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  • 2012.12.01 Saturday
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閑話休題【解説 八宗綱要を記すは何故か】

現在、解説;八宗綱要を書き進めている。それは何故か?門弟門人、生徒のためである。

そして思うままに書き流しているわけである。いろいろなことを無視して書いている。例えば歴史的事実とかである。

言いたいことは山ほどある。わたくしのところでは「滝行法」を教えている。いつも日曜ともなれば一緒に修行し、導師として行者の状態を観ている。

だが、「霊魂(たましい)」を磨くというのだが、その前に人間には、心があり、確かに神の教えでは「四魂一霊」ということで、心のはたらきを表現しているが、それだけでは十分ではない。心の分析においては仏教以上のものはなく、唯識論を越えるものはない。同時にこれこそが、密教の法の土台に位置するものである。

単なる荒行では、粗野な人間しか生まれない。わたくしたちは生きながらにして、仏界・神界のいずれにも感応感通しようというのである。

およそ18年も前に日本の坊さんを辞めて、一週間のうちにチベットのラマ親子に邂逅した。ドゥクパ・カギュ派の管長;ドゥクチェン・リンポチェ12世と、ご父君のベイロ・トゥルク・リンポチェである。

ドゥクチェン・リンポチェからは『グル・ヨーガ』を、ベイロ・トゥルク・リンポチェからは『ゾクチェンの教えと祈りの法』を教えていただいた。その後私は何度か教えを受け、お住まいのネパールまで教えを受けにいった。

現在わたくしはこのブログで、アーラヤ識のことについて解説しているが、この教学が一番大切である。日本仏教もインド仏教も中国仏教もチベット仏教も唯識論が一番大切なのは不変の事実である。

ベイロ・トゥルク・リンポチェはその教えのなかで、「アーラヤ識には、二つの方向性がある。それは『明』と『無明』である。ゾクチェンはこの二つの結果しかない。すなわち『明』になることである。」
幾つかの比喩をもって教えてくださった。この教えを心の真ん中において、いまもわたくしは修行を続けている。


ベイロ・トゥルク・リンポチェ
 
ドゥクチェン・リンポチェ12世(31歳)とわたし(30歳)

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