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  • 2012.12.01 Saturday
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わたしの森にて【自然との統合;真髄を修行する】

◎真髄の修行


この『わたしの森』で修行した

修行や修道というものは、帰依心と慈悲の心によって支えられているのである。慈悲の心とは、菩提心のことであり、これには世俗の菩提心と勝義の菩提心がある。

しかし本当の帰依のないうちは、本物の菩提心は出てこない。ここに修行の一番の難しさがあるのである。

この稿でいう真髄の修行とは、そのことではない。修行法そのものの中での真髄という意味である。それなりの修行者になれば、必ず真髄の修行法というものを保持している。

それを基にして、一日24時間を修行にしてゆくのである。この意味がお分かりであろうか?

今日は「わたしの森」と名付けた森林にゆき、自然のエネルギーと一つになり、統合してゆく修行を行った。やはり通常は外界と認識される環境を修行し易いように調整することは大切である。

要は、大都会の真ん中よりも、(修行するのに)ふさわしい環境を得れば、修行がし易いということである。それには自然の中が一番よいのだ。

周りに普通人がいるとか、騒音がうるさいとか、やたらに虫がいるなどの環境では修行はしにくいのである。安全確保や邪魔を避けることが第一である。思う存分にできるようにしなければいけない。

例えば、気合法の鍛錬などでも、人家のあるところでは無理だ。工夫が必要である。よろしいか。わたしは何らかの形でこの30年毎日の修行というものを欠かしたことがない。いまでは24時間を修行としているのである。わたしのもとにいる修行者すべてが、そうあることを望むものである。

この日曜日には、先達衆は許可を得て修行に出かけた。無事に鍛錬を積まれたとのことである。また他にもお滝を頂く修行をした人もいる。そういうように皆、工夫して修行を重ねている。

滝の指導を開始しようということで決意して以来、まもなく3年になろうとしている。今後は『滝行法部』が発足するので運営の一部分がそちらによって為される。すべてをわたくしがやるわけではない。時間というもの、状況というものは常に変化してゆくのである。

わたくしもまた修行者なので、自分の修行をもっともっと積んでゆかねばならないのである。
その為には、時間や財貨が必要なのである。空間的にも余裕というものがなくてはならないのである。これは修行してゆく上での現実である。

また、体力・健康も正常でなければならない。心も体によって支えられているからである。

もう4月半ばです。まもなく5月。どうですか、この時間進行の早さ。一日生きたという事は、一日死んだ、死に近づいたということです。死ぬのは当たり前だが、逝くときまでに為すべきことを為してゆく、あなたはそう望んではいないのですか?

 
森の或る樹の穴(入口のよう)   こういう感じの主(ヌシ)がいるのではないか!!

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