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- 2012.12.01 Saturday
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作家・井上靖さんの作品に『崑崙の玉』がある。
西域小説ということだけれども、ほかに『聖者』『古代ペンジケント』『古い文字』などが収められている。
次のような文章がある。
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黄河の河原を積石附近の高山とするか、あるいはそれを遠く異域に求めて、于眞南方の葱嶺(そうれい)とするかは、誰にも判定できぬことであった。
五代、宋、元、清各時代を通じて、常に両説が行われていた。黄河の河源がどこにあろうと、河源だけのことならさして問題はなかったが、それが玉と関係を持ち、崑崙山と関係を持っていた。殊に崑崙山は漢代には西王母伝説と結びついて、そこに西王母の住む楽土があるとされていたが、時代が降るに随って、道教、仏教の思想が混入して、永遠の不死の神仙郷が想定されたり、極楽浄土が想定されたりするようになった。
もはや単に玉を産する山としてだけでは崑崙は考えられなかった。道教信者も仏教信者も、できるなら崑崙山の所在を確め、そこを訪ねて行きたかった。そこが遠い異域の地なら、その土を踏むことは思いもよらなかったが、若し漢土にあるなら、そこを訪ねて永遠の生命を持ちたかったのである。
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西王母、崑崙に魅力をいだく人は多い。
西王母は、陰の極。女性の代表、大元締めのような存在である。神界での地位も相当に高いとされている。
文中の葱嶺(そうれい)とは、中国の南、パミール高原のことである。
西王母といえば、玉(ぎょく・たま)であるが、我が会では、それにちなんだ和歌を「禊ぎ行」の際に修唱している。最近の行法次第には載せているので、知っている人は知っていよう。
男性修行者のみならず、女性の修行者に御力を加えていただく為に、崑崙の玉の秘歌(和歌)を唱えるのである。これによって女性の修道に供しようということなのである。