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  • 2012.12.01 Saturday
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恒例の神事【大司命節・前夜祭を執行す】

【大司命節・前夜祭を執行す】

明日から大司命節に入る。

本日、早朝にお滝によって禊ぎの行事を修めた。大司命節に先駆けて行なったのである。

この期間は、自身の霊格はもとより祖霊の感格向上も期さねばならない。

昨年までは産土詣や出雲参詣をお勧めしたが、それは当然の事として、さらに奥の伝えが存在するのである。

今年からは、そういう奥義の神事・修法をおこない、祖霊の冥福向上をより強化している。

また、13日〜14日にかけて、秘伝合宿を行なうが、その中でも相応の秘法が授与される予定だ。

『大弁財天』の秘法などは、白眉のものである。参加者には口伝も交えて伝授するので楽しみにしていただきたい。

ともあれ、本日の重要神事は無事終了した。

繰り返し言うけれども、仁義を切らないで、身勝手な言い訳や解釈を言っている人間には、成功なんてものはありえない。

勝手に「大司命節」だといって、お祈りしても何にもならないことを付言しておく。


これはどこの誰の忘れものかな〜
 

出雲大社参詣【代参のお役を果たす】

島根県の出雲大社(いずもおほやしろ) に到着。

皇神(すめがみ)たちの大司命節「幽政・幽事」をお祝いするため、また多くの祖霊や有縁無縁の万霊たちの霊格向上・冥福を祈念するために参詣した。

わたくし個人はもとより、幽政の期間にどうしてもゆけない方々の為の代参のためである。これは完全に恙無く修法することができた。

この大司命節の期間に出雲大社に来て、自分と祖霊の霊格向上を願うことは、人間にしか許されていないのである。大社に自由に出入りできるのは、人間だけなのである。

死後、或る霊界に入ってしまえば、幽宮としての大社にゆくことなど自分の意志では許されない。現界で、これが許されているのは、天皇という存在が、神界承認のもとにあるからなのである。

ここに日本国および天皇陛下の真の尊さがあるのである。

みなさんは、この「幽理」を理解できるであろうか。このことを知ることが、そのまま古神道を理解したということに他ならない。

ともあれ、わたくしは皆さんの祖霊の霊符を携え、代参希望者の祖霊冥福祈願をしたのである。特別な感通法・感通秘詞を密用して、大神に祈念したのである。

霊供・霊祭の恩頼(みたまのふゆ)・功徳は、陰の徳を育てる最たるものである。

兎にも角にも、「産土大神」にゆき、あるいは「遥拝(ようはい)」して、神府(かみのみかど)に通じてゆくことが大切である。祖霊冥福祈念も、この道理を踏まえて修することである。

今回もいくつもの奇瑞があった。機会あらばお話しすることもあろう。その瞬間を捉えた写真も何枚かある。それではこの辺で筆を置く。諸氏のご多幸とご健勝を祈って。
 
(追伸)道中にて『ねこ丸体操』と温泉で助かったことをご報告しておく(笑

幽魂安鎮の神事【大司命節祭 恙なく御祭りを行う】

昨日、大司命節祭典を恙なく事執り了えた。

大司命の神々が、簿録の改定を行う「幽事(かくりごと)」 、いまはその期間である。

誰がどんな屁理屈を言おうが、11月8日から「万魂の運命改定」「幽魂の境界遷移」は起こるのであり、所詮人間の知恵知識など及ぶところではない。

治療の世界にいると、整体大好き人間などが寄ってくる。大体が、マニア仕様の人物であり、正直さや実直さに欠けている。自然な長い付き合いができないのである。

計算高く、目先ばかりを見ている。この頃は、こういう類の人間が来なくなったので、非常に助かっているし、気分が良い。

大司命節の御祭りを斎行するまでになっているから、清々しい方々しか今後は集うことはないであろう。

産土神のお働きをつかんで、実地に自分の中に正真の信を打ち立てる。こいうことを目指し、更につかんだ者だけが、「幽魂安鎮の法」を修することができるのである。

祖霊や無縁の霊魂を問わず、幽魂安鎮を導くことができるのは、正真の信を得たものだけである。

昨日、祭儀の直前に、特別な伝法を先達衆に行った。それは、「完全なる霊魂安鎮秘詞」の伝授である。彼らが、わたしの代わりに「霊祭」をできるようにという思いからである。

霊魂の供養をしてゆくと、陰徳が出てくる。微妙な幸運がつきまとう。特に修行の方面では明らかに現証を伴う。

彼らは、2年3年と、わたくしと共に「寒行」を続けている。このことについて、理屈はない。やったか、やらなかったのか、ということだけである。

秘伝は、個々人に伝授してゆく。これは当然のことだと思うし、諸人のご理解を願う。

大司命節神事【出雲大社代参のこと】

10月9日をもって『大司命節の幽事』が始まった。これは11月8日まで続くのである。

我が会では、10月9日〜10日神奈川県山北にて、霊学秘伝合宿が恙無く行われた。上々の成果を残したと思う。その模様や記録写真などは、後日皆さまにお届けいたしますが、今日は「幽政・幽事」について述べたいと思う。

本年は、幽政の大執行の期間に、出雲大社にゆき祈念することをお勧めしている。このことは由縁あってのことであり、畏くも出雲大社は、正神界の九羅殿の現界的表現であるとされている。

この殿には、大国主神がおわしまし、幽政を執行されている。大司命節の期間は、万霊の運命改定が為されるのであるが、それは少名彦那神が首座として司掌されている。殊に幽魂の霊格の高下は、大国主神が司掌されているので、この期間に、祖霊の冥福を祈り、境界の向上を祈念することは、大変効果的な方法であるといわれています。

非常に功徳が高いわけです。さらに幽魂安鎮の法をもって祈念すれば、まさに「鬼に金棒」の憾さへあります。

しかし、現界の諸事情により、ゆけない修道者もいるのでないかと思うに至りました。

そこで「出雲大社への代参」ということを発案いたしました。神拝の折、祈念すると「よきめでたきことは是れおこなえ」との文字が頭に浮かびました。そういう事情により、代参をうけることにしました。

代参と都内近県「出雲神社まいり」について、詳しくは先達の方々より発表があると思います。賛同した先達衆の幾人かが講元になり、詳細をお知らせすることになります。費用は基本的に無料。ただし「出雲大社」のお札をいただきますので、その幣帛料は各自負担です。一人ひとりの祈念を完全な形でわたくし(川島金山)が代わりに行います。

この期間すくなくとも祖霊の霊格向上を願い、大司命祭文を毎日奏上して、幽事の順調を祝うことは、大変な功徳を生じます。怠ることなく、ご祈念されることをおすすめ致します。

10月16日(日)(午前11時開始)には、『大司命節祈念祭』が執り行われます。また、その後講話がございます。
 

霊学講座(第21回)【産土神の御力 ー霊魂の祓いー】



9月25日(日)第21回霊学講座が行われた。

ブログを書き始めてから3年が経とうとしている。

当初は、療法の研究会ということであったが、わたくしの元来の本領が、密教や霊学にあるため、気合法の講習を御岳に於いて行うにおよんで、半ば必然的にいまの流れになってきたわけである。

ここまできて感じることは、来られる人々の顔ぶれの変化である。おもしろいことに治療法や整体法などにこだわっている追求している人間は、意外にも敬虔な信仰心や宗教心が希薄なことだった。おそらく身体というものを物質的にしか見ることができないのであろう。多分であるが、「人間はいつか死ぬ」のだという真理を忘れてしまって、触れないようにしているからだと思う。わたくしはそういうことでは、本当の意味で人間に健康をあたえることはできないと思う。このことは整体法信奉者のよくない部分だと思う。これが三年間の偽らざる実感である。

偉大な野口晴哉先生にのめりこみすぎて、すっかり虜になり、真理から遠ざかってしまっているように見える。そうではないと本人は主張するが、しょせん枠内である。

また整体の先生という人物にもたくさん会った。宗教実践したこともないのに、宗教とは「相互依存だ」と断定する愚か者もいた。実践したこともないのに屁理屈をこねる。また、密教法具の五古金剛杵を平気で独古杵といって講義している方。密教のアジャリでもないのに、密教法具の解説することはできないのだが。整体界というのは、実にいかがわしい世界なのだと思う。

いま吾が会に来ている方々は、可能性がある。素直で信仰心がある。ただ、滝行開始以前から来ている人は、修行ということについて障害があるとみなければならない。修道してゆくうえで、決定的に信仰心が欠落しているのである。これでは、修行を全うすることができない。その証拠に修行を正確に行ったり、理解を深めることができていない。すぐに「気」だの「丹田」だのいう。

そういう輩は秘法の側面すら、師匠からは見せてもらえないことを自覚するがよい。腹を据えて、信仰心を養うようにしないといけない。だが、信仰心は生まれ持ってのものであり、前世の賜物なので別に無理はしなくてもよいと思う。地道に何十年でもやり続けるしかないであろう。ご縁があればわたくしが教授するだろうし、また別の御方にご縁があるかもしれない。

今回は、霊学講座に先立ち、稽古会を行った。これは、「霊魂の祓い」である。わたしくしが行ったのではない。あくまでも「産土神の掌統」によって行われたのである。人間が人間の霊魂のお祓いなどできるわけがない。一霊を霊止(ヒト)に付与してくださる、産土の神にしかそれはできないのである。

此の洗足の産土には、そのような御力があったのである。今回の「祓いの儀」は、すべて霊界の承認を得て行われたものであり、とても霊威のあるものであった。受けた大多数の方が、特別な体験や特殊な感覚(感格)を得たことだろう。続々と体験談が寄せられている。

その後の霊学講座では、霊光療法の「遠隔法」、禅定法、アチメの法等々についてお話した。また、幽魂安鎮秘詞の口伝を与えた。

手技療法講座では、背骨と月の運行と照応したところの、わたくし独特の手技秘法を、ほんの少し教授した。月の運行と身体に関連づけた教えは、インド・チベット・シュタイナー哲学などにも存在する。しかしそのどれでもないものである。 

高知の神山 深山幽谷記【言挙げできぬ神業】

今日、帰京した。

今回の修行は、神の為せる業の上に、 誠心(あかきこころ)のある道士たちが、為したものであった。

誰も出来得なかった事々、いま歴史は作られつつあるのだ。

修行をはじめて30年、今わたくしは、漸く高位の霊界の感格を得た。今回の参加者は、確実に霊格が変わったものと思う。

すでに我らの神事・神業は、『言挙げ』不可能なところまで来ている。神の厳律によって、もはや多くを語ることはできない。

参加同志ご一同、各ご家族・援助者の方々、会のみなさん、特に松浦家のご家族の御協力に心から感謝申し上げます。

川島金山しるす


改訂版 神山よりのレター【霊感観想法の神髄】



わたくしたち同志は、今回の高知巡礼・神山登拝で、「天架ける橋の神ごと」を行った。

今回は、「金幣」を捧持し、神山の頂上御神前において、尊い御神霊を「降神の儀」を以て、お呼び出し、人間衆生を御啓導くださる、その御神霊を鎮祭する。すなわち「金幣」に依らしめ祀り込むのである。その後、金幣は洗足道場(川島整体)、我孫子道場(我孫子カイロセンター)に奉安されることになる。

此処に、天の架け橋が完成するのである。

此処から心魂を感応交通して、御神域・神界にまで趣く法が「霊感使魂法」である。これ仙法の神髄である。

わたくしの門人同士(我が会の先達衆たち4名)は、今後この秘法を修法してゆくことになる。すでに伝授は行った。

この法は、通常の鎮魂法や神懸かり法などは及びもつかない、古今絶類の我が国 尊秘の秘法・神術である。

さて、大きな成果を得て、間も無くわたくしたちは、東京への帰途につく。

次は、霊学講座・稽古会、第二回霊法秘伝合宿、大司命節秘機の期間である。息つく暇もなく、御用をこなしてゆくのである。

訶々大笑


川島金山しるす 

秘伝現前【鎮魂法+スカイプ特別講座+西王金母 勧進供養】

スカイプ夏季特別講話会を8月20日(土)午後7時〜8時に行う。

内容は、『産土神冥徳講義』『霊魂玄義』の補講である。

すなわち「本田親徳翁の時代的背景と現代」を考察する。過去を今と未来につなげる補講である。

8月21日(日)、「鎮魂法秘伝」の伝授会である。幾つかの秘伝・秘説を明らかにする。
この伝授会に参加される方は、将来「門人になる」覚悟があること
滝行法の修行を積むこと
秋の秘伝合宿に参加すること
以上が、参加条件になります。

我が会では、西王金母をご本尊としている。その尊像は2体あり、2度にわたり「開眼秘法」を修した。1体はわたしが購入し、もう1体は畏友;三上氏がご寄贈くださった。不思議なことに両方とも同じ鋳型から作成された100年以上前の尊像だった。まるで双子の姉妹だ。

わたしは今年の七夕に「もう一体同じものが御来臨する」と断言した。

それが間もなく実現します。昨日お知らせがあり、我が霊眼に尊像が映じたのであります。

この金母像は、高知の霊学道場に安置されることになります。皆さんが結縁を得るために勧進を行います。『西王金母尊像 勧進供養』です。皆さん、どうぞ結縁の功徳を積まれてください。参加者一人一人の御志納の功徳により、成仙の道・高知巡礼への道が開かれることでしょう。

※尊像安置 勧進供養(御志納受付)は、一口千円で受け付ける予定です。

合掌

川島金山 謹書 

西王金母図像

6月30日夏越まつりの福寿【大はらい;茅の輪くぐりの巻】

茅の輪のくぐり方 
茅の輪

6月30日は、大はらいの日である。

人型を謹製し、罪ケガレを付着させて、川や海に流す。これわが国の霊的伝統行事である。実際に業が清められるのである。

夏越のまつりともいう。

「水無月(みなづき)の 夏越の祓い する人は 千歳(ちとせ)の命(よわい) 延ぶといふなり」などよく知られる歌もある。延命の効果があるというわけだ。千歳とは、千年だから、昔の人は欲が深かったのかなと思ってしまう。しかし、実際には、「仙寿」を得ようという意図なのである。

小林一茶などは、「母の分 もひとつくぐる 茅の輪(ちのわ)かな」と詠んでいる。

「茅の輪」にも、くぐり方がある。これを機会にお近くの神社にて研修されたらよい。

よくわかっている神主がいるところでは、前々日・前日の28・29日に祭りを執行する。宵々・宵の功徳・福寿というわけだ。恵比寿講でも、祇園祭でも、何でもそうだが、宵々・宵の功徳・福というものはあるが、次の日の「残り福」はない。これは人間が勝手に作ったものである。だから28・29日にお参りしてもよいのだ。

わたしは30日の早朝に「大祓祝詞・天津祝詞太秘辞」を修唱をする。そしてお滝をいただく。これ禊ぎ祓いの真髄である。

みなさんも是非、大はらい行事に何らかの形で参加してほしいと思う。来年は、我が会として行いたいと思っています。

清々しい誕生日【西王金母の神鏡ご来臨】

西王母像と神鏡
西王金母像と神鏡

『金山庵』というのは、わたしが再び出家的修行に入ったということの表明でもある。

昨日はとても特別な日だった。わたしの誕生日の前日ということで色々なものが届いた。
貴重な文献などである。

特に嬉しかったのは、西王金母の神鏡がご来臨したことだ。随分と神祇に祈り、ようやくご来臨された。いまは未だ、お精根は入れておらず、入魂はしていない。七夕もしくは西王母のご縁日に執行しようかなと考えている。

この神鏡は中国の四川から直接届いたもので、わたしがかねて霊夢で見たものと、ほぼ同じものである。道場のご神体としては、これしかないと思っていたので、誕生日の前夜に届いて、これは神真からの賜物だと確信している。実にありがたいことである。

昨晩は、或る法についての啓示があった。多くの人は公刊の書物など読んで、知ったかぶりで質問をしてくる。外郭の知識で質問してくるのだ。しかし、法はそんなものではない。

公刊の書に本当の部分など書いているわけがない。そういう質問をする場合には、わたしは本当のことを教えません。知らんふりをします。もしくは適当に頷いておきますから、ご了承下さい。

早朝の3時33分に例の畏友・三上さんから、誕生日祝いのメールがあった。丁度わたしは起きていて、『使魂法』のやりはじめだったので、行を少し止めて、感謝の祈りをした。わたしは三上さんからメールが来ると前日からわかっていた。なぜなら三上さんとは、そういう人だからである。

ものを習うということは、このように律儀でないといけない。師匠の生まれた日を忘れているようでは、本物の生徒ではない。師匠と会わなければ「道」はないのだから。

わたしのような師匠はあまりいないと思う。丁寧に真実を教え導いてくれる師はめったにいないのである。

だが、ひとり庵で起床した誕生日の朝は、いつの誕生日よりも清々しかった。自分にはこんな生き方があっているのかもしないと思った。横で西王母は微笑んでいた。 


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