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  • 2012.12.01 Saturday
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相模の路【朝の緑道・輝く青い空】

相模の路【朝の緑道・輝く青い空】


子猫が肉球を舐めていました!(緑道にて)


この日は空が輝いており、空の青さは冴えていた


お気に入りの相模の緑道

昨日は、朝から緑道を歩いた。相模原は緑が多く、森や林が多く点在する。

夏であっても朝は涼しい。森の中を抜けてくる風は冷えており、心地よさはとてもやさしい。

鳥の鳴き声は、すばらしく木々に響き渡り、自分が自然の中にいるのだということをあらためて自覚させる。何を言っているのかは分からないが、自慢げに美しい声で歌っていることだけは間違いない。

森林の木陰は、わたしたちを守ってくれる。太陽は無償で光合成を促し、木々はそれを受けて、無償で生き物に涼しさを与える。

では、わたしは無償で、なにができるのか考えてしまう。

もしかすると生きていることこそが無償なのではないかと思ってしまう。

すなわち息することで、二酸化炭素をだし、木々を養うのだ!

朝の相模の道は、心地よい。

そして、夕方には空が輝いていた。青さが冴えて、雲が光る。自然はなんと雄大なのだろう。

自分の中の自然・自然の智慧を賦活して、その如くに生きたい、そう思う。
 

海の日【もうすぐ夏休みです! =ジャイアント・ロボの思い出=】

【ジャイアント・ロボの思い出】


動画はこちら

http://www.youtube.com/watch?v=I_C4HwB93cw&feature=related
 

わたしたちが子供の頃、夏休みになると民放TVにて『夏休みマンガ大会』というものがありまして、毎年なぜかジャイアント・ロボをやってましたね!

これは関東圏の話ですが・・・。

また、世代によっても違いますね。

しかし子供たちは、もうすぐ夏休みです!

大人のわたしたちには関係がないけれども、子供たちにとってはいろんな思い出が出来る時です。

いつでも子供たちに未来がある世の中であってほしいですね。

神の素粒子をめぐって【映画紹介 ダ・ヴィンチ・コード 天使と悪魔】



映画『ダ・ヴィンチ・コード 天使と悪魔』では、話の展開の真ん中に「神の素粒子」の存在がある。

わたしはこの映画を5月に繰り返し見た。

舞台は、キリスト教カソリックの総本山バチカンである。

ここにはわたしも2度行ったことがある。

「サン・ピエトロ大聖堂」はあまりも有名である。バチカンはローマの七つの丘に建つ。バチカンは12使徒の首座であった、ペテロがイエズス を「メシア(救い主)」あると信仰告白したことに由来する。

イエズスは、使徒ペテロの告白を唯一認めて、自らが救世主であることを間接的に肯定した。イエズスは言う、巌(いわを)の上に教えを立てよと。ペテロとは巌という意味である。

以来、キリスト教の殉教の聖地になった。

バチカンではローマ教皇が逝去すると次期教皇を選出する。この会議のことをコンクラーベという。枢機卿という高位の聖職者だけが、選出の権利を与えられている。

映画では、神の素粒子の採取に成功するシーンが描かれている。神が宇宙のすべてを創造したということになっているのに、素粒子それも神の粒子である「ヒッグス粒子」など認められない。このように考える聖職者がいても不思議ではあるまい。

主演は、トム・ハンクス。

ハンクスに同行して事件解決に一役かう女優がなかなか魅力的なのである。特に度胸のいいところが良かった!

改訂版 1940年代再び【ぺプラムの人気上昇に思う】

【ぺプラムの人気上昇に思う】

 

    
  

ペプラムとは、ドレスの胴部やジャケットやブラウスなどの上着のウエストから下の短いフレアやひだ飾りの入った部分、または短いオーバースカートのことをいうらしい。

フランス語ではバスク地方の民族衣装のことからバスクと呼ぶらしい。

バスクというとアニメ『北斗の拳2』の第112話に出てくる、郡司令バスクのことを思い出してしまう。たしか、ハルク・ホーガンというプロレスラーに似ているヤツだった。

http://kosyuken.web.fc2.com/story5/112/title112.html

郡司令バスクの動画等はこちら↑
 

1940年代のファッションで、最近ではレディ・ガガなどの衣装に取り入れられているという。

そういえばぺプラム的な装いで街を行く女性をよく見かける。

しかし、昔のものをそのまま復活させるのではなくて、さらに洗練されたものにしている。

このことは思想などでも言えることだ。

昔の思想そのものを復活することは不可能である。殊にいまのような変化の激しい時代では無理だ。

10年前のものが古く感じる、そういう時代だから・・・。

完全に独創的なものなどは少ないのである。同じような思想はかつてあった場合が多い。

大切なことは、いま現在に必要なものを見抜き、さらに今に適用できるように、本質を曲げずに改変し、人に時代に付与することだと考える。
 

ご紹介【簡易式神棚(壁掛け式)】

簡易の神棚です。 
  

費用は2000円あれば設置できます。
修道には、こういう御霊祠が必要です。

出た!うまい【塩川ラーメン(味噌味)】

ついに出ました!塩川ラーメン(味噌味)です

塩川だけに、塩ラーメンがいいという方もいましたが・・・


近谷先生の準備は完璧でした


これは、クセになりますね! 

北斗神拳と輜重輸卒【リクパ(原初の境地)と霊魂】



上載の本は、ご存知アニメ「北斗の拳」の語録集である。この本と類書数巻を赤塚先生から、ご寄贈頂いた。由縁を申せば、わたくしが講座・講義の中で、度々「北斗の拳」のセリフを言って、皆さんを笑わせるからである。

上記の本の119ページにおもしろい記述があった。その記述に出会ったので、こうして述べることにしたのである。

今を遡ること10数年前、品川区の島津山の高級住宅街にYさんという100歳になる、おじいちゃんがいた。100歳になっても桜田通りの坂などスタスタと歩く元気なお方だった。

時々、この老翁のところに施術にいった。記憶力も抜群で、昔のことをすべて憶えている。お話のはじめはいつも、「わたしゃね犬養首相が暗殺された5・15事件の時に、隣の建物に居てね、外に出たら兵隊さんがいて、あんたたち危ないから、すぐにお帰りなさいと言われ、次の日に埼玉で新聞にて事実を知った・・・」なのだった。

話は現代まで続いて、しばし沈黙。わたくしが、「Yさんお若い頃は、どうしてたんですか?」と聞くと、「わたしゃね犬養首相が暗殺された5・15事件の時に、隣の建物に居てね・・・」とリピートするのであった。

だが、ただ一度だけ違うお話があった。

彼は、太平洋戦争(大東亜戦争)の当時、「輸卒(ゆそつ)」だったというのである。いまの人たちには、この意味が分からないと思う。わたくしは「それは大変な苦労をしましたね」とだけ言った。

「輸卒」とは、「輜重(しちょう)」と共に、兵隊・兵卒ではなく、言わば旧日本軍に於いて雑用係なのであった。「丙種」といって、徴兵検査に於いて、廃人同様の者もいたが、「輸卒」は戦地その他において、とにかく運搬係りの人夫みたいなものだった。「輜重」は、後方援助における物資調達・雑用係りだったのである。まともに国民としての義務を果たしていない。そういうような差別を受けていた存在なのであった。

件(くだん)の老翁は「しちょう輸卒が・・・ならば・・・・・トリのうち」と詠んだのであった。聞き返すこともなく話は進んだ。はじめは記憶していたと思ったが、いつの間にか忘れてしまった。

時折、思い出しては、思い出そうとするがどうしても出てこない。1週間ほど前に、またまた思い出した。すると昨日、「北斗の拳語録」に「輜重輸卒(しちょうゆそつ)が兵隊ならば 蝶々蜻蛉(ちょうちょう とんぼ)も鳥のうち」という詞が出ていて、あっこれだ!ということになったわけである。すなわち同書の119ページに掲載されている。

この詞の長いバージョンもある。次のようなものだ。


「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱に花が咲く」

昔の日本の差別。ひどいもんですね。こういう点は日本国・日本人のほんとうに良くない点です。他を認めないという「島国根性」なのです。自信が無いから、差別するのでしょう。時代性もあるけれども、元々日本人にはこういう点があるのだと思う。皆さんはどう思うか?

最近、こういうようなことが多くある。思ったことがすぐに「現出」「顕現」するということが。

おそらくは偶然ではないと思うのだ。チベットの教えにゾクチェンというものがある。この教えのなかでは、リクパ(原初の境地)ということをいう。主体と客体はもともと一つであり、もとから完成している。何一つ変えたり無くしたりする必要が無いと。だから、その大本の「リクパ」を悟ればいいのだと。

「リクパ」を明知と訳すときがあるけれども、それでは正しいニュアンスが伝わらない。原初の境地はいいけれども、意味が伝わらない。要するに「リクパ」としか言いようがないのである。

こういうのを「不翻(ふほん)」という。仏典(仏教経典)に古来から「五種不翻(ごしゅふほん)」というものあり、訳すことが不可能な言葉を定めていたのである。これと同じであろう。

だが、その働きや意味を、わたくし自身の体験や経験から、「霊魂(直霊)からの顕現」ということが言えるのではないかと思う。

霊止(ひと)の「一霊」の教えは日本にしかなく、すべてがここからの「顕現」であるのは、間違いのないことなのである。この教えは、ずうーと秘匿されてきた。いまこそ、地球上に広めるべき時ではないか?

「滝行禊ぎ法」「滝行気合法」には、主体客体を「一」にする、そういう境地を得せしめる威力があるということである。なぜなら、霊止(ヒト・人間)の存在の大本である「霊魂を磨く」のであるから。

チベットでは、こういう境地を「ミヨーワ」「ルンドゥプ」などという。しかし、日本の地で日本人が、外国の教え(技法)のみを以って、こういう境地を得ることはできない。このことを多くの人々が分かっていないのである。

チベット教の信奉者たち、この意味がわかりますか?(笑

お滝そのものが、御神体であるという行場にて修道できれば、この上ない。禊ぎの浄化行によって急速に「霊魂」が磨かれ、速疾(そくしつ・とても速いこと)に、思いが「顕現する」。こういうことが日常においても増えてくるわけである。
 

マルちゃん正麺! これは美味いじょ!!

  

マルちゃん正麺(せいめん)!

これは、美味い!!

『生麺うまいまま製法』。現在、特許出願中だそうです。

はじめに味噌味を食した。これは太麺。麺がもちもちしている。

しかし、醤油味がなかなか手に入らず、先ほど遂に入手した。中太麺だ。さっそく食す。やはり美味い。

技術の発展とはすごいものだ。すでにインスタントラーメンの領域を超えている。

筑波山・白瀧での滝行禊ぎでは、これです。そう、新・白瀧ラーメンです!

ちなみに「豚骨味」もあるのです。
 

再び『葉問・イップマン(序)』

石炭

再び『葉問・イップマン(序)』である。

写真のシーンは、伝説の達人イップ・マンが、家族のためにやったことのない、石炭堀りをやっている場面だ。

誇り高く、武術に打ち込んでいた者が、石炭堀りの仕事をする。なにも石炭堀りが仕事として云々言っているのではない。武術家として生きている者が、他のことに手を染めて生きる哀しみを言っているのだ。

かつてわたしもそうだった。自分の好きな修行を抑えて、家族の為に働いた。当たり前のことであるが、一度歌えなくなったカナリヤは二度と歌えないものなのだ。

そのことを知っているから哀しかった。だが、である。家族を守る為に自分の時間と身体を使い働く。家族がどんなに離れていようとも、 家族は家族、子供は子供なのである。愛は愛なのである。

可愛い我が子と居ることができない辛さ。人生の矛盾。あなたはこういう苦しみを味わったことがあるか。仏様は、すべての原因は自分の業であるという。そのとおりだが、その通りを簡単には受け入れられない時もある。

あの伝説の達人ですら、食うために石炭堀りのアルバイトをしていたのである。

わたしなども「一指入魂」して、指名を取れるように施術した。想いの入り方が違う。いまようやく、わたしは本来の姿に戻りつつある。

或る師匠が「人生は旅だ」と言ってお守りをくれたが、思うままにはゆかない旅路だ。

矛盾を哀しむのではなく、雄雄しく受けて立つ。本当の修行とはそういうものである。わたしはいつでも矛盾を喜べる。そういう自分であることをいつも確認している。それが出来なくなった時、自分ではなくなったということなのだろう。

師匠の在り方【映画;イップ・マン(葉問2)】

映画『葉問』イップ・マン

伝説の達人・イップマン。

中国武術のなかでも詠春拳という、超接近戦を得意とする武術の達人だ。葉問と書いて「イップマン」と読む。

李小龍(ブルース・リー)の唯一の師匠と言う方が分かりやすいかもしれない。

彼の伝説的な人生の一端を描いた映画『イップ・マン2』は、香港で第一位になったという。

わたしの師匠の一人にも中国人がいる。その師は、有名な拳法家の弟子でもあった。この師から、わたしは「十六尊羅漢功法」などの気功の基礎を教わった。中国人はなかなか弟子にはしないものである。拝師するというが、日本人には理解できない部分があると思う。

わたしも詠春拳を学びたいと思ったこともあったが、どこまでも日本人なので中国の武術は学べないと思っていた。差別的にそう思ったのではなく、日本人と中国人では、体格や身体の使い方が違うのではと考えたからだ。

上記の写真は、映画の1シーンだ。

師としてのあり方に共感を覚えた。生きてゆくには金銭や物質も大切だが、希望や誇りはもっと大事だ。師・イップマンの生き方に憧憬の念が出てくる。

こういう立派な師だからこそ、ブルース・リーのような弟子が出てきたのであろう。

イップマンを演じている、ドニー・イェンは、実際に子供の時から実母に武術を仕込まれたという。彼の母は武術の達人だというのだ。映画ではあるが、動きのなかに本物の匂い感じる。

弟子の為に、誇りの為に、自分の命をかける。これこそ本当の師匠である。


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