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  • 2012.12.01 Saturday
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台風一過【あらたなる胎動! 大司命節はじまる】

台風一過【あらたなる胎動! 大司命節はじまる】 



昨日、塩川の大滝にて、お滝をいただいた。

側近Rが、はじめてお滝に入った。

一人が去ると、また一人が来る。まこと不思議なことですね。

先般9月16日(日)に、滝開きを行いましたが、これからお滝の修行の質が変わるという予兆がありました。

参加した方は、体感されていると思います。

昨日のお滝でそれが更に明確になりました。

つまり滝行の効用が、次の段階に移行したわけですね。

これからは修行の仕方次第で、大きな功徳が頂けるようになるでしょう。それはズバリ、才能開発の徳と、大きな財運が頂ける、そういうものです。

最高霊術は、戦前戦後の霊学者たちの修道の結晶、霊法の精粋を集めたものですが、これに関連して、昨日は少し違う護摩供を修しました。

今までも、神霊の感応は請うていましたが、主に霊地の諸精霊に煙供(煙にお香を乗せて供養する方法。チベットのサンと同じ)を行っていたわけです。

しかし昨日はそれとは違う、霊的な存在に強烈な思念をもって働きかける方法を行いました。

護摩の火焔に、塩川の霊地関連の霊的存在や諸精霊が感応しました。

具体的に言えば、塩川の霊地の、神祇や仏尊だけでなく、かつて居た修験者の霊や、周辺の霊的存在もすべて集めてご供養したわけです。

最高霊術も同じような原理の元に、修めてゆくのです。

今後は益々、霊的な働きかけをする修道、現実に功徳をいただく修道になってゆくのだと思います。

そうなのです!

あたらなる胎動は始まったのです!

大使命節は、本来10月9日からですが、すでに本日10月1日から予備動作が始まっています。

すでに来季の兆しが出てきているのです。

その意味で、10月1日(ついたち)の産土神社の参詣は、特に意味のあることなのです。

台風一過、あたらしい風は、すでに巻き起こっているのです!

あなたは、この風と流れに、大いに乗じて、功徳をいただかなければならぬ。

わたしの森にて【自然との統合;真髄を修行する】

◎真髄の修行


この『わたしの森』で修行した

修行や修道というものは、帰依心と慈悲の心によって支えられているのである。慈悲の心とは、菩提心のことであり、これには世俗の菩提心と勝義の菩提心がある。

しかし本当の帰依のないうちは、本物の菩提心は出てこない。ここに修行の一番の難しさがあるのである。

この稿でいう真髄の修行とは、そのことではない。修行法そのものの中での真髄という意味である。それなりの修行者になれば、必ず真髄の修行法というものを保持している。

それを基にして、一日24時間を修行にしてゆくのである。この意味がお分かりであろうか?

今日は「わたしの森」と名付けた森林にゆき、自然のエネルギーと一つになり、統合してゆく修行を行った。やはり通常は外界と認識される環境を修行し易いように調整することは大切である。

要は、大都会の真ん中よりも、(修行するのに)ふさわしい環境を得れば、修行がし易いということである。それには自然の中が一番よいのだ。

周りに普通人がいるとか、騒音がうるさいとか、やたらに虫がいるなどの環境では修行はしにくいのである。安全確保や邪魔を避けることが第一である。思う存分にできるようにしなければいけない。

例えば、気合法の鍛錬などでも、人家のあるところでは無理だ。工夫が必要である。よろしいか。わたしは何らかの形でこの30年毎日の修行というものを欠かしたことがない。いまでは24時間を修行としているのである。わたしのもとにいる修行者すべてが、そうあることを望むものである。

この日曜日には、先達衆は許可を得て修行に出かけた。無事に鍛錬を積まれたとのことである。また他にもお滝を頂く修行をした人もいる。そういうように皆、工夫して修行を重ねている。

滝の指導を開始しようということで決意して以来、まもなく3年になろうとしている。今後は『滝行法部』が発足するので運営の一部分がそちらによって為される。すべてをわたくしがやるわけではない。時間というもの、状況というものは常に変化してゆくのである。

わたくしもまた修行者なので、自分の修行をもっともっと積んでゆかねばならないのである。
その為には、時間や財貨が必要なのである。空間的にも余裕というものがなくてはならないのである。これは修行してゆく上での現実である。

また、体力・健康も正常でなければならない。心も体によって支えられているからである。

もう4月半ばです。まもなく5月。どうですか、この時間進行の早さ。一日生きたという事は、一日死んだ、死に近づいたということです。死ぬのは当たり前だが、逝くときまでに為すべきことを為してゆく、あなたはそう望んではいないのですか?

 
森の或る樹の穴(入口のよう)   こういう感じの主(ヌシ)がいるのではないか!!

修道秘鍵【指導原簿による練行】

修道の秘鍵・指導原簿による修行

この度、指導原簿を作成して、門人及び門人希望者を指導することに致しました。(平成24年3月より開始)

修行がすんなりと出来る状態になるのに、通常は何年もかかります。実際にそういうものなのです。修道者が自立しつつ、自我の解体をすすめてゆくのは至難であり、相応の労力と時間を要するものです。

西蔵仏教(チベット密教)の偉大なるテルトン(埋蔵教発掘者)、ジャムヤン・ケンツェ・ワンポ師の転生化身に、ジャムヤン・ケンツェ・チュキ・ロドゥ師がいますが、この方はチベット四宗派の相承をすべて受け継いだ方と言われており、さらにこの方の転生化身は若きゾンサル・ケンツェ・リンポチェです。このラマ(上師・リンポチェ) は、映画『ザ・カップ』の監督でもあります。何度もお忍びで来日しており、日本の文化にも精通しておられます


わたくしはご縁あって、このラマの教えを聞法したことがありますが、彼曰く『自我というものを壊してゆく、こういうことをしてくれる師匠はあまりいないでしょう。・・・ラマは、何も求めないことを貴方に要求するのです。・・・』と。

つまり密教的な師弟に成るということは、そういうことなのです。とんでもない師匠に遇えば地獄ゆきなのです。

指導原簿を作って指導するということは、修道の進行状況をよく観てゆくことであり、的確に指導し、さらに時間を短縮するということに効果をあげるでしょう。しかしながら、大切なことは、そういう謳い文句ではなく、本質的な指導がなされるかということです。方法を活かすには、教える側と教わる側の熱意が必要です。そして教えを受け入れる素直さです。わかりますか、このことが・・・。

現代人の良くない癖は、頭デッカチなことです。いままでも滝行指導など随分としてきましたが、入滝法のお九字の切法・印法ともに全然できていない者が多い。過去にもいましたが、理屈ばかりで実技がまったくできていない。そういうのに限って、印がどうの、真言がどうのと理屈を捏ね回す。ど素人のクセに(笑)。そんなことでは、百年やっても完成などしません。

年ばかり重ねても、密教霊術の奥旨は体得できない。わたくしのいう密教霊術とは、日本人の持つ根源的なもの、力の源泉であります。これはいまこそ必要なものです。

ポクタンにならないうちに、早めに気がついて素直に修行されることを希望します。つまり元気なうちにということです。誤解なきように・・・。

   
ポクタンの実例(三名の方)

進化する自然智の会【修道クラス分けの大事】

今日は、女性の修道法(3)として、『神僊房中瑜伽法』について解説するつもりであったが、今後の修道に於いての「クラス分け」について述べることにしたい。

すでに現在、先達修行者とその他の門人・生徒とは、伝授の内容に於いて天地雲泥の差が開いている。その理由は、いくつもあるが、その一つは理解という点である。これは学習してきた内容や積み重ねの違いということになる。

先達グループは、ある縁で一つになっている。クラス分けという場合、この点が大切で、一団となって修学してゆくことが大切である。グループの誰かが漏れることのないように、お互いに補い支え合うのである。

まずは、先達門人(弟子)グループ、正門人グループ、準門人グループ、一般というように区分けを行います。講座のほうもグループ指導になり、そのグループで相談し段取りし、先生との打ち合わせで日取りを決めるという事です。もちろん融通はききますので、何でも相談すること。

その他は、公開霊学講座です。今までの「霊学講座」のように高度のことは当分やらず、一つ一つの意味や、作法の講義、試験・試問を行う前提を作ってゆきます。

先達門人・正門人には、具体的な学習を示唆し教えてもゆきます。また、その境界に応じて秘伝・秘法を伝授してゆきます。

準門人は、まだ制定していませんが、少なくとも「門人願い」を提出した人が候補対象であり、これはあり方から指導します。修道する上でもマナーすらできていないので、厳しく指摘します。自分では、できていると思っている人もいますが、全然ダメなので完膚なきまでに指摘したいと考えております。

「霊魂(たましひ)」を磨き、佛界・神界に直入(じきにゅう)するためには、甘い修行などないことを知っておいてください。

川島金山 謹書

女性の修道法(2)【神僊房中瑜伽法という修行法】

昨年11月末に、神拝中『瑜伽の修行をせよ』という強烈な意思が認識された。確かに自分の発想していることなのであるが、強烈な意思なのである。

つまるところ『霊法』の核は、瑜伽(ユガ)ということに尽きのであろう。ヨガ・ユガは通常『ヨーガ』という。『結びつける』と意味である。

何と何を結びつけるのかというと、『ブラフマー(梵天)』と『アートマン(真我)』である。ブラフマーは『宇宙の太霊』、アートマンは『宇宙の分魂』というように理解すると分かりやすい。

大宇宙の太霊から分かれ、我々は生命に与れる。わが国の『古事記』の教に似ているが、ほぼ同根のものである。

インドなどにゆき、本格的にヨーガ(瑜伽)の修行に入ろうとした方はご存知だと思うが、奥にゆくと、ここから先は女性は入れないということが出てくる。事実あるのである。日本の修験道などでもそうである。

さまざまな修道をしている欧米や最近の日本女性も、こういう点に噛みつくことが多い。

確かに昔、差別を受けていたということはあると思うが、身体の構造が違うので、修道の仕方の違いが出てくるのは当然という点もある。

共通に行うべき修行もあるが、男女で種類の違う修行もあるのである。太真西王母は、そのことを太古の教えで示されておられる。

すなわち『神僊房中瑜伽法』である。本来の名称は『房中法』『房中術』なのだが、修道法としての内容を示す為に、わたくしが敢えて名付けた名称である。




3年目の寒行開始【修行場から教えられる】

本年も恒例の寒行が始まった。

毎回10名前後の修道者が参加している。





1月7日は、丁卯であり、西王金母の縁日である。祈念祭を行い、その後、講話を行った。その中で「同一線」の神秘について述べた。

1月8日には、塩川大滝で滝行禊ぎをおこない、その後、寒川大社に参詣した。これも毎年の恒例行事になっている。寒川の神様は、高知の聖なる霊地に深き関わりのある「大龍神であり、わたくしたちの滝行ご祭神とも関係があるので、どうしてもご縁が出てくるわけである。





1月15日。これこそ寒行である。御岳山七代の滝での修行。密教の入滝法で行う。これは厳しいものである。不動明王の秘術である、法力開発法を伝授した。ほんの入り口であるが、これが大本になって、さらに深い法へと発展してゆく。

本当の護摩を修するには、寒行のなかで、このような錬行が必要である。昨日も滝場は凍っていた。流れ来る水は相当に冷たい。だが、御岳山での修行ということを数日前から意識しただけで、全身の細胞は奮い立ち、身体の奥底で何かが動く。体から発する匂いですら、若返っている。

15日の早朝4時、洗顔したのであるが、水道の水が全然冷たくないのである。この日、御岳山七代の滝に褌一丁で入滝したが、冷たい水が心地よいのである。

身体の中央部で炎が燃える。不動明王のカルラ炎が燃え上がる。冷たい極寒の流水をはね返し、水蒸気を上げながら、命の炎は延々と燃え上がる。

心の眼は、はっきりとこれを捉える。こういう法力開発の技法を行っていると、大昔の行者がまったく同じ事をやっていたと思うようになる。それはほとんど確信に近いものだ。

こういう境地に師匠や弟子がなってくると、山や滝場などの修行場が色々な示しをしてくれる。おそらくは、その場を守護している存在や御眷属が、為していることなのであろう。

それは絶妙なタイミングで知らせてくれる。受ける側の修行者は、どう判断すればいいのか。そのことを考えてゆくこと自体が修行なのである。

わたくしの弟子たちの滝行法の修行もこの冬で丸三年になるが、なかなか道力が出てきている。型がしっかりしてきている。修行というのは、理屈を越えている。石の上にも三年とはよく言ったものだ。
 

滝行の規則をつくる【三摩耶戒の心構え】

この度、吾が会では、滝行における規則を明確することに致しました。心得の間違えというようなこともそうですが、霊場におけるルールは人間の思っているものとは違うということです。

また、行法や作法にクセが出すぎているので、これを正確に行うために、試験をする。また、どれくらい一つ一つのことを理解しているのか、試問することに致しました。

修道の進捗のためには、こうするしか仕方なくなりました。いままでは自主性に任せてきましたが、それでは、どうもできないようなので、そうすることにしました。

関西の弟子の宮島君から次のようなメールがきました。
--------------------------------------------------------------

川島 金山先生

今晩は。いつも、大変お世話になっております。先生のお身体は、いかがでしょうか?

心して拝読させていただきました。心得ました。

僕の行動一つが、皆様の修行の練磨を妨げたり、先生のお身体にも影響し、もちろん自分自身の磨かれないということを、再度認識し、日々練習して、参りたいと思います。

まだまだ、形ですらできていない自分にとっては、責任を感じております。いつも、ありがとうございます。

先生、ご自愛下さいませ。


宮島充史
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彼は密教の「三摩耶戒」を理解している。
師匠は、法を伝授する際に、自分の心に受法者の心を受け入れます。するとそこには「一元的な状態」が生まれます。わたくしの場合、普段の研修や行場で、そういう作業をしております。すると必ずそれが出来たという現証があるものです。これは師匠のタイプにもよりますが、わたくしなりの型があるのです。

このような奥の事の詳細は、わたくしの跡を継ぐ者に相承します。

弟子の行法の越法は、全部わたくしの元にきます。また、他の人に破戒が派生します。そういうことの管理をするのも師と高弟の任務です。

今年からはわたくし自身が専門家として、世に立つということを目途として修行してゆく所存です。そうしないと今後の「三摩耶の浄化」で出来なくなる可能性があるからです。
 


大瀧霊境【愛弟子の大はらへ禊ぎ行】

愛弟子の松浦から大瀧霊境での禊ぎ行貫徹の報告があった
弟子は是く修行せよ




 

手箱神山への道【相模之國 大山に登拝する】

本日、大山に登拝した。

大山阿夫利神社(下社) 大山石碑

大山阿夫利神社へ参拝したわけである。

下社のほうへは、ケーブルカーでゆくので大したことはない。自然や景色を味わうには丁度良い。しかし、大山の山頂・奥の院(上社)へゆくのは、案外体力がいる。

来月、手箱神山に「先達衆」とゆく。

この処の尊い御社にゆき、正法を知る修道者と共に「祈祷」できるかが、或る神界と御神縁があるかどうかの、分かれ目だと思う。

ここで明確にしておくのは、わたしが高知に於いて(わたくしが企画・準備して)伝授修行の会を開催するようなことはしない方針ということである。「サニワ」「霊示」により、お示しがありました。

正神界に近づけるだけの知識と修道、徳分を持たねば、手箱神山の麓にすらゆけないことを、はっきり申しておきます。ゆきたいという意志だけでは、難しい。

先生が企画し、段取りを付けて、そこに連れてゆくことはないということです。神界の厳律を犯してまで、神縁なきものを無理に連れてゆくことはしません。

高知での宿泊・移動の手段(車が絶対に必要)・その他そういった物を、行きたいという者ですべて準備することができなければ不可です。

また、同行する中で、わたしや先達衆の修行を邪魔するようなこと、一切不可です。そのような傾向が一つでもあれば不可です。

もはや神事(しんじ・かみごと)なのであり、自ずから厳しいものになります。

かつて幾人かの霊学者しか為すことが出来なかった、神業を行ってゆくのですから。

昨日は、そんな思いをこめて大山に登拝しました。半端ではない大量の汗が出、朝ご飯をいただかないで趣いたので、途中でフラフラになりましたが、側近スタッフに随分と助けられ、安全でした。彼女は、靴を履きつぶしました。わたしは、手箱登拝用の靴でもって臨み、足の具合は上々でした。

大山山頂・奥の院 

山頂の奥之院までゆき、礼拝すると、『浮橋をかけよ』と神坐・神殿から声がしました。わたくしの体得せる「神法」の一つはそのような法なのです。神の声・光り・話し声その他の感応がある、神界の座と、神殿の神坐をつなぐことのできる、古神道の秘法なのです。

大山山頂 

手箱神山の登拝に先駆けて、わたしの先祖に所縁(ゆかり)のある大山の山頂にて法を修しました。手ごたえを感じることができました。

本当の「成仙の法」「神法の秘伝」「密教の深秘」を、わたくしが伝法授受できるのは、現在のところ先達衆4名のみです。大山に登拝し、わたしの思いは、そのように明確になりました。法灯を受け継げるのは、およそ10名くらいのものでしょう。奥の奥までは、そのくらいの人数しかゆけないでしょう。

先生と弟子(仮に)や生徒は、友達のようであってはいけません。それでは法は伝わらないのですよ。よくよく、考えてみてください。

ここで、高知にいるM君から、〇〇〇山付近の〇〇滝の写真が送られてきた。此の山も、神の由来のあるところだ。見てみると、何と!巨大な女神が出現している!やはり神祇の世界には犯すことの出来ない厳律があるのである。女神は、そのことを告げている。

一大仙境へ【禊ぎをし、神山に登拝する】

祈祷祝詞集
  秘伝の祈祷祝詞集

今日、秘境大瀧にて「禊ぎ行」をする。2年前から再び滝行をはじめたのは、この為だったのだと、心底感じている。

昨日は、浦戸竜王宮に参拝した。ここには、特別の感格がある。
今日は土佐巡礼の要である、松浦先生の誕生日だ。この日に、秘境大瀧・神山手箱山に巡拝できることは何かの「幽契」に違いない。わたしが土佐の地に来たのは、25年以上前だ。松浦先生はその頃まだ小学生だった筈だ。しかし、その時からすでに「幽契」が定められていたのだと思う。

今日は神山で、鎮魂の祈祷する。また、皆様からお預かりした祈願を正神界に送る。
本当にありがたいことだと感謝している。

今回、参加した修道者には、「祈祷祝詞集」を授けた。この詞集こそ、修道士必携のものなのである。

今回は、数名の参加であり、寄宿所などすべて松浦先生のご実家の提供によるものだ。この場を借りて心から御礼申し上げたい。おそらくは合宿もできるであろう。至誠があればの話だが。

自然智の会:高知霊学道場として頂きたいとのことあり。まさしくそのように運ぶであろう。まったく不思議なことである。

 


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