- 2012.12.01 Saturday
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【統合され進化した‘神僊玄学’の出現!】
わたしの標榜する道は何であるのか?
野中操法という整体特殊操法を教え始めてから、もう4年が経過した。これが事始めであった。
まもなく滝行の修練が始まった。滝行をしながらの気合法の訓練である。入滝しての気合法を鍛錬しているのは、日本全国でもわたしたちだけであろう。
ということは、世界中でわたしたちだけのオリジナルということになる。滝行気合法と銘名し、はじめから主祭神は”水霊総官”と位置づけていた。
滝行を気合法の鍛錬法として、位置づけることはできる。しかし、密教的な修行から考察すると、そんな安易なものではない。
先般の合宿の2日目、わたしたちが早朝の滝行をすませると、整体協会所属の人間らしい二人組がきて、お社の場所や、滝を眺める展望橋で、気合をかけていた。
そもそも整体というものの中で気合というものは、輸気の鍛錬で行なうのだろうが、更にその元は霊学講座の中の霊法にある。整体法の創始者;野口晴哉師は、御岳山七代の瀧でなどで鍛錬したのである。
御岳山七代の瀧は、霊学講座の著者にして、野口師の師匠;松本道別師翁(まつもとちわき)が霊学修霊会にて教授していた場所である。
霊学というものは、当然根底に日本の神の教えや密教というものが敷衍されている。滝にゆくにも山に入るにも作法があるのである。件(くだん)の連中は、すでにそういうことも知らない者に成り下がっていた。自分たちはいい気でやっているのであろうが、霊地において拝礼もせずに、気合モドキなぞかけているのは、不敬の窮みである。
結局のところ、日本人が本来持っている、霊性すら失って、自己満足しているのが、野口師の弟子や孫弟子の成れの果てだということである。
笑ってしまうのが、この連中は、滝場の滝壺は流水に入らないとゆけないのでゆかず、展望橋の上から気合をやっていた。滝壺でやるのと全然違うのがわからないから、自己満足だというのである。訶々
昨年以来、わたしは滝行気合法の主祭”水霊総官”の尊神に感応をつづけている。この本当の威力修法は、直弟子にしか伝授はしない。
このところにこそ、誰も到達しえなかった、神僊玄学の骨子がある。各種の霊学を統合し進化した前人未到の玄学は、この一年でほぼ完成し出現するであろう。それが、大司命節を三度(三年)了えての結果というものである。
- 2012.11.10 Saturday
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- by 川島金山
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