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  • 2012.12.01 Saturday
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金山の説法【神通力について考える(2)】

神通力・神通について考える(2)

帰依仏 帰依法 帰依僧

昨日は、三明六通について述べた。もう少し説明しよう。

漏尽通以外の神通力をチベットでは、ンゴンシュという。主体と客体の再統合を通じて5つの『高度の知覚』が出てくる。これは、それ自体を追求するべきものではない。そうあらゆるラマ(上師)が述べている。

大切なことは、一切衆生も含めた全ての対象が、自分のエネルギーの顕現だということを理解し、さらに実践して、体得することである。法=教えを実現するとは、こういうことを言うのである。

二元論に入っている、妄想顛倒している思考で、空中浮揚するなどという考えは、カルト的な考え方である。そんなことよりも、慈悲を実践することだ。

神通という言葉には別の側面もある。

『至誠神通』あるいは『神通在信不信(神通は信と不信とに在り)』という先師先達の言葉があるが、神に通じる、自分の信仰心が神にまで通じるという意味での、神通という語義もあるのである。

この場合は、『信』であり、『義』の心をもって誠をつくすことを言っている。神祇のほうでは『義の心』であり、仏仙のほうでは『大菩提心(慈悲心)』ということになる。どちらも同じものを或る側面から表現しているにすぎない。

大切なことは、謙虚であり、誰に対しても平等であることだ。人のえり好みや好き嫌いでの思考・判断があるうちは、菩提心の真っ逆さまということである。

例えば、わたくしが『火の禅定法』を教える。すると1回か2回で「わかった」と言い出すのである。本当であろうか?

わたくしはこの種の発言に疑問を呈する。何故かというと、火の禅定なり、『火界定』というのは、不動護摩法をすくなくとも300回以上やっていなければ感得できないし、加行すらやったこともないものが、言える筈がないのである。

わたしが教えているのは、火の禅定のための基礎法であって、それそのものではない。第一、火界定というものが、禅定のなかでどういう境地か分かっているのだろうか?非常に明確なのである。何となく火炎の観想ができたくらいで、そう発言しているのかもしれないが、そういうのは法や師匠を軽んじている発言である。

そのような安易な発言を反省するべきである。それをしないと先が出てこないし、進歩がない。自戒を促すものである。

神通・神通力という場合、その発現の(基礎の)心は、『義の心』であり、『菩提心=慈悲』だということを、諸兄は腹の底まで入れておいていただきたい。

自分の仲間、法友を平等心(逆が好き嫌いの心)・慈悲心で見ることができないような者に、道などないし、神通などあり得ない。

(了)

川島金山 謹書
 

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