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  • 2012.12.01 Saturday
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天源淘宮術 【自性内観】 淘宮静座法

 以前に、淘宮静座法について書くとお約束したので、書いておこうと思う。天源淘宮術というのは、一種の修養法である。十二支というものがあるが、これらには独特の性質がある。人間は生まれる前から、ある気質というものを享けて母体に宿る。性質は、良くも悪くも出てしまう。例えば、滋宮というものがある。これは所謂、ネズミ(子)の気である。特徴は、吝嗇である。この性質が、良く出ると節約になり、悪く出るとケチん坊になるのだ。

だからこの十二支が良いとか悪いとかはないのである。
どのような心と結びつくかが、大切なことなのである。世のため人の為に善用すれば、どのような十二宮(十二支)でも、その特性にそった真価を発揮するのである。

研究会の同志の方から、あるお方が僕のことを何やら云っているかに聞いた。
僕はそのようなことには興味がない。まあ、いい宣伝をしてくれたぐらいに考えています。自分のことばかり掲示板でPRし、まるで自分だけが大家のようにいう人間はつまらない者だからだ。そういうのは相手にしなくてよいのです。以前にも云いましたが、僕は天を相手とし、同志の志を相手にする。それだけのことです。何を勘違いしているのか知りませんが、聞きたいことがあるのなら、直接電話でも何でもしてくればよい。(いまだに電話連絡のようなものは何一つありません・・・)

僕はつまらない術中に嵌まるほど愚かではないし、本を執筆中なので、そのような暇はない。馬鹿げた不毛の論議にお付き合いするのはご免だ。野中操法・健康腺療法に関する本は、今後五冊は書く予定であり、まちがいなく一冊は今年中に出る。

要は人間、腹が大切なのである。まさしく野中操法は腹部操法である。
整体操法においても腹の操法が締めくくりとなる。段位試験でも腹部の見方が出るそうだ。野中豪策先生というけれども、野中操法だけが腹部操法ではない。整体操法そのものの中にもあるわけです。

さて、淘宮術にも腹をつくる呼吸法「淘宮静座法」が伝えられている。
以下の通りだ。
(1)姿勢を正して端座し、股間をやや開き左右の親指を交互に重ね、両手を軽く膝の上に置き、左の掌の上に右の掌を重ね、左右の親指を立て其の尖端を軽く接触せしむ。静かに腹式呼吸を為し、臍下をやや前方へ張るべき状を作し、鼻の先と臍とを一直線に保つべし。
(2)姿勢を整うと同時に第一眉間を開き晴れやかなる気分にて静かに眼を開く、第二に胸を開きて呼吸の出入を好くし、第三に腹部を開大して寛容の観を作し臍下に気息を充実して一心不動を感じ腹力を絶やさざること、之を三開一充と言ふ。
(3)臍下に呼吸を調ふには、先づ口を閉じ舌を上顎に軽く着け、鼻より静かに出して呼吸の平生を保ち天気の出入を観ぶ(よろこぶ)事。

生きておれば、いろいろなことがある。生きているだけでありがたく、生きていることは奇蹟とでも言うより他ないことだと思う。人間みんな自分を認めて欲しいものだ。野口晴哉先生は「生まれた時のオギャーという声は、我アリということだ」と言われた。声を発し、子供がイタズラするのも、大人が批判するのも、細君が文句を言うも、みんな「我ここにあり」だ。できることなら、小さい我にならず、大きな我(大我)になろう。それは深い息をなしている者、腹をつくった者だけに体現できるものなのだと思う。

若き日の野口晴哉師の行場にゆく

 昨日と今日の連日、滝行をやった。
二ヶ所で、お滝をいただいた。その二ヶ所は、全然おもむきの違う行場であり、今日入滝した行場は、歴史も古く、かつて野口晴哉先生が修業した場所でもある。

整体操法を奉ずる方々は大抵、武州御岳山の「綾広の滝」を野口晴哉先生の修業した滝場であるという。先生の令夫人である野口昭子さんが、著書でそのように書いているから、そういうことになるのだと思う。しかし乍ら野口晴哉先生が御岳山で滝行をやったのは、御岳山七代の滝だと僕は考えている。根拠は、師匠の松本道別翁がそこで鎮魂帰神法の指導・伝授をしていたからである。

今日の滝場は、実にすばらしいお滝であった。行者仲間の方々と行ったのである。野口晴哉先生が若い頃に修業したその滝に行くことができたのも、まったくの偶然であった。昨日、お滝を受けたときに、件の滝について聞いてみた。明日、仲間と行くので一緒に来ますか、ということになった。僕としては、いずれそこで滝行をしようと考えていたので、これは渡りに船だ、ということで同行をお願いした。偶然というのは実に凄いものだと思う。(偶然なのかな?)

昨日と今日、滝を受けたが場所の違いなのか、受けた後の感覚が違う。滝の質というか、体の中に残る「振動」が違うのである。だが、共通しているのは滝行のあとの愉気法というのは抜群の感応力があるということだ。浸透性が違うのだ。これは自然にそうなるようだ。従って野口晴哉先生が滝行をしていたのかどうかという疑問があったのだが、間違いなくお滝をやられていた、という結論を得た。それは僕の行者としての率直な感想である。

その昔、僕は随分お滝をやった。5年間ほど秋から翌年の春までやった。しかし、この十数年間、この種の荒行はやらなかった。別の知識や法・術を探求していたのだ。だが、ここにきて再び滝行のような修業をはじめた。遠回りしたお陰で、再び開始した滝行は、様々なものを取り入れたところの修行法になったと思う。僕なりに完成度が高くなったと考えている。

ごく若い時分のようではなく、繊細に観察することができる。整体操法をやっているお陰で、気の感覚というものが、はっきりと判る。霊術のなかにも野口整体にも、深息法・気合法というものがある。気の密度を高める優れた方法である。だが、その上にもう一つ法があったのである。それが滝行である。

一言だけ云うと、滝の水は地下の霊気というものを宿している。流れ落ちくる滝の水を受けるのは、禊ぎ(みそぎ)であると同時に「霊灌ぎ(みそそぎ)」でもある。滝行をするというのは、水を通して自然の霊気と一体になることでもあるのだ。

しかし僕も随分と悠長な人間だ。自分でもつくづく呆れる。でも気がついたから、まあ善しとするか。これで「幻の整体操法」の基礎には、滝行という課程も導入されることになった。野中操法を同志としてやって行きたいという方も、滝行をやるかやらないかということを、ひとつの判断にしようかと思っているくらいである。

ゾクチェンの成就者 ナムカイ・ノルブ師と再会する

 

昨日、マハー・シッダであるナムカイ・ノルブ師と再会した。海外で教えを受けて以来5年ぶりである。マハー・シッダとは、偉大なる成就者という意味だ。チベットの太古からの教え、マハー・アティ(ゾクチェン)を成就しておられる師匠である。僕はこの先生から教えを受けて14年目になる。

この先生が日本に来るのは、6年ぶりだ。この前に来られたのが昨日のことのようである。今回の伝授会では『誕生、生そして死』のテーマで教えを説くという。この伝授は8日から10日まで続く。

僕は、整体の施術するために呼ばれたのである。前回も毎日施術をした。そして教えの象徴である『鏡(メロン)』と『修行なくして解脱の因をつくるというメンドゥップ(丸薬)』を先生は下さった。メロンは今も大切にしている。ゾクチェンの教えでは、「あるがまま(無作為)」ということを云う。鏡に何かの映像が映る。その映像にいちいち捉われない。そのために鏡そのものになる。そうすれば、映る映像に良いも悪いもない。ただ眺めておればいいのだ。

こういう境地を実現するのが、ゾクチェンの修行である。
別な言い方をすると、主体と客体の統合である。こういうことを実現する為には、師匠の境地と常にコンタクトし、更に統合する必要がある。それこそが血脈(けちみゃく)の流れに預かる方法であり、それなくしてゾクチェンの境地を成就することは殆ど不可能である。

ナムカイ・ノルブ師の著作は、日本でも沢山翻訳されている。訳者は、永澤哲さんである。この方は、野口晴哉先生の研究などもしていて、これも書籍として出ている。ナムカイ・ノルブ先生の著書に『夢の修行』(法蔵館)がある。この先生は、夢のテルトンと云われていて、夢で法を受け取ったり、弟子の夢の中に自在に登場する力を持っている。僕も何度かそういう経験をしたことがあるし、多くの弟子が体験している。この本を読んでいただければ、その凄さの一端がお判りになると思う。今度、僕が書く本の中で、どうしても必要な部分があるので、ナムカイ・ノルブ先生の教えを少しだけ引用させていただくことをご了解いただいた。野中操法を説明するのに、どうしても必要なのだ。

実は、今回も10日ほど前に『霊夢(予知夢)』を見た。師匠の境地を象徴する音の伝授をナムカイ・ノルブ師より受ける、というのが霊夢のストーリーだ。そして昨日、実際に僕は先生からそれを受けた。この師匠の境地の音を使っての修行を『ラプトゥ・トォーメー』という。こういう伝授を『直指教導(じきしきょうどう)』という。伝授や修行は夢の中のほうが、はるかに明晰で強力だ。音にしても、夢の中では反響の感覚が違う。現実には出来ない密教の観想も、夢の中では信じられないくらい出来る。夢の中で修行し、現実の修行のときに、それを思い出して統合すると容易に出来るようになる。

僕はこの秋から本格的に滝の修行を開始する。10数年ぶりに荒行に挑む。この滝行なかには、気合法・深息法・鎮魂法などの霊法も盛り込まれているが、チベットに伝わる『ゼルンガ』という元素を使った修行も取り入れてある。このゼルンガは僕が最も得意とする修行だ。水や火などの元素を使うのだ。くだらないことはスルーして、僕はいま燃えている。

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