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  • 2012.12.01 Saturday
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改訂版 閑話休題【漫画;とくネコぱん】

【漫画;とくネコぱん】













閑話休題でした〜!



 

改訂版 推薦マンガ【糞虫忍法帖 悟ったな糞虫! 】

糞虫忍法帖【悟ったな糞虫!】

今回の推薦マンガは、ジョージ秋山さんの『糞虫忍法帖(くそむしにんぽうちょう)』です!

糞虫の育ての親にして、一族の長が糞虫に言うセリフ、これが傑作です!

『ヤモリにも劣るとは。悟ったな糞虫!』 

これは印可・免許皆伝の言葉です。

 
カラーにしてみました!

このマンガは洗足の道場に置いてあります!どうぞご覧あれ!

回顧昭和【月刊ジャイアント馬場を見る】



月刊ジャイアント馬場(全五巻)

凄いタイトルである。こういう人物はもう出てこないだろう。

子供の時に、馬場さんがリングに上がるときのガウンを見たことがある。横浜駅の東口にあるスカイビルの最上階にて、展示していた。リングシューズもあって、その大きさに驚いた。

横浜文化体育館というところに試合も見に行った。デカイのなんの。あの巨体でプロレスというものをやるのは大変な努力だったと思う。

馬場さんは、新潟の出身だ。商売人、特に人を使う人間の間では、昔からこういうことを言ったそうである。『人を使うのなら新潟の人に限る』。

要するに働き者なのである。他県の者が働き者ではないというのとは違う。

わたくしも治療の世界で多くの人に出会ったが、確かに新潟の人は真面目で信用できる。とてもよく働く。地域で培われた気質のように感じる。

わたしも最後まで馬場さんのように働いて働いて死んでゆきたいと思う。

だが一つだけ異論がある。それは後継問題である。遺す必要がないのならそのように、遺すのなら遺るようにしておく必要がある。これは提唱者の役目だと思う。

遺したものが善きものであり、時代が必要とするのなら、自ずからそれは遺るのだと思う。

このDVDを観てますと、とても安心して見て居られます。昭和の独特の雰囲気が会場内に漂っています。

このDVDの頃からすると、時代は大きく変わりましたが、自分の中の昭和はまだ生きているんだなと感じた次第である。
 

閑話休題;金山ランチ【ようこそ!ネコマル・ド・カフェ へ】


本日のネコマルカフェの金山ランチ(特製サラダ付)です!

今日は、あり合わせでランチを作ってみました。

サラダは金山オリジナルであり、野菜・ナッツ(数種類)、マヨネーズ、レモン、香辛料、ドライフルーツ、その他を微妙に加えて、酸味・甘味・苦味・辛みが味わえるものになっています。

『幻の金山ランチ』というところですかね。

ウッシーのパン作りの先生は愛美ちゃんですが、
 
その愛美ちゃんの親友にアルゼンチンご出身のビビアンさんがおります。先日、彼女が講師のお料理の会にゆきました。この会はザマミンのザマ味お料理会で、随分と多くの方が来ておりました。

わたしもビビアンさんにご帰国のおわかれの言葉が言いたくて、つまらないものをもって行きました。ビビアンさんは最後の挨拶の時に次のように言われていました。

『ここ5〜6年で出来た友達は宝です。食は人の身体健康を守り、人を幸せにするのですから、このアルゼンチンの料理は簡単なので作ってみてください!』と。愛美ちゃんとご家族との出会いを感謝されていました。

わたくしは心の絆とは、こういうものだと思いました。アルゼンチンという国がとても近くなりました。気持ち一つで距離は縮まるのですね。近くにいても心の距離がある場合がある。人生の宝の一つには、この人と人との間における、この『心の距離・絆』があるのではないでしょうか?

ネコマル・ド・カフェからでした!

閑話休題【解説 八宗綱要を記すは何故か】

現在、解説;八宗綱要を書き進めている。それは何故か?門弟門人、生徒のためである。

そして思うままに書き流しているわけである。いろいろなことを無視して書いている。例えば歴史的事実とかである。

言いたいことは山ほどある。わたくしのところでは「滝行法」を教えている。いつも日曜ともなれば一緒に修行し、導師として行者の状態を観ている。

だが、「霊魂(たましい)」を磨くというのだが、その前に人間には、心があり、確かに神の教えでは「四魂一霊」ということで、心のはたらきを表現しているが、それだけでは十分ではない。心の分析においては仏教以上のものはなく、唯識論を越えるものはない。同時にこれこそが、密教の法の土台に位置するものである。

単なる荒行では、粗野な人間しか生まれない。わたくしたちは生きながらにして、仏界・神界のいずれにも感応感通しようというのである。

およそ18年も前に日本の坊さんを辞めて、一週間のうちにチベットのラマ親子に邂逅した。ドゥクパ・カギュ派の管長;ドゥクチェン・リンポチェ12世と、ご父君のベイロ・トゥルク・リンポチェである。

ドゥクチェン・リンポチェからは『グル・ヨーガ』を、ベイロ・トゥルク・リンポチェからは『ゾクチェンの教えと祈りの法』を教えていただいた。その後私は何度か教えを受け、お住まいのネパールまで教えを受けにいった。

現在わたくしはこのブログで、アーラヤ識のことについて解説しているが、この教学が一番大切である。日本仏教もインド仏教も中国仏教もチベット仏教も唯識論が一番大切なのは不変の事実である。

ベイロ・トゥルク・リンポチェはその教えのなかで、「アーラヤ識には、二つの方向性がある。それは『明』と『無明』である。ゾクチェンはこの二つの結果しかない。すなわち『明』になることである。」
幾つかの比喩をもって教えてくださった。この教えを心の真ん中において、いまもわたくしは修行を続けている。


ベイロ・トゥルク・リンポチェ
 
ドゥクチェン・リンポチェ12世(31歳)とわたし(30歳)

閑話休題 【金山サンドを楽しむ!】


これが金山テンプルサンド(仮称)

今朝は、『金山サンド』 を楽しみました!

誰が作ったかって!?そりゃ、わたくしですよ。

将来は、お寺に逗留の皆さんに食べていただく所存であります。

休日の過ごし方【県立相模原公園に出没す】


県立相模原公園の一角

今日は治療院はお休み。

塩川の大滝へゆく道すがらの通りにある、県立相模原公園に行った。この公園は市立公園と隣接しており、横には女子美大の校舎がある。

平日に来場すると、とても居ごこちの良い公園である。

シート、おにぎり・コーヒーなど素早く詰め込んで出かける。日差しが案外強いので、松の木の木陰に陣取る。

時間の経過を考えずに居る。また、思考を止めて、耳に聞こえてくる無数の音にのみ心を集中してみる。広い空間に心を置き、光の粒子が飛ぶ様をただ眺める。自由自在にいろいろと楽しむ。そして寝ころぶ。

再び起きて、温かいコーヒーをいただく。うまい!

合宿に向けて思索をする。案件を自分なりに練る。メールが入る、無視。

公園内を楽しく歩いていると、一匹の三毛猫(メス)に遇う。なぜか植え込みに寝ていた。寂しくないのかと思う。わたしが近づくと寄ってきた。撫でてあげる。ふと、自分が一人ぼっちでないことを幸せに思う。

公園の入り口近くに動物と触れ合えるコーナーがある。案外自由に触ることができる。動物たちに優しく気を送るつもりで念ずると彼らは反応する。実に面白い。なぜか動物の意思が伝わってくる。声なき声が聞こえるように思うのだ。

霊魂(たましひ)を磨きつつ、自然に触れ合いながら、ゆるりと過ごす。このように自分の分限のなかで、時を過ごすことができるのなら、人生というものは豊かになるに違いない。自己主張もなければ利害損得もない、天命を知って生きるあり方、わたくしは生涯この流儀でゆきたい。

 

小噺【カップヌードルごはんの巻】

カップライス

お台場合衆国で「カップヌードルごはん」というものが販売されている。

合衆国開催の時に、宣伝していたので知っていた。

わたしの操法施術を受けに来るお年寄りも、この食べ物のことを話題にした。

お年寄り:「カップヌードルごはんって、どんな味なのかしら?」

わたし:「・・・(冥土の土産に食いたいのかな?ただ食い意地が張っているのかな?)」

お年寄り:「川島さん、食べたことあるの?」

わたし:「ありませんよ・・・」

お年寄り:「買いに行かないの?」

わたし:「ゆきません・・・」

お年寄り:「どんな味かしら。おじいさんも食べたいと言っていたのよ」

わたし:「(買いにいってくれということか?これ以上この話題はやめよう、そうだ!)
      奥さん、それはカップヌードルと同じ味ですよ!」

お年寄り:「あぁ、そうね、そうね!」

お年寄り:「・・・でも、どんなものなのかしら?」

こうしてこの話題で20分はお話した。なかなかしつこい。

最近、スーパーでも発売した。そこで、件(くだん)のお年寄りに差し上げることにした。お土産に来週あった時に渡すのである。えっ、冥土の土産じゃないですよ(笑)

本気で叱る【三つ子の魂 百までも】(改訂版)

江ノ島から見た花火

今日のお話は「子供のことは、結局、親に問題がある」というものである。

昨夜、江ノ島海岸に散歩に出かけた。

理由は、急に散歩に行きたくなったのと、海に行きたくなったというものだ。そして、江ノ島は自宅から案外近いのだ。

16〜17歳の高校生の頃は、毎日のように海に行った。湘南の海は、わたしにとってはお馴染みだ。父方のご先祖代々は九十九里浜にずっといた。常に海と関わりのある人間だった。だから、子孫のわたしも、海を見ると何となく血が騒ぐのである。

到着すると、近くの海岸で花火大会をやっていた。何発も何発も打ち上げている。海の波の音と美しい花火、海辺は真っ暗だ。真夏の真っ只中なのに、すでに秋を感じ始めているから不思議だ。

帰途につくとき、多くの若者の姿を見た。挙動を見ていて、親の顔が見たかった。そして妙な匂いがするのだ。こんなことで日本は大丈夫なのかと思った。

そして今日。電車で出勤するときに、わたしの横に孫を連れたご婦人が座った。70歳前後だろうか?

わたしは本を読んでいたのであるが、そのうち孫が暴れだした。子供だから仕方がない。誰も注意などはしない。見て見ぬフリだ。それが今の時代のあり方なのだろう。

そのうちに、そのご婦人(おばあちゃん)のお顔を、3歳くらいの孫が叩きはじめた。一回二回ではない。執拗に叩くのである。10回20回と。

おばあちゃんがお止めなさいと言っても聞かないのだ。

わたしは一瞬考えた。この子の将来というものを。大人が子供を叱るのは簡単だ。だが叱ればよいというものではない。子供なりの理由がある。子供とはそういうものだ。

アカの他人の幼い子供を叱る。特にご縁があるわけでもないし、そんなことはしなくてもよい。だがである、この子は将来の日本を背負ってゆく人間の一人なのである。先に生きているものとして、何ができるのか。相手が子供だからではない。

腹いせに怒るのは良くない。だが「三つ子の魂、百までも」というではないか。昨日の若者たちのことが頭をよぎる。

その瞬間、わたしは幼子に対して『ダメっ』と叫んでいた。周りの人たちは黙っている、その場は静まり返っている。尚、執拗に叩こうとする子供に『ダメっ。ダメだよ。絶対にダメっ』と一喝して、全身全霊の気を眼から出して子供に意図を伝達した。『おばあちゃんを叩いてはいけないよ』。

この子が、執拗に叩く行為を能力に変える日を希望にしながら・・・。

おばあちゃんは、わたしに云った。
「この子はお母さんの言うことだけ聞くんです」と。つまり、親が言うことを聞かせるために叩いているのです。子供は何でやられているのか分からない。だから優しい無抵抗のおばあちゃんを叩いて愛情を確かめているのだと思う。

おばあちゃんには、『この子は活発な良い子ですね。大切にどうぞ・・・』と言って、わたしは下車した。わたしの行為が正しいのか間違っているのかは誰にもわからないと思う。

ただ、云える事は、わたしは日頃の修行のときと全く同じ心境で、その子供に相対し、全身全霊の気合を送ったということである。大人も子供関係がない。本当に祈るような思いだった。

叩くことは、薬になり、教育にもなる。しかし、間違ったやり方をすれば、子供の心を傷つけ、毒になるということを大人は知らなければいけない。 

大山カフェ

大山を望む

現在のわたしの活動の本拠地は、金山庵(きんざんあん)のある、洗足であるが、第二の活動地として、相模原に寓居を構えた。

なぜそこを第二の活動地としたのか?

地の利として由緒ある大滝に通うに便利であること。

大龍神の龍骨のある社がわたしと個人的に縁があること。

大山が指呼にあることなどがあげられる。

塩川の大滝には、密教の守護龍神である、清龍大権現(せいりゅうだいごんげん)と珍しい緋龍大権現が奉祀されている。神仏両界の修行・修法をする我が会としては真にふさわしい霊的に意味のある、地なのである。

大山を望むことのできるベランダにて、丹沢の山々に魂を遊ばせる。

こういう法を使魂法とか神遊観というのである。

ベランダで一杯のコーヒーを飲む。心安らぐ瞬間だ。

雲が流れ、風がゆく。相模の野原はわたしに優しい。

名づけて『大山カフェ』。

違いの分かる一杯を!



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