スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2012.12.01 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

上野界隈 繁盛の秘密【巳成金の御守を頂く!】

拝受!巳成金の御守

  

平成24年9月17日(祝)は、不忍池弁財天の巳成金(みなるかね)の年一度の御縁日です。

「みなるかね」の秘説は、俗説だという人もいますが、実はそうではありません。

また、上野界隈の繁盛には、或る秘密があるんです。

そのことは玄学的(古神道・道教)な観点から、大いなる秘密なんです。

ここでは言えないので、わたしが口を開くまで待っていてください。ご自分で分かろうとするのも、分かったと思うのも、ご自由ですが・・・!


お金(等価交換システム)【自然の贈与;産霊(ムスビ)の秘力】

【自然の贈与;産霊(ムスビ)の秘力】



わたしの好きな映画に『34丁目の奇跡』がある。

それも旧版を好んでいる。昔は、アメリカでもクリスマス・イブには、この映画がTVで放映されていたというが、今はそうではないらしい。

モノクロであり、わたしたちが生まれる前、1950年代の作品であるから仕方があるまいと思う。

だが、わたしはこの映画を好む。決まってクリスマスになると必ず観ることにしている。理由は、クリマス商戦というものがテーマになっていることと、人間の持つ可能性を示唆しているから。七夕と共に大切にしている。

日本でも昔はそうだったのだが、熨斗(のし)というものを贈り物にはつける。

その意味は、「天折り(あおり)」と言い、転じて「天降り」となり、『あなたの行いは神の意に適っているのでこの品物を受け取ってください』という程のことなのです。(※紙を折る=降る(降臨)ことで、恩頼(みたまのふゆ=幸福)を願ったのです)

物々交換で、霊魂(霊と心)をつけて贈る。物々・品々の交換とは、そういう形で行なわれたのです。感謝と言えばよいのか、とにかく「たましひ」をつけて、交換したのです。

ところが、洋の東西で、お金というものが『発明』されました。

やがて近代になるに従い、「霊」とともに「数」の交換が開始された。

『等価交換』ということが、数(お金)で行なわれました。これは大変便利であり、お陰で大変な思いをして物々交換しないで済むようになりました。さらにその象徴がクリスマスです。

これがクリスマス商戦に発展し、霊の交換よりも、数の交換(商業の発展)への意味合いを強めてゆきました。

上記の映画は、まさしくそれが展開されゆく時に作られたものなのです。

その後の時代は、数的(貨幣交換)が表面化し続ける。

霊は「無」から「有」を産む作用があるのに対し、数は「有」から「有」を増やし続けるのみです。

新しい市場、新しい技術は発見され続ける現代ですが、その奥底に霊はいまだに息づいており、秘力を出し続けているのです。

地をゆく、この霊の存在を、「産霊(ムスビ)の神」というのです。

それは「霊狐」「稲荷」「ダーキニー」「精霊」の形で、古今東西において表現されている。

お金(等価交換システム)を大きく収集するにあたり、その背後の「霊」を正しく認知せずして、役立つもの足りえるかという疑問がある。

要は「物欲」だけなのか?ということです。

古への神の教えでは、そのことに対し明確な答を出している。

【霊魂(たま)を学ぶ会】では、こういうことの解答を明示したいと思っております。

川島金山 識








旅の意義とは?【旅はご供養 世は情け】

【旅はご供養 世は情け】

旅の時に持参する法具の一部

『旅は道連れ 世は情け』と俗に言う。

だが、わたくしは『旅はご供養 世は情け』と言いたい。

日常的に休日などの時に出かける。遠くにゆくこともあるし、近場の場合もある。

霊学・霊術reizyutuを志し、奉ずる者としては、必ずその土地の産土神社(うぶすなのかみのやしろ)には必ずゆきたいところだ。また、その処に所縁(ゆかり)のある寺社にも参じたい。

できれば土地に関連のある諸精霊・無縁仏などもご供養するのが善いのである。

旅の意味というのは、こういうところにあると思う。

先般、Y山公園という自然に恵まれた所に行った。急遽そうなったのだが、すぐにその公園内に「明王谷」という、水の湧き出るところが想起された。

そこで同場所に着くと、水を浄化する秘呪やマントラを唱え、香を焚き(ドゥクサとサンのお香)、ご供養し、場を浄化した。

金剛の歌などをやり、統一すると、俄かに雲が出てきて、気持ちのよい少しばかりの雨が降った。本当に優しい雨で、はじめは雲の真ん中に梵字の「フーム字」 に似た形が見えた。

雨降らしの主は、竜神様のようであり、すぐに龍神の秘呪と諸龍真言(ナーガのマントラ)を繰り返しお唱えした。

このことは深い意味を持っていると思う。わたしたちは5年以上前に、この公園の丘の上で自分たちの将来を語ったのだから。

この雨は祝福の雨であり、甘露の法雨だ。

行くべき方向性を示唆している。神霊たちは「旅にはご供養と意味があるのだよ」と教えてくれた。

霊学を修道する者としてのわたしは、旅の意義というものをそう理解している。

修道の玄義【人間の何が輪廻転生するのか?】

仏教やインドの思想では、人間は輪廻転生するのだという。

インド以外でも、仏教の教えがある国々では、そう信じられている。ブータンなどもそういう国の一つだと思う。

では何を核として輪廻転生するのであろうか?

仏教では「心の連続体」であるという。チベット語では『セム・キ・ギュウ』という。

『心相続(しんそうぞく)』というけれども、同じ意味だと思う。

これは業の実態は何かということの答でもある。

では、わが国の「神の教え」では如何なる答を持つのであろうか?

霊魂は、「一霊四魂」といい、一霊の具体的なものが四つの魂(心のはたらき・活動機能)に分かれれるという。通常的にいう、「智・情・意」みたいなものである。

このほかに、父母から受けた「魄霊(はくれい)」というものがあるのだというのである。これは身体や心も含むものであるが、宇宙の根源から享けし「霊魂」と「魄霊」が一つになり、人間を形成していると説くのである。

大体、墓所にはこの「魄霊」にまつわるものがあるのであり、家の仏壇や霊舎(みたまや)には、四魂のうちの「幸魂(さきみたま)」が祀られることになる。

わたしは四つの魂のいずれかが、例の「心の連続体」に関係しているのだと考える。

わが国の神の教えは、霊魂の所在・法則の答を出し、そこから修道を考える。仏教は、「心の連続体」を如何に輪廻から解脱させるのかに焦点をあてたものなのだと理解している。

真実の理解をしてゆくのであれば、両々相俟って、人間および霊魂を進化させるものなのだと理解できよう。
 

幽界の玄理(2)【霊的な供養法の秘説】

幽界の玄理(2)【霊的な供養法の秘説



明日になると「やぶ入り」で、お盆もおわる。

送り火を焚いて、祖霊の霊魂を送るのである。

火(ひ)は、霊(ひ)に通じており、火というものには「霊魂」が一番感応すると言われている。

霊魂というか、霊的存在が火にはよく感応するのである。

だから火は清めておく必要がある。そうしないと禍神や邪霊が寄り憑いてしまう。

火を焚くことの意義は、実はこういうことと関係がある。

また、お盆の火による送迎のときには、馬を置く。これも一種の禁厭法(まじない)である。

馬に鞍を付けるのだが、そうめんを付ける場合がある。これも古い法術の名残りである。

霊的な感応に、そうめんが効くのである。これは深い秘密の説である。

理屈はともかく、この時期に先祖・祖霊の祭祀を行うことは、霊的に見ても正鵠を得ているといえよう。
 

幽界の玄理(1)【今日からお盆の入り】

幽界の玄理(1)【今日からお盆の入り】



昔から7月朔日(ついたち)を『釜蓋朔日(かまぶたついたち)』 という。

朔日(ついたち)というのは、「月立ち」から来ているともいい、要するに月の始まりを意味する。では、「釜蓋」とはどういう意味であろうか?

「釜の蓋」とは、地獄の釜の蓋のことである。

よくお盆に地獄の釜の蓋が開くというけれども、実はお盆よりも少し早いのである。

浅草の『ほおずき市』などは、明らかに先祖の供養にもなっているのである。

地獄の釜の蓋だから、地獄の住人だけが対象なのかというと、そうではない。幽界に籍を置く者すべてが対象である。

今日はお盆の入りなので、夕方に『迎え火』を行う。これも由縁があって行うものであり、幽界の玄意が込められている。

一つ一つのこういう行事を行うことは、すなわち霊的な修道ということと不可分である。

わたくしの弟子・門人として修道をしてゆこうという者は、暦に従って行事を行ってゆく必要がある。人間もまた、霊的な存在なのだということを肝に銘じておくべきである。

密教の復活秘道論【空海とヨーガの技法】

わたくしが皆さんにお教えしているものは、密教やら修験、霊学など等であり、今は滝行法の実践を中心に教授しているわけである。確かに整体法・その他治療に気の力や念の力を応用する、そういうことも目指しているし、治療家の方々には、より力を発現して頂きたいと思う。

だが、治療家とて、一般人であれ、心身の鍛錬は必要なことなのである。まして密教霊術の専門家になりたいのであれば尚更のことである。心身が強健でなくて、本物の念の力や気の力など出てくるは筈がない。理屈抜きに『滝行法』に熟達しなければならない。少なくともわたくしの指導体系によって練磨するというのであれば必修である。

日本の密教のレベルは、仏教学的には『ヨーガ・タントラ』と呼ばれる段階であり、作法・行、その上に位置するヨーガである。身・口・意の三密を使って、本尊と一体と成る方法だ。弘法大師空海和尚は、『即身成仏』という表現で密教を示した。だが、すばらしい所作や作法は現存するが、力そのものを感じないのは何故であろうか?

儀式として完成されてはいるが、何か物足りない。皆さんの多くは、密教という言葉に惹かれても、力というか念というか、そういう神秘的なものが何故感じられないのかと思うのであろう。

密教というものが日本に定着した平安時代、時を経て、再び山林に入る修行者たちが出てきた。密教を修行しつつ、修験道を修めていった行者である。山の修行に、力を求めて入ったのである。先師の教えに『山から教わる』というものがあり、自然の中で行う『自然ヨーガ』とでも言うべきものであろう。

桑原隲蔵博士の『大師の入唐』では、空海の師の恵果和尚の青竜寺には当時、西域人など多くいて、インド人の般若三蔵との付き合いは有名だが、その他の異人とも自由に交際していたのではないか、と述べられている。また、サンスクリット学の大家、榊亮三郎博士は『弘法大師と其の時代』という論文を書いておられ、空海の時代、当時の唐の状況等から、空海のサンスクリットの力を推量されている。大師は、唐に学んだことのごく一部を日本で発表したのではないかと言われている。

『むなしく往いて、満ちて帰る』はあまりも有名だが、大陸の生の本物の知識がどれほど手に入ったのか想像すらできない。おそらくはヨーガの技法を仏教的なものから、外道まで見聞しものにしていたのだと思う。だが、外道色のものは、細心の注意を払って、払拭したのだと考えられる。

ベルギーの仏教学者プサンなどは、インドの宗教は、多かれ少なかれヨーガ的な宗教だと、いつも言っていたという。仏教そのものであれ、密教であれ、ヨーガというものが土台にあることを知らねばならない。

滝行法というものは、いくつもの効用がある。自然のヨーガの中では、最高の方法なのである。荒い心身から微細な身心に変容してゆき、気合・念の強化、心が無になる等、普通では得ることの出来ない状態を創り出す。

だが、注意しなければいけないことも沢山ある。修行における陥穽(落とし穴)というヤツだ。わたくしの会でも、多くの修行者が滝行法の陥穽に嵌っている。だが、それほどの修行は、まだまだやっていないので、『魔境』に至るまでにはならないし、すべては本人次第なので、ほっておいてあるのだ。

まず『型』ができないとスタート地点にすら立てない。はじめにそれをやることだ。先日の滝行のおりに、時間の都合上もあり、修行者がわたくしと同時に入滝した。その時に、気合の力で流水を止めた。そして水量をコントロールした。二度ほどやり、体感した人からは、驚きの声が出ていた。

修行をしているとこういうことが可能になる。密教の修行とは、霊術の更に奥にあるものなのである。この密教を伝統的な法脈に合流しつつ行うところに、わたくしたちの誇りがある。人数は少なくても本当の修行を通じて、人間形成をし、改造し、世のお役に立ちたいと、切に考えるこの頃である。 

秘伝;真観表を作成する(3)【神鑑法の製本出来】

 
幻の書『神鑑法』『真鑑法』を合冊製本した私用本

秘伝;『真観法』を研鑽してゆくにあたり、先ずは私用の本として製本してみました。どうですか、皆さん良い出来でしょう。

「こういう企業努力が大切なんだよな」とわたくしが言いましたら、側近Rが「利益を追求していないのだから、企業とは言えない」と突っ込みを入れてきました。

わたくしは一瞬なるほど!と思ってしまいましたが、すぐに「物質的ではない利益を追求しているのだから、企業努力と世間の用語で言っているだけだよ」と詭弁を弄してしまいました。

国が将来の年金給付の為に、消費税云々言っている、このご時世に「日本的な力の根源を遺してゆく」なんていうのは、まったくもって時代錯誤・頑迷不霊です。わたくしは「化石」「石あたま」なのでしょう(笑)

だが『真観法』は、間違いなく人類を利益します。これは、日本独特の観察の知恵でもあります。

整体のほうに『遠隔輸気』というものがあります。方法としては、具体的には「遠隔気合法」になるわけです。しかし、整体では『心の距離』ということを言います。その距離が無くならないと遠隔はできないというのです。

本当にそうでしょうか?

整体の開祖がそういう様に言う。すると後の中途半端者が、同じことを言い出す。あるいは気を感じるのです、みたいなことを言い出す。本当にそうなのか?

人間、洗脳されておりませんと、便利なもので、ここは違うなと判別ができてしまう。その意味で、野口整体などは、すでに見切っています。どこが貴重で、どこが怪しいのかということを。

言で言えば『神鑑法』の遠隔感応法で、鑑定すれば、人が死んでいるのか、どこかにいるのかも自在に分るものです。野口先生などは、『心の距離』などと言いますが、それは組織防衛、詭弁です。

ズバリ『神鑑法』で分るのですよ。『あらたなる真観表の作成』ここからわたくしの【整体療術(霊術)の革命】は始まる!


幽魂の安鎮【三つの関門を説く】

仏教などでは、三解脱門等というが、いまから述べることは、それとは違うものである。

仏教の解脱などというものは、神祇のほうの「得仙」「成仙」に比べたら、足元にも及ばないものである。

一昨日、「大司命節祭典」を執り行ったことは、すでに書いたが、その祭典の後にわたくしは講話を行った。講話のテーマは「幽魂安鎮の三関門」であった。

幽魂の安鎮には、三つの関門がある。

このことは知っているようで多くの人が知らない。宗教を本業としている人間も知らない場合が多い。というよりも大半が無知である。

死者のお弔いをして法外な冥加金を貪っている坊さんなど、霊魂の行方などには、まるで無知であり、「霊視・見立て」もできないのに、戒名料やお布施をいただいている。こういうことをしている連中は、死後に間違いなく「〇〇の一丁目」にゆくことになるでしょう。

幽魂安鎮の第一関門は、産土神のお計らいにより、厳正なる祓いを受け『ヒキュウ』と呼ばれる幽宮に赴く。ただし不徳の幽魂や神祇不敬、邪教崇拝の輩は、産土の神の導きは受けられない。不徳の者は、即、冥罰界や邪霊界・悪魔界に行ってしまう。

第二の関門にて、幽宮(「ヒキュウ」)に辿り着く。ここは大国主大神の幽宮であり、厳正なる取調べを受ける。

第三の関門。大国主大神の裁定により、各霊界に振り分けられる以後は、その界の厳律に遵う。霊格の向上などは出来ない。これができるのは人間のみである。
また、すぐれた霊魂は、少名彦那大神のご啓導受けて、大霊壽真などの神位をいただき、皇神(すめがみ)として司命(ウブスナ)の働きをするようになる。これはごく稀である。

出雲大社に参詣して、祖霊の霊格向上を祈念することは、第三関門の段階に至っている祖霊を助けることになる。すなわち、境界の遷移である。殊に大司命節の期間は重要である。

「完全無欠の幽魂安鎮秘詞」の威力の一つは、この期間中に於ける祀りにおいて発揮される。

また、第一関門は50日間であり、このときに密用するのが『霊魂安鎮霊唱』という大神仙直授の秘伝である。わたくしは仏教の49日間の密教の法も行うが、神法と仏仙系法それぞれの法式は、狙いと祭祀修法の対象が違うのである。この点、詳しい解説が必要である。

諸人よ、よくよく「三関門の理」を理解して、この期間の祖霊祭祀を怠らざるよう望むものである。

深秘の教え【霊体進化の階梯とは】

霊体とは一体なんであるのか?

この先生は、指圧師・整体の先生なのに不思議なことを言う、といわれる方も多くいると思う。

その昔の霊学者や霊術師(=療術師)は病気治し・病気治癒を本業としていた。

彼らは、身体の深奥には幽的な体があるという前提で、その部分に光や気を当てて病気の治癒を促していたのである。だから、わたくしも同じように考え施術をしている。たとえ表面上は指圧や整体でも、根底には霊的な治療が入っているのである。

それゆえに気や神気・霊気、霊体などについて言及するわけである。

この技法が、輸気法・霊気法・霊光線療法・人体ラジウム療法などの方法だということである。今で言えば、気功法というものが、非常に近いわけであるが、霊術の場合は、神祇・神霊・心霊というものが、建前としてあったわけで、非常に宗教的であった。そこが気功法などとの大きな違いである。

わたくしの考えからすれば、霊的な技法のすべてについて、産土の神の教えなくして、成り立たないと思うのだが・・・、過去も現在も、この大切な認識が欠落している者が多い。

さて、『霊体』である。

わたくしの言う霊体には、いくつかの種類がある。

『幽体』『霊胎』『権胎』『玄胎』『真胎』『神胎』等々である。

幽体・・・霊的な身体。死者の霊などはこの体。修道しなくても出現す。
霊胎・・・正真の信仰や積善功徳、魄(はく)を七割方無くする事で、この体が生ず
権胎・・・これは正真の信仰・積善などだけでは、絶対に到達できない。方法と資格が要る。
玄胎・・・これは神界に到達せる者のみが得られる。人間の修道の極致。
真胎・・・この境地は人間では到達できない。
神胎・・・これはもはや神そのもの。はじめから神であるものの本体である。

権胎まで到達した段階を『成仙』と呼ぶのである。

いずれも前人未到ともいえる段階だが、必ず先師・先達の道しるべを糧として歩めば、到達できる。秘密の知識というものが、頭の中に出てくるので、明確にわかるものです。

これらの境地を実地に指導できることの喜びを、わたくしは噛みしめています。


calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM