これからの生き方について考える(4)である。
【すべてを『わ』にかえる】とは、どういうことなのか?ご説明しよう。
生き方という角度から結論を述べると、先ず、すべてに於いて、「足るを知る」ということである。
整体の一流派である、野口整体の教えに、「食えず」を「食わず」に変えると健康は保証される、というものがある。「え」を「わ」に変えるというわけだ。実におもしろい発想だ。
こういう教えの背景には、戦後の食料不足があったのだと思う。平成の現代では、「食わず」「食わぬ」は、あたりまえのことであり、子供でも知っていることだ。すごい発想だと言って、別段、野口整体の祖である野口晴哉先生を特別視する必要もない。
だが東日本大震災以後は、この整体の教えは、大正の大昔と同じく、貧しさの角度から適用されることになってしまった。そして、食料だけでなく、すべてに渡って、「え」を「わ」に変えなければならない時が来たのだと思う。
思うに「わ」は、「和」なのだと考える。更に「輪」でもある。
皆が、そうすることで、人々に和が生まれ、輪によって結びつけられる。否、わたしは、そうなることを心から願っている。
2011年(平成23年)3月11日は、未来の人々の眼から見れば、日本があたらしい流れに入った日になったことは、事実なのだと思う。今のわたしたちには、今を見る眼しかないから、分からないだけのことである。あたらしい流れと言っても、必ずしも良い流れではない。幸せになるのも、不幸になるのも、その人の心次第・徳分次第である。
例えば、
・「電気を使えず」ではなく「電気を使わず」
・「食えず」を「食わず」
・「暖房を使えず」ではなく「暖房を使わず」
・「水を使えず」ではなく「水を(浪費して)使わず」
・「お花見を盛大に行なえず」を「盛大に行なわず」
今回の大震災は、大津波による人・財産の破壊、二次災害としての原発事故をもたらした。
遂に、放射能による汚染水を、海に垂れ流すことになってしまった。まもなく、意図的に、汚染水を東京電力は、流すのである。(4月4日午後7時30分)
土地も海も、放射能によって脅威にさらされている。
このような状態の国の物を、諸外国は輸入するわけがない。日本は輸出で、儲けることのできない国になったのである。このハンデは、そう簡単に挽回はできないと思う。
昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日である。これは、今までのことであって、3月11日の大震災以後は、事情が大きく変わった。
このことは日本人の生き方の転換を意味する。今まで通りの、奢った生き方、物を無駄にする生活は、通用しない。多くの人々が、いままでの通りに世の中が動いてゆくと思っている。
今回の大震災は、日本人の生き方の転換をせまる。これから時間が経つにつれて、わたしの言っていることが明確になってくる。考えられないようなことが起きる。冗談のような事態が起きてくるのである。
聖徳太子の憲法十七条ではないが、『わ』を以って尊しとなす、である。
肚(はら)を決めて、気合をもって、生き方をみつめていただきたいと思う。
ただ、わたしは個人的には、お花見やろうが、外国・地方に脱出しようが、すべて個人の自由だと思っている。いろんな人がいて、また考え方があり、それで良いと思う。その人の自由、良識の問題だと思う。
「足るを知る」。各々の国民が、もしそのように思えるようになったのなら、日本民族・この国の将来は明るいものになる。これだけ浪費していて、ずっとこの勘違いしている繁栄(?)が、続くわけがない。