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  • 2012.12.01 Saturday
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東日本大震災から1年を迎えて(3)【祈りとは行動すること】

















我れ来つらむか被災の地  いま呆然と御霊の声(みたまのこえ)聞く。

この慰霊護摩法要の直前に、念入りに『緑ターラ菩薩』の修行による慰霊祈祷と『霊魂安鎮法』を施行しました。ターラの真言を2500回ほど犠牲者になり替わり念誦し回向しました。

東北地方では未だに復興の動きすらない地域もあります。ほとんど壊滅です。膚で感じることが必要だと思っています。

多くの日本人が、今ある当たり前のことを当たり前ではないのだと、ありがたく思うことができるのならば、多くの犠牲の御霊(おみたま)も浮かばれます。そして、それだけでなくわたしたちは、自分の何かを喜んで犠牲にし、同胞のために行動しなければなりません。

今後も祈りを捧げ続け、行動すること。行動することは祈りであり、祈りとは即ち行動なのです。


川島金山 

東日本大震災から1年を迎えて(2)【慰霊護摩法要に出仕す】

今日は3月11日、東日本大震災から1周年である。

時計の針は2時46分をさしている。

わたくしは『慰霊護摩法要』に出仕するために東北の地に来たのである。

自分で来たくて来たのではなく、すべて御縁というものである。御縁を感じたから参加させていただいたのである。

大震災の揺れは忘れることができない。自分が何をする瞬間だったかも明確に記憶している。地震の揺れが止まったときに、助かったと思った。そしてすぐに震源地や規模を知ろうとした。片付けをしながら、どのような状況なのか、いち早く知りたかった。

仙台空港に海水が入り込む瞬間をTVにて生で見た。そのときに凄く嫌な予感がした。何かが崩れてゆく音がした。

身の安全をこれほど幸せに思ったことはない。そして今も生きている。

何のために生きているのかを真剣に考える。昨年の3月11日以後、このことをそれ以前よりも更に考えるようになった。

わたくしは密教の専門家として生きてゆくことを決めた。そのように道が再び開かれたのである。このことは東日本大震災と無関係ではないと思う。

人は死を意識したときに、本当の自分の命(ミコト・使命)が分かるのである。

人は他人の悲しみを自分のものとした時に、本当の慈悲・慈愛が自ずから生じ、束縛された生を越えてゆけるのだと思う。

今日、わたしは『火炎』そのものになって、鎮魂冥福のお祈りをする。


川島金山 

東日本大震災から1年を迎えて(1)【お祖母ちゃんの瞳】

そう1年前の東日本大震災発生から、まもなく1年を迎えようとしている。

その1年後にわたくしは東北の地に立とうとしている。

わたくしのゆくところには『海津見神社(わだつみのかみのやしろ)』がある。おそらくは産土神社であろう。此処は地図上では存在するのであるが、多分お社は津波で流されてしまったのだと思う。

何故か昨日から、このお社に心がゆく。拝禮してくれという物凄く強い意思が伝わってくるのである。このような感覚は初めての事である。

『慰霊祭法要』のためにゆくわけであるが、現実に1年前のことを思いつつ被災地に立つのは辛い。

わたくしのところにAさんという岩手県某市の出身者が来院する。この方のご家族は全員ご無事だったが、家財道具や大きな屋敷などすべての財産が津波の被害に遭った。

Aさんには、95歳になるお祖母ちゃんがいた。お写真を見せてもらったことがある。「東京の人達に見せるから」というと、大震災以来、笑うことがなかったお祖母ちゃんは、カメラに向かってニッコリ微笑んでくれたという。
 
わたくしはその写真を見て、泣けて泣けて仕方がなかった。仕事も忘れておいおい泣いた。

お祖母ちゃんの微笑む瞳の中に言いようの無い悲しみ、人生に対する哀しみを見たからである。このお祖母ちゃんは、今までの人生に於いて、さんざん苦労してきたのだろう、必死に家族を養うために働いてきたのだろう。そのことがわたくしには分かるのだ。

或る時、「なぜ、わたしが死んでから大震災がこなかったんだ」とお祖母ちゃんは言ったという。

孫のAさんは、お祖母ちゃんの為に、小さな家を購入しようかと思うようになった。別の形で生き甲斐を見つけつつあった。これは極最近のことである。

だが、一昨日Aさんは突然来院され、「川島さん、身内の不幸があった。2月末にお祖母ちゃん亡くなったんです」と言った。瞬間、Aさんの目には涙が溢れた。

わたくしは言うべき言葉を失っていたが、「・・・Aさん、お祖母ちゃんは、いつも覚悟して生きていたよ。貴方やご家族に囲まれて幸福な人生だったと思う・・・」と。

わたしたちは偶然、大震災直撃の地域に居なかったので助かった。それだけのことだ。我々がそういう災難に遭っていたのかもしれないのである。

生きるとは、真剣に生きるとは何か?このことを考えてほしい。命はいつも風前の灯の如く危ういものだということを。

95歳で逝ったAさんのお祖母ちゃんのご冥福を祈る。そして無二無数の犠牲者の方々のご冥福を衷心からお祈り申し上げる。合掌


川島金山

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