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解説 八宗綱要(12)【瞑想談義 =弥勒の降臨説法の罠=】

弥勒降臨の罠

・・・早足で良泰は庵に戻る。此処は静かなので思索するには好都合だ。
はやく一人になりたかった良泰である。良泰は思う。人はほんとうにおせっかいで、且つ孤独が嫌いである。特にこの国の人間はそういう傾向がある。それでは、本当の思考の飛躍と言うものはないのではないか?仏道修行者は、もっと孤独を愛するべきだと。そんなことを思っていると例の声がした。

「おい、良泰はおるか」
声の主は良範であった。

「おぬし、先の老師のお話を聞いて何か思うところがあるんだろう。いや、おぼろげながらかもしれんが、なにか心の琴線に引っかかるものがあったんとちがうか?」

「いえ、まあそういうわけではないのですが・・・」
「そんなことよりも、老師の言われた弥勒様の降臨説法のお話、良範さんはどう考えているのですか?」

「考えるも何も、師匠の言われたことなんだから、そうなんですねと聞くだけだよ」

「その物言いは気障ですよ。俺は事実を知っているぞ、と顔に書いてありますよ」

「・・・そうかぁ。まあ、あれだろう、アサンガ様(無着)が弥勒菩薩の悟りを充分に観じて、その三昧に入って説法したんだろうよ・・・」良範はわざと乱暴に言う。

「そ、そうですかねぇ」

「そうですかねぇって、じゃあ、おぬしはどう思うんだ。自分の意見を言ってみろ」

「弥勒降臨は、実際にあったことなんですよ。アサンガ様は、ある種の『観心の法』によって、弥勒変化・弥勒現身を実現したのではないかと思うのです。そもそも、瑜伽行を弥勒様もアサンガ様も修行されていたのであり、瑜伽とは天竺語(梵語)の『ヨーガ』だと伺っております。天竺人(インド人)から直接教授を受けた道慈さまから老師は聞いたと以前にお聞きしました。すなわちヨーガとは主体と客体を一つにすること、その究極を『三摩地(サマーディ)と呼ぶのだと・・・。」
「アサンガ様は、弥勒の三昧に入って説法したのではなく、完全に弥勒菩薩に成ったのではないですか?」

「うーむ」
良範は凝然と虚空を睨む。

「で、それだけか?」

「えっ」

「それだけかと、聞いているんだ」

「・・・」

良範は鋭い眼で、射るような眼光で、良泰に言う。
「おぬし、いいか、そのことはまだ誰にも言うなよ」
「そのおぬしの考えは、いいところはついてはいるが、完全ではないのだ。あの弥勒降臨伝説には罠があるんだ」
「その意味はさらに修学し、修行を積んでゆけば分かる。おぬしは『法相唯識』を中心にして『三論・中観』を学ぶんだ。さらに『華厳経』だ。俺はそのことが言いたかったんだ」

「良円さんは、律学をよくやって、アビダツマをやれというんですが・・・」

「やつらしいな。アビダツマな。『倶舎論』だな。梵語では『アビダルマコーシャ』だ。『唯識3年、倶舎8年』と言うからな。ヤツはあれでいいんだ。しかし、おぬしはおれの言う通りにやれ。このことは既に老師に言ってある」

一体、この人(良範)と良義老師は日頃何を話しているのだろう?どういうことなのだろうか?と良泰は思うのであった。


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 

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