。我々の遠祖は、神典に出てくる神々なのである。神典とは、古事記であり、日本書紀だ。2つを合わせて、記紀という。

仏教は、遥か1500年前に伝来し、独自の日本的発展を遂げた。
多くの悟りを得た、坊さんを輩出した。言葉にも自ずから統合され、日常の言葉に仏教用語が入り込んでいる。

わたしは以前から、日本の信仰は、神仏が一つになっていたと主張していた。神ごとも仏事も大切にしていた。仏教も日本の土壌の上にあるのであり、土地の神さま、即ち「産土神(ウブスナ)」を抜かして考えることはできない。しかし、神のほうも、仏教の悟りが必要であった。

神々も、輪廻流転を免れない、そういう境涯の神はたくさん居るのである。事実、神の側からのご霊示で、その事実を述べているものがあるのだ。仏教の解脱に至るダルマがなければ、輪廻から脱することはできないのである。

仏教の教えの核心、根本、土台は何かというと、それは「縁起の法」である。これを理解しなければ解脱することは難しい。

お釈迦様は、これあるによりてこれあり、これ滅すればこれ滅す、と云われた。
(縁起の)法を見る者は、われ(仏陀)を見る、とも云われた。因縁というが、縁起の縁には、因が含まれているのである。縁起の展開は、空であり、すべてのもののに本質は空なのである。すべては縁の連鎖に過ぎない。悪い業を転換できるし、存在を悟りの境涯に誘うこともできる。

龍樹(ナーガールジュナ)の著作に「因縁心論」がある。縁起の精要、十二因縁について述べたものであるが、己れの因縁や業を転換して、自ずから悟る境地にゆこうというのであれば、これくらいは読み、さらに理解しておく必要があろう。

そのレベルに首を傾げざるを得ないような、坊さんや神主・修行者は、縁起の法くらいは、よくよく理解する必要がある。それができていないから、お免状や流派の枠に捉われるのだ。そんなだから、仏教も神道も生きた宗教ではなくなってしまうのだ。

修行の土台も分からないで、いくら読経しても、法螺を立てても、それこそ法螺吹きだし、坊主丸儲けの謗りは、免れることはできないであろう。

皆さんも坊さんが居たら、何のために修行・信仰するのか、聞いてみたらよい。その答えで、どの程度の理解なのかが知れることであろう。

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