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解説 八宗綱要(10)【三劫成仏とは是れ如何に】


2月12日(日)の滝行における川島金山
第七末那識「四我」の浄化の観法(瞑想)に入る

三大阿僧祇劫の修行

良範、良円、良泰の三人は、小屋の庵にゆき次の講義の時刻が来るまで、少しだけ先ほどの論議の続きをした。

「・・・良泰、おまえ良範さんのお陰で恥をかかずにすんだな」

「いえいえ、わたしも良円さんと徹底的にやりあう覚悟でしたよ」
良泰も負けてはいない。

「まあな、わしも乱暴に小噺でもってまとめてしまったが、老師が眼で合図をなされたので、ああしたまでだ。二人とも恨みっこなしだぞ。だが、この奈良の都の真ん中をおさめている仏教も、唐の都の仏法も、釈迦如来の天竺のダルマも、ゆきつく先にはおぬしらの先の論議に帰着するのだ。仏教がいかに成仏の階梯を考えるのか、ということだな」

「・・・ところで良泰はまさか『五性各別』を知らぬことはないだろうな」
と良範は念のため確認する。良泰は頷いた。
「じゃあ、説明してみろ」

「はい、それは法相の根幹の教えですから・・。要するに我々凡夫は三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)の歳月をかけて修行し、ようやく仏陀に成れるというものですよね。三大阿僧祇劫とは、三十数億年という程の意味になります・・」

「・・わたしたちは52位の修行を証得しなければ仏にはなれない。まず十地の前の菩薩として、十信・十住・十行・十回向の四十種の修行をし、ようやくそれを終えて『十地の菩薩』の修行に入る。十地とは、歓喜地・離垢地・発光地・焔慧地・極難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地です。この十地の聖行が成就してはじめて等覚地に到達し、次いで妙覚地になり、遂には仏果(仏陀になる)を得る・・」

「・・経典では、はじめの菩薩の修行(40位)に一大劫というように、各位の修行で時間が設定されていますから、合計で三大阿僧祇劫ということになります。どのくらいの時間かと言うと、いろいろな譬えがありますが、例えば四方40キロメートルの巨大な岩石の山があるとします。この岩の上に100年に一度、浄居天の天女が舞い降りてくる。そしてその天女が岩を羽衣の袖で一度だけ岩を払う。この繰り返しで巨大な岩が無くなる。これが一大阿僧祇劫(1大カルパ)という単位です・・」

「・・成仏(仏陀に成る)にはそれほどの時間をかけて修行するということです。これを三大阿僧祇劫成仏』ということで略して『三劫成仏(さんごうじょうぶつ)』というわけです。我が国のこの奈良の都の仏教はすべてこの説に立脚しています。釈迦如来は、遥かなる時間をかけて、菩薩の修行をすべて果たし仏さまになったのだと。法相ではこれを、資量位・加行位・通達位・修習位・究竟位の五種五位の修行とし、内観の観行として、五重唯識観法をするということになっています・・」

「・・この五種が五性各別になってゆくわけです。菩薩定性の者は、菩薩に自ずからなってゆくわけで、最後には仏の位にまで成れる。無性の者などは、どうやってもあらゆる仏果を得られない。道に入ることすらできないとするわけです。」

「・・・で良泰、おぬしはアーラヤの性質を考えた上で、自分なりに考えて人間が成仏する可能性をアーラヤの性質の上に見出したというのだな」

「いえ、完全にわかったわけではありませんし、あくまで理詰めで稚拙な考えです」

「そりゃあ、稚拙も稚拙だな。良泰おまえの唯識の知識など赤子同然だ」
もう、我慢できないという顔で良円は吐き捨てる。

「良円、そうも言ったもんじゃないよ。おぬしは法相やアビダツマをよく勉強しているから、教学的にはしっかりしている。だが、物事にはそれを越えてゆくものもあるんじゃないか?」

「そうですかね。仏法においては全て天竺(インド)所伝であるのが建前です。日本がすばらしい国だからって、日本で発生した仏の教えなんてありえないですよ。そんなものは、それこそ仏魔です」

「まあ、良泰のアーラヤに『明』を観じるという珍説も何かのヒントになるかもしれん。老師だっていい線をいっていると、言われていたろう」
なるほど良範は大人だ。

「老師は若い者の意欲について随喜しただけとわたしは思っていますよ」
「ふんっ」
お話にならんという時の良円の癖だ。

「・・・良泰、おまえの言っている趣旨は理解しているつもりだ。おれもそれは以前にちょっと考えた事があるのだ。だが、それは無理なんだよ。あくまでも理屈なんだよ」

「良円さん、どうしてですか?」

「どうしてって、おまえなぁ、そもそも仏陀について一体何を知っているんだ。精々、仏像の形と多少の教えだろう。仏の知恵や精神性を我々が理解できるか。アーラヤに観じるってどうやって仏陀の性質すべてを投影させるんだ。性質が分っていたら、もうすでに仏に成っているのだから、そんなことをする必要があるまい。鳥は空を飛ぶが、鳥をいくら瞑想したって、人間が鳥には成れんだろう。そんな考えはそれをこそ瞑想ではなくて迷走というんだ。しっかりしろ、良泰」

「良泰、そもそもおまえ自分が仏陀に成れるような人間か?」

「良円さん、それは論の外だと思うな」

「論の外ではないぞ。現実だろう」

その時に勤行の開始を知らせる鐘が鳴った。
「・・・まあ、それまでだ。そろそろゆこう。老師の講義だ。続きは、またにしよう」良範がそう言った。


※この物語は仏教的小説であります。『八宗綱要』を元にして、清涼殿に於ける帝の御前での仏教論議を通じて仏教の教理を理解していただく為に書き下ろしたものです。 

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