先日(12/13)の御岳山での滝行についてもう少し詳しく述べておこうと思う。その前に滝行の秘鍵を述べよう。
僕のところでは、滝行気合法を修行する前に、必ずその行場の神霊にご挨拶する。行場は、霊場であり、太古の時代から特別な場所である場合がほとんどである。だからこそ修行して効果があるのだ。単に水浴びしたりするものではないのである。だから、まずご挨拶する方法をやらなければいけない。
修行は遊び半分ではいけない。少し興味があるからとか、単に超能力が欲しいとか、そんなものではダメだ。誓願というものがなければならない。それこそ魔事が生ずる。魔事・魔境についてはいずれお話しする。
できれば、サンか柴燈護摩を行うのがよい。火の元素に触れ、さらに土地神や諸精霊・眷属を供養するのがよいのである。この方法についても現在講習をすすめている。
行の前に必ず護身法・九字法などを行じ、心身を清めて魔を払う。さらに結界などを張ると尚よい。これはすでに教授している。
入滝は密教式・神道式などあろうが、それなりの方から教わるようにするのがよい。ヘッポコな作法をやるような人からは教わらないほうがよい。
作法に従い入滝。真言お経祝詞など任意で唱える。大切なのは、念じること。そして唱えること、印である。次に、水と一つになることのみを行うこと。さらに鎮魂帰神法を少しでも行うこと。
密教のほうに「普賢行願法」というものがある。チベットのほうにも同様のものがあり、功徳を積む方法といわれている。この方法の考え方や一部を僕の滝行法では取り入れる。短い言葉でよいのだ。大切なことは長い言葉を唱えることでない。本質を理解し、できるだけシンプルにすることだ。この方法についてはいずれ述べる。
今からの時期の滝だと水温はかなり低い。体を夏から慣らしておくこと。細胞に憶えさせておくのがよい。今回の滝行では、参加者のみなさんは、13日というものを日常から意識していたという。風邪など引かないようにとか晩酌を減らすとか、体調を考えて行動していたのだ。これは潜在意識もあの滝場に向かっていることを意味している。前行・後行の大切さは、日頃から述べているのでご存知であろう。
入滝作法など一連の動作なので常の如し。水温の低さは、心身を極限状態まで追い込む。体の中では、緊急事態発生になっているのであろう。今回の滝では入滝中、一度も寒いという感覚はなかった。皆さん同様だったと思う。
はじめに皮膚の感覚がなくなる。激しく滝に打たれていると、そのうちに重力の感覚が無くなってきて、無重力のような感覚になる。いままであった体の感覚が消失する。
そうしたらすべての力を抜く。体勢を支えている部分だけ力が入るように。御岳の七代の滝だと岩に体を預けれる位置があるから、そこに腰をかけるようにする。しかし腰掛けるのは危険なところもあるやり方である。
全身の力を抜くと、体から意識というか魂が抜けたようになる。滝の上のほうにゆき自分を見下ろしているような感覚だ。僕の場合、行中に3度そのようなことがあり、手印の冷感と修行者たちの真言で我に返った。つまり脱魂的体験をしたわけだ。
(上の図は、変性意識においてヒバロ族のシャーマンの頭のまわりに現れる金色の光輪である)
さらに金色の光の体験をした。普通は水の元素なので、白とか銀色のなかで修行する感覚になる。しかし、今回は滝行の前にサンチュ(柴燈護摩)を行った為か、金色の光が頭の中に生じた。
この金色の光は、以前に滝場で見た光と同種のものであり、松本道別翁が極秘のうちに伝えた「太乙精(たいおつせい)」といわれる玄気であると思う。これこそが「人体放射能」の正体なのであろう。
いま一つ述べると、意識の寸断が自動的に行われ、グルの境地が日常にまで存続するということだ。この経験で一番のものは、ナムカイ・ノルブ師のリトリートに行ったときに起こった。10日間のロンセルの伝授のためにベネズエラに行ったときに起こったものと同様、いやそれ以上であった。だからこそ野口晴哉先生が滝行気合を少年時に行い「天心」というものを確立できたのであろう。意識を寸断するのに、丁度よい塩梅の滝なのだ。意識を寸断されると、次にまた意識が立ち上がってくる。この瞬間に天心というもの、チベット密教でいう「リクパ」が顕れる。自然に顕れるのだ。自然にこれと一つになり、日常でも内と外と一つにする。これがゾクチェンの境地であり、野口晴哉師が体得した境地だと言えよう。
内のイン、外のインという考え方があり、これは少し難しい。講習会ではこのことも簡単にお話しよう。滝行はその意味で根本的な修行である。これを基本に、座り、飲食し、眠り、活動を行えれば、生きた悟りの境地が近くなる。
ゾクチェンでいう「テクチュー」というのを、よく「突破」と訳すが、これは間違いだと思う。木の束などを「シンテク」といい、チューは断つであるから、すべての緊張を断つことが「テクチュー」なのである。今風に言えば、心身、霊ともに完全にリラックスすることが、悟りの境地につながるということだ。その一撃を滝行気合は与えてくれるのだ。
大寒にも修行する予定です。菩提心あり敬神崇祖の明らかなる方は、お申し込みください。損にも得にもならないこと、「無功徳の功徳」を積みましょう。