本日、大山に登拝した。
大山阿夫利神社へ参拝したわけである。
下社のほうへは、ケーブルカーでゆくので大したことはない。自然や景色を味わうには丁度良い。しかし、大山の山頂・奥の院(上社)へゆくのは、案外体力がいる。
来月、手箱神山に「先達衆」とゆく。
この処の尊い御社にゆき、正法を知る修道者と共に「祈祷」できるかが、或る神界と御神縁があるかどうかの、分かれ目だと思う。
ここで明確にしておくのは、わたしが高知に於いて(わたくしが企画・準備して)伝授修行の会を開催するようなことはしない方針ということである。「サニワ」「霊示」により、お示しがありました。
正神界に近づけるだけの知識と修道、徳分を持たねば、手箱神山の麓にすらゆけないことを、はっきり申しておきます。ゆきたいという意志だけでは、難しい。
先生が企画し、段取りを付けて、そこに連れてゆくことはないということです。神界の厳律を犯してまで、神縁なきものを無理に連れてゆくことはしません。
高知での宿泊・移動の手段(車が絶対に必要)・その他そういった物を、行きたいという者ですべて準備することができなければ不可です。
また、同行する中で、わたしや先達衆の修行を邪魔するようなこと、一切不可です。そのような傾向が一つでもあれば不可です。
もはや神事(しんじ・かみごと)なのであり、自ずから厳しいものになります。
かつて幾人かの霊学者しか為すことが出来なかった、神業を行ってゆくのですから。
昨日は、そんな思いをこめて大山に登拝しました。半端ではない大量の汗が出、朝ご飯をいただかないで趣いたので、途中でフラフラになりましたが、側近スタッフに随分と助けられ、安全でした。彼女は、靴を履きつぶしました。わたしは、手箱登拝用の靴でもって臨み、足の具合は上々でした。
山頂の奥之院までゆき、礼拝すると、『浮橋をかけよ』と神坐・神殿から声がしました。わたくしの体得せる「神法」の一つはそのような法なのです。神の声・光り・話し声その他の感応がある、神界の座と、神殿の神坐をつなぐことのできる、古神道の秘法なのです。
手箱神山の登拝に先駆けて、わたしの先祖に所縁(ゆかり)のある大山の山頂にて法を修しました。手ごたえを感じることができました。
本当の「成仙の法」「神法の秘伝」「密教の深秘」を、わたくしが伝法授受できるのは、現在のところ先達衆4名のみです。大山に登拝し、わたしの思いは、そのように明確になりました。法灯を受け継げるのは、およそ10名くらいのものでしょう。奥の奥までは、そのくらいの人数しかゆけないでしょう。
先生と弟子(仮に)や生徒は、友達のようであってはいけません。それでは法は伝わらないのですよ。よくよく、考えてみてください。
ここで、高知にいるM君から、〇〇〇山付近の〇〇滝の写真が送られてきた。此の山も、神の由来のあるところだ。見てみると、何と!巨大な女神が出現している!やはり神祇の世界には犯すことの出来ない厳律があるのである。女神は、そのことを告げている。