今はお彼岸の期間である。お彼岸の中日は20日。春分の日。お日様が真西に沈んでゆく日だ。仏教では、西方には極楽浄土があると考えられている。仏教でも秘密仏教すなわち密教になると西方の極楽浄土だけでなく、南方の宝生如来(ほうしょうにょらい)の浄土等など、1つだけではない。これらは所縁によって衆生(しゅじょう)の眼前に現れるのだが、所縁(しょえん)とは自分の煩悩のことである。
よく大晦日に108の鐘をつくなどという。お寺で除夜の鐘をついているあれである。108というのは煩悩のことだ。しかし、つづめてゆくと六つになる。これを六大根本煩悩という。さらに集約すると3つの煩悩になる。
よく死ぬと「三途の川」云々という。あの三途(さんず)というのは、3つの流れ、3つの道をいう。三悪道(さんあくどう、さんなくどう)という。これが先の3つに通じている。3つの根本煩悩=三途ゆき、ということだ。
三途とは、地獄界・餓鬼界・畜生界のこと。これらのもとは、自分の煩悩なのである。現代の心理学などを学んで仏教の心理論をあわせてゆくとおもしろい。整体における「天心」というものが如何なるものか判然とするだろう。野口晴哉先生の境地がどれだけのものか想像できる。知りたければ仏教の「唯識論」を学ぶがよい。
整体操法は生きた人間を相手にするもので死者は相手にしないし、相手にする法はない。野口晴哉先生ですら、お経は随分ワイセツなことが書いてある、だから愉気したらよいなどといわれている。まあ野口晴哉先生なら修行をし抜いているから何でもいえる。あの方は霊能があった方だ。
野口先生の教えでは死者の体に愉気をすることがある。死に顔が苦しそうだとか、体が曲がっているなどのときには、鳩尾に愉気すると顔相がよくなったりもするという。本当かどうか試したらいい。しかし、やることはここまでである。これ以上の死者に関わる法はない。
僕はいままでどれだけの死者と接したかわからない。以前は専門家だったから軽く数千件には及ぶであろう。今でも僕のところには死者供養の依頼が来ることがある。自分の親戚や知人の関係者、患者などだ。そいうときにはチベット密教『死者の書』に由来する法を行う。「ナムチュー」という体系の中の秘法を修する。「ナムチュー」とは、天空の法・虚空の法という意味だ。ナムチュー・ミンギュル・ドルジェという13歳の聖者が虚空から伝授を受けて伝えた法である。この中の2つの法「ナムチュー・シトー」と「天空の極楽浄土の法」を僕は必ずやる。丁寧にやるときには49日間つづけて行う。こういう法の中には、さまざまなおもしろい法がある。詳しく知りたい人は、講習会のときにでも、僕をつかまえて聞いてくださればよい。整体治療の知識の10倍20倍は頭に詰まっている。(「ナムチュー・シトー」に関しては大法輪閣刊『叡智の鏡』を参照してもらいたい。)
死後49日あるいは50日というのには意味がある。仏教系では49日。神道系では50日。この期間は死者にとってとても大切である。死者を助けることができるのである。ちなみに古い神道系の死者引導の秘伝(霊魂安鎮秘法)も行う。これらの法をやると必ず何らかの霊験がある。死者引導の現証がでるのだ。まったく不思議である。
いまはお彼岸だからこういう法の中の一法で先祖萬霊の御霊の遺徳を思い、ご供養する。操法家も煩悩そのままで、天心とか言ってもはじまらない。修行し修養してはじめて本当の天心が判然とし品格というものがでてくる。やはり人生の年輪というものは必要なのである。僕自身は霊格・品格ともに備わった野中操法指導者、整体操法指導者を目指そうと念願している。心の修養というものは、この渡世をゆく上でも大切なことだと思う。
最後に、亡者得脱の功徳は、生きている人を救う百倍の功徳があると古来から言い伝えられていることを申し添えておく。