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  • 2012.12.01 Saturday
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修行の土台(1)【因縁心論を読むべし】

修行の土台ないし根本は、理解ということである。
霊験話や奇譚ばかり追っかけていたのでは、境涯が進まない。
持って生まれた業や縁が変わっていないのだ。

仏教も神道も宗教であるが、当然のことながら組織が介在する。人間が3人以上居れば既に社会だ。自分を練り上げる、自分を見つめるという修行のみが本道なのに、宗派宗旨の争いが出てくる。
結局、伝統芸能のお免状の世界なのだ。なんだか気味の悪い住み分けをして、宗教家を演じている。わたしは実にくだらないことだと考えている。

日本の宗教・信仰の土台は、神道と仏教である。
まちがいなく、わたしたちの骨・血・体には、この2つの宗教のエッセンスが流れ込んでいる。

神々の教えは、近くはご先祖、遠くは神にまで及ぶ。我々の遠祖は、神典に出てくる神々なのである。神典とは、古事記であり、日本書紀だ。2つを合わせて、記紀という。

仏教は、遥か1500年前に伝来し、独自の日本的発展を遂げた。
多くの悟りを得た、坊さんを輩出した。言葉にも自ずから統合され、日常の言葉に仏教用語が入り込んでいる。

わたしは以前から、日本の信仰は、神仏が一つになっていたと主張していた。神ごとも仏事も大切にしていた。仏教も日本の土壌の上にあるのであり、土地の神さま、即ち「産土神(ウブスナ)」を抜かして考えることはできない。しかし、神のほうも、仏教の悟りが必要であった。

神々も、輪廻流転を免れない、そういう境涯の神はたくさん居るのである。事実、神の側からのご霊示で、その事実を述べているものがあるのだ。仏教の解脱に至るダルマがなければ、輪廻から脱することはできないのである。

仏教の教えの核心、根本、土台は何かというと、それは「縁起の法」である。これを理解しなければ解脱することは難しい。

お釈迦様は、これあるによりてこれあり、これ滅すればこれ滅す、と云われた。
(縁起の)法を見る者は、われ(仏陀)を見る、とも云われた。因縁というが、縁起の縁には、因が含まれているのである。縁起の展開は、空であり、すべてのもののに本質は空なのである。すべては縁の連鎖に過ぎない。悪い業を転換できるし、存在を悟りの境涯に誘うこともできる。

龍樹(ナーガールジュナ)の著作に「因縁心論」がある。縁起の精要、十二因縁について述べたものであるが、己れの因縁や業を転換して、自ずから悟る境地にゆこうというのであれば、これくらいは読み、さらに理解しておく必要があろう。

そのレベルに首を傾げざるを得ないような、坊さんや神主・修行者は、縁起の法くらいは、よくよく理解する必要がある。それができていないから、お免状や流派の枠に捉われるのだ。そんなだから、仏教も神道も生きた宗教ではなくなってしまうのだ。

修行の土台も分からないで、いくら読経しても、法螺を立てても、それこそ法螺吹きだし、坊主丸儲けの謗りは、免れることはできないであろう。

皆さんも坊さんが居たら、何のために修行・信仰するのか、聞いてみたらよい。その答えで、どの程度の理解なのかが知れることであろう。

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