先般、ある人がこんなことを言っていた。「野口晴哉先生は若い頃に密教や修験などの修行をした云々」。調べてみると案外、野口先生の直弟子の方々も同じ様なことを言っている。
果たして本当にそうであろうか?
日本において密教とは、仏教宗旨であるところの真言宗(真言密教)と天台宗(天台密教)の密教である。秘密仏教の略称だ。
いま一つは、修験道である。これにもいくつかの伝承がある。代表的なものの一つが大峯修験道である。奈良県吉野の大峯・金峯山を中心とした修験である。
共通しているのは、加行(けぎょう)と呼ばれる行法がある。連続して最低数ヶ月、ある種の修行をするのである。読経もすれば真言もあげる。道場でおこなうのである。一日に3時間前後の修行(修法)を3度行じる。当然、法衣・袈裟を着用して行う。
上記のような修行を野口晴哉先生がいつどこで行ったというのであろうか?根拠を是非教えてもらいたいものだ。根拠らしいものは、15〜16歳ぐらいの間の消息がない、これくらいのものだ。
僕の調査によれば、13歳の時に関東大震災に遭遇し、14歳〜日本橋に奉公に出されている。17歳で自然健康保持会を設立しているのだから、謎の数年間というのは3年前後となる。確かに直弟子で存命中の方々は、空白の3年間みたいなことを言っているようだ。この間に師匠の松本道別翁や桑田欣児先生に邂逅したのであろう。これは間違いない。主に御岳山の滝場で修行したのも、時には神奈川県の山間部の滝場などで修行したのも間違いない。
では野口先生はなんと言っているのか?実ははっきり明言しているのである。深息法・気合法を解説している野口晴哉先生の肉声がある。その解説の中で、気合を主に山で滝の前でやったと明言してる。野口先生は体得するのに3年掛かったという。これを体得して、その後、道場を立ち上げた。
本などを読むと、野口先生が無頼の者に「不動金縛りの術」をかけたことが記されている。他にも沢山の逸話があると思う。そういうものを見てゆくと気合術・催眠術などの霊術に行きあたる。野口先生は霊眼を開発したということもあるらしいのだが、これは「寂玄術」と呼ばれる霊法や「光明定」などで開発するものである。
いずれにしても、野口晴哉先生は真言密教や修験道の修行なんかしていないのだ。お経を上げたり、真言を誦したり、密教の観想をしたり、そんなことはしていないのである。
彼が少年時代〜青年期に修行したのは、気合法を中心とした霊学・霊術の修行である。そういうものの中から、整体操法の技術を確立する上で必要な技法を取り入れたということだ。ただそれだけのことだ。
直弟子ということで、野口晴哉を神様のようにいうのは、いかがなものか。
大切なことは、残された技術と、ものの見方なんじゃないのか。僕はそう思う。
ただ、野口晴哉直伝の気合法の最後に「結縛の印」を組むが、これは真言密教にも修験にも無い、白眉のものである。運用の仕方は各自の技量により様々であろうが・・・。
川島金山 記す