そう1年前の東日本大震災発生から、まもなく1年を迎えようとしている。
その1年後にわたくしは東北の地に立とうとしている。
わたくしのゆくところには『海津見神社(わだつみのかみのやしろ)』がある。おそらくは産土神社であろう。此処は地図上では存在するのであるが、多分お社は津波で流されてしまったのだと思う。
何故か昨日から、このお社に心がゆく。拝禮してくれという物凄く強い意思が伝わってくるのである。このような感覚は初めての事である。
『慰霊祭法要』のためにゆくわけであるが、現実に1年前のことを思いつつ被災地に立つのは辛い。
わたくしのところにAさんという岩手県某市の出身者が来院する。この方のご家族は全員ご無事だったが、家財道具や大きな屋敷などすべての財産が津波の被害に遭った。
Aさんには、95歳になるお祖母ちゃんがいた。お写真を見せてもらったことがある。「東京の人達に見せるから」というと、大震災以来、笑うことがなかったお祖母ちゃんは、カメラに向かってニッコリ微笑んでくれたという。
わたくしはその写真を見て、泣けて泣けて仕方がなかった。仕事も忘れておいおい泣いた。
お祖母ちゃんの微笑む瞳の中に言いようの無い悲しみ、人生に対する哀しみを見たからである。このお祖母ちゃんは、今までの人生に於いて、さんざん苦労してきたのだろう、必死に家族を養うために働いてきたのだろう。そのことがわたくしには分かるのだ。
或る時、「なぜ、わたしが死んでから大震災がこなかったんだ」とお祖母ちゃんは言ったという。
孫のAさんは、お祖母ちゃんの為に、小さな家を購入しようかと思うようになった。別の形で生き甲斐を見つけつつあった。これは極最近のことである。
だが、一昨日Aさんは突然来院され、「川島さん、身内の不幸があった。2月末にお祖母ちゃん亡くなったんです」と言った。瞬間、Aさんの目には涙が溢れた。
わたくしは言うべき言葉を失っていたが、「・・・Aさん、お祖母ちゃんは、いつも覚悟して生きていたよ。貴方やご家族に囲まれて幸福な人生だったと思う・・・」と。
わたしたちは偶然、大震災直撃の地域に居なかったので助かった。それだけのことだ。我々がそういう災難に遭っていたのかもしれないのである。
生きるとは、真剣に生きるとは何か?このことを考えてほしい。命はいつも風前の灯の如く危ういものだということを。
95歳で逝ったAさんのお祖母ちゃんのご冥福を祈る。そして無二無数の犠牲者の方々のご冥福を衷心からお祈り申し上げる。合掌
川島金山