整体操法の創始者である野口晴哉先生の師匠に、松本道別先生と桑田欣児先生がおられた。野口先生も含めて既に故人である。
松本道別翁は「まつもとちわき」と読む。大祓詞(おおはらいのりと)の詞から来ているのであるから、「どうべつ」とは読まない。そのように読むのは霊術や霊学の勉強が足りないからである。よく整体操法を標榜している人で霊術を否定したり、勉強もしない人がいるが、もう少し幅を持たせたらと言いたくなる。野口整体と霊術は関係ない、というのが主張のようである。何事も味合わなければわかりませんよ、とだけ言っておこう。
桑田欣児(くわたきんじ)先生は、松本道別翁の直弟子である。だから野口先生とは兄弟弟子でもあるわけだ。僕は随分と、その昔の霊学・霊術の本を読んでいるけれども、松本道別翁と桑田先生の著作はダントツで白眉であると思う。野口晴哉という人は、この2人の先生の法術や技法を完全に自家薬籠中にしたのであると考えている。
桑田欣児先生の著書に【神鑑法】(しんかんほう)というのがある。【真生の道】(昭和18年刊行)という本では【真鑑法】と表記されている。僕はこの書を近畿地方に住む貴重書物収集の大家の方から複写を分けていただいた。ご迷惑がかかるので詳しい個人情報は書けない。しかし心から感謝申し上げているのである。これも不思議なご縁である。
僕はこれを製本して、よく持ち歩いている。分らずとも眼を通す。眼光紙背徹するというけれども、心で感じとるように読む。おもしろいことに、そんなことを続けていると、突然、判然としてくることがある。意味がわかってくるのである。そんなようにして【神鑑法】も読み解いた。
お陰で今では、その活用法も分ってきた。解説が出来る程度にはなっていると思う。この法は、霊感や特殊な修行に依らずに、人の運命や人事百般を的中させることの出来るものだということである。
僕が何故、野中操法や整体操法に関係のない『神鑑法』なるものを話題として出すのか。整体操法と各種の療術の統合を目指しているので、野口晴哉先生の法の根源とか各療術との関係などを知る必要があると思うからだ。個人的には、最強の統合体:野中操法を完成させたいのだ。
くだんの『神鑑法』を紐解くと、野口晴哉先生の云われる『掌心発現』の見方の原型がそこにある。というよりも、そのものなのである。不世出の天才:野口晴哉先生は、桑田先生の法術もやはり自分のものにしていたのである。整体操法の一部として取り入れてしまっていたのだ。整体操法ばかり野口整体ばかりやっている人には、こういうことはわからない。まあ、わかろうともしない。しかし、何かを掴むように思っている者にとっては、貴重なものなのである。未踏の活用法が見えてくるのである。
桑田先生を大切に思う人々から、そういうことは書くな、ということを言われそうだ。だが僕は、そんなことはお構い無しだ。日本に在る、人類の貴重な法を残すのに、僕が記す駄文のようなものでも、役にたつと思うのだ。まごまごしていたら、何もかも失伝してしまう。そっちほうが問題だと思う。
皆さんは、そう思わないか。
いずれにしても愉気法(輸気法)に習熟する必要があるから、野中操法研究会でも、愉気法の訓練を導入しようと思う。誘導を開始しようと思う。各種の行気法も講習のはじめに、皆さんでやろうと思う。我が研究会では、掌心発現に伴う、特定の部位への愉気も既にお伝えしている。興味のある方は講習会にご参加ください。