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<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>靈学のススメ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/" /><modified>2012-05-15T16:37:36+09:00</modified><tagline>霊的アイデアを獲得する時代へ
</tagline><generator url="http://jugem.jp/">JUGEM</generator><entry><title>改定版 高知巡礼叢談（４）【土佐 ものの怪 語り草】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=477" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=477</id><issued>2012-05-14T13:21:00+09:00</issued><modified>2012-05-15T04:06:36Z</modified><created>2012-05-14T04:21:00Z</created><summary>高知巡礼叢談（４）【土佐 ものの怪 語り草】&amp;nbsp;（高知土佐の夜明け・名勝 桂浜・浦戸龍王宮から撮影）今回の高知の旅では、お世話になった（いつもさんざん御世話になっております）、松浦家のファミリーと会食交流ができました。毎度毎度、大変お世話になり、いつも...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>巡礼</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033>高知巡礼叢談（４）【土佐 ものの怪 語り草】</FONT></STRONG>&nbsp;<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120514_2606504.jpg" width=492 height=369><BR><FONT color=#ff0000><STRONG>（高知土佐の夜明け・名勝 桂浜・浦戸龍王宮から撮影）<BR></STRONG></FONT><BR><FONT color=#000033><STRONG>今回の高知の旅では、お世話になった（いつもさんざん御世話になっております）、松浦家のファミリーと会食交流ができました。<BR><BR>毎度毎度、大変お世話になり、いつも何のお礼もできず、同行者は皆、心苦しく感じていると思う。今回に限らず、高知の宿舎は松浦家の別宅であり、自家用車も融通無碍にお借りしてしまっている。松本君の自家用車とあわせて２台での移動だが、山道を走る都合上、仮にレンタカーを使用したのなら、全行程でどれくらいの費用がかかり、且つ車も傷だらけで、そのことを考えると計画は成立しないという算段がつく。<BR><BR>また安全性の確保や、天候における的確なアドバイス、これが一番の難関なのである。はっきり言って天気予報はあてにならない。松浦君のお父上は、この地域に子供頃に住んでいただけでなく、お仕事の都合上、高知の天気天候に精通している。<BR><BR>我々一行にとっては、最も力強いアドバイザーであり、よき相談者なのである。いい歳をした者達が、巡礼とか言って、山登りをする。普通ならば変人扱いだが、御子息との信頼関係があるので、わたくしたちを見守ってくださっている。いつも黙ってみている。けれども行動のおおよそを見当をつけておられて、それがまた決まって的確なのだ。これは常に驚くことだ。<BR><BR>今度、土佐高知にゆくときには、もう少し気のきいたおもてなしをしようと思う。先達のみんなと相談して、本当の意味でのお礼をしたいと思う。<BR><BR>現代であっても、善い状態でゆくことは困難なことをやっている。山の下の地域で晴れていても、山の上は曇りであり、頂上付近のみ雨、ということは少なくない。装備、決断、慎重さ、信仰心が要求されるのである。助けてくれるのは自分しかないのである。仲間のありがたさがよく分かるのが巡礼の功徳というものだ。<BR><BR>さて、先の松浦ファミリーとの親睦会だが、少々のお酒も入り、いろいろなお話を聞くことができた。<BR><BR>その中で、注目したのが、『山での奇怪な話』『（各種）妖怪・物の怪の話』『神社の火の玉』『うみ坊主』等々、もののけ話に花が咲いた。<BR><BR>殊に『しちにんみさき』の話は有名である。<BR></STRONG><FONT color=#000000><BR></FONT><FONT color=#000033><STRONG>長宗我部元親（<SMALL><FONT size=2>ちょうそかべもとちか）</FONT></SMALL>の忠臣・吉良親実（</STRONG></FONT><SMALL><STRONG><FONT color=#000033 size=2>きらちかざね）は君主の怒りをかい、小高坂（こだかさ）にて切腹を命じられた。天正１６年１０月４日のことである。親実は、つかいの者から君主の命を受けると、それまでさしていた囲碁を一局終わらせ、そして風呂に入り身を清めて、判膳を食し、切腹した。時に２７歳であったという。腹真一文字にかき切り腸をつかみ出すところを、検使（けんし）の宿毛甚左衛門（すくもじんざえもん）が大刀を振りおろし介錯した。その後、親実の慕う者たち７人が次々と切腹させられた。この怨霊の一団が『しちにんみさき』であるという。本来は７人ではなく８人なのであるが・・・。<BR></FONT></STRONG></SMALL><STRONG><BR>ここまでは、土佐でも普通に言い伝えられるお話だが、ここからが違う。<BR><BR>松浦君の母方のおじいさんの話で、海で何か火（火の粉？）のようなものがチラチラと見えるのだという。暗闇の向こうに見える。こちらに近づいてくる。これが『しちにんみさき』だというのである。<BR><BR>そこで一息咳払いをする、あるいはタバコを吸うのだという。そういうように一息入れることが大切で、怨霊は去ってゆくのだという。これは実際的な話で面白い。多くの有用なマジナイにこういう類のものがあるのである。<BR><BR>『うみ坊主（海坊主）』の話もあった。<BR><BR>『海坊主』はタコのようなものではなく、海の中でものすごく広い面積を持つを魔物であり、平らな状態でスゥーっと水面に浮きあがってきて、船を転覆させるそうである。<BR><BR>このことは東北などでも伝承されていて、近代の天台宗千日回峰行の先師・箱崎文応師も海坊主の遭難事故で多くの漁師仲間を失い、仏門に入ったことを生前話されている。<BR>　</STRONG><BR><STRONG>現実的な解釈もできるものであるが、それだけでは説明のつかないこともある。<BR><BR>朝４時半に深山に分け入り、真っ暗な中、少しばかり車中で待機したのだが、それは恐ろしかった。もしあの山道の向こうから何かが来たらどうしよう。そんな思いにかられるのだ。<BR><BR>わたくしも２０代真っ暗な山に一人で入って修行したことしばしばであり、その時の恐怖はいまでも昨日のように憶えているが、土佐の山の深さは半端ではない。山の標高も高くて、底知れない凄味があるのだ。<BR><BR>それに今だから言えるが、気と言うのか、誰かが山の中から見ているという、目線・眼光をはっきり感じていた。それは野生の動物でもあるのだろうし、それだけではない気も感じていた。<BR><BR>わたし自身、霊境に行く途中の真っ暗な山道で、樵（きこり）の男たちのような、複数名の声を聞いた。<BR><BR>他には、庄田先生や松本君が、山頂にゆく途中で、誰もいないところから男性の読経する声を聞いている。<BR><BR>今回、わたくしは金剛鈴（行者鈴の代用）を腰にぶら下げた。やはり、山の修行では、行者鈴と法螺貝が必要である。法具というのは、昔から伝承されているものだが、やはり必要があって持参するもので、実際上の効果があるわけである。このほかには、金剛宝剣、鏡など持参するべき法具がある。<BR><BR>また女子についてだが、『変成男子』の秘法・『千手法』を受法する必要がある。少なくともこれを２１日間（２１座）行うことが重要なことである。<BR><BR>高知には、まだまだ手つかずの自然や美しい水がある。『ものの怪』たちも躍動している。この自然や山の信仰を日本の財産として遺してゆかねばならないと考えている。<BR><BR>最後になりますが、松浦家の御一同様、いつもほんとうにありがとうございます。心から御礼を申し上げます。<BR><BR>謹んで川島金山しるす</STRONG></FONT>]]></content></entry><entry><title>滝行気合３年目からの鍛錬【金剛の気合を練磨する】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=476" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=476</id><issued>2012-05-13T13:48:00+09:00</issued><modified>2012-05-13T04:48:07Z</modified><created>2012-05-13T04:48:00Z</created><summary>５月１３日（日）、塩川の大瀧にて、『金剛の気合』の鍛錬を行った。この気合法は、真言密教の核である音響の秘密をつかむ為のものである。大体に於いて、真言僧は五萬と居るけれども、真言・音響の秘密を鍛錬している者がどれだけいるのだろう。大本山でも、資格だの就職...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>滝行</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033 size=2>５月１３日（日）、塩川の大瀧にて、『金剛の気合』の鍛錬を行った。<BR><BR>この気合法は、真言密教の核である音響の秘密をつかむ為のものである。<BR><BR>大体に於いて、真言僧は五萬と居るけれども、真言・音響の秘密を鍛錬している者がどれだけいるのだろう。<BR><BR>大本山でも、資格だの就職だの、飯を食ってゆかねばならない、等などおよそ其の程度の坊さんばかりなのである。<BR><BR>法の力なんぞ有している本物などほとんどいない。形式ばったことしかやらないし、肉体を追い込んだり、眠気を抑えて頑張るのを修行だと勘違いしているのである。<BR><BR>最近、大本山の修行僧の中核の連中と談判したが、話していて耳が腐るわと思い、あきれてものが言えなかった。<BR><BR>わたしのところでは、真言秘密の修行だけでなく、本物の霊法も修行する。本物の修行者を養成してゆく。誰もやらないのであれば、自分がやる。わたくしはそのように腹を括った。<BR><BR>気を与える、気を通すというのは、つまりは気合なのだが、気合の本質は、音響にある。もっと言えば、呼吸にあるのだ。呼吸は音であり、真言（マントラ）であり、気であるのだ。<BR><BR>このようなエネルギーに属する分野に取り組む者を、広義の意味で『密教者（タントリスト）』というのである。<BR><BR>気合の体得の一番の早道は、『金剛の気合』をつかむことである。<BR><BR>滝行気合法の指導３年目からは、この真髄を鍛錬してゆく。それは密教霊術の王道をゆくものである。<BR><BR>※なお、邪教・インチキ宗教についても詳細なお話をしました。</FONT></STRONG>&nbsp;]]></content></entry><entry><title>高知巡礼叢談（３）【大山祇大神との結縁成就す】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=475" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=475</id><issued>2012-05-13T00:00:00+09:00</issued><modified>2012-05-11T16:13:21Z</modified><created>2012-05-12T15:00:00Z</created><summary>高知巡礼叢談（３）【大山祇大神との結縁成就す】大山祇神奉賛会の立会&amp;nbsp; この度の巡礼では、神秘の霊境との結縁が一番の眼目であったが、大山祇大神との直接的な結縁もあり、道福は多大なるものがあった。山の神は、産神といい、ものを生み出すところの神である。同...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>巡礼</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033>高知巡礼叢談（３）【大山祇大神との結縁成就す】大山祇神奉賛会の立会<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120512_2602785.jpg" width=547 height=410><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120512_2602772.jpg" width=202 height=302>&nbsp; <IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120512_2602771.jpg" width=194 height=346><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120512_2602770.jpg" width=384 height=216><BR><BR>この度の巡礼では、神秘の霊境との結縁が一番の眼目であったが、大山祇大神との直接的な結縁もあり、道福は多大なるものがあった。<BR><BR>山の神は、産神といい、ものを生み出すところの神である。同時に産神は「三神」に通じる。佛仙のほうでも、必ず本山は、閑寂な山系にあり、寺院の号には山号がついている。<BR><BR>「△△宗〇〇山××寺」という具合である。<BR><BR>山の最高神が大山祇大神であり、海の最高神が大綿積大神（おほわだづみのおほかみ）であるが、共に龍蛇体の大神である。祖神は、迦具土大神ということになる。<BR><BR>大綿積大神は、豊玉彦大神であり、三柱の神の総体をいうのである。<BR><BR>また、谷などの大神こそ霊境におわす大龍蛇体の神祇である。<BR><BR>山・海・谷川それぞれに龍蛇体の大神がいるということなのだ。<BR><BR>その中でも大山祇大神は特筆される。この神との結縁によって正神界とのむすびつきが得られるからである。<BR><BR>今回、この神との結縁により、物理現象を伴う、摩訶不思議な出来事があった。神霊現象と言ってよいであろう。詳細は、このようなブログ記事上では、披瀝することはできない。わたくしが直接お話しする機会に接するよりほかないであろう。<BR><BR>「神真感応」の秘伝をもって、山上の各御社を丁寧に拝礼した。この山上巡礼は修道になっており、実に不可思議な効能がある。山の神や関係ある、神々・大神仙と感応があることはもちもんのこと、『成仙』必須の威力を備えている。このことはわたくしから口伝で教授されるよりほか掴むことはできないであろう。<BR><BR>今回の同行者全員、風速１５メートル前後にもかかわらず、よくぞ断崖の鎖場をよじ登った。<BR><BR>我々は、すごい風の中、山々に気合法でもって祈り、見事に活路を開いた。山の神は、命がけの本気の気合を受け取ってくださったのである。<BR><BR>『自然智の会・大山祇神奉賛会』の立ち上げである。<BR>山の修行を志すものや、立会の趣旨に賛同した方は、是非ともこの講組織に入講していただきたいと思う。</FONT></STRONG>&nbsp;]]></content></entry><entry><title>高知巡礼叢談（２）【大龍蛇體（オロチ）が感応する】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=474" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=474</id><issued>2012-05-12T00:00:00+09:00</issued><modified>2012-05-12T00:13:40Z</modified><created>2012-05-11T15:00:00Z</created><summary>高知巡礼叢談（２）【大龍蛇體（オロチ）が感応する】　&amp;nbsp;大きな巌が２体ある。美しいブルーをたたえた川の流水にどっしり腰をおろしている。誰がどう見ても普通の石には見えない。中腹のところに祠が祀られている。２つの巌に祠がある。１つは男神、もう１つは女神の...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>巡礼</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033>高知巡礼叢談（２）【大龍蛇體（オロチ）が感応する】<BR></FONT></STRONG><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120511_2601824.jpg" width=303 height=179><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120511_2601827.jpg" width=301 height=179><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120511_2601826.jpg" width=269 height=179>　<IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120511_2601825.jpg" width=179 height=256><BR>&nbsp;<BR><BR><STRONG><FONT color=#000033>大きな巌が２体ある。美しいブルーをたたえた川の流水にどっしり腰をおろしている。誰がどう見ても普通の石には見えない。中腹のところに祠が祀られている。２つの巌に祠がある。<BR><BR>１つは男神、もう１つは女神のものだと見当がつく。源流から此処までは相当な距離がある。ここの主の大神の分社なのだが、範囲は極めて広い。<BR><BR>わたしたちは、早朝太陽が上がってからも趣いたのだが、主に未明に此処を訪れた。午前１時〜１時半には起床し、午前２時〜２時半に宿舎（道場）を出た。誰も走っていない街道を山中にむけて、ひた走りに走る。誰にも会わない。細い河川に沿った道路を１時間強ゆくと此の場所に着く。<BR><BR>ヘッドライトをつけて、お酒やらを手早く奉献する。<BR><BR>その昔であれば、たしかに何かの異形のものが出現してもおかしくない。そんな霊気の漂う山の奥深くなのである。地元の者がいなければ、この辺の道を開発して、一つの順序を勘案して、修道することは不可能である。第一、拝礼する方法を知らなければ行っても意味がない。すべての細かい条件が整わなければできないということである。<BR><BR>大龍蛇體と書いてオロチと読む。スサノオノミコトが八岐大蛇（ヤマタノオロチ）を退治したという神話があるだろう。<BR><BR>オロチは、一種の龍體である。別名、ツチともいう。ツチノコという伝説の珍獣がいるのを御存じであろう。よく御神名に〇〇〇ツチのミコトとかいうものがある。ツチないしヅチあるいはツミという名がついていたら、その神祇の本体は、大龍蛇體・鱗體・龍體のオロチだということである。<BR><BR>彼の西王母も本体は大龍蛇體であった。<BR><BR>深山の神社および御神域において２体の蛇體がご出現され、お姿を見せてくれた。それは２柱の大神のご眷属であった。<BR><BR>この霊域には一行メンバーの全員が最低でも３日間連続で通い、多い人は６回ほど参詣し、水行を行った。これだけのことをやる修道者の集まりは、全国のどこにもない。なぜなら世俗的利益は何もないからである。あるのは『信』『道心』だけある。<BR><BR>滝行を指導してきて３年が経った。わたくしが決意をしたのが３年前の４月２９日。そして我が滝行法の最高祭神のお鎮まりになる此処の霊境に来訪し、お行をさせて頂いたのが、３年目の４月２９日。あなたはこれを偶然だと思うか。<BR><BR>いずれにせよわたくしたちは、大いなる神威ある神祇と結縁ができたのである。</FONT></STRONG>]]></content></entry><entry><title>高知巡礼叢談（１）【姫神・女仙の声を聞く】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=473" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=473</id><issued>2012-05-10T23:20:00+09:00</issued><modified>2012-05-10T14:20:25Z</modified><created>2012-05-10T14:20:00Z</created><summary>高知巡礼叢談（１）【姫神・女仙の声を聞く】&amp;nbsp;高知巡礼の旅。今回で4回目となる。今回ほど不可思議な現証を伴う巡礼はなかった。4回目にして完璧、完全無比なる登拝・巡礼ができた。ようやく道に於いての修行結縁ができたのである。幾多の修道者が為し得なかったこと...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>巡礼</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033>高知巡礼叢談（１）【姫神・女仙の声を聞く】</FONT></STRONG>&nbsp;<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120510_2601394.jpg" width=445 height=301><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120510_2601397.jpg" width=259 height=176><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120510_2601395.jpg" width=286 height=179><BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120510_2601396.jpg" width=246 height=171><BR><BR><STRONG><FONT color=#000033>高知巡礼の旅。今回で4回目となる。今回ほど不可思議な現証を伴う巡礼はなかった。<BR><BR>4回目にして完璧、完全無比なる登拝・巡礼ができた。ようやく道に於いての修行結縁ができたのである。幾多の修道者が為し得なかったことを遂に貫徹できた。<BR><BR>そして修道に於いての絶対的な学則を掴むことができたのである。<BR><BR>人間が六道（ろくどう・りくどう）を輪廻流転して、真実の到達点は何であるのか？というのは、いろいろな見解があると思う。いや、はじめから輪廻などというものを認めないことのほうが、現代では多いのだと思う。<BR><BR>凡夫と聖者を画する一線は何なのか？このことの明確な答えはなかなか得られない。<BR><BR>まして修道の方法や正確な順序を知るなど到底人智では判るものではない。<BR><BR>吾が会の同志諸君よ、正法・正道が我らに存することを誇りに思え。その学則は厳然として我が法の中にあるのである。<BR><BR>今回、神祇を拝礼したときに、姫神・女仙の御声を聞いた。わたくしだけでなく複数が聞いたのである。古来、口伝によってそのような神異・神威があると聞いてはいたが、それがまさか実現するとは思わなかった。信じる者の上には、そういうことが起きるのである。</FONT></STRONG>]]></content></entry><entry><title>ＧＷの事々【高知の奇瑞・密教女神の結縁】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=472" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=472</id><issued>2012-05-05T22:51:00+09:00</issued><modified>2012-05-06T06:07:55Z</modified><created>2012-05-05T13:51:00Z</created><summary>&amp;nbsp;　奉安なった高知霊学道場（仮称）の祭壇　　神秘的霊境の美しいエメラルドグリーン比賣神の御社（丹生比賣明神奉祀）このＧＷはあらたなる胎動、あらたなる使命が鮮明となった。我々は霊的な修行を積んでいるから、当然と言えば当然だか、『水の行』も丸三年となり...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>結縁</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000066><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120506_2595190.jpg" width=201 height=329>&nbsp;　<IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120506_2595127.jpg" width=184 height=330><BR><FONT color=#0000ff>奉安なった高知霊学道場（仮称）の祭壇　　神秘的霊境の美しいエメラルドグリーン<BR></FONT><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120506_2595126.jpg" width=330 height=184><BR><FONT color=#cc0099>比賣神の御社（丹生比賣明神奉祀）<BR><BR></FONT>このＧＷはあらたなる胎動、あらたなる使命が鮮明となった。<BR><BR>我々は霊的な修行を積んでいるから、当然と言えば当然だか、『水の行』も丸三年となり、いよいよ瀧行最高神の恩頼(みたまのふゆ)を受けることになった。<BR><BR>わたくしも含めて６名が３日間連続で法の通りに深山幽谷に通い修行した。これは斯道に於いて快挙である。<BR><BR>同時に、この６人には神祇より直々の命がくだった。<BR><BR>これ以上のことは勿体なくて言えないが、後日記すことが出来るところまでは書くことにしよう。真剣な修行者の進歩に供するためである。<BR><BR>神祇のほうは仏教と違い妥協がないので、調和のとれない人や環境に問題のある人は、ある程度までしか参加できないことをお断りしておきます。<BR><BR></FONT></STRONG>]]></content></entry><entry><title>ＧＷの修道巡礼【風雷益の卦を得る】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=471" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=471</id><issued>2012-04-28T00:00:00+09:00</issued><modified>2012-04-28T03:38:44Z</modified><created>2012-04-27T15:00:00Z</created><summary>【風雷益；チャンスと協力】今年のＧＷも修道巡礼を果たす。一つは古神法の霊地を踏破する宿願を果たすこと。二つ目は密教の完成に至る道を進むこと。三摩耶に５種あり。完全な成仙に至る其の為の設計図というか、道程を知る仙縁を得た。これは修道者でも極々僅かの者しか...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>巡礼</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000066><FONT size=4>【風雷益；チャンスと協力】<BR><BR></FONT>今年のＧＷも修道巡礼を果たす。<BR><BR>一つは古神法の霊地を踏破する宿願を果たすこと。<BR><BR>二つ目は密教の完成に至る道を進むこと。<BR><BR>三摩耶に５種あり。<BR><BR>完全な成仙に至る其の為の設計図というか、道程を知る仙縁を得た。<BR><BR>これは修道者でも極々僅かの者しか知らないことであり、それを記した秘伝の書を遂に手にした。大枚をはたいて得ることが出来たのである。<BR><BR>個々の大体の技法は分っているのだが、要は正確な修道の順序が分らなければ、益を得ることはできないし、それどころか逆に害が生じてしまう。<BR><BR>土佐高知の神山の山系にゆく直前に、このような御啓導と思われることが生じたのは、実に不思議なことだと思う。<BR><BR>一つだけ言うと、あの整体法の創始者；野口晴哉氏は、この方法を或る筋から学んでおり、体得していたということである。<BR><BR>しかし、この方法を得たとしても、『成就者は万人に一人』だと先師先達は明言されているのだ。<BR><BR>だが、人間として生まれて、内容を知ることが出来ただけでも恩頼（みたまのふゆ）である。<BR><BR>今回は弘法大師空海ゆかりの地（室戸岬など）にもゆく。<BR><BR>わたくしは恒例の易占を立てた。<BR><BR>『風雷益』の卦を得る。<BR><BR>卦辞に、<BR>『益。利有攸往。利渉大川。（えきはゆくとこあるによろし。たいせんをわたるによろし。）』とある。<BR><BR>大いなるチャンスあり、しかし協力をしなければいけないとする卦も出ている。<BR><BR>キーワード（鍵言葉）は、『チャンスと協力』である。</FONT></STRONG>]]></content></entry><entry><title>改訂版 金山の説法【有暇具足が無限でないことを知るべし】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=470" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=470</id><issued>2012-04-25T08:23:00+09:00</issued><modified>2012-04-25T11:11:02Z</modified><created>2012-04-24T23:23:00Z</created><summary>◎有暇具足が無限でないことを知るべしこのことを&amp;nbsp;声を大にして言いたい。人間、ご縁のあるときにやらなければダメなのである。人というのは、命がまさに風前の灯であることを、理解していない場合が多い。例えば、ここに貴重な書籍があるとする。わたしなどは、若年...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>説法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<FONT size=4><STRONG><FONT color=#000033>◎有暇具足が無限でないことを知るべし<BR></FONT><BR><FONT size=2>このことを</FONT></STRONG></FONT>&nbsp;<FONT color=#000000><STRONG>声を大にして言いたい。<BR><BR>人間、ご縁のあるときにやらなければダメなのである。<BR><BR>人というのは、命がまさに風前の灯であることを、理解していない場合が多い。<BR><BR>例えば、ここに貴重な書籍があるとする。わたしなどは、若年から本に関わっているから、この書は、こういう部分が貴重なのだということはよく知っている。しかし、その以前に何かを学んでいると、逆にその知識なりが障害になって、先入観なども含めて壁になってしまい、いつの間にか、そういう貴重書が世の中から消滅してしまうということがしばしばある。<BR><BR>そして今になって、収集したりしている。実に無駄骨のくだらないことだと思う。<BR><BR>先入観や必要のない知識を交えないで、平等冷静に判断することは中々至難の業だ。<BR><BR>昨日、わたしの実家の近所の女性が亡くなったことを母から聞いた。その方は、わたしの母とはご近所で仲の良い人だった。約10年前にわたしの実父が逝ったときに、わたしを励ましてくれた、とても気立てのよい、さっぱりした人だった。<BR><BR>その時のことを昨日のことのように思い出す。そのご婦人の子どたちは、私やわたしの兄弟とみな同級生で、旦那さんは好人物だったが、1５年くらい前に亡くなっており、彼女は今年で70歳だったという。<BR><BR>10年前のわたしの実父の葬儀のときには、彼女が10年後に死ぬという事は想像がつかなかった。だが、現実には、こういうように時間は過去現在未来へと絶えまなく流れ、諸行は無常なのである。<BR><BR>形あるものは必ず滅してゆくのである。<BR><BR>時間には限りがあり、すべては無常であることを、よく認識しなければならない。わたしのもとに来ている門人はこのことを、よくよく自覚しなさい。<BR><BR>時間は過ぎ去り、みんな順次あの世に旅立つ。自分も周囲もどんどん変化してゆくのだ。<BR><BR>ご縁のあるときに、やれるときに、やるべきときにやらなければ、修行なんて出来やしないのである。<BR><BR>死の直前に後悔しても、やろうとしても間にあわない。みんな『有暇具足』の貴重なことを知れ。人間として生まれた幸運を心から自覚するのだ。<BR><BR>一日一日、やるべきことをやってゆく。<BR><BR>分らないことがあれば、自分勝手な判断をせずに、虚心坦懐になって師匠に教えを仰ぎ、拝聴すべし。<BR><BR>そして師匠や法友に、依存（あまえて）して、自分のどうにもならない感情を吐き出し、ぶつけてはならない。そういうのは、師匠や法友を『ゴミ箱にしている』ということに等しいのである。<BR></STRONG></FONT>]]></content></entry><entry><title>解説；タントラの真髄【亀台九霊金母真伝を伝授】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=469" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=469</id><issued>2012-04-24T23:48:00+09:00</issued><modified>2012-05-07T06:35:31Z</modified><created>2012-04-24T14:48:00Z</created><summary>4月22日、亀台九霊金母の真伝を伝授した。また、『出離の法』を再び解説した。亀台九霊金母は、西王金母であり、霊力絶大の神真である。この神真のご加護を受けることで、修道は急速に進む。口伝も交えて解説・伝授した。更に御真言の声明を示した。よく世間には、密教と...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>秘法・伝授会</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG>4月22日、亀台九霊金母の真伝を伝授した。<BR><BR>また、『出離の法』を再び解説した。<BR><BR>亀台九霊金母は、西王金母であり、霊力絶大の神真である。この神真のご加護を受けることで、修道は急速に進む。<BR><BR>口伝も交えて解説・伝授した。更に御真言の声明を示した。よく世間には、密教とかタントラとか神法などといい、自己宣伝する輩が案外多く存在するが、一番ダメだなと思うのが、声明が下手で、音が外れているのである。声色も慈悲がなく、身体や気・心に響かないのである。そういう人から教わってもダメである。<BR><BR>人相や声に慈悲がなければならない。<BR><BR>出離の法から、帰依に至る道を示した。また、タントラの深い教えを解説した。<BR><BR>午後からは個人指導を行った。各人と相対して心に流れ込んできたことを原簿に記している。必要な時に、これは指導に用いることにする。<BR><BR>その後、河原に行き、先達たちと『金剛の気合』を修練した。<BR><BR>実は、この日ほとんど一睡もしていなかったが、気力が充実していたので、ヘタることはなかった。<BR><BR></STRONG>&nbsp;]]></content></entry><entry><title>わたしの森にて【自然との統合；真髄を修行する】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=467" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=467</id><issued>2012-04-16T00:56:00+09:00</issued><modified>2012-04-15T20:00:05Z</modified><created>2012-04-15T15:56:00Z</created><summary>◎真髄の修行この『わたしの森』で修行した修行や修道というものは、帰依心と慈悲の心によって支えられているのである。慈悲の心とは、菩提心のことであり、これには世俗の菩提心と勝義の菩提心がある。しかし本当の帰依のないうちは、本物の菩提心は出てこない。ここに修...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>修行</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#000033>◎真髄の修行<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120416_2570221.jpg" width=320 height=179><BR><FONT color=#00cc00><FONT color=#0000ff>この『わたしの森』で修行した<BR></FONT><BR></FONT>修行や修道というものは、帰依心と慈悲の心によって支えられているのである。慈悲の心とは、菩提心のことであり、これには世俗の菩提心と勝義の菩提心がある。<BR><BR>しかし本当の帰依のないうちは、本物の菩提心は出てこない。ここに修行の一番の難しさがあるのである。<BR><BR>この稿でいう真髄の修行とは、そのことではない。修行法そのものの中での真髄という意味である。それなりの修行者になれば、必ず真髄の修行法というものを保持している。<BR><BR>それを基にして、一日２４時間を修行にしてゆくのである。この意味がお分かりであろうか？<BR><BR>今日は「わたしの森」と名付けた森林にゆき、自然のエネルギーと一つになり、統合してゆく修行を行った。やはり通常は外界と認識される環境を修行し易いように調整することは大切である。<BR><BR>要は、大都会の真ん中よりも、（修行するのに）ふさわしい環境を得れば、修行がし易いということである。それには自然の中が一番よいのだ。<BR><BR>周りに普通人がいるとか、騒音がうるさいとか、やたらに虫がいるなどの環境では修行はしにくいのである。安全確保や邪魔を避けることが第一である。思う存分にできるようにしなければいけない。<BR><BR>例えば、気合法の鍛錬などでも、人家のあるところでは無理だ。工夫が必要である。よろしいか。わたしは何らかの形でこの３０年毎日の修行というものを欠かしたことがない。いまでは２４時間を修行としているのである。わたしのもとにいる修行者すべてが、そうあることを望むものである。<BR><BR>この日曜日には、先達衆は許可を得て修行に出かけた。無事に鍛錬を積まれたとのことである。また他にもお滝を頂く修行をした人もいる。そういうように皆、工夫して修行を重ねている。<BR><BR>滝の指導を開始しようということで決意して以来、まもなく３年になろうとしている。今後は『滝行法部』が発足するので運営の一部分がそちらによって為される。すべてをわたくしがやるわけではない。時間というもの、状況というものは常に変化してゆくのである。<BR><BR>わたくしもまた修行者なので、自分の修行をもっともっと積んでゆかねばならないのである。<BR>その為には、時間や財貨が必要なのである。空間的にも余裕というものがなくてはならないのである。これは修行してゆく上での現実である。<BR><BR>また、体力・健康も正常でなければならない。心も体によって支えられているからである。<BR><BR>もう４月半ばです。まもなく５月。どうですか、この時間進行の早さ。一日生きたという事は、一日死んだ、死に近づいたということです。死ぬのは当たり前だが、逝くときまでに為すべきことを為してゆく、あなたはそう望んではいないのですか？<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120416_2570220.jpg" width=179 height=320>　<IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120416_2570219.jpg" width=239 height=304><BR><FONT color=#0000ff>森の或る樹の穴（入口のよう）</FONT>　　　<FONT color=#0000ff>こういう感じの主（ヌシ）がいるのではないか！！<BR></FONT></FONT></STRONG>]]></content></entry><entry><title>でんでんででんでん♪武勇伝♪武勇伝♪【摂受と折伏について】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=466" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=466</id><issued>2012-04-10T16:16:00+09:00</issued><modified>2012-04-11T03:05:13Z</modified><created>2012-04-10T07:16:00Z</created><summary>武勇伝【摂受と折伏について】あなたは仏教の教導の方法に、摂受と折伏があるのをご存知か？この導き方を明確にしているのは日本の仏教である。しかしながら、仏教の開祖である釈尊の言行にも散見している。人間には多種多様なあり方があるのでしょうが、教導することを追...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>説法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<P>武勇伝【摂受と折伏について】<BR><BR>あなたは仏教の教導の方法に、摂受と折伏があるのをご存知か？<BR><BR>この導き方を明確にしているのは日本の仏教である。<BR>しかしながら、仏教の開祖である釈尊の言行にも散見している。人間には多種多様なあり方があるのでしょうが、教導することを追求すると、２つの方法があるということである。<BR><BR>摂受と折伏の典拠は、「大日経」や「勝鬘経（しょうまんきょう）」にある。「勝鬘経」は聖徳太子が国家鎮護の三経の一つとして示したものである。<BR><BR>「勝鬘経」では「我得力時。於彼処見此衆生。応折伏者而折伏之。応摂受者而摂受之。何以故。以折伏摂受故令法久住」と説く。<BR><BR>折伏（しゃくぶく）とは相手の間違いを厳しく責めて「破折屈伏（はしゃくくっぷく）」させることである。「強情我慢」の角を折るのである。鼻っ柱を折るようなものだ。この教導は「智慧の門」であり、密教的には不動明王のお姿ということになろう。憤怒の智慧の炎を背負うたホトケのお姿だ。<BR><BR>摂受（しょうじゅ）は相手の間違いをいったん容認して、穏やかに説得しその間違いを正していくことをいう。悪人を折伏し善人を摂受するというのである。この方法は観音菩薩やターラ菩薩の慈悲の相で表すことができる。すなわち「慈悲の門」である。<BR><BR>この二門は仏道の大綱であるとされ、くり返すが「折伏を智慧門」、「摂受を慈悲門」に配すのである。<BR><BR>殊に立正大師；日蓮聖人は、折伏を主に教導の方法として推し進めた。日蓮在世の当時、日本国を謗法（ぼうほう）、）と定め、聖人は著書；開目抄（かいもくしょう）の中で「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前（さき）とす、安楽行品（あんらくぎょうぼん）の如し。邪智謗法の者多き時は折伏を前とす、常不軽品（じょうふきょうぼん）の如し」と記し、教導方法を明確に定めた。<BR><BR>（※「謗法（ぼうほう）」とは、誹謗正法（ひぼうしょうぼう）の略語で正しい法を謗る（そしる）ことをいうのである。「法華経安楽行品（あんらくぎょうぼん）第１４」「法華経常不軽菩薩品（じょうふきょうぼさつぼん）第２０」が正確である。）<BR><BR>もう随分と経ってしまったが、２０歳頃のことだ。大雪の降る日の出来事だった。<BR><BR>その前夜、親戚のTから電話があった。彼女は従兄弟であり、５歳年長だった。大変賢い人であり、電話など一度も無かった。<BR><BR>話を聞いてみると、明日『仏教セミナー』があるから来てくれないかというのだ。<BR><BR>わたしは心に頷くところがあり、「ははん、これはS学会による折伏だな」と直感した。そこで期するところあり、わたくしは品川区の指定の場所まで出かけた。広い邸宅に案内されて、そこの家主と思われるオヤジが偉そうに出てきた。そして次々に信者が集まってきた。１５〜１６人あるいはそれ以上いたかも知れない。完全に包囲された格好だ。<BR><BR>案の定、折伏だった。S学会は、時代遅れの独善的な解釈で、折伏をする団体である。<BR><BR>わたしもいずれはこういう時が来ると思っていたので、S学会の歴史やあり方、法華経信奉者特有の「五時教判」は研究していた。また「折伏経典」という独自のものがあるので、それも極秘に入手して研究していた。<BR><BR>彼らの論法は予測通りであった。それ故にわたしのほうは、難なく彼らの屁理屈・暴論をかわすことができた。その上、彼らは子供だと小馬鹿にしていた相手にケチョンケチョンに、蹴散らかされたわけで、件（くだん）のオヤジも、まさしくホウホウの体（てい）であった。<BR><BR>すると或る男性が『折伏経典（しゃくぶくきょうてん）』を持ち出してきたので、すかさずこう言った。「こちらは、２０歳そこそこのガキ（子供）で、そのガキが丸腰なのに、そっちは折伏経典ですか、では問うが、折伏というものの典拠を述べてください。日蓮聖人は折伏について、どの著作で、どのように述べているんですか？それが今すぐ答えられるのなら、それ（折伏経典）を使ってもいいですよ」と。<BR><BR>そういうと、誰も何も言わなくなったので、まあわたしの話を聞いてくださいと言って、仏教の正確な歴史を述べた。そして自分の考える信仰のあり方や、わたし自身の法華経論をも述べた。<BR><BR>用をたすために少しばかり席を立つと、その連中はこういったそうである。「あの若者はすごい。そのへんの大学の先生よりも、ものを知っている。ほんとうに驚いた」と。<BR><BR>わたしが再び座に着くと、彼らは諦めた口調で、今度は本部から教学のできる人を呼ぶからまた来てくれと。わたしは笑ってこう言った。「みなさんご熱心ですね。でも大勢で一人をやっつけるのは趣味としては悪趣味ですよ。まずい食べ物を食べさせるお店にお金を払ってゆきますか？誰もゆきませんよね。まずくて不愉快だからです。だからわたしはここには来ません。おいしいと思う方だけくればいいんですよ」<BR><BR>そこにいた大人たちは全員、あいた口が塞がらないという体であった。<BR><BR>大雪の帰り道、従兄弟のTは言った。「お願いTKちゃん、入会して」と。わたしは彼女のために、こういった。「Tさん、信仰というものは頼まれて入るものじゃないよね。そのことは貴方もご存知でしょう。この大雪の中、わたしは親戚の貴方が仏教セミナーがあるというから来た。でも結局は折伏をやられにきた。このわたしの気持ちがわかりますか。貴方が自分の宗教がすばらしいと言うのなら、どうして近くにもあるから聞いてみて、というように言えないのですか？わたしを入会させると何か自分のポイントでも上がるんですか？宗教を説くというのはそういうことではないでしょう。二度と来ませんからね」。情に於いて忍びなく、彼女の秘められた懊悩が分かるだけに辛かった。<BR><BR>補足しますと、S学会の連中との問答の時に、わたしは「赤いジャンパー」を着ました。身体を大きく見せるために。正座になり、背筋を伸ばし、手を卓袱台のうえの広げて。目線、声の大きさも気をつけて。これが、でんでんででんでん♪武勇伝♪武勇伝♪なのかなぁーとは思いますが・・・。<BR><BR>（※『でんでんででんでん♪武勇伝♪武勇伝♪』は若手のお笑い芸人オリエンタルラジオのネタのひとつ『武勇伝』のときの、始めと終わりの歌です（笑））</P>]]></content></entry><entry><title>相模の桜【トゥン・ツォクとお花見】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=465" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=465</id><issued>2012-04-08T18:03:00+09:00</issued><modified>2012-04-09T11:17:53Z</modified><created>2012-04-08T09:03:00Z</created><summary>相模の桜の花見で一休み&amp;nbsp;相模の桜（１）相模の桜（２）菜の花畑　　弟子のＩさんからの写メ（大岳山から富士を望む）　　　（誰でしょう？）お花見は盛大なほうがよいので、何処かで皆さんで合流しようかと考えましたが、お互いに気を遣うのも面倒でしょうし、家族サ...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>所感</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<STRONG><FONT color=#008000>相模の桜の花見で一休み</FONT></STRONG>&nbsp;<BR><BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120408_2560136.jpg" width=320 height=179><BR><STRONG><FONT color=#cc0099>相模の桜（１）<BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120408_2560135.jpg" width=320 height=179><BR></FONT><FONT color=#cc0099>相模の桜（２）<BR><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120408_2560137.jpg" width=320 height=179><BR></FONT><FONT color=#000033>菜の花畑<BR></FONT></STRONG><IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120408_2560134.jpg" width=213 height=320>　　<IMG class=pict alt="" src="http://reigaku.img.jugem.jp/20120408_2560133.jpg" width=202 height=242><BR><STRONG><FONT color=#0000ff>弟子のＩさんからの写メ（大岳山から富士を望む）</FONT></STRONG>　　　<FONT color=#0000ff><STRONG>（誰でしょう？）<BR><BR><FONT color=#000033>お花見は盛大なほうがよいので、何処かで皆さんで合流しようかと考えましたが、お互いに気を遣うのも面倒でしょうし、家族サービスとか、もろもろの用事もおありでしょうから、開催はやめました。<BR><BR>どなたか奇特な方に、この方面の仕切りはお任せしたいと思いますね・・・。これは冗談ですが（笑）<BR><BR>弟子のＩさんが、今日は朝から大岳山にゆきました。身心の鍛錬のためでしょう。わたくしは報告受けて気合法の鍛錬もお勧めしました。しかし、大したものです。そして彼女が撮影した写メが送られてきました。大岳山から望む富士山です。写真の真中あたりに見えます。Ｉさんありがとう。<BR><BR>わたくしはというと、相模の桜をお花見です。一休みです。気を遣わないで過ごすのは一番楽しいですね。<BR><BR>密教の専門書とお弁当など一式持参してのんびりしました。<BR><BR>途中の自然の中で『トゥン・ツォク（一座の修行）』をしました。浄化の九呼吸、五大の浄化（※五大とは、空・風・火・水・地）、三根本への帰依・発菩提心、グルヨガ・金剛の歌（三昧の修行）、回向という具合です。<BR><BR>花の命は短いといいますが、人間の一生もノサノサしていると、あっと言う間に終わってしまいます。時間はどんどん過ぎてゆきます。ほんとうに儚いものです。<BR><BR>一昨日、真新しい学生服を着た中学生を見ました。やけに服が大きくて、それでいて身体が小さく、顔が子供なのです。おそらく中学一年生になったばかりの子供たちであり、今年度で１３歳になるんでしょう。つい数か月前は、小学生だったわけです。<BR><BR>その子供たちを見て、つくづく思いました。自分は、あの子たちと同じ年齢から既に３５年が経っているんだと・・・。<BR><BR>あと３５年経ったら、わたしはおそらくこの世にいませんね（笑）。仮に居たとしても老人であり、手も足もでない体（てい）でしょう。<BR><BR>皆さんも、人の時間を奪わないようにしましょうね。時間は一番貴重なものなのですから。<BR><BR>自分の責任は自分で持つんです。自分の境地というものは自分で拓くんです。<BR><BR>ですからわたくしへのご質問や相談は月に一度二度の法話会・個人指導会などでお願いしますね。特例も認めますが、それなりの動機や理由が必要です。<BR><BR>わたくしは２０歳そこそこで一番初めの師匠に出会いました。その方はわたくしにこう言いました。『（修行を）やってやってやりぬいて、わたしが（おまえに）来てくれという程の弟子になれ』というものでした。<BR><BR>道を修めるということは、良い弟子に成ることなんだと、その時にわたしは悟りました。以来、縁ある先師先達をすべて師と仰ぎ、教えの真髄を掴むことを根本にして歩んできました。<BR><BR>中年まで俗に染まって生きてきましたが、ようやく脱する機縁が生じてきました。<BR><BR>増上慢（※『唯識大意』にいう、七慢の一。慢心でもこの上ない慢心のこと）ではいけませんが、増上欲で臨むのは善いのです。（※増上欲とは、無上正等正覚＝仏智を得ようとする心のこと）<BR><BR>わたくしは、増上欲を更に発起して、歩んでゆくことにしよう、桜の花を見ていて、そう強く念願しました。<BR><BR>ここ数年のうちに修行の土台堅めをし、知りうる聖地の巡礼などもしてゆこうと思っております。夢はふくらみます。花の蕾のように・・・。</FONT></STRONG></FONT>]]></content></entry><entry><title>金山の説法【神通力について考える（２）】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=464" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=464</id><issued>2012-04-05T09:47:00+09:00</issued><modified>2012-04-05T00:48:05Z</modified><created>2012-04-05T00:47:00Z</created><summary>神通力・神通について考える（２）帰依仏　帰依法　帰依僧昨日は、三明六通について述べた。もう少し説明しよう。漏尽通以外の神通力をチベットでは、ﾝゴンシュという。主体と客体の再統合を通じて５つの『高度の知覚』が出てくる。これは、それ自体を追求するべきもので...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>説法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<FONT color=#000033><STRONG>神通力・神通について考える（２）<BR><BR></STRONG><FONT size=4><STRONG>帰依仏　帰依法　帰依僧<BR><BR></STRONG><FONT size=2><STRONG>昨日は、三明六通について述べた。もう少し説明しよう。<BR><BR>漏尽通以外の神通力をチベットでは、ﾝゴンシュという。主体と客体の再統合を通じて５つの『高度の知覚』が出てくる。これは、それ自体を追求するべきものではない。そうあらゆるラマ（上師）が述べている。<BR><BR>大切なことは、一切衆生も含めた全ての対象が、自分のエネルギーの顕現だということを理解し、さらに実践して、体得することである。法＝教えを実現するとは、こういうことを言うのである。<BR><BR>二元論に入っている、妄想顛倒している思考で、空中浮揚するなどという考えは、カルト的な考え方である。そんなことよりも、慈悲を実践することだ。<BR><BR>神通という言葉には別の側面もある。<BR><BR>『至誠神通』あるいは『神通在信<SPAN class=pop><A><FONT color=#000033>與</FONT></A></SPAN>不信（神通は信と不信とに在り）』という先師先達の言葉があるが、神に通じる、自分の信仰心が神にまで通じるという意味での、神通という語義もあるのである。<BR><BR>この場合は、『信』であり、『義』の心をもって誠をつくすことを言っている。神祇のほうでは『義の心』であり、仏仙のほうでは『大菩提心（慈悲心）』ということになる。どちらも同じものを或る側面から表現しているにすぎない。<BR><BR>大切なことは、謙虚であり、誰に対しても平等であることだ。人のえり好みや好き嫌いでの思考・判断があるうちは、菩提心の真っ逆さまということである。<BR><BR>例えば、わたくしが『火の禅定法』を教える。すると１回か２回で「わかった」と言い出すのである。本当であろうか？<BR><BR>わたくしはこの種の発言に疑問を呈する。何故かというと、火の禅定なり、『火界定』というのは、不動護摩法をすくなくとも３００回以上やっていなければ感得できないし、加行すらやったこともないものが、言える筈がないのである。<BR><BR>わたしが教えているのは、火の禅定のための基礎法であって、それそのものではない。第一、火界定というものが、禅定のなかでどういう境地か分かっているのだろうか？非常に明確なのである。何となく火炎の観想ができたくらいで、そう発言しているのかもしれないが、そういうのは法や師匠を軽んじている発言である。<BR><BR>そのような安易な発言を反省するべきである。それをしないと先が出てこないし、進歩がない。自戒を促すものである。<BR><BR>神通・神通力という場合、その発現の（基礎の）心は、『義の心』であり、『菩提心＝慈悲』だということを、諸兄は腹の底まで入れておいていただきたい。<BR><BR>自分の仲間、法友を平等心（逆が好き嫌いの心）・慈悲心で見ることができないような者に、道などないし、神通などあり得ない。<BR></STRONG></FONT></FONT></FONT><BR><STRONG><FONT color=#000033>（了）<BR><BR>川島金山　謹書</FONT></STRONG>&nbsp;]]></content></entry><entry><title>金山の説法【神通力について考える（１）】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=463" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=463</id><issued>2012-04-04T19:28:00+09:00</issued><modified>2012-04-04T15:26:51Z</modified><created>2012-04-04T10:28:00Z</created><summary>神通力および神通について考える（１）帰依仏　帰依法　帰依僧修行を進めてゆくと、ひとつの神通力が備わってくる。法華経に於いては六大神通力という。仏教では『三明六通』という言葉があるが、主体になるのは、『三明』と言われる能力（神通力）である。『三明』とは、...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>説法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<FONT color=#000033><STRONG>神通力および神通について考える（１）<BR><BR></STRONG></FONT><FONT color=#000033 size=4><STRONG>帰依仏　帰依法　帰依僧<BR><BR></STRONG></FONT><FONT color=#000033 size=2><STRONG>修行を進めてゆくと、ひとつの神通力が備わってくる。<BR><BR>法華経に於いては六大神通力という。仏教では『三明六通』という言葉があるが、主体になるのは、『三明』と言われる能力（神通力）である。<BR><BR>『三明』とは、漏尽通（ろじんつう）、宿命通（しゅくみょうつう）、天眼通（てんげんつう）のことである。漏尽智（ろじんち）、宿命智（しゅくみょうち）、天眼智（てんげんち）ということもある。通力としての名称と智慧の名称があるわけだ。<BR><BR>『三明』で主体になるのは、『漏尽智（ろじんち）』である。『漏』とは煩悩の異名であり、つまり煩悩を滅尽（めつじん）するホトケの智慧をいうのである。<BR><BR>宿命智のよって過去を知り、常見という邪見を断つ。天眼智によって未来を知り、断見という邪見を断つ。最後に漏尽智でもって煩悩を断滅してホトケとなるのである。<BR><BR>仏（ホトケ）とは、輪廻から完全に解放（解脱）された者をいう。<BR><BR>だから三明が解脱の智慧なのである。修行者がこれを体得するべく修行してゆくことは、必ずしも邪見ではない。しっかりとした帰依と大菩提心（大慈悲心）が確立されているのならば、逆に必要なことである。<BR><BR>いや、菩薩ならば三明だけなくその他の三神通も必要な能力である。<BR><BR>三明以外の神通力は、他心通（たしんつう）、天耳通（てんにつう）、神足通（じんそくつう）である。<BR><BR>要するに神通力というのは、主体と客体を一味にした境地に生ずるものであり、漏尽通以外のものは、副次的なものだとも言われている。<BR><BR>身（肉体）・口（言葉）・意（こころ）という三つの境界をそれぞれ浄化してゆくのが、修行の根本だが、その三つの領域に於いて『一味』になると出てくるのが、先の三明以外の神通力である。（※一味とは、主体と客体が全く統合されている境地をいう。ロチックともいう。）<BR><BR>他心通は、意（い）。天耳通は、口（く）。神足通は身（しん）という具合に当てはまる。<BR><BR>お釈迦様は三種の神変といって、説法神変、教誡神変、神足神変ということをしばしば行われた。それらを駆使して教化したのである。<BR><BR>説法神変は天耳通、教誡神変は他心通、神足神変は神足通というように分類される。<BR><BR>わたしなども多少はこういう能力を護持している。講座講義の時などに、声なき声を聞く、これ天耳通、『接心』個人指導で心に触れる、これ他心宿命通、滝中において水量を変化させ、金剛の気合でもって、同行者の身体に特別な響きを与える、これ神足通に分類されるものである。このように教化するには、必要なことなのである。<BR><BR>だが、神通力を駆使するのは教化して衆生を導く時だけである。<BR><BR>凡夫のままの二元論にズブズブに入っていて、さらに法友だろうが何だろうが、（人間の）好き嫌いで判断する。そういう悪いクセをいかんなく発揮しているものに、神通力云々など言う資格はないのである。『増上慢（ぞうじょうまん）』も甚だしい。そんな人間には、神通力の『じ』も決して身につかないであろう。<BR><BR>空を飛ぶような大神通力を体得して、眼にもの見せてやる、というような馬鹿げたことを師であるわたくしの前で平気でのたまう大バカ者も時々いる。<BR><BR>いままではそういう馬鹿なことを言っていても、馬耳東風に聞き流して相手にすらしなかった。しかし今は違う。仏法の師としてのわたしはこういう発言を放置しておくわけにはいかない。<BR><BR>また、師匠を推し量ったり、疑問を呈するなど、言語道断である。こういうことに身に覚えのあるものは、懺悔しなさい。そんなのでは決して解脱はできません。道を教えていただく師匠に対して、タメ口をきいたり、生意気を言ったり、推し量るなど、すべて悪業として最悪です。解脱の徳の反対であることを知らないといけない。<BR><BR>本来は、師に対して座る場所から、戸の締め方、話す時の態度、先生に眼を合わせることの是非など、師に対する作法は厳密にある。<BR><BR>平気でわけのわからん妄想を口にする。今後はこういうことは全て厳禁。<BR><BR>何人たりとも二度同じ事を繰り返したら、即刻に破門・出入禁止とします。<BR><BR>（つづく）</STRONG></FONT>]]></content></entry><entry><title>金山の説法【真の仏縁を得る方法とは】</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://reigaku.jugem.jp/?eid=462" /><id>http://reigaku.jugem.jp/?eid=462</id><issued>2012-04-03T00:12:00+09:00</issued><modified>2012-04-02T16:07:47Z</modified><created>2012-04-02T15:12:00Z</created><summary>如何にして真の仏縁を得るのか？帰依仏　帰依法　帰依僧現在『出離』の解説を行っているが、このことの理解と修行を経ずして、仏教や密教を修行したことにはならない。たとえ神祇のほうの修道をしても、ものにはならない。いつも言っている通り、正神界からの転肉者は別で...</summary><author><name>kinzan1092</name></author><dc:subject>説法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<FONT color=#000066><STRONG>如何にして真の仏縁を得るのか？<BR><BR></STRONG><FONT size=4><STRONG>帰依仏　帰依法　帰依僧<BR><BR></STRONG><FONT size=2><STRONG>現在『出離』の解説を行っているが、このことの理解と修行を経ずして、仏教や密教を修行したことにはならない。<BR><BR>たとえ神祇のほうの修道をしても、ものにはならない。いつも言っている通り、正神界からの転肉者は別であるが・・・。<BR><BR>人間として生まれたからには、人間としての修道・修行の過程というものはあるのである。<BR><BR>人間としてのあり方のなかで、最高度のあり方は菩薩になることであろう。生きとし生けるもの全てに自分の積んだ功徳を回向し、一人残らず衆生が済度されるまで、自分は涅槃に入ることができるのに入らない、それが菩薩という存在である。<BR><BR>我々は五毒（貪・瞋・痴・慢・疑）にまみれており、自我意識の欲貪（エゴ）に心は満たされている。そんな存在が、菩薩のような心には成れないのである。そう思っていると自認するものがあるならば、それは増上慢、戯論妄想である。<BR><BR>我々は菩薩の『ぼ』の字にも成っていないのである。<BR><BR>では、菩薩の出発点はどこからはじまるのか？<BR><BR>それは『帰依』『四つの出離』『発菩提心』の修行である。この基礎を充分に修行したのならば、輪廻から解放されることは半ば出来たも同然である。<BR><BR>修行の要諦は、『帰依・菩提心』『三昧（正行の修行）』『回向』にあるのだ。この三つのない修行はあり得ない。<BR><BR>これらは一言で言って『信心』である。弘法大師は、三種の菩提心を説いており、この総体を『信心』なのだと言われている。帰依し信心が完成したら、すでに『成仏』しているというのである。<BR><BR>輪廻に於いて、唯一の護符は『信心（帰依・菩提心・三昧耶戒）』である。これが身に備わっていることを真の仏縁というのである。<BR><BR>このことは仏教・密教の修行に於いて最高の口伝であり、秘訣である。本当に真剣に修行に打ち込むよりほか、これを体得することはできない。これができれば後は自在であり、時間的な問題だけである。<BR><BR>ここまできてはじめて菩薩の『ぼ』の字を目指しますと言えるのである。<BR><BR>菩薩になるくらいでなければ、最高正神界に至ることはできない。<BR><BR>真の仏縁とは何か？とのご質問が出たので言えるところまでは述べた。<BR><BR>昨日、２名のことについて述べたが、それとても他の方々と紙一重なのである。全員、『出離』の修行をひたすら行うようにしていただきたい。<BR><BR>名古屋在住のＡさんが３月３１日に来院されたが、わたくしは説法座を用意し、如法衣を着して、帰依を与え、『出離』の講義をした。その上で、個人指導をしたのである。もちろん例外なく言うべきことは言わせていただいた。要は、たった２時間弱のために、新幹線に乗って来られたという事実である。<BR><BR>教えを乞うというのはこういう態度をいうのである。これなくして教えの扉は開かれない。</STRONG></FONT></FONT></FONT>]]></content></entry></feed>
