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  • 2012.12.01 Saturday
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『諸注意の事』 =桑田欣児師の霊術【霊光療法(3)】 =

桑田欣児師の霊術【霊光療法(3)】 である。

いよいよ核心部分を書く段階だ。
書くべきことは2つある。

まず「気と光」に関する秘説だ。これはわたし自身が体験し研鑽したところからくるもの。この中には、日本の霊術のみならず、チベット密教の秘法が関連している。これ以上は言えない。

次に、どうように訓練するかという点。これも多くの人が知りたいところであろう。しかし、これも言えない。読者よ、なぜ法の解説伝授を惜しむのかと、非難はしないでいただきたい。ここにはわたしの血と涙の結晶があるのだ。約20年間の生き様がかかっているのである。

わたしは、幸い生徒に恵まれた。今春には、運命の霊地への旅路が待っている。すでにそれに関連した「現証」が次々に出てきているのである。それゆえに伝法伝授は、我が生徒だけに行なうことにしたのである。すべての法についてそのようにしたいと考えている。

また、他の先生、それは整体の先生も含めて外の団体グループに係わりがある方には、わたしが潔斎の上、謹製した「神界直結の神璽」 は、お授けしないということである。普通の神棚安置はお手伝いします。秘伝の教授はわたしに師事した方のみにです。但しわたしが認めた先生は別です。

正直に言えば、ここまで禊ぎなどしてまいりますと、人を介して「禍津霊(まがつひ)」が多々来るのです。そういうのを「悪い気線」ということが出来ます。修行をしてゆくほど、精密に成ってゆく。少しの「禍津事(まがつごと)」もゆるされなくなってきます。

個人のことを言えば、とにかく問題を生じます。それは理由如何に関係がない。言い訳も理屈もあろうが、そんなことは表面的なことであり、要するに「禍津事」なのである。大抵が、気質を通してあらわれるが、それすらも本人は気がつかない。

現在、伝授をしてゆこうと思っている人が、数名おります。この方々は、現代に蘇った「霊術家」として、力を知らしめてほしいと思う。わたしは全力で教えるし、わたし自身もその光りを世に放とうと決意している。

霊術【霊光療法】 は、他者へ力を及ぼす技術の「真ん中」だ。そういう訳で、この法の事始め・解説は、今度の霊学講座でやることにしたい。したがって『桑田欣児師の霊術【霊光療法(3)】』 は、本ブログには書かない。実地の講義・実習ということにしたい。諒とされたい。

桑田欣児師の霊術【霊光療法(2)】

桑田欣児師の霊術【霊光療法(2)】 である。
今日は呼吸法について説くことにしたい。

昨日わたしは、霊光療法が霊術と療術をつなぐものだと言った。
霊術では、一種の霊気とでも言うべきものが、大気・空間に存在していると想定している。
人間・事物の存在の根本には、そういうエネルギーが宿っているというわけだ。事の真偽は別として、「ケガレル(気枯れる)」「キヨイ(気良い)」などの言葉は本質を表現している。

「光」という文字が入っている以上、当然その霊的エネルギーは光りを放つものだと言ってよい。
野口晴哉師は、輸氣法ということで松本道別翁の法をそのまま継承したが、桑田師は更に一歩進めて「霊的な光りを放つ氣(エネルギー)を使う療法」と定義したのである。

霊的というからには、輸氣法とは使い方が違う。輸氣法は「人体放射能(氣)」を治療法として使うのであるが、霊光療法の場合、病気などの背後にある霊的障害にまで影響をもたらせようとする方法である。

病気の「気」を対象にしつつも、「憑霊」「邪霊」などの除去も目的にしている。氣を当てるだけでなく、光りを観じて光線を照射する技法である。

桑田師は「呼吸法霊的見解」と題して次のように説いている。
「大気中には生命保存の貴重なる精分があって、人間は止むに止まれず味吸をやって居るが、方法により強大深長に呼吸を行うと、生命体内に於ける不備不完の個所は調整盛増され、各組織は自然光輝を発して天稟の本能性を顕現する。即ち各機能各分子の融合的活動により組織内の要素(電気、磁気、ラジウムの様なもの)の本能的作用が盛に発現放出して、又は内部に巡環し各細胞に作用して活力を与え全身を調整し、腹部に中心的統一力が充満し、筋骨を健にし、血を調え、感覚を敏くし、病源を滅し、潜在的未有の無意識なる人間の本霊能力が発揮する。」

以上の論では、自分の修養・霊能発揮のために呼吸法があると言っているわけだが、呼吸法により充分に霊気が蓄えられると、今度は他者にそれを分氣してゆく。これが、輸氣であり、霊光療法ということである。

だから、霊光療法の体得は呼吸法が着手のはじめとなる。
霊学講座や野口整体に於ける、神伝の「深息法」がその方法である。以前にも申したが、深息法は松本道別翁が御岳大神から神示により得た呼吸法で、神伝だと言われている。それを桑田欣児師や野口晴哉師は取り入れたに過ぎない。

日の出の太陽の気を吸収するということが「秘訣」だということを申し述べておこう。


桑田欣児師の霊術【霊光療法(1)】

以前ブログにて、桑田欣児師の霊術・霊法を金山流に変えて教授することを予告した。
12月12日の霊学講座で、実現することを決めていたが、時間的に無理な状況だったので断念した。

講座のときには、講義のための資料はお渡しした。
その資料を読んでいることを前提として桑田欣児師の霊術の核心を述べたいと思う。

先ずは、霊光療法についてである。
この法こそが、霊術=療術の真ん中にくるもの、根本技法である。
この法を説き進めてゆき、復活せしめることが「霊術の復権」の鍵だと思われる。

今わたしは、自分の肩に日本の文化、これからの宗教、整体文化などの方向性が掛かっていると感じている。生きているうちに、まだまだ元気なうちに、この現界において、表現しなければならないと思っている。

さて、霊光とは何か?それはオーラのことだという。生命体を保持している根源のエネルギーだというのが、桑田師の説くところだ。

概要説明として次のような文章がある。
「必竟疾病はこの霊光の不充分に真因し、よく運行放射せしむるか、患部に集中増光せしむれば治病する理由であって、透視家の実験に於て無事なる所は白色を呈するが、患部は一様に黒味を帯びているという同一現象事実等の点を考えて疑う余地は更らにない。
従って霊光の絶無が死であって、桑田式修法の如く肉体の均整、鍛錬、精神の練熟、統一、集中は霊光の運営であり、増発であり、利用であるから、疾病治療、悪癖矯正健康長寿が実現する道理であり、真に其応用によって目的が達成するのである。」 

桑田欣児師の師匠である松本道別翁は「人体ラジウム」「人体放射能」と呼び、桑田師は「霊光」と呼んでいる。野口先生は、サラリと「氣」と呼んでいる。

わたしの経験から言うと、桑田師の説が一番正しいと思う。
御岳山七代の滝での修行で得られるものは「人体放射能」だと考える。しかし、それを修法や療術・療法に応用するとなると「霊光」なのである。ある種の氣を圧縮すると光りを放つのである。

引用せる文章は野口先生がゴーストライターとして書いた可能性の高いものを選んで載せている。
呼吸法や霊光療法の実際も含めて、三回にわたり解説するつもりである。

霊術と療術を繋ぐもの、その最も白眉なるものが「霊光療法」であるということを、よーく頭に入れておいていただきたいと思う。


松本道別著 【霊学講座を読む(1)】 クンダリニー開発法

 護摩法(ホーマ)自然界を操る
(護摩法(ホーマ)でクンダリニーを
 覚醒し自然界を自在に操るヨーガ行者)

松本道別師(まつもとちわき)の著した「霊学講座」は、今現在でも白眉の名著だ。霊学・霊術を修行するものは必ず読まなければならない霊著である。前にも述べた通り、この霊学講座全四巻のなかで、松本師はクンダリニー・ヨーガにおけるクンダリニーという潜勢力の開発法を公開している。

クンダリニーはクンダリーニとも表記し、どちらでもよい。どちらも間違いではないのである。霊学講座では、蛇(クンダリー)・蛇力(クンダリーシャクチー)・軍茶利尼などと表記している。昭和2年(1927年)に霊学講座の第一巻と第二巻は刊行されている。このことは驚異に値する。ほとんどクンダリーニ・ヨーガについて情報がない時代に、このことを実践書に記述し、具体的な方法まで書いていたというのは驚くよりほかないことだ。

霊学講座の中で、中心管呼吸法としてこれを説いている。他にいくつかの優れた呼吸法が公開されている。野口整体の創始者である野口晴哉先生は、ご存知の通り松本師の直弟子であり、整体法の体系の中に、霊学講座で教示された技法を取り入れている。このことは動かし難い事実であろう。

霊学講座では、深息法・気合法も記されている。しかし現在の整体協会では4段階ある気合法のうちの「整腹気合法」しか伝わっていない。「打ち込み気合法」や「槍突き気合」はやり方違う。正確には伝承されていない。であるから、呼吸法も同じことである。霊法として教示されていた原初のものとは違うのである。

野口先生は、背骨の呼吸法を紹介している。ご自分も日頃からこれを実践していると語っていた。専門的には、脊髄行気法(せきずいぎょうきほう)というのである。野口先生の説明を拝見すると面白いことに気づく。整体法だけやっている方には、このことは分からないことだと思う。

脊髄行気法というのは文字通り、脊髄に行気する法だ。行気とは精神集中によって気を行きわたらせる法である。自分自身に気を行きわたらせる時には行気と言い、他人に送る時には「輸気」という。

松本師の方法では、脊髄行気法と中心管行気法は別々のものだ。脊髄行気法の中には「中心管」という考え方はない。しかし野口先生は、背骨の呼吸法として脊髄と中心管に気を通すことを説いている。このことを指摘した人を僕は知らない。

中心管というのは、クンダリーニ・ヨーガにおけるスシュムナー管という微細な管だ。尾骶骨にある潜勢力クンダリニーが、ここを動線として頭頂まで抜けてゆくのである。中心管の概念が有る以上、当然クンダリニーということも野口先生はご存知であったろう。僕は野口晴哉師の輸気の力の根源は、天心・気合と共にクンダリニーだったのではないかと考えている。

すなわち、あの御岳山・七代の滝での修練でそれらすべてを体得したのではないか、そんな風に考えている。妻の野口昭子夫人が、その著「回想の野口晴哉」において、野口先生が少年時代修行した秘密の滝場を「御岳 綾広の滝」としているが、それは七代の滝の間違いではなかったかと思う。このことは、両方の滝場で修行すれば分かることだ。

クンダリーニ・ヨーガの技法、野外で焚く護摩法(柴燈不動護摩法)、霊学講座における各種呼吸法、各秘事秘法、滝行気合法。これだけのものを本気で研鑽する個人および団体がどれだけあるのだろう。

整体を踏み越えて、興味のあることをどんどんやりましょう。クンダリニーの潜在力を「輸気」に導入したらどんなことになってゆくのか、本当に楽しみです。それはもう整体法ではないかもしれないけれども、人々のお役に立って生きてゆければ、それで良いのではないでしょうか



1/10日寒行報告 【クンダリーニ・チャクラ開発滝行法】

 厳寒の七代之滝
滝場への参道
(厳寒積雪の七代之滝 積雪の参道)

本日1月10日(日)御岳山において滝行気合法を行った。一行は4名で皆さん、よく頑張りました。作法はスムーズで、厳寒の中よく声を出して真言を唱え気合法を行じておりました。

御岳山では二日前に降雪があり、滝場にも雪があり、流水の左右が凍っているという具合でした。水温は12月末よりも更に低く、御岳での極限の寒行に近づきつつあると感じました。

ここで1つの画期的な滝行論を述べたいと思う。ご承知のように僕は滝行とクンダリーニについての体験を昨年末に述べた。この論を更に進めると我が会での滝行法は【クンダリーニ・チャクラ開発滝行法】ということになる。では詳しく述べよう。

ヨーガとはインドのものである。いくつもの種類があり、その中にクンダリーニ・ヨーガというものがある。人間の尾骶骨基底部にあるクンダリーニという潜在的なエネルギーの処を開発覚醒して活用するのである。クンダリーニは、背骨の中にあるというスシュムナー管という中央管を突き抜け頭頂にある「梵の座」という処にゆき、聖霊と交流するまでに至る。中央管の各場所にはチャクラという部位があり、クンダリーニがそこを通過すると各チャクラは覚醒する。チャクラというのは梵語で「回転する輪」という意味だ。すなわちチャクラはエネルギーを「回転する輪」のように輪状に放射するから是く言うのである。

このチャクラは主に7箇所あり、それぞれが人体における「内分泌腺」に対応している。内分泌腺と言うのは、ホルモンを分泌する部位のことである。

クンダリーニ・ヨーガでは各チャクラを独特の方法で開発する。さまざま体位、呼吸法、クリヤ、瞑想によって開発するのだ。それらは確かに優れたものである。しかし、日本に古来からある「滝行」も同様の効果のある方法なのである。

峻険な山道を歩くことで下部のチャクラが刺激され、気合法で腹部のチャクラが開発され、肛門を閉める・菩提心を発することで胸のチャクラの覚醒を促す。更に滝中で真言読経することにより喉のチャクラに影響を与える。そして帰神法と「滝行霊灌ぎ(みそそぎ)の法」により頭部のチャクラが開く。自然の装置に従って歩き、祠で法楽を捧げるなどして、滝行気合、霊灌ぎをすると、曰く言いがたい身体の状態になるのだ。

身体を極限状態に置くことにより、生命は危機を感じ、自然とホルモンなどの分泌を促し、体を生かそうとする。人間の生命というものは、命がある限り生きようとする。その力を極限にまで引き出すのだ。それが本当の滝行なのである。

山中での寒行のときには、火を焚かないと、どうにかなってしまう。体中が凍るような中で火に当たる時、これが古い修験などの護摩行の原点ではないかと思ってしまう。火を焚いて不動明王にでもならなければ自分を保てないのだ。これらは体験しないとわからない。やってみればわかることだ。我が会の滝行は、心身の改造、クンダリーニ・チャクラ開発の滝行法として、まさに今、無作為に自ずから完成されつつある。

我が一門は、この法を日本古来からの修道法として未来世に残すことをもって大誓願としている。

野中操法と共に此の滝行開発法が、我が修練会の二大柱であることは紛れもない事実である。
本気の参加者を乞う!

護摩法を行うヨーギー
(護摩(ホーマ)を行うヨーガ行者)

年輪 【桃栗三年柿八年人生一生】 長寿の修行

 チベット式柴燈護摩 サンの香炉
     (サンの香炉)
今年は瀧行を久々に再開したので、更にもう一歩突っ込んで火の元素の修行である柴燈護摩法(さいとうごまほう)もやりたいと考えている。道場内のいわゆる護摩壇でお焚き上げする法とは違い、護摩法の作法もシンプルでやりやすいものだ。

チベットにも同様の法がある。サンと呼ばれるものだ。意義はほとんど日本の柴燈護摩と同じであり、香木や香草などを焚くのである。煙に乗せて供養の物を仏天にささげるのだ。

僕の教授するのは柴燈不動護摩であり、不動明王と蔵王権現が本尊になっている。この法を教授してゆくにあたり、屋上にて出来る限り、毎日サンをやりたいと考えているのだ。或る在日チベット高僧にもご相談し、チベットのサンと柴燈護摩を合わせておこなう行法次第も完成させている。

先般の講習会では柴燈護摩法の火天壇まで伝授した。これに霊符、秘伝印法、その他さまざま教えて、実際に修行をしてゆけば、瀧行と護摩行のできる密教霊術家が続々と出てくる。たのしみである。

世間では、桃栗三年柿八年梨の馬鹿芽は十八年などという。しゃれた禅僧などは人生一生などと句をつける。護摩法の薪をつくるため、このところ木材を切っている。ヒノキの大きな切り株が手に入ったので年輪を数えると三年八年十八年どころではない、130年だ。20年や30年の太さを見てみると大したものではない。45年〜50年たつと漸く立派な太さだ。70年〜80年の太さだと大したものだ。しかし、どっしりとした感じは120年の年輪を過ぎたものでないと感じられない。

これは人間も同じなのだと思う。20歳には20歳の、30歳には30歳のあり方があろう。どんなに背伸びしても20年30年ぐらい生きただけでは底が浅いのである。まして整体や宗教などの人間の心に接する仕事では、その任に耐えうることができないであろう。通用していると勘違いしているのは本人だけだったりする。まことにお笑いである。

僕の師匠のさらに師匠は120歳の長寿を保って修行したと言われている。なぜ長生きが必要なのか?というと、なるべく境地を深める修行のためにより安定した状態でいたほうがよいからである。人間でいるということは無限の可能性があると言われている。そのために長寿の修行は密かに行われる。何かをやっているということすら口外してはいけないのだ。

だが例外的に口外するしないということの制約のない法もある。「マンダラーヴァ長寿の修行」がそれである。この修行により、人間を生存させている一種の気である「ラ」「レ」などの命息・魂・霊を守り強化することができる。ちなみに呪詛というのは、このような根源的な気を損ねるものなのである。

人生一生、これ修行である。堂々と年輪を重ねてゆきましょう!

樹齢130年 檜の切り株
  (樹齢130年の檜の切り株)

中西悟堂師 【自然運動(霊動)】 

 中西悟堂氏

読者から中西悟堂師について詳しく書けというリクエストをいただいたので少し書くことにする。

中西師が「日本野鳥の会」の創立者であることは前回述べた。生い立ちや自然運動(霊動)を得たエピソードを記すことにしよう。中西師は幼少のころは虚弱体質であり、12〜13歳までもつかどうかと案じられるほどだったという。

彼を育てたは養父は、政治的仏教者であったので、弱い子は死んでもいいからということで、山寺に彼を預け、荒行をさせた。時に9〜10歳だったという。荒行というのは、108日間の座行、21日間の滝行、21日間の断食だった。

しかし、これが功を奏して健康を回復した。人間の生命力とはすごいものである。まあ、誰でもこういくとは言えないだろうが・・・。そうして中西少年は、14歳のときに自らの意志で滝行を行った。そのときに体得したのが「自然運動」だという。

その体験を記すことにしよう。
『それは1種の無意識体操で、太い滝に強く肩を打たれていると、水勢のはずみで、腕が軽くひょいと上がる。片腕だけが上がることもあれば、両腕がはね上がることもある。それがからだに微妙な波動を与える。そこでその波動をとらえて少し意識的にその波に乗ると、それが無意識的な運動の波紋をひろげて、不随意筋までぴくぴくと動く。後年私はこれに工夫を加え、滝などの力を借りずとも、座禅による精神統一からおのずから手足や胴の運動を導き出すようにし、これを「自然運動」と名づけて人にも教えた。』

自然運動の自得・工夫についてあますところなく記述されている。中西悟堂師も野口晴哉師も、14歳で自らの意志で滝の行をやっている。不思議な共通項である。僕的に言えば、日本とはそういう人材を生み出す国なんだということである。

霊動法を如何に修得するか?

チューのテキスト
(魔境・魔事を祓壌する悪魔祓いの秘法『チュー』のテキスト)

わが会での今後の1つ課題は、如何にして「霊動法」を指導練磨するか?
という問題がある。

その前提となる、いわば前法というか、そのようなものをやろうか?などと考えている。気が満ち、霊気が満ちると自動的に運動をはじめる。

僕は16歳当時、この霊動法を伝えている方のところへ行った。研修も受けたが、霊動は起きなかった。また、ある種の霊能開発法のテキストを手に入れて、その修法の中に精神集中法と霊動法が記されていて、興味をもったが本物の法に触れることはできなかった。さまざまあったが口寄せ以上のものではなかった。

「日本野鳥の会」の創始者であったか?中西悟堂氏は、ごく若い時に、滝に打たれていて自然に霊動が起きるようになったという。武州御岳山も愛していた方のようである。御岳神社の参道の階段に碑があったと思う。

人体放射能の体感・体得、霊動法の修得の2つが出来ないと、本物の鎮魂帰神法の体現は難しいと僕は考えている。僕の流儀では、鎮魂帰神法が神仏両方の幽真界に通ずる、土台となる法なのである。これができないと実際のところ「悟り」などいうものは屁理屈であり「絵に描いた餅」ということである。法力・霊力ということに関連しているのである。

伝授・練磨というときに、大いに信頼関係がその成果を左右する。強力な法であればあるほど、魔境・魔事がでてくる。魔事には幾つかの種類があり、これはいずれ解説する必要があろう。

魔事や霊的魔障にはチベットの法が一番である。その中でも、バン・ネンデンなどの種類はあるが「チュー」が一番である。これは「悪魔祓い」の法である。墓場などで真夜中に行うのですが、一度実際に修行しているところに同行するとよいかもしれない。

神傳極秘録 【憑依霊の潜入せる秘解図】

 憑依霊潜入秘図
  【憑依霊の潜入せる秘解図】

ご覧戴こう。邪霊・悪霊の潜入部位というものがあり、それを神伝により図解した秘録がある。邪霊とは邪気でもある。或る土地などに地縛した存在もあるが、個人には身体の或る部位から邪気が潜入するのである。

邪霊の発現法には様々な法がある。霊学に於いては、帰神法によって見極める。邪霊ならば霊縛法で縛る。帰神転霊の達人であった故佐藤卿彦大人は縄を投げる仕草で霊縛を行ったという。

仏仙系の法の場合は、壌魔避災結印呪法というものを行う。これは不動七縛印法を含めた正伝の秘法である。であるから、滝行気合法に於いて不動七縛印を結んで練磨するのである。いずれ正しい結印法をお伝えしたいと思う。

以前、僕は憑依霊の潜入する部位は整体操法や野中操法の急処と一致すると述べた。野中操法の伝承者であった故吉田先生は、野中操法の急処である健康線は、体に於ける経絡の外部との接触部位なのだと言われている。僕も確かにそうだと思う。

人相の秘伝に「お人形」があるが、これもって観ると人体のどちらに偏りがあるか容易にわかる。野中操法に於いては左右をどう取るかこれが一番大切なことだ。また靴の底の減り具合を観ることも時に必要だ。左右のどちらが急処かわかったら整圧しながら確かめる。指が健康線の一点に到達すると独特の感覚がある。それを抜圧(ぬきあつ)するわけだが、ここに一つの問題がある。

邪気という要素である。操法の整圧を舐めてはいけない。今後は体固めの印法等々お伝えし、身を護りながら邪気を受けないように整体の施術をする。僕は生活法としての嗜みの整体法よりも、治療・療術としての整体法を志向する。その為に霊的なことにまで言及する。実践の場に於いては霊的障害というものがあるからである。

【野口晴哉の肉声】 =整体操法と密教修行=

 先般、ある人がこんなことを言っていた。「野口晴哉先生は若い頃に密教や修験などの修行をした云々」。調べてみると案外、野口先生の直弟子の方々も同じ様なことを言っている。

果たして本当にそうであろうか?

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