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  • 2012.12.01 Saturday
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贈る言葉【第一期生 卒業!】

贈る言葉【第一期生 卒業!】


わたしからのメッセージです!
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Yue8U0lV8Bg

別れがあれば、出会いもある。

いつも先生は見守っているぞ!

 
あらたな出会い 洗足池のネコ  

一道を貫く【好きこそモノの上手なれ!】

一道を貫く【好きこそモノの上手なれ!】

モノの上手になり、生活してゆくことができるのは、その仕事なりが好きなのであろう。

そうでなければ、物事は上達しない。

道元禅師ではないけれども『道の中に衣食あり、衣食の中に道なし』なのだと思う。

神事(かみごと)とは何か?

それは仕事を貫くことだとも言える。

だが、モノの道理に反していては、上昇することはない。

このことは古くからの神祇(神さま)の御教えに、つらつら書かれているのである。

が、自分自身では見えなくなっていることが多い。

利害得失、毀誉褒貶があるのが、世間というものだ。

しかし、人と人との、心のつながりを絶つようでは、不可ず。

家庭のことや(婚姻・家族)、経済的な面、両親の思い等々のことが、人間の営みには作用する。

要するに時間と財力には限りがあるのだから、何を選択してゆくのか?ということである。

お互いに『去るものは追わず、来るものは拒まず』という姿勢でよいのだと思う。

でも、礼儀は礼儀であるのは否定できない。礼は尽くさねばならぬ。

だが、一言、云いたい!

『好きこそモノの上手なれ』ということが一番大切なことだということを。

誰がなんと言おうとも『自分が好きなことをやっていればいい』、
そうすれば必ず道は開く!
人生は自分のためにあるのだから。
 

いま全てが結実する!【自然智 塩川神社崇敬会】


いま全てが結実する!

【自然智 塩川神社崇敬会】
 



ここ数年で、滝行をやり、さらに気合法の修行をし、幾多の山々を登拝し、護摩供・神法・密教を伝授してきた。

お陰で修行者も育ってきた。本当にありがたいことだと感謝している。

様々な要素が重なって、塩川の霊場を再復活させるという、僥倖・使命を頂いた。我々は神霊との交流を為しつつあるのである。

すべての要素が重なって、一ランク上の段階にゆきつつあるのだが、ここに一つの困難が生じるのである。

それはいつも毎度のことなのだが、必ず人心に変化が生ずるのである。

良い方向への変化のみならば、それはよろしい。

しかし、ここでいうものは、あまり好ましくないものである。

二千年前の仏陀釈尊(お釈迦様)の教団でも同じことがあった。

いや、事情がどうであれ、人数に関係なく、起こることは起きるものなのである。

実は、このことについて、わたしなりの見解と、霊能によって看破した結論があるのだ。そのことを聞いたら世人は驚きの声をあげるであろう。

以下に、釈迦の弟子の声を記すことにする。真摯に謙虚に熟読玩味していただきたい。

『・・・沙門ゴータマ(釈迦)の弟子にして同梵行者たちとともに専心勉励していた者たちが、のちに修行をやめて還俗したが、かれらは師を讃歎しサンガを讃歎し、自らをこそ責めるが、決して他を責めないで、いわく、「われわれは実に不幸である。福徳少なきものである。われわれは是くの如くよく説かれたる法と律とにおいて出家したのに、一生それについて円満清浄の梵行(仏法の修行)を修することができなかったのだ」と。』(マジッマ・ニカーヤ77)

我見(勝手な見解と行為)・我執(自分の考えなどに固執する)・我慢(慢心)が出てくるのはどうしてなのか?

それは『福徳が足りない』のである。

『慈悲による行い』が欠けている、これが答えである。

辰年に立つ【自然智の会 手箱神山・大山祇神社 奉賛会 発足へ】

辰年に立つ【自然智の会 手箱神山・大山祇神社 奉賛会 発足へ】

6月の初め、数日間にわたりゾクチェンの偉大な師匠ナムカイ・ノルブ師による伝授会が行われた。わたくしの門からも十数名の方が、教えを受けられた。

しかしながら、この教えを実践完成することは簡単ではない。完全に実行することは、知れば知れるほど至難であることが分かるものである。

わたくし自身は、日本の密教から修行に入り、自分の心や霊魂をテーマにしてやってきたので、出会ったすべての師匠の教えが、自分の中で統合されており、何ら矛盾なく自分の中に留まっている。同時に修道も確実に進捗している。

そして最後に到達したのが、神真に至る道である。『仙を得る』とわたしはよく言う。仙には、地仙、神仙、天仙とあり、鬼仙などもあるのだが、詳しい説明はここでは省略する。

我が法門の目指すところは、天仙であり神仙への道である。

人によっては高位の仏仙に成るということもある。

だがどんな仏仙よりも天仙・神仙のほうが、境地境涯は上等なのである。したがって神仙をめざしてゆくのが、わたくしの門の本義だ。

山や海における修行は、神仙に『成仙』することを可能にする。

山の修行は人間でもできるが、海は難しい。呼吸ができなくなるので、死んでしまう。

山のほうは、魔障もあるが、まだ可能性がある。

世界中の山岳の根本の守護神は、大山祇大神である。この神祇と我が法門は、既に結縁感応が出来上がっている。だから本当にこんな汚辱に満ちた世の中・時代でありながら、成仙できる可能性があるのである。

まず門人は、修行講員か奉賛講員、どちらになるのかを選択すること。修行講員になりたい、専門的な知識を得て、わたくしの直弟子としてエキスパートになりたい、そう思う方は、申し出て認定試験を受けること。

試験に関しては、弟子の松浦と試問100題を作成する段取りである。9割以上できなければ不合格。面談で素性をわたしが自ら透視して合否をその場で決めます。不合格でも注意点を指摘されたら見込みがある。合否の結果だけ言い渡されたならば、見込みはないと考えてください。

否、受ける前から申し渡します。

門人以外の方は、奉賛講員になっていただいたらよい。各案内は必ず通知します。ですが、本当に深い、わたくしの保持する秘伝は教えません。この世では、成仙する法にご縁が無かったものと諦めてください。

6月17日には講座を行いますが、事始めですので、はじめの入り口のみは示します。これは誰でも聴けるようにしたいと思っています。

道はいくつもあるので、どれでもよいでしょう。本物を真実に修行できれば果報はあります。よくないのは我流、思い込み自己満足です。自己満足の境地をいくら体得しても、何の果報もありません。

奉賛会の詳しいことは17日にご説明します。

川島金山しるす
 

自分の幸せ 他人の不運【自己中・利己的】

わたくしは『自然智の会』というものを主宰し、自然(じねん)の智恵を得る修行を提唱している。

最近では、先達の称号に恥じない修行を重ねてきて いる門人も出てきた。

神法であれ仏仙法であれ、その修行で大切なことは慈悲深いことである。

法の修行に於いて、師匠や先生が、指示もしなければ認定もしていないのに、勝手に答えを出すなどということはあり得ない。

お滝などでも勝手な所作をやったり、癖がある作法をやり、すでに清まった・浄化されたと言い出す。

一例だが、他人が不運苦労に遭った、自分も近くで見聞きしていた。何となく自分の厄も落ちたように思えた。

あなたなら、どう考えるか?

そのことを口にして表現するか?

東日本大震災の大犠牲をもって、日本の大修祓がなされて世直しさせられたというのか?本当の地獄は後から来る。事後にこそ大変さや悲惨が起きる。

どんな小さな事故や病気でも、事後・予後に苦労がある。

他人の厄を、自分の厄落としみたいに思う。これは明らかに心得違いだ。

目前の人間の苦労を心から理解し慈悲深い心をもって見守ることが修行者の本来あるべき態度であると思う。

わたくしの弟子・門人・生徒は、そうあってほしいと切に思う。出来の良いのも悪いのも、結局はわたしの鏡なんだが。
自己中心的、利己的、妄想頑固頑迷に陥ってはいけない。


これからの生き方について考える(3)【相学・人相学から=笑い顔=】

喜劇王:藤山寛美
和製チャップリン 藤山寛美の大爆笑の笑顔

これからの生き方について考える(3)である。

どんなに苦しいときでも、明るくいる。これは大変困難なことだ。「言うは易し行なうは難し」である。

まして「笑顔をたやさず」ということは難しいことだと思う。

かなり前のことになるが、わたしが宗教に破れ絶望していた時期があった。立ち直るのに1年かかった。

或る年の暮れのことだ。気がついてみると、周りには、友人も無く、誰もいなくなっていて、たった一人で大晦日と正月を迎えたことがあった。わたしは、そのような正月というのを知らない。いつも何かの行事に参加したり、祭儀をやるほうの側で動いていたからである。正月のお札守(おふだもり)など一番多いときで、自分ひとりで2000枚以上墨書したこともあった。

そう、まさに商売繁盛の如しで、大忙しだった。そういう自分が、暮れ正月に、たった一人でいる。そんな気持ちを胸に琵琶湖に趣いた。なんと琵琶湖の湖面の寂しいこと。その情景と感情は、いまでも忘れることができない。近くの三井寺にゆくと、僧侶の読経が一層気分を重く寂しくした。

他人の方が、わたしという存在のなかに、何かの暗さを感じるとしたら、そのことも因子の一つだと思う。過去の苦しみは様々あり、それがどこかに片鱗をみせているものだ。それを糧として、他人の幸福を思う。さればこそ、人の気持ちが痛いほどわかるのである。本当の慈悲心や慈愛は、そういう経験と深い洞察の中からしか出てこないのだと思う。

東日本大震災の被災者の方々は勿論のこと、わたくしたちも「笑顔」にはなれまい。血の通った人間なら誰しも同じ感情だ。いつの間にか、ついつい泣き顔になってしまう。

だが、である。「泣き顔」というのは。人相学の上では、一番悪い相なのだ。八方塞・衰運の相だ。
諸々の不運に見舞われる相なのだと言われている。

反対に「大きく笑う相」は、福運を招くといわれ、相学上では、一番の吉相である。相学上の究極が「泣き顔」「笑い顔」だともいう。或る一流の人相学者はこう述べている。「笑う門には福来る」は、相学では不滅の真理であり、開運の秘訣はここにあると。

かつて、わたしも他人に心配かけまいとして、大きく笑った。心の中は、悲しくとも、太陽のように、大輪の華のように笑顔した。それを実践していたら、そのうちに気が晴れ、道が開いてきた。まったく不可思議であった。

困難な時代だからこそ、微笑もう。大きく笑顔でいよう。生きている、そのことを喜ぼう。大切な人の為に、大切な人の分まで、大きく笑って生きてゆこう。
 


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